バングラデシュ 虐殺の9ヵ月

劇場公開日:

解説

独立国家を宣言し、全世界の注目をあびた東ベンガルのバングラデシュ人民共和国の栄光の独立の陰に、パキスタン体制の下で虐殺と戦下の渦に捲き込まれた七千五百万の罪なき人々の惨苦を描く。映画は七一年八月に撮影を開始し、パキスタン軍によるベンガルの大虐殺と、それに続く一千万に及ぶ未曾有の民族大移動を据えた。製作・監督・撮影はV・スークデブが担当。

1972年製作/インド
原題:Nine Months fo Freedom
配給:ヘラルド
劇場公開日:1972年10月28日

ストーリー

事の起こりは一九五七年にさかのぼる。異国のインド統治が終り、回教徒の多い地域がイスラム国家パキスタンを建てインドから分裂した。一九五六年、パキスタンは回教共和国を宣言。アユブ・カン将軍が自ら大統領となり軍事政権の非道をほしいままにしたが、暴動が起き、総選挙を行なうことになった。国民は自由選挙の結果を期待し、一九七〇年、アワミ連盟の圧勝に終った。しかし、西パキスタン人民党のブットは憲法制定の拒否権を要求し、時を同じくして東領内で西パキスタン軍の不穏な動きが始まった。そして平和な村々で無差別な虐殺が行なわれ、その惨状は眼をおおうばかりだった。七一年三月、最初の民族大移動が始まった。故郷パキスタンを捨て、西ベンガル州やインドのアッサム州などに入り、八ヵ月間で一千万以上の難民がなだれこんだ。パキスタンのあるジャーナリストは、ベンガルの民主主義を圧殺するために、パキスタンが軍事暴虐にでたことを抗議するため国を捨て、“皆殺し”という手記を発表した。バングラデシュ臨時政府は解放軍を募り、パキスタン軍への反撃にでた。生き残ったベンガルの若者が続々と結集し、パキスタン軍は地の利を得たゲリラ隊に悩まされた。ゲリラを庇った者には過酷な罰が加えられ、多くの村が焼かれ村人が殺戮された。インドへの難民の流動はなおも続き、十二月三〇日、パキスタン空軍はインドの飛行場を爆撃し、インドとの間に激烈な戦闘が続いた。そして遂に西パキスタン軍のニジア将軍が降参した。東の人民の自由が勝ったのである。敗走したパキスタン軍は狂信的な回教組織と協力して、東の人民に最後の暴虐を加えた。知識人や学生百人が虐殺され、九ヵ月前の悲惨な記憶が甦える。バングラの自由を得たが、三百万の同胞の血が流された。

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