仁義(1970)のレビュー・感想・評価
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淡々と折り重ねられていく動作の美学
メルヴィル作品の中でも「サムライ」と並んで人気の高い一作。この巨匠の描く世界はどこかブルーとグレーの合間のひんやりと冷たい温度感を持ち、一見すると人と人との関係性は無機質で血の通っていないように思えるけれど、その実、溜めに溜めたテンションが一瞬の動きや決断によって一気に解き放たれる構成がたまらない。
本作では運命のいたずらで巡り合った男と男が、ほとんど言葉も交わさぬまま助け合い、いつしか一蓮托生とばかりに大きなヤマへと挑むことになる。男たちの表情からは相変わらずほとんど感情が読み取れないし、彼ら俳優の演技がたっぷりとしたものにならぬよう、メルヴィル自身が編集であえて淡々としたタッチを作り出しているようにも思える。感情の代わりに本作のエンジンとなるのは、目的に向けて淡々と折り重ねられていく動作だ。工学的なまでに緻密に組み立てられていく物語に、一度はまりだすと止まらなくなる中毒性すら感じる。
赤い環をつなぐ5人
完璧な映画と思った。
冒頭に出る「ジャン=ピエール・メルヴィルの作品」というクレジットが、すべてを表している。メルヴィルは、おそらくこの作品が当たらなければ、フランシス・フォード・コッポラと同じように個人資産を失ったのだろう。それを背景に、極めて緊張感にあふれた脚本を書き、演出し、編集に集中した。一番感じられるのは、静謐。間違いなく、日本映画から来たものだろう。まっすぐキタノにつながっている。「サムライ」に続いて、今回は邦題を「仁義」としたことも、うなずける。特に、パリ・ヴァンドーム広場の宝石店を襲うセリフのない25分間が圧巻。時間配分から考えても、ラストはお決まりに近い形か。
映画からの帰り道、外堀通りを飯田橋駅に向かって歩きながら、原題である「Le Cercle Rouge(赤い環)」って、何を指すのか考えた。しばらくして、次の5人を指すのかなと思った。
まず、偶然に知り合う主人公の二人、マルセイユ近郊の刑務所を出所したばかりのコレー(アラン・ドロン)とマルセイユから夜行の寝台列車でパリに護送されるヴォーゲル(G・M・ヴォロンテ)。次に、ヴォーゲルを護送する列車から逃がしてしまった警視マッティ(A・ブールヴィル)と、その上司で監察局長のマルシャン(P・アミオ)。彼らは、一度にではなく、輪で繋がれるように、順繰りに出てくる。そして、最後にマルシャンの教え子、マッティの元同僚であり、ヴォーゲルの仲間でもあったジャンセン(イヴ・モンタン)が、コレーとヴォーゲルの仲間に加わって、宝石店を襲う計画を進める。彼らは宝石店に侵入して手に入れた宝飾類を換金しようとするが、マッティは、3人を罠にかけようと企み、それを見守るのがマルシャン。最初に、ヴォーゲルに逃げられてパリに戻ったマッティに、捜査の継続を指示したマルシャンがかけた言葉が、最後になってまた出てきて、環が閉じる。何という周到な設定と脚本。
環を回しているのが、ヴォーゲルの昔の仲間で、彼らに代わりの換金商の紹介を頼まれたのにマッティに情報を提供するサンティ(フランソワ・ペリエ)と、コレーの昔の仲間で彼を裏切った上に、彼らの選んだ第一の換金商の仕事を邪魔するリコ(アンドレ・エキアン)。少なくとも、ヴォーゲルとマッティの間には、乾いた友情「仁義」が感じられる。
演技の中心は、何と言ってもアラン・ドロンの演ずるコレー。「サムライ」に続いて、ドライでニヒルな設定が生きる。アメリカからの影響も顕著で、彼が乗り回す車は、アメ車、プリムス。サンティの経営するナイトクラブでは、美しい女性たちのアメリカ風のダンスが楽しめる。イヴ・モンタン演ずる、アル中から回復した無類に格好いいジャンセンは、おそらく自分の運命を知っていたのではないか。彼の射撃する姿は、そのまま「ジャッカルの日」に引き継がれている。
50年以上経っても、今に生きるフランス映画、フィルム・ノワールの傑作!
仁義というより友情
アラン・ドロンの最後の出演作だそうで。
とにかくセリフも少なく
見分けが難しい自分は画面をみっちり
観てないと分からなくなりそうだった。
色々とすねに傷を持つ者や
堕落して再起を目指す者と
何かしらどん底かもがいて抜けようという
輩が集まって大きなヤマにかける。
爽やかなラストとは言い難いが、
最後の方は似たような境遇の者同士
義理というよりは友情なのでは?と
感じた。
しかし少々冗長だったように思う。
小学生にして、これが人生初体験となったアラン・ドロン映画
’70年の作品である。
なんの予備知識もないまま、名画座の三本立て作品の1本として観た、というか観てしまった?、劇場で観た初めてのアラン・ドロン映画となった作品。
リバイバル公開された「さらば友よ」よりもこちらを先に観ている。
だから、アラン・ドロンという名前だって、何処かで聞いたことがある、なんか(ハンサム系とか)で有名なヒトじゃなかったかな程度の認識。
当時はまだ小学生だったから、それまでの日常はその殆どが(子供を意識している)勧善懲悪的なモラリーなものなどだった。漫画本、TVマンガ等も、TVドラマとかだって。
まだTVの「ルパン三世」なんか存在しない。
そうした時代、年齢にして初めてこうした映画の洗礼を受けた作品であろう、かつ生涯脳裏に焼き付いて離れないモノ。
そもそも、犯罪者=悪人=暗黒街の人物たちが主人公?
その者たちが引き起こす犯罪がストーリーって??
しかし、そんな事はすぐに関係なくなる。
生々しい主人公たちの描写に、そんな事思ってる間も無く、どんどんと引き込まれて行ってしまい、余計なこと考えたり退屈してなど居られない、画面から目が離せない状態のうちに終盤を迎えてしまった。
結末からすれば世の常の、お決まりのように「悪者は滅んで、正義(警察)が勝利する」のであるが、それだけでは済まない、説明がつかない、そうした事を超越した、凌駕してしまう何かを感じてしまったのだ。
この映画から、その後の映画人生の全てが始まってしまったようにも思える。
因みに日本公開版は3時間は無く、短縮されたアメリカ公開版に準じた2時間半は無いくらいの「レッド・サークル」バージョンだったか?
というのは、後のレーザーディスクや初期DVDで発売されていたのは、そちらのバージョンでガッカリさせられたから。
現在のDVD等はフランス本国オリジナル版のノーカットで鑑賞可能となった。
遅ればせながら、公開から数十年経ってサウンドトラックも発売されたことには全くのビックリでした。
今思うに、恐るべき映画とそれに出会ったしまった恐るべき小学生の運命かな(!?)
仁義礼智忠信孝悌!
何故、仁義なのだろうか?
多分、男の友情だろうから。
しかし、運命のいたずらで出会った男たちの友情と裏切りとか言うが、刑務所を出所したばかりの日に、警官から逃走した男と車のトランクで出逢い、その男が自分の追っ手二人を銃で殺してしまう、なんて数学的にほぼゼロだと思うが。一日か二日の出来事なんて、そんなのある!?
だいたい、狡猾な警官から、手錠の鍵を外し、列車の窓を一撃で割って、走っている列車から無事に飛び出せる確率ってほぼゼロだと思うが。
刑務所の所長から『簡単だから』と持ち掛けられて、簡単に出来るような強盗とは思えない。
『勝手にしやがれ』の監督なんだ。ウマシカなありえない犯罪映画。勿論、最後もあまりにも稚拙。
この頃のフランス映画に日本人は翻弄されてはならない。つまらない話や、くだらない話や、屁理屈コネたような話ばかり。こんな話作るなら、反ベトナム戦争の話くらい作って貰いたかった。ベトナム戦争は、フランスが影の立役者なのだから。悪い意味で。
大人の男の格好良さが濃縮された作品です
激シブ!これは物凄い!
これこそ本物の大人向け映画です
エロも過激な暴力もないけれどR18どころか、R40くらいかもしれません
物語は突き詰めると単純なのですが、説明を省いて省いて省き過ぎなほどなので、うかうかしていると、なんでそうなるのかよくわからないかもしれません
説明過剰な映画に慣れていると全く不親切
なんだよこれは!となって退屈な訳分からない映画だと思ってしまうのも仕方ないかも知れません
途中で寝てしまっても致し方なしです
だからといってつまらない映画はありません
物凄く面白いのです
味わいが深いのです
一度だと分からないことも、二度、三度観ると、ああ、そう言うことか段々と分かってきます
そうすると、ほんのちいさな仕草、表情、目線ままで計算された本作の世界に痺れて虜になっている事でしょう
余計なものは徹底的に削ぎ落とされています
台詞は極少、演技も抑制されて仕草は僅か
表情も殆ど動かない
アクションシーンもあるにはあるが、ごく限定的ですぐに終わります
音楽も、全くないのかと思ってしまうほどありません
明確に音楽がなるのは、コレイがドライブインで食事する時に掛かっていたレストランのBGMのジャズ、サンティの店でのショーの音楽、エンドロールのテーマ曲ぐらい
その実、良く聴くと山狩りシーンや、ヴォージェルとコレイが荒れ地で初めて対面した時には、極めて小さな音量で音楽がなっています
その他はどんなスリリングなシーンであっても音楽がないのです
その音楽は映像とマッチした、クールジャズ
まるでMJQから華やかさを剥ぎ取ったようなクールさです
映像もまたクール
劇中の雪やみぞれが降る寒々しい光景をより、寒々しく青み掛かった映像で撮影しています
カメラはあのサムライと同じアンリ・ドカエです
カットワークも全く無駄がありません
フィルムノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルの金字塔です
「人はそれと知らずに必ずめぐり逢う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ずや赤い輪の中で結び合う」
映画の冒頭でこんなテロップがでます
そして赤く輪が一筆書きされます
原題は「赤い輪」
その意味はだから人との信義は裏切ってはならない、そういう意味だと思います
それを字幕訳者?映画会社の宣伝マン?は「仁義」と意訳したのでしょう
見事だと思います
ただ、日本は当時東映ヤクザ映画の全盛期でした
そう言うイメージで本作を観たなら、そりやゃ日本じゃ当たりませんわ
やっぱり売り方の作戦ミスだったと思います
渋い大人のフランス映画ですという売り方をすべきだったと思います
しかしそれでも仁義という邦題は正しいと思います
劇中の終盤に「なぜ黙ってた?」と第二の故買屋に変装したマテイ警視はヴォージェルに問います
「仁義さ」彼はそう答えるシーンがあります
しかし意味が良く通りません
原語ではこう言っているようです
「なぜお前は俺が誰だか言わなかった?」
「言えばあいつは逃げないに決まってるからだ」
つまりヴォージェルはマテイ警視を殺させたくなかったのです
「こいつはサツだ!とコレイに言えば、コレイは逃げないであんたを殺していたに決まってるだろ」ということだと思います
ヴォージェルは寝台列車から逃げた時に、マテイ警視から命を助けて貰ったと思って恩義を感じていたのです
監査局長が疑ったように、マテイは有罪と決まっていない容疑者を射殺できずにわざと逃がしていたのです
それをヴォージェルは理解していたのです
ラストシーンでマテイはインターポールの国際射撃大会優勝者であるジャンセンの射撃を先する程の腕前をみせます
序盤の逃亡劇の際にヴォージェルが盾にした立木にだけ当てたのは、きっとわざとだったのです
つまりヴォージェルは仁義をとおしたのです
俺もあんたの命は助けるということだったのです
それ故に仁義という邦題はやっぱり正しいのです
それしか他に付けようが無い見事さだと思います
序盤とラストが大きく輪を描いていたのです
命を巡る「赤い輪」が閉じられたのです
だから「赤い輪」の邦題でよいのですが、それでも、やっぱり仁義です!
痺れるシーンや台詞が沢山あります
宝石店襲撃はまるで鬼平犯科帳の本格のおつとめです
イヴ・モンタンが演じるジャンセンが三脚からライフルを外して射撃するシーンの格好良さといったらありません
口髭をはやし、トレンチコートを着たアラン・ドロンの渋さ
彼がジャンセンと初めてサンティの店で合った時、スコッチ二つとウエイターに注文したのに、ジャンセンが酒は飲まないというので、じゃダブルにしてくれと言うシーン
何のこと無いけれど痺れます
ジャンセンの分まで飲むからこいつは無しでも良いだろと言う意味です
スラっとこう言う台詞を言える大人になりたいものです
その他にも山ほどあります
大人の男の格好良さが濃縮された作品です
「赤い輪」はコレイにも、ジャンセンにもあります
まずコレイ
密告者はリコです
看取からコレイの情報を得て
第一の故買屋に手を回して買取させませんでした
コレイが看取に断ったのにヤマを踏んだのはリコから巻き上げた金が血だらけになり使えなくなったからです
そしてリコのベッドにいたのはコレイの写真の女
ここにもまた「赤い輪」があったのです
そしてジャンセン
アル中で幻覚を見る廃人になっていた
なぜ?
きっとあの監査局長との因縁があると思います
ラストシーンに監査局長が銃撃戦が終わって余りにも早く警察の大部隊と共に現れたのは、彼がジャンセンを尾行していたに違いないと思います
鍵穴の射撃の手口と腕前から、彼は朝の三時まで掛かって読んでいたファイルからジャンセンを思いだし目星を付けていたのです
監査局長の性悪説はジャンセンのことだったのです
ジャンセンはコレイにこういいました
パリにのこる
クローゼットに住んでいる連中がいるからと
しかし、クローゼットの中は空っぽです
アル中の幻覚に現れた蛇だの毒蜘だの大トカゲなどの動物は消え去ったのです
このヤマを踏んで彼は立ち直ったのです
そして元同僚のマテイに射殺されかれの赤い輪も閉じられたのです
今年の冬はトレンチコートが欲しくなりました
静けさを楽しめるなら
大人っぽく、終始淡々として落ち着いた雰囲気の作品です。今観ると退屈に感じる人も多いかもしれません。
セリフも少ないので、展開が少しわかりづらいかも。
暗い色調で、まさにフィルムノワール。
アランドロンは髭ない方が好きかなあ。
印象的なシーンはやはりジェンセンの銃のシーン。痺れました。
コレーとヴォーゲルの最初のやりとりも好きでした。
ラストのあっけなさがなんとも良かったです。
やけに高評価だが個人的にはさっぱり面白く思えなかった。検問突破に宝...
やけに高評価だが個人的にはさっぱり面白く思えなかった。検問突破に宝石強盗もいやいや無理無理。しかもやたら長い。
話の核心がつまんないだよな。「人はみな罪人」それが言いたかっただけか。
フランスでは大ヒットを飛ばしたらしい。謎。我が国ではさっぱりだったらしい。納得。
罪と縁と義理
邦題のセンスがもうひとつ?
原題は”Le Cercle Rouge”
人は赤い輪の中でいずれ必ず出逢うという…。
台詞は極めて少なく、演技から心情を汲み取る必要があります。言葉でご丁寧に説明されると興醒めするので、こういう作風のほうが好みですが、全部読み取れたかどうかは自信ありません。結構上級者向けかも?
凄腕警視Matteiは、狡猾な手口を使うけれど、護送中に電気を消したり喫煙をやめたり、眠そうなVogelを気遣う様子も。知ってか知らぬか最後までMatteiを殺せるのに殺さないVogel。
何事にも動じないCoreyは、煙草とライターのやり取りでVogelと以心伝心。即席男の友情。恩に報いようとCoreyの窮地を救うVogelの判断は、Coreyの逃走の成功率をあげ、かつMatteiも救うため?
渋いJansenは、金よりアル中克服を優先。取り分は若い2人に譲ったのに最後まで付き合う。
情に厚いと言われる父親に似たのか、大麻仲間をパクってしまい自死を選ぶSantiの息子。さすがのSantiも息子のためなら口を割る。
射殺したのがかつての同僚Jansenと知り愕然とするMattei。
歳を重ねて「悪」の方に流れたJansenは、Matteiの上司の性悪説そのもの。部下にも容赦なく疑いの目を向けるこの上司の持論に、最後Matteiは納得したのか…。
断片的に見れば、「輪の中」の人間は皆罪人なのだけれど、罪人の中にも義理人情はあり、保身の為に裏切った者だけが無事に生き残りました…。
罪人であっても、悪人ではない。
それが人間の本性でしょうか。
窓ガラスを開ける音は結構大きくて、警備員が気付かないのは不自然でしたが、強盗シーンは観ているこちらまでドキドキ。さすが皆さんプロ、手馴れておりました。五右ェ門不在の、怪盗ルパンと次元という感じ。
武装しているとは言え背後から逃走中の犯人達を射殺していいのかよく分かりません。それこそ警察の罪なんでしょうか。
Alain Delonはいつになく悲哀を秘めた眼差しをしておりました。
Yves Montand演じるJansenが、幻覚でベロベロだった男と同一人物とは思えないほど見違えた紳士で、二度見三度見してしまいました。わざわざ構え直して狙い撃ちする所も格好良い。ヴィトンの旅行鞄がそのままタンスになっている(^^)。
インテリア、特に照明器具がとてもお洒落でした。ニャンコ達が可愛かったです。
噛むほどに味わいの出る作品でした。
“All men are guilty. They’re born innocent, but it doesn’t last.”
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