落葉のレビュー・感想・評価
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気骨あるのかなんなのか
主人公の青年ニコは、ワイン醸造所で真面目に働くが、失敗作を出荷すると言い張る経営陣にたてついて厄介者扱いされる。
ばか正直なもんだから性悪女に翻弄されて、翻弄され同士の男と喧嘩したりしてたら、突然人が変わったように自棄になって出荷を止めるための暴挙に出るが、あっさりと所長はその行為を肯定する。
この映画の超キーパーソンであり、一番地に足ついてんじゃないかっていう所長の息子(小学生?)のピアノレッスンの音が、ニコの行為を称賛しているようにも聞こえる。
なんかどうしようもない大人同士のグダグダを観せられてあれこれ時間のムダ?という後悔が、この子のおかげで払拭された。感じ。
イオセリアーニの長編第一作。個人的には職場の上司がこういうタイプだと面倒かも(笑)
巨匠オタール・イオセリアーニ監督の記念すべき長篇第一作。
ワイン醸造工場での工程に関する対立を描いた、一種の企業もの。
ソヴィエト中央政府から要求された数値目標を達成するために、質の低いワインを商品として売り出すことを是とする会社と、それがどうしても許せない若い管理職が対立する。
冒頭は『田園詩』で描かれた農村世界の「ワイン」編という感じ。
男たちが葡萄の房を石桶に入れて踏んで果汁を搾り、それを集めて醸造する過程が、ジョージアのポリフォニー(多声合唱)にのせて描かれる。
ジョージアは、8000年以上にさかのぼる世界最古のワイン発祥地なのだ。
ただ、パンフの解説によれば、ここでドキュメンタリータッチで描かれる「昔ながらの製法」は、実は撮影当時行われていたものではなく、「19世紀末に行われていたような葡萄の収穫の演出だ」(イオセリアーニ)という。騙されるところだったぜ。
工場の職人たちの様子は常に楽し気で気持ちがいい。
彼らは働き、働いたあとはひたすら呑み、そして歌う。
ジョージアの長い伝統のなかで、彼らはワインを作り続けてきた。
そこに入り込んできたのが、ソヴィエト連邦政府による「計画経済」のお仕着せだ。
主人公のニコは若きワイン醸造技師。
中央に押し付けられる「ノルマ」を達成するために、熟成前の樽のワインを出荷しようとする工場側に対して、最後まで抵抗しつづける。
一見すると若造にしか見えないし、言動も気弱げで頼りにならなそうなモヤシ君。
だが、意外に気骨があって、職人たちのオヤジたちとも打ち解け、それなりに信頼されている。
会議でもひとり、出荷はできないと主張を曲げないニコ。
しかし、会社の総意として樽の出荷は決まり、彼の抵抗も潰えたかに見える。
しかし、ニコがそのあと採った行動は思いがけないものだった……。
おそらくニコという青年は、イオセリアーニの「分身」のようなものなのだろう。
醸造工場は、国営映画スタジオの「たとえ」だ。
古くからの伝統。若き技師。国家の介入。
まさにジョージア映画の世界で、イオセリアーニが体験していたことだ。
ちょうどイオセリアーニの半自伝的映画『汽車はふたたび故郷へ』でも、主人公の映画監督と「社会主義リアリズム」を標榜する体制側の検閲官との軋轢が描かれていた。
おおそうだ、そういえばあっちの映画の主人公の名前も「ニコ」といったな。
二人のニコは、よく似ている。
ひょろっとしたスタイル。気弱そうな外見。
誰とでも気さくに応対する、温和なキャラクター。
でも、こだわるところはこだわる。一歩もひかない。
強情。一言居士。意志を貫くためなら、脱法すれすれのこともやる。
職人からは愛されているが、幹部からは疎まれている。
やはり、二人のニコはイオセリアーニの「分身」だ。
このキャラクターが気に入れば、映画も楽しく見られたのだろうが……個人的には好感を抱くというよりは「こいつめんどくさいな」というほうが先に立って、あんまり感情移入はできなかったんだよね。なんか、すみません。
しょうじき、組織で長くサラリーマンをやっていると、こういう手合いが社内に居たときの厄介さも十分に体で理解しているので……(笑)。いきなり実力行使に出るような左派的なやり口に、もともと個人としての共感が薄いってのもあるけど。
あと、無理めの女性を身の程もわきまえずに追いかけまわしているところも、明らかに自分より強そうなやつに挑発的にふるまって一撃喰らった末に、そのうっ憤をはらすがごとく「決意のテロリズム」に挑むことも、すべてがダサくて観ていて辛い。
イオセリアーニはこの手の「依怙地」なキャラクターをつねに共感性をもって描くが、その人物のせいでまわりに迷惑を被っている人々がたくさんいることも僕には容易に理解できるので、そこはいつもいまひとつハマりきれない部分ではある。
とはいえ、イオセリアーニのなかで、僕たちが想像する以上に強い怒り――祖国ジョージアを踏みにじり、「計画経済」の名のもと伝統を破壊しようとするソ連政府への怒りが渦巻いているのは、よく理解できる。
それにへらへら笑顔で付き従おうとする「ものわかりのいい」連中に対しても、きっと彼は怒っているのだろう。
この話を単なる「ワイン醸造のラインで起きたいざこざ」として見れば、「そんなやり方してたらふつうは馘にされておしまいだろう」で終わっちゃうわけだが、「ジョージアとソ連の現状を描いた寓意的物語」としてとらえれば、もう少しニコの孤独な戦いを応援する気にもなろうというものだ。
実際、イオセリアーニ本人も、「やりたいこと」を国に邪魔されてもブレずに貫いてきた結果として、今の成功と地位を築いてきたわけだし。
まあ、僕のほうが、身に染みついた社畜根性や体制迎合思考が強すぎるんだろうね(笑)。
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