「蘇る1967年という時代の空気感。多様性の先取りにはビートルズの貢献も」MONTEREY POP モンタレー・ポップ 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
蘇る1967年という時代の空気感。多様性の先取りにはビートルズの貢献も
本作については当サイトの新作評論枠に寄稿したので、こちらでは補足的なことについて書いてみたい。
1967年6月16~18日の3日間に開催されたモンタレー・ポップは世界初のロックフェスティバルとなったが、英国で同年5月26日(米では6月2日)にはザ・ビートルズの傑作アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発売されており、大衆音楽の歴史における2つの大事件が1カ月弱の間に立て続けに起きたと言える。
ビートルズは1966年のサンフランシスコを最後に公演をやめていたので、当然ながらモンタレー・ポップにも出演していないが、メンバーらは世話役として大物アーティストの出演交渉をサポートしたりしたようだ。ジョージ・ハリスンは65年のアルバム「ラバーソウル」の頃からインド音楽に傾倒し、シタール奏者のラヴィ・シャンカールに師事。シャンカールの出演もジョージの助力により実現した。なお彼のパフォーマンスは最終日昼の部だったが、映画ではトリの位置に配され、しかも曲を約17分流す(7分は会場の様子を映しながらBGM的に、残り10分は壇上で演奏する姿)という特別待遇。またポール・マッカートニーは、まだ米国ではヒットがなく無名に近かったジミ・ヘンドリクス(米出身だが、渡英してバンドを結成しレコードデビューした)を主催者側に強く推したという。
米国では1964年に公民権法が制定されたものの、60年代後半になってもまだ黒人など有色人種への差別は根強く残っていた(キング牧師の暗殺は1968年)。そんな時代に開催されたモンタレー・ポップでは、ステージ上も客席も(白人の比率が多めとはいえ)肌の色に関係なくよい音楽を楽しもうという理念が共有されていた。そんな様子が映像に収められているのも、このドキュメンタリーが持つ歴史的価値だろう。