バニーレークは行方不明のレビュー・感想・評価
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登場人物全員が怪しい
次々と怪しい人物が出きて、この人が犯人か?それとも…と展開を想像しながら見れるモノクロの良きミステリー映画。
この映画が撮影された1966年では、あの登場人物の背中を追う長いショットのカメラワークはすごい技術なのでは?ブレもほとんどない。
終盤に明かされる兄妹の関係性、ブランコのシーンはインパクトがあり印象的。映画のエンドロールで切り絵が埋められるところもお洒落。
古き良き名作。見て良かったサイコホラーでした。
受け手に優しい
兎にも角にもスタイリッシュな映画だった。登場人物の内面や実在が最後まで宙吊りにされる緊張感はさながらヒッチコック『サイコ』を彷彿とさせるし、頻発するサスペンスフルなロングショットは手癖の領域にまで咀嚼されたオーソン・ウェルズ『黒い罠』と形容できる。
しかし偉大なる先駆者たちの技法を発展的に継承しようなどという殊勝な目論見はなく、気持ちいい箇所だけを拾い上げ、誇張させている感じ。よく言えばスタイリッシュ、悪く言えば軽薄。
とはいえせめぎ合うユーモアとシリアスが異様な緊張を生んでいたラストシーンは、この映画が軽薄だからこそ成立しえたものだろう。フィルム・ノワールみたいなお堅い作風の中にあんな異常者が出てきたらユーモアが勝ちすぎて台無しになってたと思う。
冒頭のスタッフクレジットの演出は今見てもなお鮮烈だ。細部まで粋な遊び心が利いている。スタイリッシュな作風に関してもそうだが、受け手に対してかなり優しい映画だなあと感じた。
真相を知ればアンがなぜ騒いだのかわからない。真っ先に気づくと思うけ...
真相を知ればアンがなぜ騒いだのかわからない。真っ先に気づくと思うけど…
映像としてはオープニングや長回し、ゾンビーズなどとっても斬新でした
今までに観たことの無いタイプのサイコサスペンス。最初は少しずつ、終...
今までに観たことの無いタイプのサイコサスペンス。最初は少しずつ、終盤から一気に話が展開していく。オモチャ修理店やラストシーンのブランコは映画館で観たらより一層怖く、迫力があったと思う。面白かった。
imaginary friend
最初は必ず騙されるミスリード・サスペンス。とにかく未婚の母アン・レイクの娘フェリシア(=バニー)が保育園登園初日からいなくなり、兄スティーブンや警察が捜査する展開。序盤から慌ただしく、娘の消失に狂ったようになるアンだったが、何から手をつけていいのかわからない状況。そもそも映像にはバニーの姿がいないのだ。
もしかして想像上の娘じゃないの?という疑問を持ちながら注視するのですが、途中から保育園創設者の一人フォードの言葉やニューハウス警部が推測する“想像上の友達”という発言が出てしまい、あ、これじゃないな!と気づかされる。冒頭のブランコやウサギの人形が引っ掛けじゃないんだな・・・
それ以外のミスリードとして、料理人が失踪、担当のダフネ先生が歯医者、変態家主のウィルソン、そしてホラー映画チックな“人形の病院”。そもそも人形があれば娘の存在を証明できるとか無理のある展開があるから、ますます想像という線も出てくる。もう、ミステリー・ドラマというよりミスリード・ドラマだ!
当時としてはイギリスとアメリカの文化の差もあったことだろう。未婚の母という設定もその両者の意識の差が出てくる。もしかして、兄の異常な愛から逃れるために子供を産む決心をしたんじゃないだろうか?と考えてしまうし、子供時代への回帰というのも精神鑑定では心神喪失扱いになるかもしれない・・・と、エンディング以降のことまで想像してしまう。しかし、裕福そうな暮らしを見るからに雑誌社にもちゃんと勤めてるんだろうし、世の中わかんないものだ。
3/4 過ぎたら、えっ! ってなるけど、なにせ作りこみが細かい!
小さなことをきちんと積み上げたセンスの良さと、意外な結末
こんな映画があるとは知りませんでした~
英国らしさとちょっとしたヒントもあちこち散りばめられていて、もう1度観返したくなる映画
トラファルガー広場やビッグベン、建物、庭、いかにも英国の警察、保育園(ロンドンで友達が保育園やってたので、懐かしいなぁって思ってみてました、もちろんここまで昔じゃないけど)、人形の病院なんて見たことはないけど、多分あるんだろうな~、などなど。
イマドキは、ご当地ロケで、そこならではのあれこれを入れこむけど、1960年代でこんな風に盛りだくさんで、旅行気分を楽しませてくれて、ありがとう! でした。
引退した園長の言葉も、色々ヒントがあるし、そんなに注意してなくても、誰の目にも、記憶すると思う小物の撮り方をちゃんとしてる。 と思えば、怪しい人(笑)もでてくるし。
そこそこいらん情報もあって、とにかく、あれやこれや惑わせてくれて、そして、いよいよ大詰めで、えっ! って迫真の演技、からの結局ですよ、そこか~~ あ~~~あのセリフこういうこと? そういえば、そことつながってたん! とかね。
もう、最後までハラハラドキドキさせてくれて、ありがとう! な映画でした。
最近は、いろんな実際の症例が紹介されているので、急にスイッチが切り替わるのってありなんだろう、と思うし、そう思わさせてくれる演技がリアリティありすぎで、勝手に納得しました。
しかし、なんといっても、観てる間中が、とにかく面白かった~
誘拐か妄想かの謎を最後まで持続させたサイコスリラーの、シャープさとユーモアのイギリス映画
約50年振りの再見。
結末の印象が深く残っていたため今回衝撃はないが、バニー・レークは誘拐されたのか、それともアンの妄想なのかの推理を持続させるサスペンスフルな話術が細かく練られていて、シャープな演出と共に愉しめた。”子供の庭”保育園の迷宮の様な屋敷、レーク兄妹が間借りしていた邸宅と引っ越し先のアパートを主要舞台にした演劇趣向のサイコスリラー。またヒッチコックの「サイコ」やマーク・ロブスンの「屋根の上の赤ちゃん」を想起させる内容と面白さがある。ローレンス・オリビエ演じるニューハウス警部が真摯に取り組む捜査過程で邪魔をするように現れる、大家ウィルソンと保育園の引退したマダム フォードとの会話に、イギリス映画らしいシニカルなユーモアがある。ノエル・カワードがオリビエに身元を尋ねられて言う台詞、(サインは遠慮してくれ)が可笑しいし、テレビに活躍する文化人の本人に近い役なのに、オリビエの部下に(とんだ変態野郎です)と言われる。確かにセクハラに近いことをするサディストのようではあるのだが。フォードを演じているのが、デーヴィット・リーンの「大いなる遺産」のマーティタ・ハント。子供が話す絵空事を録音したものを嬉々として聴いている空想好きのヘンなおばさんを彼女が演じると妙に存在感があり、個性的な容姿から雰囲気まで味のある女優だ。キャロル・リンレーは、作品に恵まれなかった女優のひとりでも、このアン・レイク役は好演だと思う。キア・デュリアことケア・ダレーは、翌年の「母の旅路」の好青年の真逆の役。結局ふたりの兄妹役がぴったり嵌っているし、このふたりが一番異常だという映画のオチが効いている。
オリビエとリンレーがパブで食事する場面で、テレビからザ・ゾンビーズの歌が流れる。この歌詞が事件のヒントになっているのも工夫されている。ソウル・バスのタイトル・バックは、シンプルにして斬新、プレミンジャーの無駄のない演出に合っている。ラストのクライマックスにクロスカッティングを使用して緊迫感を出しても良かったのではないか、と欲も残るが。
印象的なオープニング。推理に夢中になった。 バニーがいない。私は確...
印象的なオープニング。推理に夢中になった。
バニーがいない。私は確信した。だとしたら奴が共犯。しかし動機は何だ?
中盤、私の推理に寄ってきた。ということは…違うってことだ(笑)
さすれば犯人は奴しかいない。気味悪い奴が続々と登場するがそんなことはお見通しさ。
ここからややネタバレ注意
しかし、やっぱり動機がわからない…なぜ?
狂ってただけですかーい!
いや、待て、やっぱりおかしい。だとしたら被害者、絶対犯人即分かってたはずだよな。本当に気づかずに大騒ぎしてた?だとしたらウルトラのアホやん。
かくれんぼ、鬼ごっこ、ブランコ。怖くもあったけど、なんか笑ってしまった。怖さだけでいうなら、やはり「サイコ」に一票かな。
でも、まあ面白かった。見て損はなし。
バニーって、本当にいたの?
って、途中、思ってしまいましたが、、
やれやれ、ふぅ、良かった〜
最初のビリビリビリっと破ってゆくタイトルがモノクロなのに、インパクトあり。
豪邸から高級車に乗って、引っ越しをするのは夫婦かと思いきや、兄妹でした。
引っ越し先の大家さん、保育所の料理係りに、園長の同居人とやら、次々とヒトクセある怪しい人達にもハラハラしながら、、、
兄妹、美形ですが、兄役のおもちゃ病院での豹変行動から、グイグイ引き込まれました。
妹役の病院の抜け出し、そしてそして、兄妹のごっこ遊び!
かくれんぼ、目隠し鬼さん、トランポリン、ブランコ、などなど、幼児の遊びがこんなに怖〜〜いモノだったとは!!
めちゃくちゃ面白くできてました♫
あ、ローレンスオリビエ、いい感じでしたね、ビビアンリーが好きになるのも納得だわ(*^_^*)
クレーン、長回し、スタイリッシュなサスペンス
NHK BSプレミアムの放送で観賞。
アバンタイトルはなく、斬新なタイトルデザインで幕が上がる。これから展開するスリラーを予感させるデザインだ。
そして、主人公の兄スティーブンが公園のような庭を通って家に入り、引っ越しの運送屋と家を出るまでを追ったシーンで物語は始まる。家から出てきたスティーブンが運送屋に指示を伝えてから車に乗って去っていくまでの長回しワンカットは、クレーンを使っていると思うが、どうやって撮影したのだろうかと感心する。
シングルマザーの主人公アンが行方不明になった幼い娘を探す物語。
娘の姿を見た者がいないため、娘はアンの空想ではないかと追い詰められる心理サスペンスになっていて、『フライトプラン』のジョディ・フォスターと同じ目にあうのだ。
保育園の給食調理師、園長、大家、と怪しい人物が物語を撹乱してくれるが、犯人はなぜか自ら正体を明かす行為に出る。
事実が判明すると、映画は倒錯の世界に移っていくのだが、なかなかに常軌を逸した展開をみせる。
しかし、犯人の人格の変わり方が極端過ぎないか…と、思ったりはする。
モノクロ映画だが、カメラワークが凝っていて全体的に演出はスタイリッシュだ。
最初から最後まで緊張感をもって観ていられる、サイコサスペンスの秀作。
娘は行方不明なのか、はたまた母親の想像が生んだ架空の存在なのか。こ...
娘は行方不明なのか、はたまた母親の想像が生んだ架空の存在なのか。これを軸に進んでいく物語。当時としては新しい着眼点だったはず。モノクロ映画でこんなのがみれるとはと驚き、途中までは引き込まれた。しかし、クライマックスに突入して色々とほころびが出てきてめちゃくちゃモヤモヤするうち終わってしまった。こういう切り口で、もっと想像の限界を超えてくる現代の作品を見てしまっているだけに、粗ばかりが最後は見えてしまい残念だった。
予想外の展開にびっくり!
保育園にバニーレークを預けたが居なくなったとイギリスに引っ越したばかりのキャロルリンレー扮する母親のアンが言った。保育園へ迎えに行ったが、娘のバニーが見つからなかったのだ。たまらず警察に電話して、ローレンスオリビエ扮するニューハウス警視が駆けつけ捜査の手配をした。不思議な事に自宅からもバニーの物が消えていた。ニューハウス警視は、バニーは元々いなかったのではないかと考えた。果たしてバニーは実在しているのかな? なかなかあり得ない展開でびっくりしたね。キャロルリンレーは、なかなか素敵な女優さんだったね。
1966年製作の幼女誘拐事件をモチーフに描いた映画
バニーレイクは行方不明(66)
モノクロ。
オットープレミンジャー監督。61歳。
いや、うまく作っている。
ある事件からヒントを得たフィクションのようです。
ミステリー。
キャロル・リンレイ(24)
キア・デュリア(30)
ローレンス・オリビエ(59)
ノエルカワード(67)
年齢は誤差1歳くらい
66年のイギリス!
おかしな人たちばかりが次々に出てくるという印象。
古い映画だったが、なぜか引き込まれた。
昔読んだイギリスの推理小説の雰囲気。
昼から夜にかけて
丸一日彼女は
あの中にいたのか
その割には妙に元気なので
違和感を感じてしまったが
そこはまあよしとしよう
オープニングタイトルが洒落ていた。ソウル・バス。
タイトル通りの映画のはずがないと思いながら見た。
バニーは何処へ消えた?
保育園の闇?
初対面なのにとんでもなくフランク
やや変態的な大家の男。
なぜこんなに近い
この日に兄妹は大切な娘を
初対面の保育園に
預けなくてはならなかったのか?なぜ?
未婚の毋だと言う若い女は、子供のものをなにも提出できない。なぜ証拠がなにもない?
え、最初からいなかったのか
いるなら一体どこにいるのだ?
怪しいのは誰だ
という展開から、夜になって
イギリスのパブでお酒
しかし、
夜の場面は昼間と全く雰囲気は
変わる。
人形!
病院!
穴!
ブランコ!
町山智浩氏はどう高評価したのか知りたい!
この映画に対する皆さんの評価が高いので
敢えて投稿させて頂きました。
この映画に少し疑問があります。
私もこの結末は何だろう、
娘は本当に存在するのか、
存在するとしたら失踪の理由は何だろう、
誰かが偽っているのか等々、
色々と想像しまくってラスト近くまで
緊張感の中で大変面白く鑑賞出来た。
中盤では余りにも娘は存在しないのでは、
との要素の散りばめから、
逆に実在するのでは、
との推理で終盤近くまで集中して観れた。
しかし、ラストで妹が兄をなだめすかす
段になって肩透かしにあった気分を覚えた。
ストーリー自体に理解は出来るが、
果たして映画表現としての話の運びは
どうだろうか。
それは、
妹が兄に対する接し方が、
ラスト直前までとラストシーンでは
あまりにも違い過ぎるからだ。
妹がラストでの種明かしされる兄の病気が
事前に解っているのであれば、
事件直後からの妹の兄への対応は
全く不自然ではないのか。
もし、事件の核心を伏せるのであれば、
例えば、映画「スティング」や
小説のアガサ・クリスティ
「アクロイド殺人事件」、また
綾辻行人「十角館の殺人」のように、
そのまま描いたのではネタバレになって
しまうシーンは全く排除するとか、
せめて匂わし要素を残す、と言うのが
ルールではないだろうか。
そして、そのこと自体が我々には
真相探求へのヒントにもなる。
この映画では、
寮長の兄への性格分析にそのヒントを
残してはいる。だが、
妹の兄への違和感を少しでも表現しないと、
二人のシーン自体が“嘘”となってしまい、
このジャンルの映画としては
求められるリアリティの欠如した作品
となってしまったと言うのが
私の結論である。
同じ意外性に驚くのであっても、
真相関連描写を描かないのと、
描かれてはいるが結論に対して
不自然なのでは、
観ている側としては納得度に違いが
生じる。
観る者に色々な想像させる装置として、
せっかく冒頭での
子供を映像で登場させないという
上手い前提を作りながら、
つまり、ここでは描かないことで
嘘にならない映像手法を使いながら、
兄妹のシーンでは“嘘”の映像手法が、
映画史の中ではこの作品への評価が
決して高くない理由ではないかと
勝手に想像したのだが、
町山氏はどう高評価したのか
知りたいところだ。
ブランコ
精神病ではないのに精神病とされて、病院や刑務所やあの世に送られた人がこの世の中には絶対にいるでしょうね。それが、個人的ではなく組織的犯罪だとしたら?なんて恐ろしい想像をしてしまいました。周りから頭がおかしい奴扱いされても、本当はどちらが狂気か分からない。自分が見聞きしているものは、何が正しくて何が誤りなのか。周りを見渡して色々考え込んでしまう非常に哲学的な作品でした。ラストは、ブランコがナイスでした。
母性愛
公開当時(1965)の 観客の驚きは理解出来る
我々は アンの兄貴の異常さ、この兄妹の関係を 簡単に想像出来る時代に生きている
恋愛(破綻)→妊娠→母子家庭となった、アンが 情緒不安定ながらも 人間(母)として成長するのとは対照的に、社会的には自立したものの 妹に執着したままの、幼い(異常な)兄…
妙にリアルで怖い、普遍的な物語になってしまったのね
な、訳で 途中から ラストが推察されるが、アンが 一人で動き始めてからの 盛り上がりは、やはりすごい
行進しながら 庭に出て来てから、ブランコまでは 正気(母性愛)と狂気の直接の闘いである
動のリンレー、デュリアに対し 静の オリビエ、カワードが 贅沢(重厚)過ぎるか?
どうなんだろう
兄貴が 警察に対して、ペンの力で 簡単に脅しをかけるのも 昨今の日本の記者の様で、可笑しかった
とても 面白かった
ソール・バスのタイトルも カッコいい
ソウル・バスのオープニングタイトルが素敵。
途中でオチは分かるけど(この手の映画が最近は色々あるので)、それでも面白かったですよ!
1965年に観てたら、むっちゃびっくりしたことでしょう。
キャロル・リンレイって綺麗ですよね!ポセンドン・アドベンチャーしか観てませんでしたが。
そしてローレンス・オリビエの贅沢使い(てかミスリード)!
キア・デュリア?どっかで観たと思って、ラストでやっと思い出しました。
2010年宇宙の旅のボーマン船長やん!あー、すっきり。
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