エンゼル・ハートのレビュー・感想・評価
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【”神々による憑依。そして自分が誰かは分かっている!という叫び。”今作は若きミッキー・ロークの秘めたる狂気を見抜いた名匠アラン・パーカー監督が、彼を主演に抜擢したオカルトスリラーなのである。】
ー ご存じの通り、ミッキー・ロークを一躍、大スターにした作品は、「ナイン・ハーフ」である。
今や、死語と化しつつある”ヤッピー”のNYの敏腕証券マンを演じ、若き女性を目隠ししたり、氷を使ったり、SMチックなセックスで虜にしつつ、自身も常に同じワイシャツ、同じ黒のスーツをズラリとクローゼットに並べている神経を病みつつある男を見事に演じた作品である。
当時、〇坊だった私は、級友とドキドキしながらこの映画をレンタルビデオ屋で借り、ゴックンしながら”ウヒー、エッチー!”などと言いながら鑑賞したモノである。
そして、当然の如くこの映画に影響を受け、その後のガールフレンドに<以下自粛・・。>-
■1955年。ブルックリンの私立探偵、ハリー・エンジェル(ミッキー・ローク)はルイ・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)という謎の男から仕事の依頼を受ける。
それは10年前に失踪した人気歌手、ジョニー・フェイバリットを捜してほしいというものだった。
ハリーは嫌々、捜索を開始するが、行く先々で殺人が続発し、一度は依頼を断るも5千ドルに報酬を引き上げられ、捜査を続行する。
◆感想<Caution!やや、内容に触れています。>
・今作は、名匠アラン・パーカー監督が冒頭から数々のトリックを仕掛けている。分かり易い所で言えば、ロバート・デ・ニーロが演じるルイ・サイファーのいでたちである。黒の衣装。オールバックのヘアスタイル。妖しきデ・ニーロスマイルが炸裂する表情。
そ・し・て、ルイ・サイファーと言う名を、流暢な英語で早口で言うと、何て聞こえるかな・・。
・ミッキー・ローク演じる、一見善良な私立探偵の名はハリー・エンジェルである。堕天使って言葉は、皆さん知っているよね。
・これは、全く私の推測であるが、名匠アラン・パーカー監督が今作の主演に当時ブレイクしたミッキー・ロークを、据えたのは彼の秘めたる狂気性を見抜いていたのではないかな、と久方振りに今作を鑑賞して思ったのである。
・ミッキー・ロークはその後イケメン俳優として、キャリアを積んで行くと思われたが、大低迷時代に突入し、復活したのは今作も含めた若き時の容色の欠片もない姿で主演した「レスラー」である事は多くの人が知る事であろう。
<個人的には、後半のルイ・サイファーの爪を映したり、悪魔崇拝に囚われた人たちの目が異様に光るシーンなどは、余計な演出であると思うのであるが、それでも今作から漂う狂気性や異様なる不穏感漂う空気感はとても好きなのである。
私は、映画は基本的に観ていて涙するヒューマンストーリーが好きなのであるが、今作の様なクラクラする狂気性漂う作品も好みなのである。キッパリ!>
0252 犯人はお前だよ
1987年公開
よくある映画化困難触れ込み映画。
ミッキーロークってあまり観てないのね。
ネコパンチの時くらいかな。
ロバートデニーロ怪演。
シャーロットランプリングはここまで脱ぐとは
ビックリした。
まわりくどく探偵するも
どう考えてもこいつがあいつやろシリーズでした。
60点
初鑑賞 1987年6月22日 南街劇場
パンフ購入
配給 東宝東和
南街劇場ってことはその時期のトップやったってことですな
昔見た作品の感想を書くシリーズ
ノワール + Voodoo
ミッキーロークがぞくりとするほど魅力的
初めて見た時の衝撃を未だ忘れられません。
久々に再鑑賞しました。
動画配信で見つからず身損ねていましたが近くのTSUTAYAが閉まるのもあり思い切ってDVDを借りてみました。
ミッキーロークの美しいこと。
ぞくりとするような色気には改めて驚きました。
ブラットピットなぞには決して出せないセックスアピール。他の俳優と一線を隠しています。
演技も上手いではないですか。
あんな整形してしまい、残念です。
ストーリーは初めてみた時ほどの衝撃はないものの、耽美な映像が美しく、サスペンスとしても脚本がよくできており、完成度は高いです。
デニーロはさすが。
思ったほど出番はないですが、茹で卵のシーンなど忘れられません。
シャーロットランプリングも出ていて驚きました。
エピファニー役も素晴らしい。
好き嫌い分かれるでしょうが、私は好きでした。
ミッキーロークにはもっと活躍して欲しかった。
別のオチも考えられます
この手のオチの元祖か。
Angel Heart
A.パーカーの最高傑作でしょう。M.ロークも完璧で脇も凄い顔ぶれの鬼気迫る迫力を感じます。映画芸術全ての要素に満足しました。特に感心するのは一見地味なT.ジョーンズの音楽です。悪魔の仕返しを暗示する冗句の様な主題曲(I cried for you. Now It's your turn to cry over me)は古典ジャズとシャンソン(恐らく巴里の屋根の下)をミックスしている様に感じます。初めは効果音と単音のピアノ、次第に古典音楽風、更に完成されたフル・バンドのジャズが流れる大団円には、悲惨なプロットに深いな可笑しみがあります。音楽が物語を皮肉に説明しています。占い師の部屋に於けるピアノ演奏が秀逸です。記憶に眠るメロディをつい弾いてしまうプロットは確かな気配りと言えます。何処かの書評で勘違いを拝見しましたが、序盤に登場する死体はハリー本人です。記憶喪失で生きていた処を殺されて物語が始まります。魔術とか推理とか流血というのは宣伝文句です。純映画的な藝術として観ないと、これ程見事は作品の核心を見失う事になります。自分自身を捜し求めるプロットと、子供や孫に出会い真実を認めざるを得ない犯人の心の動き、目を覚ます自我という大団円にも製作チームの深い計算が読み取れます。最後に魅せられるのは推理劇の意外な犯人捜しという様な低次元の答えではなく、人間に備わる虚偽そのものの真相であり、絶望的な記憶が蘇る恐怖をさりげなく丁寧に描いています。人間誰にも同じ構造心理があるとみれば、存在思想の一面が見えます。二重人格物語ではなく、人間の本性をシンプルに描いている作品です。正直な客観性を持つ観客であれば深い感銘がある筈です。光と影の見事な映像にも、巧みな小道具にもヒッチコックを思い起こさせる手腕が見えますが、物まねではない独自の完成度があります。又、ロバート・デ・ニーロの最高傑作と云っても、演技レベルにおいてそう間違っていない様に感じます。「魂は好きか」と卵の殻をむきながら問い掛ける演技には悪魔が憑依している様な凄みがあり、他の役者を当て嵌めてもこれ程見事な台詞回しは想像出来ません。原作は読んでおりませんが、原作とは無縁の優れた映画と推測します。かなり笑えますが、笑いの本質が悲劇にある創作の基本をしっかりと捉えています。こんな映画が存在する事自体驚きです。A.パーカーの絶頂期の技法は「ミシシッピー・バーニング」の完成度へと続きますが、本作が上の様に感じるのはその表現技法の完成度ゆえです。恐らく絶好調のチーム・ワークだったのでしょう。
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