エル・スールのレビュー・感想・評価
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エリセ自身の追想の如き傑作
「ミツバチのささやき」から10年を経て1983年に発表されたビクトル・エリセ監督の長編第2作。
前作と違いスペイン🇪🇸の本格的な民主化が始まった時期に撮られただけに表現がストレートでわかりやすい。結果、内戦以降の歴史を俯瞰することとなった。
時は1957年、15歳の少女エストレリャの父アグスティンが失踪した。エストレリャは幼い頃からの父の記憶をたどった。
内戦で敗者となり投獄された左派の父は右派の祖父のもとを離れ南から北へ移住していた。
内戦後の状況がすっきりしたものの父の心情が語られることはない。南で愛した女性への思いもわかるが、それだけでは足りない。自分には到底理解できない父の焦燥を思った。
南を知らずに育ったエストレリャがひとり南へ向かう構図が凄いなぁ。激しくはげしく感動した。これが映画だ。
エル・スール、南へ、、、
そう、エストレリャはエリセだった。
ちなみに「父 パードレ・パドローネ」「アレクサンダー大王」のオメロ・アントヌッティと再会した。予期せぬ再会だったけど嬉しかった。
ソレジャナイ
初見。
父と娘の美しい物語…と思いきや、途中からなんだか安っぽいメロドラマみたいな展開に…
俳優が子役も含めてみんな良くて、撮影がめちゃくちゃに美しいが、それに誤魔化されちゃってないか?
「ソレジャナイ…」と思ってしまった…
しかしスペインの人達にはずっと内戦の影が付いて回るんだな…
2024年2月13日はビクトル・エリセ祭り。個人的に。
監督ビクトル・エリセが33才で撮った前作『ミツバチのささやき』(1973年 99分)から10年後の42才くらいで撮った95分の思い出回想映画。主人公は女の子と、もう一人そのお父さんと感じる、前作と同じくらい好きな作品。
南が出てこない南の話
『ミツバチのささやき』がラストで希望の光が射す印象だったのに比べると、切なく、やりきれない気持ちになる映画でした。
愛する子どもには「親の顔」を見せなくてはいけないけれど、ひとりの人間としての葛藤や苦悩もあり、それを子どもに悟られないように暮らすのもまた愛情です。
しかし、子どもは成長して少しずつ親離れしていくので、幼い頃に求めた100%の父親でなくても良くなります。
15歳のエストレーリャは父親が思うより大人であり、8〜9歳からずっと気にかけていた真実を、大人同士として話してほしかったのではないでしょうか。
スペイン内戦後を描いた作品
エル・スール (字幕版) EL SUR
神戸市内にある映画館「シネ・リーブル神戸」にて鑑賞 2024年2月4日(日)
この作品はクラシック音楽が使用されてます。その解説をします。
エンリケ・グラナドス(1867年-1916年)はスペイン生まれの作曲家
使用されたのは以下
12のスペイン舞曲集Op.37 No.5 アンダルーサ
12のスペイン舞曲集Op.37 No.2 オリエンタル
アンダルーサは良く知られています。きっと一度は聴いたことがあるのではと。
ピアノソロで演奏され クラッシックギターで演奏されている。リズミカルでフラメンコダンスのように情熱的です。カッコイイ。
オリエンタル 物悲しい切ない感じの曲
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本編
エストレリャ(イシアル・ボリャン)が、父アグスティン(オメロ・アントヌッティ)がもう帰ってこないと予感したのは15歳の時。
1957年の秋の朝、枕の下に小さなまるい黒い箱を見つけた。は父が愛用していた霊力のふりこがのこされていた。
エストレリャが7歳か8歳の頃(ソンソレス・アラングーレン)、一家は“かもめの家”と呼ばれる郊外の一軒家に住むことになった。
父は、家の前の道を“国境”と呼び、バイクに乗せてくれる。そして、水脈を発見する奇跡を行なって村人に尊敬される父。
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母フリア(ロラ・カルドナ)は、かつて教師だったが、スペイン内戦後に教職を追われ、家にいて読み書きを教えてくれる。
冬の雪の日、南では雪は降らないと母に教えられ、エストレリャは南に想いをはせる。父は南の出身だが、祖父と大喧嘩をして北へ出た。
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5月になって南の人が訪れてきた。アグスティンの母ドナ・ロサリオ(ジェルメーヌ・モンテロ)と乳母ミラグロス(ラファエラ・アパリシオ)。
エストレリャの初聖体拝受式の日の朝乗って、エストレリャは父と共に、パソ・ドブレを踊った。南に帰ってゆく祖母とミラグロス。
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エストレリャは父がイレーネ・リオス(オーロール・クレマン)という女優を想っていたことを知る。
父は映画館でイレーネ主役の「日かげの花」に見入る。
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内戦の頃に別れたかつての恋人で、本名をラウラという。彼女を未だに思っているのか。
アグスティンはラウラに手紙を書く、しかし返事は辛辣なもの。
「8年前に別れて以来、未来に生きる決意をし、女優をやめて一年になるのに、なぜ今さら手紙を」「今でも夜の来るのが恐い」
アグスティンが最初の家出をしたのはそんな事があった直後だった。
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クランド・ホテルで食事に誘ってくれた時、それが最後になるとは思っていなかった。隣りのサロンでは、新婚を祝って、あの“エン・エル・ムンド”のメロディーが流れていた。
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ビクトル・エリセ監督 1940年スペイン生まれ
映画館から上映前に女の子の写真が入ったハガキ大のカードをいただきました。ここでは「エストレリャ」
ムーチャスグラシアス! 大岸弦
父の別の一面に気づき少女は成長するとの苦い記憶 父に対する後悔
スペイン北部で暮らす少女エストレーリャは、幼いころ父を慕っていた。
ある日、父が隠れて書き留めた文章から「南部」の秘密に興味を持つ。
謎めいたところがあった父には、恋人がいることに気が付くが…。
幼い頃は父親はいつも一緒だったが、ある日、父親の別の一面も知るようになり、やがて成長とともに、離れていく。
親子でダンスを踊ったときなど、二度と訪れることが無い大切な時間。
父が話そうとして引き留めたとき、振り切ってしまったことへの後悔。
娘の繊細な感情と静かな風景。
物語は、南部に旅立つところで終わってしまう。
本当はここまでが前半部分で、プロデューサーの意向で後半部分が上映されないことが残念で仕方ない。
父はなぜ
絵画のように美しい景色。
並木道を通り、蔦バラで覆われた門をくぐるとかもめの家。父は国境と言う。
エル•スールとは、スペイン🇪🇸語で"南"という意味だそう。
スペイン内戦で南に住んでいたエストレリャの父アグスティンは、その父と反目というより敵対して逃げるようにこの地に辿り着いた。病院に勤務する勤務医である。
また、振り子を使って色々予言する力も持つらしい。
母は、内戦の報復で教職を追われたと説明される。
エストレリャの初聖体拝受の際、南から祖母と父の乳母がお祝いに来てくれた。本当に花嫁のように白くて美しい姿だった。人前に出たがらない父も後ろで見ていてくれて、後、エストレリャと踊ってくれた。
父の部屋で何度も同じ女性名を書いた封書を見つけ新たな父を発見する。
偶然帰り道父の愛車バイクを映画館前で見つけ貼ってあったポスターに父が書いていた名前を見つける。受付でチラシをもらいその女性というか女優を確認する。父が出て来るのを待ち、カフェに入って行き手紙を書いているのを見て父に合図を送る。
父は娘に見られて一瞬動揺した。
その女優の作品を観ていた父、娘にはごまかす。
その女優からの返事。
なぜ今頃?4回出演したうち3回殺される役よ。
1年前に辞めた。セビリアに逃げている。もう手紙を書いて来ないで欲しい。 と。
父はどう思ったか。
母と赤い毛糸をくりながら🧶話をする。
写真館にはエストレリャの写真も飾ってある。
なぜか並木道の木に白いペンキが塗ってある。
時々、父は、帰って来ない日があった。
ある日、学校にいるエストレリャを呼び出し、グランドホテルで昼食をとろうと誘う。
一通り食事を終えた後、娘からあの手紙を書いた日のことを伝えられ、女性のことも尋ねられ動揺する父、洗面所で顔を洗う。
席に戻った父は、娘に
「学校をサボれないか?」と聞くが、
娘は学校に戻る。
父は、「思ったまま何でも言えることはいい」とも言っていた。
その晩も父は帰らず、‥‥
あの女性に長距離電話したらしいが。
永久に帰らず‥‥、持ち物皆家に置いていた。
娘は後悔し、
父が過ごしていた屋根裏部屋に行きベッド下に隠れる。見つけた母は心配ばかり。
しばらくして床に伏せるエストレリャ。
南に療養しに行くことになる。
美しく物静かな作風に浸れたが、「ミツバチのささやき」の完成度には…
「ミツバチのささやき」のレビューに対する
ある方のコメントに後押しされて、
今は無きシネ・ヴィヴァン六本木での
ロードショー以来、再鑑賞した。
10年に一作との寡作のエリセ監督だが、
日本では「ミツバチ…」と
「エル・スール」は同じ年に公開された。
この年、キネマ旬報の選定では
「アマデウス」が第1位、
「パリ・テキサス」が第6位、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と
「ターミネーター」がベストテン外の中、
「ミツバチ…」が第4位、
「エル・スール」が第14位との選定だった。
夫の他の女性への想いに対する妻の心持ちは
如何ほどであったろうか。
スペイン内戦と夫婦関係を重層的に描いた
「ミツバチ…」に比べ、この作品では
その隠喩性は影を潜め物足りなさを感じた。
また、これまで
「スリー・ビルボード」等の
描かれない結末を観客に解釈を託す
幾つかの作品を観てきたが、
この映画では娘が父の電話の領収書を
カバンにしまう場面が描かれた。
彼女は、父を知るために父の愛した女性にも
会いに行くのだろうとの前提なのだろう。
解説によると娘が南を旅するシーンの
撮影予定はあったものの
最終的にエリセ監督は描かないことを
決断したとあったが、
さすがにそれを描かないで終わらせては
この作品のテーマ性を中途半端に
してしまったのではないだろうか。
「ミツバチ…」のあまりにも見事な
完成度に比べ、この作品は
国内の分断と個人間の分断とを
今一つ重層的に絡み合わせることが出来ず、
内容的には少し平板な出来に
終わってしまったように感じた。
しかし、
窓からの光の推移の映像が印象的だったり
美しく物静かな作風に浸れる
作品ではあった。
父と娘の物語
映像は綺麗だか、
セリフや説明も少ないし
難しい。
スペインの内戦は直接は
出て来ないが、その影響で
引き裂かれた過去への
想いを断ち切れぬ父、
娘や家族を裏切って
苦しむ姿。
ラストは、娘が
エルスール(南へ)
少女の目線と、大人達の秘めたる心
目黒シネマ 幼いまなざし特集2
『ミツバチのささやき』との二本立て
前情報なしで観たので、ミツバチのささやきと同じ、ビクトル・エリセ監督と後から知りました。10年に一度しか撮らない監督という事も。
振り子にL字ダウジング!
父親がホントに仕事で使ってたなんてワクワクします。
水脈を発見するのに、コインでのお手伝いも羨ましい。
父と娘の信頼関係が伺えます。
ちなみに、ドラえもんで、のび太くんがダウジングやってたのを思い出しました。
父と娘、父と母、母と娘の関係
内戦による父と祖父の関係。
父と思い女との関係。
ミツバチのささやきの時もそうですが、子供の目線、秘めたる大人たちの心。そんな機微が描写されてるのは、エルゼ監督自身の何かが投影されてるのでしょうか。
印象的なシーンもいろいろあるのに、自分自身がヘロヘロで、寝ても仕方ないくらいで見ていたので、なかなかしんどかったです。
あとは困ったことに、ずっと主演の女の子の口が半開きなのが気になってしまい…
不正咬合なのか、おそらく口呼吸。
駆け足の時の不安定な姿勢…
そういうことで集中できない職業病(泣)
ミツバチのささやきは大好きな作品ですし、レビューを拝見して、出直します。
内戦がもたらす影
30ウン年ぶりに見た。絵画のような画面の美しさに、当時と同じように再び感嘆した。まるでレンブラント、それともスペインだから、ゴヤだろうか。光と影の扱い方が、本当にうまい。窓の外が白み始めて、ようやくわかる部屋の様子。黒々とした物陰の中から現れる父。画作りは素晴らしい。
かもめは風向きを示すはずなのに、常に南を指す。振り子は何かを導いてくれるが、明らかな答えを出してくれはしない。内戦で傷つき、過去を語らず、屋根裏に籠る父は、隠者めいている。南へ行こうとしていた父の代わりに、エストレリャは南に向かう。彼女が何を見て何を感じるか、この先は作られなかったので、知ることはできない。
ヨーロッパの子ども服って、かわいいよなぁ。グレーのワンピースで、赤と青の刺繍がされてるの、すごく好き。白い服も素敵だった。あと、星の指輪がおしゃれ。8歳頃のエストレリャが、佐久間由衣に似てると思った。
娘の父へのまなざし
主人公の少女はお父さんが大好きだ
初聖体拝受の日を迎え儀式の後に
家族の前で父と躍る少女はとても嬉しそうで
幸せそうだった
私はこのシーンを観て泣いてしまった
ところが、あることをきっかけに
父への感情が変わっていく
場所も北の国だそうだが、なぜか物寂しい気配が
全体を取り巻く
少女の目を通して場面 場面を描くさまは
自分も主人公になった気分だ
しかし何故こうになってしまったのは
内戦と言う恐ろしい出来事だ
争いは幸せを踏みにじる
父娘のリアル
居てくれれば良かった存在の父が、
大人になるエストレリャには段々不思議な存在になり、
色んな詮索をし始め、そしてベッドの下に隠れる。
それでも父は探しに来ない。
ここで普通の娘ならぐれちゃうけど、
それでも父の悩みを思う娘の気持ちが切ない。
でもそれをあからさまに言うわけでもない。
父も娘を大事にしていない事を反省する。
そこでまさか自分の悩みの種を娘に見抜かれている。
でもタイムアウト。
父と娘、年を重ねるほど難しくなる関係性に、こちらが悶える。
それにしてもスペイン内戦はあまり知りませんが、
これだけ影響しているともっと知りたくなりました。
難しい
映像が綺麗。
南に置いてきた父の思い出をこれから「見に」行く。
そうして物語は終わる。
静かな空間を描いていて、何となく雰囲気が「ゴッドファーザー」に似ている。
映像ひとつひとつが絵画のようで美しい。
しかし内容が難しすぎて私には分からない。
父親の自殺の原因は娘に「南の恋人の存在」がバレたから?
色々解釈を読み、何度も見ればきっと見えてくるものがあるのかもしれない。
どこか秘密めいた父親に関する追想
とても魅力的で穏やかだが、何処か謎めいた父親についての少女の回想という形式で映画は進んでいく。牧歌的で優しく、少し不思議な美しい日常の中に、明確には出てこないのだが、スペイン内戦のゴタゴタから逃げてきた夫婦であることを匂わせて、仄かに不穏な気配が漂う。少女は少しづつ、父親が本当はここではないどこかに心を向けてしまっていることに気付き始め、何気ないが決定的な場面の後、冒頭の少女の涙の意味がわかるようになっている。ミツバチのささやきもそうだが、穏やかさと不穏さが素晴らしいバランスで両立していてとても印象的な映画だった。あと父親役のオメロ・アントヌッティがすごくチャーミングだった。
少女は成長して“女”になりつつある
【ファーストシーン】
画面は真っ暗だ。微かに時計の時を刻む音が聞こえ、小鳥のさえずる声も聞こえて来る。
やがて少しずつ画面に光が入って来ると、どうやらベッドらしきモノが確認出来る。
すると突然犬が吠え始める。
「アグスティン!」
母親の慌てる声が響く。
《フェードアウト》
《フェード・イン》
ゆっくりと部屋に朝陽が挿し始める。ベッドには主人公であるエストレリャが寝ていたが、彼女にはもう父親は戻って来ないのを、枕もとに父親が置いていった振り子から感じる。
部屋の明るさは増し、窓辺から挿す光で部屋の内部が完全に見える。
振り子を見つめながらベッドの縁に佇むエストレリャ。
まるでフェルメールの絵画が動いているかの様な美しさに溢れている。
これで何度目だろう。特集上映から、正式上映。名画座、深夜のテレビ放送、ビデオ鑑賞を含めて7度目かそれとも8度目か。
この映画は主人公であるエストレリャのナレーションに沿って父親の思い出が語られる。
冒頭から引き続き、父親による振り子のマジックを語るまだ幼いエストレリャ。父親の部屋で振り子の振り方を習い、水脈を当てる父親。
この時にスカートを広げコインを受け取る。
この場面ではミレーの絵画の構図を思い浮かべさせる。(確か公開当時はジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』との類似性の指摘があったと記憶している)
続いてのナレーション場面は初聖体拝受の前日。父親が棄てた“南”から祖母と父親の乳母がやって来る。
ここまでのナレーションは、父親の振り子も、祖母と乳母ミラグロスも、どんな人かを観客に知らせる為のナレーションになっている。
エストレリャは父親には“南”を棄てなければならなかった秘密があるのをミラグロスから教わり、同時に“南”を身近に感じ、ミラグロスと長年に渡り連絡を取り合う。
「来てくれるかなあ」とエストレリャ。
元来は教会には来ない父親。ミラグロスと交わした会話からスペイン内戦によるフランコ政権化から、父親は“南”から追われ、まだ見ぬ祖父との確執を知る。
肉親・知人・隣人が憎しみ殺し合ったスペイン内戦。北に住む幼いエストレリャにはまだよく理解出来ない。
初聖体拝受当日。教会には来ないかも知れない父親に、着飾った自分を見て貰いたいから走るエストレリャ。父親が放つ空気を切り裂く銃砲の音。
ハッとするエストレリャの顔にオーバーラップで教会の場面が被さる。
教会の隅から見守っていた父親が表れる。
この時のオメロ・アントヌッテイの登場場面がどこかレンブラントの絵画を見る様だった。
駆け寄るエストレリャは白い衣装からドガが好んで描いた少女の絵画の様です。
この教会の場面は計3回オーバーラップがあり、3回目が家族のパーティーシーンで、椅子に掛けられた白い衣装に被さる。
父親とダンスを踊るエストレリャ。
やや下から映される美しいこの場面に流れる音楽は、ラスト近くのレストランで父娘が最後に会う場面に繋がる。
そして遂にエストレリャは父親の秘密を知ってしまう。
ここからエストレリャは少しずつ少女から女の子へ。そして女の子から女へゆっくりと成長して行く事になる。
父親が“南”から大事にして来たイレーネ・リオスとゆう女性の存在。
そのイレーネ・リオスをエストレリャは知ってしまう。
映画館で父親が観ている映画にイレーネ・リオスとゆう女優が出演していた。
この辺りからエストレリャのナレーションによって展開される回想映画で在りながら、父親の目線でもストーリーが展開され始め映画として違和感が出て来る。
父親は映画を観た興奮からか思わずカフェで元恋人へ手紙をしたためる。この時と、その後の返事は明らかに回想映画としては有り得ない。しかしこの手紙を書いている時に父親を見つけたエストレリャは窓越しに父親と眼と眼を見つめ合う。
有り得ないのだが、回想者であるエストレリャが画面上に映っている為に違和感は薄れている。
それより何よりも、この窓越しの場面の何とゆう美しさだろうか。
構図的にはマネの絵画を想像してしまいます。
観方によっては、父親の秘密を知った少女が初めて女への一歩を歩んだ瞬間だったのかも知れません。
続く手紙の返事を父親が読む場面はどうだろう。
ここにはエストレリャは居ない。この後で父親と 母親がなじりあっているのを聞くエストレリャ。以前何も考えずに母親に「イレーネ・リオスって誰?」と聞いてしまった事が原因なのかと自分で勝手に決め込み、映画館で貰ったチラシを燃やす。
この場面こそが少女が女として成長して行く過程の様な気がします。
その前にも父親と母親は一度なじりあう会話が聞こえていたが、今回は自分の責任を感じているエストレリャ。
そう考えるとイレーネ・リオスの手紙の返事の場面は、そんなエストレリャの気持ちを強調する為に必要かも知れないと、今回初めて少し感じた。
現にこの後エストレリャは女としての嫉妬心を露わにする場面が在る。
またしても家を出る父親。涼しい顔をして帰って来た父親に対して抗議する様にエストレリャもその存在を消そうとする。
沈黙には沈黙で返す父親。
この場面の“沈黙ゲーム”こそは、男と女の嫉妬と裏切り、確執のぶつかり合い・せめぎ合いに他ならず、またナレーション無くしては観客には「一体何がどうして、どうなっているんだ!」と疑問を抱かせてしまう場面です。
そしていつしかエストレリャは少女から女の子へと成長する。
この時に映画史上大変に美しい時間経過を観客に知らせる名場面がある。
自転車を漕ぎ“国境”を画面奥まで進むエストレリャ。追い掛ける犬のオーバーラップ。
枯れ葉が“国境”一面に舞い広がっている。“国境”の画面奥から成長したエストレリャが帰って来る。犬は大きくなっている。
何とシンプルでいて深みの在る場面であろうか。
実に素晴らしい!
そして、いつしか少女から女の子に成長したエストレリャにとって父親の存在は少しばかり疎ましい存在となっていた。
ラスト間近レストランで親しい男の子との関係を聞かれ、露骨に気分を害すエストレリャに最早少女としての面影は無い。
少女は成長して“女”になりつつあるのだ。
やがて“あの時”の「エン・エル・ムンド」の調べが聞こえて来る。
「覚えてる?」と父親。
父親の思いは決まっていた。
それを理解出来ず、今となっては父親が残っていった振り子を見つめ直しては、あの時の父親の残した言葉の真意が測りかねて、後悔の念に駆られるエストレリャ。
だからこそ父親が残していった“南”からの“想い出”をバッグに詰めるエストレリャ。
今まさに彼女は“南”を知ろうとする。
ラストシーンで、カメラ越しにスクリーンを見つめている観客に対して、1人の女として鋭い眼光で見つめ返すエストレリャ。
監督のビクトル・エリセはインタビューに対してこう答えている。
「『エル・スール』は未完の作品です。」
何でも経済的な理由から撮影が中断してしまい、その後の撮影が困難になってしまったのだとか。
肝心な“南”が描かけなかったのもその、理由だと…。
でもMr.エリセ。
私はこれで充分に名作だと思います。
何度も何度も観る度に感じます。
今日で確信は更に深まりました。
美しすぎる映画
『ミツバチのささやき』は、私にとって「完璧」と呼べる映画でした。そしてこの『エル・スール』もまた「完璧」に近いものだったです。あまり映画で美しさを追求したものは好きではないのですが、ビクトル・エリセは別です。美しく、かつ情動が画面に漲っています。なぜ美しく撮るのか、その美しさの根拠がしっかりと備わっていると感じるんです。
素晴らしい映画でした。
南の映像も観たかった
鬱々とした北国のイメージと共に物静かな家族の物語が淡々と進んで行く。
少女エストレヤの純粋無垢さが救い。
不意に終わってしまって何だよっていいながら観続けたかった。
撮影が中断したんだね。
南のエピソードが観たかったな。
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