「特攻隊員が夢見たもの」永遠の0 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
特攻隊員が夢見たもの
今年、2025年 戦後80年
この映画が放映されたのが2013年
靖国参拝が問題になったのは、1978年にA級戦犯が合祀されたことだった。
その後、1985年 中曽根首相が終戦記念日に「公人」として公式参拝を行い、中国や韓国から激しい批判を受けた。
その後、小泉、安倍首相などの参拝によって中国と韓国との外交関係が悪化した。
では問いたいが、戦争責任は「誰」だったのだろうか?
あの東京裁判
当時学生だった石原慎太郎氏が下駄を履いて見に行った。
彼はそのことを、戦勝国による一方的な裁きと言い捨てた。
A級戦犯という概念 当時の国際法には存在しないものであり、事後的に作られた法で裁かれた。
米国による広島・長崎への原爆投下など、戦勝国側の行為は裁かれず、戦敗国のみが断罪された不公平な裁判だったなどと言っていたことを思い出した。
そしてこの作品は、
この国を守るために死んでいった若者たちの犠牲の上に、我々の幸せが成り立っていることをオブラートで包み、「当時の特攻隊員はどんな気持ちで死んでいったのかを考えてみろ」と視聴者に問うている。
既に日本の若者には、特攻と自爆テロの違いさえ分からなくなってしまっている現状が示唆されている。
不自由さはあるにせよ、生きる上で困ることはずいぶんと減った。
当時
一億総玉砕だと声を挙げて戦った時代
ところが、突然の玉音放送によって日本は降伏したことを知る。
まだ最後に抵抗する士気のあった者たちは愕然とした。
「裏切られた」
政府への不信感が、戦後日本がモノ作りに走らせた。
創ったモノは嘘をつかない。
これがその理由だと、養老孟子先生は何度も言っている。
石原氏も、GHQによる憲法制定は日本の国体を解体するための占領政策の一環であり、憲法は「改正」ではなく「破棄」すべき 自主憲法の制定こそが、真の独立国家としての日本の姿であると言っていた。
「裁かれるべきは戦争そのものの構造だ」
しかし、
彼らのそんな声さえ日本国民には届かなくなってしまった。
多くの国家がグローバリズムに飲み込まれた。
加えて財務省と自民党がこの国を解体している。
さて、
宮部久蔵
彼は死ぬことよりも生きることを考えた。
実際こんな人がいたという記録は残っているのだろうか?
調べてみれば、彼と同じ意志を持った人々がいたことがわかった。
志願したのか、選別されたのか パイロットになった人々
特攻隊への志願は、死ぬこととイコールだ。
実際夫を亡くし、女手一つで生きていくのは困難を極めたことだろう。
想像さえできないと思う。
やがて、孫の代が来てひ孫の代が来た。
すべての総てが変化した。
幸せとは何か? などと考える時代になった。
そしてこの作品は、1年で一度だけでも、特攻によって死んでいった若者たちが夢見たことを考えてみなさいと伝えている。
私も、1年で一回だけでも、彼らの想いに恥じることのない生き方を心がけようと思う。