リヴィッドのレビュー・感想・評価
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怪奇と幻想のフレンチホラー
「屋敷女」のもたらす最凶のトラウマ感が拭えないまま、同作品の監督コンビが送るゴシック・ホラー。そう、今回はゴシック・ホラーなのである。前作から大きな方向転換をした様だが、こちらの方が大衆に勧めやすい(?)形だ。
本作は古い洋館が舞台で、最上階に植物状態の老婆が眠っている。主人公のリュシーは訪問介護のヘルパーだが、その家を訪れた際に同行した先輩ヘルパーから「この屋敷には財産が眠っている」という話を聞く。リュシーはまともだが、色々な事が重なりアホな彼氏とその友達一人の計三人で屋敷の財宝を盗もうと侵入する。その結果恐ろしい体験をするという物だ。不法侵入を働いた時点でアウトであり、自業自得感が非常に強い。
お化け屋敷ホラーかと思ったが、屋敷に入った時点で毛色が変わる。寝たきりの老婆、デボラが元バレリーナであり、「フライブルグバレエ学院」の生徒だった事が分かるのだ。そう、あの「サスペリア」のフライブルグバレエ学院だ。そして、早くに亡くなったとされるその娘、アナが剥製にされていた所から気分は最高潮に。ここまで言うと映画ファンはピンと来るだろうが、本作はヴァンパイア映画だ。監督曰く、歴史ある吸血鬼文化にファンタジー要素を追加して描いたとの事だ。
上記の様にファンタジー要素が絡めてあるため、説明のつかない描写が多い。それが幻想的でより作品の質を上げているのだが、物事が全て明確に分かる作品が好みの方には向かないだろう。本作はこの雰囲気等を思う存分味わえば良いのである。恐怖描写もクオリティが高く、寝たきりと思われた老婆がベッドから消えたシーンに心の底から鳥肌がたった。また、前作に引き続きスプラッタ的表現が多いが、全体的におとぎ話の様な詩的な世界観が展開されており、思わず残虐さもその一つとして捉えてしまう。鑑賞後は説明のつかない部分でモヤッとするかも知れないが、じっくりと鑑賞して理解を深めるという楽しさも味わうことが出来る作品である。
時計仕掛けの踊り子
日本映画の課題は、どやの払拭にある──と思うことがある。
ホラーでもコメディでもアートハウスでも「どうだすげえだろ」感がかいま見えてしまうと、おもしろさが半減する。──というか全減する。
かいま見えるというより、ダダ漏れさせてしまう映画監督が日本には多い、気がしている。もしspecが、どや無しで描かれているのなら、あるいは、もし翔んで埼玉に「おもしろいことやってるでしょ」感がなければ幻滅することもないだろう──などと感じる。
どやの払拭とは、すなわち作り手の気配の払拭である。
日本映画には、監督の威光みたいなものが、画に見えてしまう映画が多い。
個人が抽出したゆえの網羅性の限界はあるが、挙げると、北野武にもあるし堤幸彦にも福田雄一にも瀬々敬久にもある、荻上直子にも河瀬直美にも三島有紀子にもある。・・・蜷川実花や園子温にはそれがあるというより、それしかない。──と思う。
なぜ日本ではそうなるのか、原因はわからないが、おそらく映画/映画監督が権威をともなうものであるという雑ぱくな概念が、日本人にはある──のではなかろうか。キューブリックじゃあるまいし、下野してくれてかまわない──などと思ったりする。
どやを払拭すると、映画の素が伝わる。
とりわけ恐怖のばあい、ピュアになる。
ヨーロッパのすぐれた恐怖映画には、どやがない。
たとえばアレクサンドルアジャのハイテンションや、ジュリアデュクルノーのRAWやパスカルロジェの映画がすごい理由は、どやがまったく無いことに因る、と思っている。
つまりどやの有無は映画の出来を左右する重要素だ──と個人的には考えている。
屋敷女の製作陣によるホラーで、蠱惑的だった。
デヴィッドボウイのようなヘテロクロミアの少女が主人公。寄らなくてもわかる、そうとうな色の差だが、じっさいのChloé Coulloudは違うのかもしれない。美しいうえに肉感的で、なまめかしい。正直なところmassiveなbreastが気になった。
筋は常套から外れている。
個人的な感慨だがヨーロッパの恐怖映画の女性は前提として脅迫観念を背負っている。
暗い過去や、癒やされない慚愧が、前段で描かれる。
そのポゼストによって、まず、どっしりとした暗幕を背景する。
根幹にズラウスキーのようないびつな現実世界があり、そこから異界や流血へ持っていく。
というより、なにより、基本的に、善人が善行をして、悪人が悪事をはたらく──という、日本映画世界とは異なる景色がひろがる。先行きを想像させない作り方にヨーロッパがあった。
が、導入はつかむが、中段の展開はさくさく行かない。さらに、闇夜によって画が暗すぎる。それでも、グァダニーノ版のサスペリアやRAWを思わせる見たことのないゴシック世界はじゅうぶんに楽しかった。
絵は美しいのに…
本作の良いところは絵が美しいところ。
冒頭の浜辺から墓地、港町を写していくシーン、バス停で佇む少女、少女人形等、美しくも幽玄な雰囲気のシーン達には監督の絵作りの確かな才能を感じる。
問題としては男二人を連れて屋敷に入って以降が異常に展開がたるいことである。また、大きな屋敷だったはずが構図が良くないせいなのか異様に狭く感じることもなんだかなあ。
良い要素も散見されるためにもったいない、惜しい、そんな気持ちになる一作。
怪奇と幻想のゴシック・ホラー
血祭り&殺戮祭りだった「屋敷女」のアレクサンドル・バスティロ&ジュリアン・モーリー監督作品。
前作のスプラッタから一転、怪奇と幻想のホラーとなりました。
古い屋敷の謎、死人同然の老婆の姿、バレリーナの少女など、詩的で美的な映像表現です。
「残酷おとぎ話」とでも表しておきましょう。
グロ描写も強めですが、そのシーンすらモダンに見えます。
ファンタジー映画でもあるのですが、ゴシック・ホラー、異形の吸血鬼映画でもあります。
本作は親からの溺愛、干渉、支配、抑圧…
等に対し従わざるを得ないという精神的支配から逃れたい2人の少女の悲しい現実逃避を描く切ない作品です。
美術面で本当に素晴らしいですし、雰囲気も完璧なので、評価は高めです。
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