「姜文監督の知性に脱帽、男気に心酔」さらば復讐の狼たちよ チャプチャプさんの映画レビュー(感想・評価)
姜文監督の知性に脱帽、男気に心酔
冒頭に登場する〈馬列車〉
劇場で初めて観たときの素朴な疑問は、「汽車が馬轢き殺しちゃったらヤバクね? てか蒸気機関車なら馬いらなくね?」
流れるようなカメラワーク、これから物語が始まるワクワク感、勇壮なBGM…… に気を取られて見過ごしがちだが、実はあれは蒸気機関車ではない。スピーディーな画面遷移の中に、車輪部分の接写がちゃんと含まれていて、蒸気の動力で動いている構造ではないとハッキリ示してくれている。
あれはただの馬車
旧態依然、何千年も前からあるシロモノが、蒸気機関車(=近代国家のシンボル)を装って登場する。
最初の登場人物:六弟はレールに耳をあてて音を聞き取ろうとする。
実はこのとき、観客も耳の穴かっぽじって、注意深く音を聞くことを要求されている。
何が聞こえる?
野鳥のさえずり、馬蹄の地響き、車体の金属音、そして汽笛。この汽笛のせいですっかり蒸気機関車だとだまされてしまうのだが、どんなに耳を澄ましても、蒸気圧で車輪を回すシュッシュッという音は聞こえない。(馬達の鼻息は聞こえるけど)
でもでも、じゃあ、あのデッカイ煙突とモクモクの蒸気は誰のため? 何のため?
近代国家の到来を告げる汽笛を鳴らし、マー(葛優)が呼びかける。「兵士諸君…」 慈悲深い君主のように。富は公平に分配するよ、と言わんばかりに。
だが、山賊チャン(姜文)の銃弾が列車と馬の連結を切り離すと、もとより自力推進の能力を持たない偽の蒸気機関車(=近代国家)は、文字通り、
「坂 道 を 転 が り 落 ち る よ う に 後 退 し て ゆ く」
(表層の映像から受ける印象は真逆だが、象徴性を読み取れば、エイゼンシュテインの乳母車と同じ内容を表す場面ではないだろうか? 昨年公開された《孫文の義士団》にもハッキリそれとわかるシーンがあったけど)
惰性的に加速度的に後退していく列車にチャン達がとどめを刺す。転覆。暗転。
オープニング5分足らずの間に、こんなにも、見逃してはならないショット、聞き取るべき音、読み取るべき暗喩・象徴性がてんこ盛りである
煙のたなびく方向、列車の進行方向、あんなにも画面にハッキリ映し出されているのに、私は3回劇場に通い、3回とも見逃したまま帰ってきた。あれで映画を見たつもりになっていたとはなんとも情けない。
それでも、わかる範囲で楽しめた部分=後半の戦闘シーンめちゃカッコいい、ガチムチのアニキ達にお目目ハート。一時停止やスロー再生でドじっっくり見たいっス~、というミーハー心で輸入版DVD購入して何度も見返すうちにようやく気づいた次第。
この〈馬列車〉、ラストシーンでも登場するが、冒頭のそれとは明らかに違っている点がいくつかある。そこを見逃すと、ラストシーンの意味を真逆に誤解しかねない。エンドロールが流れ出す直前まで、一瞬たりとも気を抜けない作品だ。
中国語の発音由来の、「馬列車≒マルクス・レーニン主義」という解説は、あちこちのレビューで引用されているが、それですっかり理解したつもりでいると、銀幕の中で具体的に示されている、映画としての言語(映像・音・文脈)を読み損なう。
中国語や中国の歴史・風習がわかっていれば、より多くの発見があろうけれど、中国語の発音だけが決め手ではないし、中国近代史に特化した解釈(軍閥とか毛沢東とか四人組とか)にばかりこだわり過ぎると、たぶん袋小路に迷い込む。姜文監督が示す暗喩はもっと普遍的なものだ。
中国での公開時にはレックリやカリブの海賊の興行成績を抜いた! というアピールのせいで、同種のエンタテイメント性を期待されてしまったようだが、暗喩や隠しメッセージ満載の本作は、どうしても娯楽性100%の映画とはテイストが違う。はじめから「なめらかな壁」として作られていない。あちこちに隠し扉やダンジョンへの入り口がある。見つけ出せればお宝ザクザクで楽しいのにな。
そこのところを誤解して、「デコボコやひび割れがある欠陥品の壁」と決め付ける酷評が多いのが残念至極。デコボコじゃなくてドアノブ、ひび割れじゃなくて鍵穴なんですよ。
宝探しのコツは、 ?なんか変だ、唐突な展開、このシーンいるか? あり得ない!許せない!脚本が矛盾してないか? 等々 不快に思うシーンや、すっきりしない箇所。そこが鍵穴やドアノブ。
それと、同じ行為が作中二度三度繰り返されていたら、強調のための意図的な配置と考えて間違いない。
洗いざらい暴露するのは野暮だし、他の人の楽しみを奪ってしまうことになるが、2~3例を挙げると、(これ以上のネタバレがイヤな人は逃げてー)
ホアン(周潤發)の替え玉の男。(一人二役だが)
物語の中での彼への仕打ちはあんまり酷い、と思いませんでしたか? 顔かたちが似ている、というだけで近隣の村からつれてこられた庶民……であるならば確かにかわいそ過ぎる。
が、しかし、あれは「役者」だ。猿真似・鸚鵡返しとはいえ、コピーの能力を見込まれた役者なのだ。本人は「私はただの役者で~」と卑屈に言い訳して命乞いをしているが、そいつに過酷な運命を課した姜文監督の意図は、
「腐敗した権力に媚びへつらって、民衆をだます手先になった役者なんぞ、ぶっ殺されたって文句は言えねーぜ」
ってことではないかしらね? 前半の「誰にも媚びずに金を稼いでやる」という台詞ともリンクして、役者・映画人としての気概のあらわれだ。
私は役者ではないので、なにもそこまで厳しくしなくても…と思わないでもないが、中国当局の検閲に屈することなく、戦い表現し続ける姜文からしたら、誇りを売り渡し、腐敗した権力とズブズブの役者の末路はこんなにも悲惨なもんなんだぜ? と訴えかけたくなるのは当然かもしれない
これはいつの時代、どこの国にだって当てはまる問いかけだ。
それと全編を通して重要なキーワードはもちろん「鳥」。だが、一目瞭然の鳥だけでなく、隠れて見えない鳥が何羽かいる。
それとモーツァルト。
日本語字幕では「モーさん」と表記されていて、毛沢東へのオマージュであるかのように匂わせているが、あの文脈に毛沢東を持ち込んでもどこにもつながっていかない。検閲対策の方便かな?
重要な鍵「隠れている鳥 その①」はモーツァルトの作品群の中にいる。モーツァルトの代表作で鳥と関わりのあるものといえば?
…………………………………………………………そうだね、プロテインだね
などというしょもないボケはさておくとしても、作中の「重要な鍵」が出現する箇所を時系列にかきだしてみると、ある種の法則性にのっとって整然と配置されているのに驚く。交響曲のインデックス:導入部、第一主題、第二主題、展開部、第一主題の展開1、第二主題の展開1、……etcみたいに。
クラシック音楽についても非常に造詣の深い、まさに知の巨人ですなー
すごい人だ。
国内版DVDが出たらアマゾンのレビューに更に続きを書きたいけど、国内の興行成績が振るわなくて、DVD出なかったらどうしよう、メイキングとかカットされたしょぼいのだったらどうしよう~とかなり不安。
前作《鬼が来た!》と二本立てで上映されてたら、評価ももっと変わっていたかも知れないのにな。 この二作品の間には明らかにテーマに連続性があるし、《鬼が来た!》を反日作品と誤解されたことから、本作では日本からの要素を数多く取り入れているように見受けられる。
そして、アバタ。「アバタもえくぼ」という言い回しから、日本では「ちょっとした欠点」のような軽い意味合いになるが、姜文の二作品においては、「汚点、悪の刻印」の意味合いが強く感じられる。
なぜ本作の山賊が「アバタのチャン」なのか? スカーフェイスや刺青ではなくて、なぜ「アバタ」なのか? 本物のアバタのチャンにはアバタが無く、偽者のアバタのチャンにはアバタがあるのはなぜか?
《鬼が来た!》のラストシーンを見た人ならわかるはず。
後日、《鬼が来た!》のレビューも書く予定でいます。気が向いたら読んでください。
あ~それにしても、ガチムチのアニキ達えれぇカッコいい。新宿2丁目あたりをタゲにプロモ展開してたら映画館満員御礼になってたに違いないのに。