劇場公開日 2012年8月4日

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ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳 : インタビュー

2012年8月3日更新
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広島から福島へ……被爆者と戦後日本を追い続けた反骨のカメラマン

敗戦直後の広島で原爆の後遺症に苦しむ人々を撮影、その後報道カメラマンとして学生運動、自衛隊、水俣、祝島などをテーマに激動の戦後日本にレンズを向け続けてきた福島菊次郎氏。本作は、その反骨精神で半世紀にわたり国家の嘘を写真で暴いてきた福島氏の2009年からの2年間に密着したドキュメンタリーだ。1982年に保守化する日本に絶望してカメラを置き自給自足の生活を選び、その後がんを患い執筆活動に専念していたが、東日本大震災を受け、原発事故で多大な被害を受けた福島を報道写真家として最後の現場として選んだ福島氏に話を聞いた。(取材・文/編集部)

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「戦時中の若者でしたから、国家権力に対しては一切抵抗できなかった。国に言われるがままに、ぼろきれのように使い捨てられた」。戦時中は二等兵として召集され、米軍が本土上陸した際の自爆攻撃を命じられていた。敗戦を迎え、1946年から広島で被爆者の撮影を始めた福島氏は「そこで見たものは人間の地獄だけでした」と語る。「戦後70年たとうとしているのに、いまだに最高裁で被爆者の訴訟が続いている。一体何という国だろうと思います。政府は被爆者の治療に対して、世界に先駆けた医療体制を確立すべきだった」と主張。そして「その問題が今の福島の被ばく者への対策につながっている」という。

「今の福島は、原爆を受けた当初の広島とほとんど同じ状態。つまり、もし放射線による障害が出た場合、その対策はいまだ皆無ではないか」と語気を強める。本作では震災から半年後の2011年9月、原発事故の被害にあった福島で取材を敢行する姿に迫っている。やせ細った身体ではあるものの、検問に立ちはだかる警察官をものともせずシャッターを切りまくる福島氏の鋭い眼光からは、何が何でも真実を伝えたいという気迫が伝わってくる。

「毎年、年が明けるごとにあと1年……と考えて生きています」。1921年生まれの福島氏、今年で91歳を迎えた。激動の戦後日本と共に歩んだカメラマン人生はどのようなものだったのだろうか。

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「戦中は一切国家の言うままになっていたので、敗残兵だった僕にとっては、戦後というのはいろんな意味であらゆることが刺激的だった」と振り返る。特に60年代からの学生運動の取材は、「国家権力に抵抗する若者に教えられました。それは僕が戦時中の日本人から、民主主義の日本人に変わっていくひとつの動機を作ってくれた」と明かす。

「戦時中も大本営の嘘、戦後も政治の嘘、日本は嘘のかたまり。子どもが自殺した時も教師や校長、教育委員会に真実を感じる人は誰もいない。本当のことを言わなくなった国は恐ろしい。我々は政治に対して変幻自在な態度、考え方、やり方を持つべき。嘘っぱちの政治に対して、行儀よくしたら、国の思うつぼ」と、報道が相次ぐ子どものいじめ問題にも言及し、教育委員会の公選制復活を期待しているという。

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本作は「ガイアの夜明け」などテレビを中心にドキュメンタリーを手がけてきた長谷川三郎監督の劇場デビュー作となり、日本のドキュメンタリー界の第一人者であり長年是枝裕和監督作品のカメラマンも務めている山崎裕が撮影を担当した。「問題が法を犯したものであれば、カメラマンは法を犯しても構わない」など過激な発言も飛び出すが、穏やかで説得力のある福島氏の語り口に引き込まれずにはいられない。激動の時代を切り取った数多くの写真のほか、年金受取を拒否し、現在山口県のマンションで愛犬とつつましく暮らす姿も映し出す。写真家現役時代に趣味で始めた彫金もプロ並みで、カメラを構えた手に光る個性的なデザインの指輪にも注目だ。

今回被写体側にまわった感想を聞くと「恥ずかしかった。写真に撮られるのが大嫌いなんです(笑)。いつも自分が傍若無人に撮っているくせに、人間って勝手なもの。若ければいいんですがこんなにしなびちゃっているから」と冗談めかす。そして、「僕が人生を賭けて写真家としてシャッターを押し続けた時代をこういう形でまとめて見るのは初めてなので、非常に感慨深かった。戦後時代に対してひとつの役割が果たせたんだなと、幾ばくかの満足感をおぼえました」と笑顔を見せた。

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