「苦しみを乗り越えて」思秋期 キューブさんの映画レビュー(感想・評価)
苦しみを乗り越えて
「イン・アメリカ」の冴えない父親役だったパディ・コンシダインの初監督作。それも非常に優れた初監督作だ。もしかすると本年度ナンバー・ワンかもしれない。
ジョセフは画面に映った時から苛ついている。彼の内部で煮えくりかえった何かがたぎっているのが、手に取るように分かる。その彼が愛犬のあばらを蹴って殺してしまう、というシーンから映画は始まる。何とも陰鬱な始まり方だ。
ミュランはジョセフの複雑な心情を、しかめっ面を少しずつ変化させて巧みに演じた。どのシーンでもほとんど怒っているが、その後彼が見せる哀しみには心を突き動かされる。そしてその彼の再生を願わずにはいられない。
この後ジョセフはハンナと出会うのだが、前半はしばらく「いかにも」な展開だけが待っている。ハンナは夫からたびたび暴力を受けており、それを知ったジョセフは次第に心を開いていく。独立系の小作品にありがちな「救いの物語」だと思うだろう。だが「思秋期」はここから本領発揮する。その一つはジョセフの友人の葬式のシーンだ。”葬式”がこの映画でもっとも幸せに満ちあふれたシーンなのだ。悲しみながらも誰もが歌い、踊り、そして笑う。心が傷ついたジョセフも、アザだらけのハンナも本当に幸せそうだ。
だがこの後明かされる真実が息を呑むほど衝撃的だ。この映画が他とは一線を画す最大の理由だろう。抑圧されたハンナの心の闇の深さに驚かされる。それでいて「自分でも同じ事をするだろう」という共感を呼ぶのだから、なおさらだ。それもハンナ役のコールマンの緩急つけた演技のおかげだろう。物静かで信心深い彼女が豹変したとき、それはあまりにリアルで見ている方も苦しくなる。エディ・マーサンが演じた夫の気味悪さは人の嫌悪感を煽り、DVという行動の陰惨さを浮き彫りにする。こんなに恐ろしく痛々しい関係はなかなか描けない。
そう。この映画の登場人物たちは誰も彼もが変なのに、とても自然で観客の共感を呼ぶ。ジョセフが劇中で言う言葉にこういう物がある。「行動を起こすか起こさないかが、自分とハンナ側と世間側の違いだ」と。誰もが程度の大小はあれど、怒りを抱えそれを発散したがっている。ジョセフとハンナはその象徴であり、私たちの代わりに”行動”に移した。それは非常に大きな代償を伴う行動ではあるが、ある意味で救いでもある。だがいつまでも同じでは、結局救われない。自己嫌悪に陥り、また繰り返すだけだ。
究極の事態に直面したとき、彼らがどう動くのかは自分の目で見て欲しい。とても静かでおだやかだが、真の感動を呼び起こしてくれる。人間が持つ様々な感情を、一つの映画にどうやって押し込めたのか。まったく隙のない素晴らしい映画である。
(2012年11月17日鑑賞)