シネマ歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒のレビュー・感想・評価
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花魁、そりゃあ、ちっと、そでなかろうぜ!
フー○ンの寅さんの復讐だ。
やっぱり、歌舞伎は『情念の芝居』が一番良い。犯罪をあたかも肯定し美化している。言葉を変えれば『カッコ悪い』話であって『フー○ンの寅』には演じられない範疇だ。
田舎者で世間知らずで切れやすく天然ボケで醜い。そんな奴いたら大変な奴で
それをキッチリ最後まで、話にしてしまう。
日本文化の良い所かもしれない。歌舞伎は綺麗で華やかだけが良いのでは無い。
そう!それを中途半端に終わらせてのたまう『男はつ○いよ』は、同じ会社なのに情けない。
『花魁、そりゃあ、ちっと、そでなかろうぜ』
なぜ初手から言うてくださらぬ
始まってしばらくすると、「花魁道中」の3連発が披露され、観客を楽しませてくれる。 台詞が聞こえないくらい、大音量の囃子が鳴り、華やかなオープニングだ。 八橋が次郎左衛門を見てわずかに微笑むシーンで、「待ってました」とばかりに拍手が起きたところをみると、劇場には「通」がたくさんいるらしい。 また、八橋の足下をアップで映すので、しなるような高下駄のダイナミックな運びを堪能できる。 この作品は、この出だしをピークとして、そこからラストに向かって、ただひたすら真っ直ぐに奈落へと落ちていくという、恐ろしい演目だと思う。 “心中もの”なら、男女の美しい最後とみることもできるが、本作のストーリーでは、救いがない。 歌舞伎界の悲劇好き、バイオレンス好きは相当なものだ。 勘三郎の“あばた顔”のメークは、えげつない。 劇場で見るとちょうど良いのかもしれないが、自分は「ちょっとやりすぎではないか」と引いてしまった。メークのおかげで、最後まで勘三郎の表情が読み取りづらかった。 (※)なお昔の写真を見ると、このメークは、少なくとも17代目勘三郎と6代目歌右衛門の時代からの伝統のようだ。 “間夫”の栄之丞は誰がやるのだろうと思ったら、なんと仁左衛門が出てきて驚いた。仁左衛門と玉三郎の名コンビを思えば、制作側の本気度が感じられる。 この作品の見どころは、言うまでもなく「女郎は客を騙すのが商売」という、八橋の残酷な不義理と、次郎左衛門の茫然自失だろう。 長大なキセルを右手に杖のように立てて、よく響く裏返った声で、「ぬしと口をききますのが、“わちき”の病に障りますのさァ」と、啖呵を切る玉三郎。 泳いだ目で悔し涙を流しながら、「濡れてみたさに来てみれば、案に相違の愛想づかし。なぜ初手から言うてくださらぬ」と絞り出す勘三郎。 これら天下の名優2人、それまでは今一つ乗り切れない感じで、脇役の方が目立っていたが、このシーンに来てさすがに大いに魅せてくれるのである。 脇役も、みな素晴らしい。秀太郎のおきつは、座を引き締めて見事だった。 勘九郎や七之助は、まだ駆け出しなのか、かなり若々しくみえる。 この作品で特徴的なのは、囃子のON/OFFが、演出に効果的に使われていることだろう。 八橋が身請けを拒絶して、一同驚いて口もきけなくなる場面では、囃子がぱたっと止んで、場が完全にシーンとなる。そして、鐘がゴーンと鳴って、三味線がちょろっと入る。 歌舞伎の囃子は、わりとシャンシャンと無造作に鳴っている印象があるが、こういうメリハリも効かせられるのかと感心した。 今回も楽しませてくれた「シネマ歌舞伎」であった。
今思うと最高のキャスティング
もう、この三人では見られないと思うと、あの時見に行ってよかったと思う。 あの時も既に病床にあった訳だが、必ずよくなると信じていられた。 いやぁ、人を殺すなんて、どんな理由があっても駄目だと考えてはいるけれど、こんなに理由があったらやっちゃう人がいてもおかしくないとか感じる。 脚本とは、演出とはすごいものだ。 それを納得させてしまいそうなあの勘三郎さんはやっぱりすごい。 あざとい。 でも納得せざるを得ない。 分かりやすく、コテコテの演技でもあるが、すごく細かい西洋の演技も取り入れた勘三郎さんがあってこそ、美しい、美しい二人が引き立つし、彼らに腹が立つ。 恋とは誠に身勝手なものなのだが、恋的なものを売り物にしていると、身勝手が許されない。 分かり切っていても、やっちゃうのだ。 それが汚くても人間だ。 それにしても、小学校6年生の時に2時間ドラマで一瞬にして心を鷲掴みにしてきた仁左衛門さんは、1人生き残る美男子として、この中では相当な説得力がある。 そして言うまでもなく、玉三郎さんはただただ美しい。
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