劇場公開日 2012年8月25日

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「まるで西部劇のような弓対弓の対決。スリリングな展開を堪能できました。」神弓 KAMIYUMI 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0まるで西部劇のような弓対弓の対決。スリリングな展開を堪能できました。

2012年8月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 “丙子の乱”では朝鮮側の敗北で終わりも50万人もの捕虜・人質が後金(後の清国)に連れさせれており、どういうところに「ドラマとしての勝利ポイント」を設定しているのかよく分かりませんでした。
 ましてたった1本の弓矢で、10万人の清軍に立ち向かって、勝つなどあり得ないことなので、やや宣伝文句が誇大表現を使っているなと思いました。けれどもそういう制約のなかで、いかにもありそうに見せるのが監督の演出力であり、映画の魅力なんですね。
 本作では、タイトルとは裏腹に、神がかり的な要素は徹底排除し、ゲリラ戦に持ち込んで弓という武器の優位性を確保。一つずつ追っ手を弓矢で片づけていって、ついには後金軍に連れ去られた主人公の妹を解放するまでが描かれるというストーリーになっていました。今まであまり描かれたことがない弓矢による戦いがメインで描かれる作品として、緊迫感ある映像を堪能できました。韓国では大ヒットした作品ですが、韓国の歴史を知らない人でも充分楽しめることでしょう。

 ところで、大勢の敵を向こうに回して、一張りの弓だけでヒロインを救出する設定は、西部劇そのものです。韓国映画にしては、感情表現に誇張はなく、最後には西部劇よろしく主人公と敵の将軍との弓矢による一対一の決闘シーンまで用意されているのです。ここが本作の醍醐味ですね。但し卑怯にも、敵の将軍は妹を人質に取って盾にしています。拳銃だとをまっすぐしか飛ばないところ。しかし弓矢というのは修練するとカーブして放つことができるのです。それは的を狙うというよりも、自らの鍛錬を信じ、こころの力で当たることを念じるというまさに「神弓」の領域だったのです。

 見どころは、まず主人公のナミが清の軍隊の宿営地に潜入して、清の王子を人質に取り、妹のジャインを救出するところ。わずか4人で潜入して救出に成功する手際が納得のいく段取りで見せてくれました。

 その後ジャインとは別々に逃げることになったナミを猛将ジュシンタと彼の部隊がメンツをかけて追いかけることに。ジュシンタは精鋭部隊の指揮官で、自身も弓の名手。250グラムもの重量を持つ矢じりを利用した絶大な破壊力を誇るジュシンタと発射位置の特定を不可能にする不規則な曲線軌道を描くナミの弓。ふたりの直接対決はなかなかの名対決でした。
 また本作は、弓の扱い方にも技有りなところを見せています。逃げるナミは途中で弓を使い果たしてしまいます。けれども素早く敵矢を回収。それを短く折って射かけるのです。短い矢はそれだけ威力が倍増します。ナミが放てばふたり分まとめて殺傷してしまうくらいの威力を発揮しました。その他竹を切って矢にしてしまうところなど、複数の相手にも一張りの矢で存分に戦えるところをナミは見せつけてくれたのです。

 それにしてもナミはヒーローにしては、あまり貫禄を見せません。接近戦ではジュシンタのほうが圧倒的な迫力を見せます。だからなるべく接近戦にならぬよう、ナミは距離を取るためすぐ逃げます。そんなヒーローらしからぬ風貌がかえって存在感を感じさせてくれました。

 最後に、物語の発端は、本作では触れられていませんが20年前に李氏朝鮮が明国に1万人の援軍を送ったことがきっかけ。李氏朝鮮は秀吉による文禄・慶長の役による苦境から救ってくれた明への恩義を忘れなかったのです。
 このときは後金に降伏したものの、なんとか不問に付されました。そして本作のはじまりとなる13年前に23年に西人派のクーデターが起こり、それまで明と後金の両者に対し中立的な外交政策をとっていた光海君が廃位されて、仁祖が即位したのです。このクーデターでナミ兄妹の父親も殺されました。西人派は後金との交易を停止するなど反後金親明的な政策を取り、後金をひどくいらだたせるようになります。
 その結果、後金は1627年に李氏朝鮮に侵攻、これは丁卯胡乱(ていぼうこらん)と呼ばれています。和議によって後金の兄弟国となる盟約を結ばされたのです。
 6年後の1636年。ちょうど本作の舞台となる年には、李氏朝鮮では主戦論が大勢を占めたため、王の仁祖は清と戦う準備に入ったのです。清は朝鮮が謝罪しなければ攻撃すると脅したが李氏朝鮮はこれを黙殺しました。これに激怒したホンタイジは朝鮮侵攻を決意します。丙子胡乱(へいしこらん)この戦いが本作の舞台となるものです。
 劇中、結婚式最中にいきなり清国の侵攻は始まります。映画と同じように、仁祖は全く防衛を準備しておらず、首都の漢城から南漢山城に慌てて逃げ出す始末だったのです。

 本作を見ると何やら今の日本の外交や防衛の貧弱さが浮かんできます。仁祖は清国に対する主戦論を説きつつも、明だのみのところがあったのか、平和ボケしていたのです。他国からの侵攻は、本作のようある日突然降ったように始まります。他山の石とみることなく、しっかり本作の教訓としてわが国の防衛について、ご覧になった方が関心を強めていただくことを願っています。

流山の小地蔵