コッホ先生と僕らの革命のレビュー・感想・評価
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さまざまな「わくわく」がつまった快作
よそ者が街にやって来る。彼は新しい風を吹き込み、少年たちは新たな世界へ一歩踏み出していく。…そんな定番の物語を、期待にたがわず爽快に描ききる。年始めにふさわしく、晴れやかな気持ちになった。
本作には、さまざまな「わくわく」が詰まっている。新しい出会い、偏見を打ち砕く価値観、スポーツのおもしろさ、恋の予感、かけがえのない仲間、障害へのチャレンジ。熱血過ぎない好青年、コッホ先生の魅力もさることながら、生徒たちのキャラクター付けもひねりが効いておもしろい。お高くとまったブルジョアの息子が転落し、プロレタリアの少年がサッカーで頭角を現す…のは常套だが、ブルジョアに代わってクラスを引っ張っていくのは、パッと見は冴えない太っちょの少年。彼は中流の工場経営者の息子だ。家業のミシンやボールの脚さばきは苦手でも、アイディアのひらめきやゴールキーパーとしての手腕を発揮し、自信を深めていく。さらには、サッカーボールが商売になると見抜いて試作を指示し、最後は父親さえ彼の言われるままに値段を釣り上げる。親との対立、自立がテーマのひとつになっている中、彼はあっさり親を越え、共に商売に邁進していく。資本主義が台頭していく近現代の流れを示唆しているようで、興味深く感じた。
クライマックスのサッカーゲームでは彼らと共に手に汗握り、エンドロールでは友情を歌う「蛍の光」で余韻を味わう。最後まで押し付けがましさゼロのさじ加減が好ましい。
…それにしても。「グッバイ、レーニン!」の心優しい青年ダニエル・ブリュールが、髭を蓄えた先生をゆったりと演じるようになるとは! ちょっとしみじみした。
サッカー超大国の黎明期
サッカーの楽しさを知った子供達のみならず、さっきまでドイツでサッカーを推奨すべきではないと言っていた政府の視察団までもが子供達の試合に夢中になってしまう。
はじめはサッカーを禁止する地域も多く、ドイツを代表するビッグ・クラブの地元で解禁されたのがこの物語の50年以上後のことではあったものの、その後彼らのように巻き込まれていく人達が続出した結果、ブラジルに次ぐワールドカップ4度優勝のサッカー超大国となったのでしょう。
軍隊さながらの緊張した行動を取っていた生徒達が見る見るうちにだらだらし始め、子供らしいいたずらをするようになったのは、コッホ先生が他の教師のように棒でぶったりしないからであってサッカーのせいではないと思いたいところですが、まあそれはどっちでもいいでしょう。誰かに強制されることなく自分で判断しながらプレーするのがサッカーのいいところなので。
チームのエースであるボーンシュテット君のお母さんは、自分(一人親の労働者)のような苦労をさせたくないと息子の進学を望んでいましたが、学校に多額の寄付をしている差別主義者のハートゥング氏の差し金で、結局彼が退学させられてしまったのは可哀そうでした。
【”フェアプレーの精神”帝政ドイツにあった名門校に赴いた若き英語教師コンラート・コッホがサッカーの真なる意義を生徒に伝える姿に泪する作品。サッカーとは貧富、国を超えるスポーツなのである。】
ー ご存じの通り現代サッカー界でドイツは世界最強国の一つである。だが、私は今作を鑑賞するまでは、その根底を築いた人物を知らなかった・・。-
■「ドイツ・サッカーの父」と呼ばれる実在人物が主人公だそうである。全く知らず・・。
イギリス発祥のサッカー(フット・ボール)が、反英感情の高まるドイツで受け入れられていく過程は、サッカー好きには堪らない作品である。
■1874年、帝政ドイツにある名門校に若き英語教師コンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)が赴任。
学園の封建的風土や生徒らの偏見・差別意識に直面した彼は、授業にサッカーを取り入れる。
一部を除いて、生徒らは夢中になり、フェアプレー精神を学んでいくが、教師らはコッホを危険視していく。
◆感想
■今作でキーになる生徒は二人いる。
一人は、級長で学園を支えているリヒャルト・ハートゥングである。彼は父の威光を笠にして弱きプロレタリアートであるヨストを苛めている。
もう一人は、ヨストである。苛めに会いながらも、コンラート・コッホが導入した”フット・ボール”の授業で、その才能を開花させていくのである。
・今作が物凄く心に響くのは、リヒャルト・ハートゥングが苛めをしつつ、自分が恋心を抱いた女中との関係性である。
ー 彼女は、ハートゥングの父により馘首されるが、それによりリヒャルト・ハートゥングは旧ドイツの身分制に疑問を抱いて行くのである。ー
・小柄なヨストとその母親の存在は、この作品には欠かせない。苛められていたヨストのドリブルテクニックとシュートテクニックは、大袈裟に言えばメッシである。
・そして、コンラート・コッホの自由なる精神性を受け入れた生徒たちが学校外でサッカーを楽しむシーン。
ー サッカーが貧富の差が無いスポーツである事を、示している。実際にブラジルでは貧困そうから成り上がった名選手多数である。-
<今作は、個人的な感想であるが物凄く心に沁みた作品である。
苛められて居たヨストからのセンタリングを苛めていたリヒャルト・ハートゥングがヘッドで決めたシーンなどは涙が溢れました。
今作の様な作品があるからこそ、映画鑑賞は止められないのである。>
■追記
ドイツを舞台にした映画は、矢張りドイツ語で観たいよね。
ダニエル・ブリュールはそういう意味でも貴重な俳優だと思います。
サッカーでも野球でも
ドイツのサッカーの始祖、
コッホ先生の話なので、
様々な国でサッカーの始祖の話で
他にも映画作れそうな気がする。
日本でいうと、Wikipediaに拠れば
1902年に、中村覚之助という人が、
現在の筑波大学で始めた、らしい。
ここにもドラマあったんだろうな。
ちなみに野球に関して言うと、
1871年に伝わったそうで、
1911年には「野球害毒論」
なるものが新聞に掲載されたとの事😱
なんか、今作に通ずるものがありますね。
コッホ先生、どこかで見覚えあったが、
「ラッシュ プライドと友情」の
ニキラウダだったかー❗️
すっかり忘れてた‼️
ドイツサッカーの始まり
1874年、ダニエルブリュール扮するドイツ初の英語教師コンラートコッホがMカタリネウム校に赴任した。コッホ先生はフェアプレー精神を唱えた。
ドイツでも学校で貧乏人に対するイジメや差別があったようだね。教師も酷い教師もいたようだ。サッカーすら知らないドイツ人教師たち。その中でコッホ先生は頑張ったんだね。ドイツサッカーの始まりだ。
我が親友よ 僕の手を取れ
服従と規律が美徳とされていたドイツ帝国。
オックスフォード大への留学を終えた英語教師コンラート・コッホ( ダニエル・ブリュール )が、赴任した学校の生徒達に自由と平等の精神を学ばせようとサッカーを教え始めるが…。
生徒達が語る英国に対する印象と、当時のドイツの様子が興味深い。
感情を抑圧されていた生徒達が、活き活きと目を輝かせ走り出す姿が清々しい。
ー大切なのはフェアプレー精神と仲間を思いやる気持ち
ー髪飾りに光を添えて コッホより
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (吹替版)
イケメン先生
ドイツにサッカーを広めたコッホ先生。美形じゃないですか〜。私がこの学校に息子を通わせてたら、絶対に先生に肩入れする! なんだったら誘惑する!! しかし、とても清らかなコッホ先生、未亡人にもよろめきません。その代わり(?)、クラスの生徒がなかなかのご発展で。
ルールがよくわからなくても、目の前で対決するスポーツがあれば、人はつい夢中になるものなんだね。ボールを作ってその場で販売するとは、ゴールキーパーのキミ、将来は安泰だ!
日テレの深夜放送を長いこと寝かした録画で。
サッカーに関心ありません、が
とても面白かったです。ダニエル・ブリュールにぴったりの役で良い映画でした。イギリスやフランスに追いつき追い越せ、人口構成も若くていけいけドンドンの時代のドイツ。だからこそお試しであれ、パイオニアとしてコッホ先生が北の街の高校に呼ばれたんだろう。当時のドイツの様子がよく伝わってきた。労働者家庭の子どももギムナジウムに行くことができるようになり優秀であれば出世できるようになった変革の時代だ。
でも体操授業はヤーンの体操運動。当時の日本にもああいうのが輸入されたんだな。スポーツでなくて「体育」。日本はいまだに体育。ドイツはその後地域のスポーツクラブが全国にできて今でも素晴らしく機能している。応援してくれる地元の観客も大事。誰も彼も社会人になってからも安価でスポーツを楽しめる国にした力は凄いと思う。
単に新しいスポーツ、サッカーだよ、だけでなくてフェアプレイや合理的で実用的なものの考え方も生徒たちは教わった。外国語だって先生が生き生きと授業すれば生徒も楽しい!がダイレクトに伝わりました。
映画でドイツ人はイギリス人を茶飲み野郎!と言ってた。イギリス人はドイツ人をジャガイモ食い野郎!と言ってたんだろうか。
ダニエル・ブリュールが出る映画は爽やかでいい!どんな映画もダニエル・ブリュール演じる役は知的で爽やか!
泣ける〜〜 熱い信念を誰もが持って新しい事に挑むけど 逆境や批判に...
泣ける〜〜
熱い信念を誰もが持って新しい事に挑むけど
逆境や批判に希望を打ち砕かれることしばしば
でもこういう実話(もちろん脚色されている)を見聞きすると勇気が出るし自分も何かにつけて言い訳せず、
挑戦してみよう!立ち向かってみよう!と奮起させられる
感動出来る良い映画だ
異文化
当時のドイツがイギリスを野蛮国扱いしていることに驚くと同時に、異文化に偏見があるのはどの国でも同じなんですね。その偏見を乗り越えるのは、いつも子供達や若者達。そして、コッホ先生という本物の大人の存在。自分の持っている知識や熱意を惜しみなく次世代に注ぎこめる、そういう人間になろうと思わせてくれた作品です。
仮に彼らの強い気持ちがなかったら、世界中がワールドカップを楽しむこと自体出来なかったかもしれません。そう思うと、差別や偏見がいかに馬鹿げているかが分かります。
コッホ先生
サッカーなどのチームスポーツであるとか、仲間とか、力をあわせるとか、全くの苦手分野であると思っていたのであるが…
感動した…‼︎
月並みな言い方だけれど(笑)
今までの協調性のなさや、周囲へのリスペクトがなかった事を心から反省した…
ドイツの帝国主義の雰囲気と日本の明治時代の雰囲気って似ていたのかな?
イギリスで少しの期間でも教育を受けさせてもらえたことがどれほどありがたいことだったか…
サッカーは人を虜にするんだなあ。
などなど、考えながら見た。
もう後は馬車馬のように周囲に還元してくしかないと決意をあらたにした。
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