籠の中の乙女のレビュー・感想・評価
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健全さの中に狂気を宿らせないために
「ランティモス映画は教育によろしい」という暴論は私の持論なのだが、ランティモスに教育をさせるのはダメなのがよく分かる本作。これは犬に大変失礼だが、犬も手懐けられない父が子どもをしつけようとしたら、軟禁して暴力で支配するしかないだろう。しかも言語における社会通念上のシニフィエとシニフィアンをぐちゃぐちゃにさせるとかヤバすぎる教育だ。
もし外の世界を知らなければ、ホームビデオをハリウッド映画のように喜んだり、飛行機の大きさを手のひらサイズだと思うのだろうか。そしてシールをもらって喜び、プール遊びをすることにいつまでも楽しみを感じれるのだろうか。さらに性行為は?
子どもを犬のようにしつけようと手中には収められない。暴力性は突発的に生じるし、巣立ちしたい本能は備わってしまっている。
ラストの不穏さが末恐ろしいが、健全さの中に狂気を宿らせないために教育的に見直したいと思う。いやむしろ健全さを求めることが狂気なのか。
籠の中の『乙女』ではなく『犬』
ヨルゴス・ランティモス監督が長編3作目で描いた不条理コメディと聞き、公開初日に鑑賞。『哀れなるものたち』のときは、席を埋めているのがほぼ女性客だったのに対し、今回の『籠の中の乙女』はかなり男性客多め。予告編が流れている間、男性客が多い理由は、妙に耽美っぽい邦題とポスターにあるのではないか?と邪推してしまった。(日本版ポスターはご存知の通り「水着姿で目隠しをされた少女が犬のように四つん這いになっている」もの)
ちなみに、この映画の英題は『Dogtooth』。海外版ポスターは「犬歯から血を流してる少女の顔面ドアップ」で、耽美要素はどこにもない。邦題が映画の本質を捉えておらず、大衆受けを狙いずぎて的外れになっているのはよくあることだけれど、今回はなんとなく配給会社の“あざとさ”が垣間見えて気持ち悪い。籠の中に囚われてるのは少女だけではなく、性欲旺盛な少年もちゃんと出てるので、順当に『籠の中の子供たち』とかでもよかったのでは?
映画本編の内容は、ある裕福なギリシャ人夫婦が3人の兄妹たちを家の中から一歩も出さず育てようとするが、部外者を招き入れたことで厳しく管理されていた子供たちの生活が乱れはじめ、歪な形で保たれていた“完璧な家庭像”が一気に崩壊へ向かうというもの。夫婦は共謀して「家の外がどんなに危険か」を教え込み、まるでペットように子どもたちの思考と生活を支配しコントロールしようとする。子どもたちは親の言うことを純粋に信じているが、閉鎖空間で過酷な教育を受けているためか心のどこかが歪んでしまっている。兄妹喧嘩で相手を刺して流血沙汰を起こしたり、親の指示で近親相姦までしてしまう。
鑑賞後に気付いたけれど、この家族はお互いを名前で呼び合っていない。ハンマーを持った猫に膝を殴られた兄は、妹を指差して「彼女がやった」と言っていた。私が覚えている範囲で名前が出てきたのは、兄の性欲処理係として雇われている部下・クリスティーヌと、ドッグトレーナーに預けている飼い犬だけだと思う。そして、その飼い犬は主人であるはずの父親から名前を連呼されてもまったく無反応だった。その一方で、家の子どもたちと母親は「外敵に備えるため」という名目で、父親から四つん這いの恰好で犬の鳴き真似をさせられている。名前のある犬よりも、ご主人様に忠実な名前のない人間たち。なんて怖い映画だろうか。
最後に、猫好きのひとはこの映画を観ないほうがいいかもしれない。私は『イノセンツ』で子どもがサイキック能力を使って猫を殺すシーンが辛すぎて目をつぶったが、今作でも似たようなシーンを直視できなかった。私の脳内にある「猫が惨殺される映画リスト」に本作は登録済み。
まともじゃない設定
予備知識なく映画鑑賞。ランティモスの気味の悪い世界観、わりと好きなので、どんな映像を見せられるのか楽しみで映画館に足を運びました。そして見せつけられたモノ、期待の斜め上を行くものでした。
この若者たちって犬?Hanakoというお笑いトリオの犬のコントは楽しいけど(出てくる犬の設定が日本の家庭で普通に飼われている犬だから可愛いし、分かる~という感じ)、これはどういう犬なんだ。時に狂暴で時に猥褻で、いやいや彼らは犬でなく人間の若者だろ。なんなんだ、このおかしな設定は、この人達は。犬になったり若者になったり、行ったり来たり。残虐な行為や暴力的なシーンも見せられました。そういうのは苦手なので顔を背けましたが。
そして観賞後の僕の精神は何気に開放された感じで、心地よささえ。僕の中の変態が共鳴した感じ?結局、こういうへんてこりんなモノ、世界、観るのは嫌いじゃないです。
えっ?この映画の意味するところ?そんなの、べつにどうでもいいんじゃないですか。観たまんま、感じとるもの、楽しみ方?は人それぞれで。
ランティモスど変態映画!
倫理観・道徳観など全くない作品。
もう変態としか言いようがない、ヨルゴス・ランティモス監督。
家の中から長女・次女・長男を一歩も出さない鬼畜外道父親。母親もある意味同類。
教育もカセットテープをつかい、時折嘘ばっかりな言葉を教えている。
性教育をリアルな女性で。
この女性、クリスティーナ(父親の会社で働いている)が外からいろいろなものを持ち込むことで、
特に長女が家の中での暮らしに疑問を持ち始め、外の世界へ強烈な憧れを抱くようになる。
※この長女と長男の近親相姦はいただけない。こういうのは描いてほしくない。私個人としては。
長女は結局、自分の犬歯を折り(そうすることで外に出られるルールを聞いているため)
父親の車のトランクに隠れ、見事外の世界へ。
父親の会社に着いて映画は終わるが、
私の妄想は、トランクから長女は出てクリスティーナに助けられるんではないかと思った。
結局、こうやって綻んでいくし、完璧なんてない。
しかもそれが正道でなければ尚更。
インパクト大だけど、フェイバリットにはならない作品。
ヨルゴス・ランティモスらしさの一端に触れた気がした。
ど変態映画!!
作品も、作中人物も何がしたい?
◇長閑に見せる統制戯画
箱庭療法という心理療法があります。数種のミニチュア(人形・動物など)を砂箱に並べて、自由に1つの世界を作りあげ、そこから心の深い部分を知る遊戯療法の1つです。縦57cm×横72cm×高さ7㎝の内側が水色の砂箱。言葉では表現しきれない深層心理を砂箱の中の事物の配置から読み解く手法です。
これまで観てきたヨルゴス・ランディモス監督作品の特徴は、前提として超現実的設定という外枠の定義付けがあることです。この物語では家の敷地から出られない母と子供たちという設定の縛り。私には大きな箱庭に配置された家族の物語に感じられました。
この作品でも彼特有のクセ強い作風を一通り体験できます。家族や親子という基本的な人間関係が孕む虚構性や脆弱性、野生動物の交尾を連想させるような即物的セックス描写、命を粗末にするような動物虐待、「痛い!」って声に出して言ってしまいそうになる直線的暴力シーン、そして血🩸。
箱庭の家族たちの物語には、それぞれの自我の細かい描写が戯画化されていて可笑しく、うすら怖くなるような整った映像に誘いこまれていきます。そして、普段は気に掛けない自分自身の自我の存在に気がつかされてしまうのです。まさしくサイコでホラーな閉鎖的世界観の箱庭です。
謎の飼育…きつかった
前日に、「どうすればよかったか」(統合失調症の娘を医療にかからせず家で父母が護ろうとするが結果的に家に軟禁することになるような実録家族ドキュメンタリー)を鑑賞し、かなり心が痛みしんどかったので、今日は大好きなランティモス映画で気分転換…と思いきや…もっと酷かった。
「どうすればよかったか」には愛があったもの。
裕福な人がおこなう不条理な奇行は、貧困の中での悲惨で残虐な話よりキツイと思った。
外の世界の穢れ?を見せないで育てるのに、息子に性的なことはちゃっかりあてがうことの意味が謎だった。
ランティモスの支配的な不条理映画「哀れなるものたち」「ロブスター」「女王陛下のお気に入り」は好きだしリピート鑑賞したくなるのだけど、
この映画と「憐れみの3章」はもう観なくていいかな…て感じかも。
観られてよかったけど好みじゃない。
ヨルゴス・ランティモスの2009年の映画。
ロブスター以前の作品は未見だったので4Kレストア版を2Kで観ました。
ギリシャ語の映画は初なので、ごめんもありがとうも聞き取れない鑑賞でした。
3人の子どもが子どもという年齢に見えず(25-30歳に見える)、
内容から考えると若すぎる役者は使えないよなと思うので、仕方ないけど、
足も胸も毛でもじゃもじゃの息子に、おとなやんかと、びっくりしました。
裕福なおうちらしいけど、裕福さの記号をどこから受け取ってよいかわからず(ベンツ?広い家?)、父親が何でこんなわけわからんことしてるのか意味がわからずでしたが、
憐れみの3章も似たようなもんと言えなくもなく、「らしい」のかなあと。
すごーくざつにあらすじをメモしておくと以下のような感じ。
父は子も妻もよくわからん理屈で支配している。家から出さずに、嘘の言葉の意味を教えたり。
壁の外に、兄弟(男の兄弟?)がいるなぞ設定があり、息子は壁の向こうの兄弟に対抗心を燃やし、長女は兄弟に食べものを投げて与える。
父は息子の性欲処理によそから女を連れてきて、性交させる。
連れてきた女は、娘の一人(どっちが長女で次女かすぐ忘れるけど、多分カーリーヘアーが長女)に、自身の女性器を舐めさせて交換条件で外の世界のものを与える。
父は子らに猫が怖がらせ、犬のように吠えて威嚇する練習とかさせて、もういろいろおかしなことばかり。
次女は長女を舐めることで、性に目覚めたのか父親を舐め始め(父まんざらでもないようすできもい)、
連れてきた女に長女を毒されたので、父親は連れてきた女をぶちのめし、息子に姉妹のどちらと性交したいかを選ばせ(きっも…)、長女がけばい化粧で相手をさせられる。
長女は舐めて得たVHSなどから、外への興味を募らせて(ボクシングの映画?)、「犬歯が生え変わったら外の世界へ行ける」という父の教えをなぞって自分で犬歯を折って(この描写がキツイ)、ベンツのトランクに隠れて脱出を図る。
長女の不在に家族はパニックだけど、トランクにいる長女は見つからず、父親は長女を乗せたベンツで買い物?に行く。
トランクは開かず、長女がどうなったかもわからないまま映画は終わる…
まあ飽きずに見られたけど、どこに面白みを感じたらいいのかなって気分ではある。
ロブスター以降は、だいぶ洗練されてるんだなーと思った。
不快で胸クソ悪い。
やっぱり惹き込まれる
教育大事
ラモンティスは、やっぱり変態だな。
不快感を作品にする変態
ヨルゴス・ランティモス監督といえば、シュールでテンションの低い作風の人と思っていた。それであながち間違いではないだろうが、後発の作品を観るに、テンションの低さは余り関係がないようだ。(本作のテンションは低いが)
ランティモス監督は、普通から少しズレた人を描き、そのズレから派生する普通ではないことを最大限に膨らませる。つまり、行動が極端で気持ち悪いのだ。
私のような普通のつまらない人間に理解ができるギリギリの行動をとらせ、居心地の悪さを生み出す。
それがシュールなコメディでもあり、不快感でもある。
ランティモス監督は、不快感を作品にする変態なのだと分かった。
ではこの作品の話をしよう。
本作は、そんなカテゴリがあるのか分からないが「トゥルーマン・ショー」や「ブリグズビー・ベア」のような閉じ込められた人の物語だといえる。題材自体は珍しいとはいえないわけだ。
それでもどこか、今まで見たことがない感覚に陥るのが、ランティモス監督らしい不快感の創出ということになるだろう。
閉じ込められた人は、どの作品でもどこか幼稚だ。幼稚さから抜け出すのは、好奇心と、それを埋める経験からくる。世界が狭く、必要な経験を得られなければ幼稚なまま体だけ大きくなるというわけだ。
この幼稚さもランティモス監督は最大化する。価値が分からないからお札と硬貨を交換する子どものような行動を成人した体で行う姿は、理解、憐れ、笑い、複雑で様々な感覚を与えてくる。
しかも、その根源となる「お父さんが仕向けていること」の理由が説明されないことにも気持ち悪さがある。
軟禁しているまでは、理由を推測できなくもない。しかし、軟禁以外の強いていることになると途端に理解不能になる。
このわけの分からなさもまたランティモス監督が生む不快感の正体だろう。
つまりランティモス監督は、なんか適当に作品作ってそうに見えても巧妙に仕組んでいるのだろうなと分かるわけだ。
その仕掛け自体を理解できるかどうかはまた別の問題になるわけだが。
いついつ出やる。
わたし的には残念
息子娘を監禁洗脳系、ワクワクしてみたけど思ったよりうーん、クリスティーナは何で舐めさせた?どっかので性欲が満たされなくてーみたいなみたけど、それのために娘に舐めさせる???それで満たされる??女好きだったのかな、無表情で分からぬ。
洗脳されてるのにそれは知ってるんだみたいなのも多いしラストも謎でんーーーーー。映画って最後余韻残すの好きだけどこんだけ何もなくて外に出たなら何かあって欲しいよね、
全て自分で管理して支配したい人=男
「ロッキー」と「ジョーズ」と歌 "Fly me to the moon"(父親による正しくない訳詩つき)にこの映画の中で出会えてほっとした程、親子間も夫婦間もきょうだい間も変てこな家庭の話だった。母親がカセットテープを通して子ども達に教える語彙レッスンが不思議。対象となる語は、新しいもの、家にいては見えなくて出会えない事物に限られている、海とかゾンビとか高速道路とか。家では普通に話していたし基本語彙は正しく学習している。飛行機が今の東京都内みたいに頻繁に上空を飛んでいる。飛行機の音も聞こえるし機体も庭から見えるし、飛行機オモチャを塀の外に投げる遊びもしてるから、飛行機は飛行機として知っている。
もう大人の体なのに長男も長女も次女も子どもみたい。次女が一番まともでしっかりしていて長男が一番幼くて変。長男の部屋の壁は真っ白で絵もポスターも貼ってない。その代わりベッドのヘッドボードにベタベタ貼られた小さいシールとそれを指差しして確認する長男が不気味。ご褒美に父親から貰うんだけどこんなのをセックスする年齢の男が喜ぶなんて!
外の人間は外の世界を持ち込んで来るからと、クリスティーナはクビ、息子には今度はあまり若くない女性を、と言いつつ、外部からはダメだと言ってたから、結局二人の娘のどちらかを息子に選ばせることにした父親。バスルームにいたあの二人は長男の妹達に見えましたが間違っている?選ばれたのは長女で母親が彼女の化粧と髪をとかす手伝いしてたように思った。
両親の結婚記念日で踊る姉妹。妹は早々に疲れて退場するが姉は一人で最後まで踊りきる!暗黒舞踏か体ぐにゃぐにゃ体操か凄くシュールで兄のギターのメロディーと無関係。このてんでばらばら感は笑えた。
「ロッキー」見たから鉄アレイも平気な長女、血だらけになりながら犬歯を無事取ったがその後が問題!パパに依存していてはだめだよ。パパが言ってた「家から出るには車が必要」に縛られていた。家から出るというのは本当に自分一人で誰の力も助けも借りずに自分の足で出ることなんだよ、と言ってあげたかった。
父親は大きな工場の社長っぽいが何か危ないヤバい物を作ってるんではないか?と思った。その意味ではピュー主演の映画「ドント・ウォーリー・ダーリン」を思いだした。家にいる主婦の妻達はなあんにも知らされず籠の鳥状態。他人依存症と血だらけシーンに関してはギリシャの映画「PITY ある不幸な男」を思い出した。調べたらなんと!「PITY」もこの映画も「ロブスター」も「聖なる鹿・・・」も脚本を手がけているのはエフティミス・フィリップ!ランティモス監督も変だけど脚本家フィリップも相当変わってる!ギリシャの映画、面白い!
はあ
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