籠の中の乙女のレビュー・感想・評価
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健全さの中に狂気を宿らせないために
「ランティモス映画は教育によろしい」という暴論は私の持論なのだが、ランティモスに教育をさせるのはダメなのがよく分かる本作。これは犬に大変失礼だが、犬も手懐けられない父が子どもをしつけようとしたら、軟禁して暴力で支配するしかないだろう。しかも言語における社会通念上のシニフィエとシニフィアンをぐちゃぐちゃにさせるとかヤバすぎる教育だ。
もし外の世界を知らなければ、ホームビデオをハリウッド映画のように喜んだり、飛行機の大きさを手のひらサイズだと思うのだろうか。そしてシールをもらって喜び、プール遊びをすることにいつまでも楽しみを感じれるのだろうか。さらに性行為は?
子どもを犬のようにしつけようと手中には収められない。暴力性は突発的に生じるし、巣立ちしたい本能は備わってしまっている。
ラストの不穏さが末恐ろしいが、健全さの中に狂気を宿らせないために教育的に見直したいと思う。いやむしろ健全さを求めることが狂気なのか。
観られてよかったけど好みじゃない。
ヨルゴス・ランティモスの2009年の映画。
ロブスター以前の作品は未見だったので4Kレストア版を2Kで観ました。
ギリシャ語の映画は初なので、ごめんもありがとうも聞き取れない鑑賞でした。
3人の子どもが子どもという年齢に見えず(25-30歳に見える)、
内容から考えると若すぎる役者は使えないよなと思うので、仕方ないけど、
足も胸も毛でもじゃもじゃの息子に、おとなやんかと、びっくりしました。
裕福なおうちらしいけど、裕福さの記号をどこから受け取ってよいかわからず(ベンツ?広い家?)、父親が何でこんなわけわからんことしてるのか意味がわからずでしたが、
憐れみの3章も似たようなもんと言えなくもなく、「らしい」のかなあと。
すごーくざつにあらすじをメモしておくと以下のような感じ。
父は子も妻もよくわからん理屈で支配している。家から出さずに、嘘の言葉の意味を教えたり。
壁の外に、兄弟(男の兄弟?)がいるなぞ設定があり、息子は壁の向こうの兄弟に対抗心を燃やし、長女は兄弟に食べものを投げて与える。
父は息子の性欲処理によそから女を連れてきて、性交させる。
連れてきた女は、娘の一人(どっちが長女で次女かすぐ忘れるけど、多分カーリーヘアーが長女)に、自身の女性器を舐めさせて交換条件で外の世界のものを与える。
父は子らに猫が怖がらせ、犬のように吠えて威嚇する練習とかさせて、もういろいろおかしなことばかり。
次女は長女を舐めることで、性に目覚めたのか父親を舐め始め(父まんざらでもないようすできもい)、
連れてきた女に長女を毒されたので、父親は連れてきた女をぶちのめし、息子に姉妹のどちらと性交したいかを選ばせ(きっも…)、長女がけばい化粧で相手をさせられる。
長女は舐めて得たVHSなどから、外への興味を募らせて(ボクシングの映画?)、「犬歯が生え変わったら外の世界へ行ける」という父の教えをなぞって自分で犬歯を折って(この描写がキツイ)、ベンツのトランクに隠れて脱出を図る。
長女の不在に家族はパニックだけど、トランクにいる長女は見つからず、父親は長女を乗せたベンツで買い物?に行く。
トランクは開かず、長女がどうなったかもわからないまま映画は終わる…
まあ飽きずに見られたけど、どこに面白みを感じたらいいのかなって気分ではある。
ロブスター以降は、だいぶ洗練されてるんだなーと思った。
不快で胸クソ悪い。
やっぱり惹き込まれる
教育大事
ラモンティスは、やっぱり変態だな。
不快感を作品にする変態
ヨルゴス・ランティモス監督といえば、シュールでテンションの低い作風の人と思っていた。それであながち間違いではないだろうが、後発の作品を観るに、テンションの低さは余り関係がないようだ。(本作のテンションは低いが)
ランティモス監督は、普通から少しズレた人を描き、そのズレから派生する普通ではないことを最大限に膨らませる。つまり、行動が極端で気持ち悪いのだ。
私のような普通のつまらない人間に理解ができるギリギリの行動をとらせ、居心地の悪さを生み出す。
それがシュールなコメディでもあり、不快感でもある。
ランティモス監督は、不快感を作品にする変態なのだと分かった。
ではこの作品の話をしよう。
本作は、そんなカテゴリがあるのか分からないが「トゥルーマン・ショー」や「ブリグズビー・ベア」のような閉じ込められた人の物語だといえる。題材自体は珍しいとはいえないわけだ。
それでもどこか、今まで見たことがない感覚に陥るのが、ランティモス監督らしい不快感の創出ということになるだろう。
閉じ込められた人は、どの作品でもどこか幼稚だ。幼稚さから抜け出すのは、好奇心と、それを埋める経験からくる。世界が狭く、必要な経験を得られなければ幼稚なまま体だけ大きくなるというわけだ。
この幼稚さもランティモス監督は最大化する。価値が分からないからお札と硬貨を交換する子どものような行動を成人した体で行う姿は、理解、憐れ、笑い、複雑で様々な感覚を与えてくる。
しかも、その根源となる「お父さんが仕向けていること」の理由が説明されないことにも気持ち悪さがある。
軟禁しているまでは、理由を推測できなくもない。しかし、軟禁以外の強いていることになると途端に理解不能になる。
このわけの分からなさもまたランティモス監督が生む不快感の正体だろう。
つまりランティモス監督は、なんか適当に作品作ってそうに見えても巧妙に仕組んでいるのだろうなと分かるわけだ。
その仕掛け自体を理解できるかどうかはまた別の問題になるわけだが。
いついつ出やる。
わたし的には残念
息子娘を監禁洗脳系、ワクワクしてみたけど思ったよりうーん、クリスティーナは何で舐めさせた?どっかので性欲が満たされなくてーみたいなみたけど、それのために娘に舐めさせる???それで満たされる??女好きだったのかな、無表情で分からぬ。
洗脳されてるのにそれは知ってるんだみたいなのも多いしラストも謎でんーーーーー。映画って最後余韻残すの好きだけどこんだけ何もなくて外に出たなら何かあって欲しいよね、
全て自分で管理して支配したい人=男
「ロッキー」と「ジョーズ」と歌 "Fly me to the moon"(父親による正しくない訳詩つき)にこの映画の中で出会えてほっとした程、親子間も夫婦間もきょうだい間も変てこな家庭の話だった。母親がカセットテープを通して子ども達に教える語彙レッスンが不思議。対象となる語は、新しいもの、家にいては見えなくて出会えない事物に限られている、海とかゾンビとか高速道路とか。家では普通に話していたし基本語彙は正しく学習している。飛行機が今の東京都内みたいに頻繁に上空を飛んでいる。飛行機の音も聞こえるし機体も庭から見えるし、飛行機オモチャを塀の外に投げる遊びもしてるから、飛行機は飛行機として知っている。
もう大人の体なのに長男も長女も次女も子どもみたい。次女が一番まともでしっかりしていて長男が一番幼くて変。長男の部屋の壁は真っ白で絵もポスターも貼ってない。その代わりベッドのヘッドボードにベタベタ貼られた小さいシールとそれを指差しして確認する長男が不気味。ご褒美に父親から貰うんだけどこんなのをセックスする年齢の男が喜ぶなんて!
外の人間は外の世界を持ち込んで来るからと、クリスティーナはクビ、息子には今度はあまり若くない女性を、と言いつつ、外部からはダメだと言ってたから、結局二人の娘のどちらかを息子に選ばせることにした父親。バスルームにいたあの二人は長男の妹達に見えましたが間違っている?選ばれたのは長女で母親が彼女の化粧と髪をとかす手伝いしてたように思った。
両親の結婚記念日で踊る姉妹。妹は早々に疲れて退場するが姉は一人で最後まで踊りきる!暗黒舞踏か体ぐにゃぐにゃ体操か凄くシュールで兄のギターのメロディーと無関係。このてんでばらばら感は笑えた。
「ロッキー」見たから鉄アレイも平気な長女、血だらけになりながら犬歯を無事取ったがその後が問題!パパに依存していてはだめだよ。パパが言ってた「家から出るには車が必要」に縛られていた。家から出るというのは本当に自分一人で誰の力も助けも借りずに自分の足で出ることなんだよ、と言ってあげたかった。
父親は大きな工場の社長っぽいが何か危ないヤバい物を作ってるんではないか?と思った。その意味ではピュー主演の映画「ドント・ウォーリー・ダーリン」を思いだした。家にいる主婦の妻達はなあんにも知らされず籠の鳥状態。他人依存症と血だらけシーンに関してはギリシャの映画「PITY ある不幸な男」を思い出した。調べたらなんと!「PITY」もこの映画も「ロブスター」も「聖なる鹿・・・」も脚本を手がけているのはエフティミス・フィリップ!ランティモス監督も変だけど脚本家フィリップも相当変わってる!ギリシャの映画、面白い!
はあ
没
好きか嫌いかと聞かれたら
喰い気味に嫌いと答えるな、きっと。
世間から隔絶されて育った長男、長女、次女の三人の子供とその両親の物語。子供と言ってもそこそこいい年齢で、長男は20代前後まで成長している。
意味が分からないように、言葉と意味をリンクさせずにでたらめな言葉の意味を教える両親。テレビやラジオはもちろん、本さえも与えず極端に情報が限られた世界の中で暮らしている子供たちには親から与えられる情報が全て。それ以外の情報ソースを持たないため盲目的に信じるしかない。
しかし、長男ももういい歳に成長してきて性欲を持て余しつつあることを懸念して、父親の会社の女性クリスティーヌを性欲処理にあてがう。すると、家族以外で子供たちが唯一接することのできるクリスティーヌから漏れてくる情報が、子供たちが盲目的に信じていた今の世界に影響を与え始める。
この映画はあれだね、考えるな!感じろ、的な、ブルース・リーの名言を地でいく感じの映画やね。全部が不穏、全部が狂ってる。でも、その世界に滑稽さとか淫靡さとかが感じられず、また絵面もなんとも地味で娘二人は絶妙な感じで可愛いと綺麗の間を取って十で割ったぐらいのお顔立ちだし、息子も全く不細工ではないけど、華のなさったら。
映画の序盤からもうボカシの連発で、クリスティーヌがお兄ちゃんの部屋に入るや否やボカシスタート、更にデカくなるボカシ。しまいにはオヤジ脱いでボカシ(いらんわい!)かあちゃん脱いでボカシ(ぐぬぬ~)と映画の30%はどこかしら誰かしら裸。でも許しがたいのは、全く、まーーーったくエロさが無い。こんなにやらしーって思わない裸あるんかな、と思うぐらい。
もう、タブーってなんですか?って展開も色々ありでしんどい上に背景も設定も何もかも全て感じろ、というスタンス。オチはもちろん言えないけど私的には無しですね。
じゃあ今までのは何だったのか、この映画をずっと観ていたのはなんだったのか、そこを放棄されるとじゃあこの映画って何なのよ、と小一時間問い詰めたくなる。
なんじゃこりゃは数々あったけど、時間返してって言いたくなるタイプの映画を観たのは久しぶり。
塀の内で飼われる犬…籠の中の家族?
外の世界を知らない子供たち兄妹と妻
家のなかで遊び外は走りまわり
大きなプールで遊ぶ
時々、空を見上げる
そこに飛行機が飛んでいる
印象的なシーン
兄妹でおもちゃの
飛行機を取り合う場面も
これは
空は…広い世界
飛行機は…自由の象徴かと
中盤で犬の調教する場面が出でくる
…犬の躾?
ここでなぜ。と思ったが
ラストで意味がわかった
犬はご主人様の命令には忠実に
…敬い従う
目隠しして遊ぶシーンがあるが
政治の都合の悪いところは
隠しているということ?
人を犬に例えている
政治批判映画のように感じる
力のある者が支配する
・・世界
怖い世界です
猫は本来自由な生き物なので
ここでは邪悪なものとしている。
…ところで
長女はどうなったのだろう
犬歯が生え替わったら家から
出ていいと言われて無理やり抜いて
家を出たけど。
彼女は助かるのだろうか
・・心配
ク◯ジジイの妄想的地雷映画。
同じ歯が抜けるお話でも『ヘビートゥース』の方が遥かに理解できる。
『DOCTOOTH』と言うなら、生殖行為もアニマルスタイルにすべきだったと思う。
犬は近親相◯はしない。猫はあるからあ~言った場面があったのか?旧国営放送では放送出来ないね。
内側からトランクは開かないと思うが。
シュールと言うよりも出鱈目。
台本が壊れているし、ト書きにはなんて書いてあるのか見てみたい。演じた役者は理解して演技しているのか?
生殖行為や子供の養育が全て男目線なお話で、第2成長期の青少年少女の何も分かっていない。早い話が『月経』を全く描いていない。
つまり、ク◯ジジイの妄想的地雷映画。
スーパーシュール。毒親家庭
いやいやいや、気持ち悪いが褒め言葉になりそうな映画だな。この監督日常の広げちゃいけないほつれと言うか、見るべきでない嫌悪感の穴に焦点を当てる天才なのでは。
全体の感情が抑えられてる事で見る側の内面にある感情を見ざるをえなくなるというか、味気ない無機質な絵に自分の中にある生の感情がソースになって乗ってしまい、嫌〜な味わいのパンを食べてるみたいな気持ちになりますね。
他人の家にある自分と相入れないルールや独特の常識みたいなものを見た瞬間のえっそんな感じなんだをよくもこんなに広げに広げたなみたいな。ヘンテコすぎる!このヘンテコさはコメディ枠におさめるしかないのかな。
世の中でいう汚れやタブーを無いものとして頭っから持ち込まないで作った世界ってこちら側から覗いたらタブーしかない。出だしが単語の意味を曲げて教育しているシーンなのからして通常の価値観で動いていない空気感全開で始まり、自分の当たり前との齟齬から妙な居心地の悪さが付き纏う。この家の両親基準で選別した混ぜ物のない世界が完成しているが、装わないピュアってとても生々しい。
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