新しき土のレビュー・感想・評価
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原題(『侍の娘』)の方が合っている。
クレジットに最初に出るのは原さん。映画の解説も主役は原さんとなっている。
話は、原さんが演じる光子の許嫁である輝雄を狂言回しとして進むが、
鑑賞後に思い出すのは原さん。とてもかわいらしく、美しく魅力的に映っている。
ドイツに
留学して欧州かぶれになり大志を抱いた輝雄が、留学前に決まっていた婿養子に収まることを拒否して、どうなるのかという筋。
婚約を破棄されたことで光子が活火山の火口に身投げしようとするのを、改心した輝雄が追いかけるのだが…。
と、筋立ては簡単なれど、なぜ自死するのに、自刃でなく、火口に向かうのかというぶっとびな展開もある(火山と共に暮らす民からの発想か?)。
第二次大戦前夜。
ナチス・ドイツの思惑、満州への進出をもくろむ日本政府の意図により、制作された映画。だから、人情の機微を見せると言うより、日本紹介の要素が強く、台詞にもその意図が組み込まれ、そこが鼻について評価を下げてしまう。
脚本はファンク監督と伊丹万作監督によるとクレジットされているが、大筋をファンク監督が考えたのか?
今回鑑賞したのはファンク監督版。
ナチス・ドイツでは蔑視の対象となる有色人種である日本人と日本を、”すばらしい国”で、同盟を結ぶに値するという風にまとめ上げられている。
台詞は最小限。
映像で魅せる。
光子の家の庭に、宮島があったり、鹿が歩き回っていたり、岩肌に波しぶきが打ち付けるような海岸があったり、寺かと思うほどの回廊があったり、
横浜に船が入るという設定なのだが、松島のような海を回っているとか、
東京で落ち合っているはずのなのに、阪神電車の電飾が輝いているとか、鎌倉の大仏詣でとか、
日本をある程度知っている脳にはバグる。
でも、そういう整合性を無視すれば、
ファンク監督が、日本で魅かれた映像を寄せ集めたかと思うほど。
富士山をいろいろなシチュエーションで見せる等、様々な観光地。
都踊り?相撲、能、葵祭?、居酒屋、ホテル、和食、雛人形・御所人形、囲炉裏端…。
寺の映像に”神道”との説明はご愛敬。
だけでなく、千枚田、牛にひかせる鍬。
ひたすら打ち付ける波、様々な桜、花。
亀・鶴・鹿・蛙、鯉…。餌のあげ方もドイツ流?
光子の花嫁修業の紹介として、裁縫、茶道・華道、琴、なぎなた、弓。勿論、西洋的なバレエ、水泳、飛び込み、ドイツ語、ピアノ…。
演出は、つい最近までサイレント映画だった影響なのか、大仰なものも目立つ。ドイツ好みか?
輝雄が帰ってくることを知った光子の浮かれよう。コケて、受けこみに突っ伏すまでもご愛敬。
輝雄が帰ってくることを知った妹の浮かれよう。歌いだすのではないかと思ってしまった。妹のシーンはもう一つミュージカルのようなシーンもあるが、演じられた市川さんのための演出家?
それよりも、ぶっとび演出。
山登りシーンはどうやって撮影したのだろう。スタント? セット? 編集技で火口にいるように見せたのか?
けれど、原さんも、小杉さんも、ある程度の山登りはしている…。
振袖で山登り!!!
靴下で、活火山を登る!!!
役者にしろ、スタントマンにしろ、監督が望めばやってしまうものなのか?
ここのシーンには、円谷英二さんが関わっていると聞く。
噴火・地震で倒壊する家。後年の『ゴジラ』を思い出してしまう。
光子を追いかけて車を飛ばす輝雄。
湖に映えている木々。そこを泳いでいく輝雄。
活火山の山肌。ちらちらと地面の下には赤く燃え上がるものが。立ち込め、吹き上がる水蒸気。そこを必死に靴下で登る輝雄。
そんな輝雄に気が付かず、ひたすら振り袖姿、しかも手には婚礼衣装で、登る光子。
太陽をバックにしたシルエットは、仏の如く神々しく。
鬼・仏の幻影。
そして、地震、噴火。
『ゴジラ』や『ウルトラQ』などを彷彿としてしまう。
これを見たゲッベルスは日記で「日本の生活や考え方を知るのに良い」と評価する一方で、「我慢できないほど長い」と不満を述べている(by Wiki)。
確かに。
2020東京オリンピックの時に流れたような、日本紹介シーンが続く。
山登りシーンも長い。
だが、ここに移っているのは戦前・昭和11年あたりの日本。アーカイブ映像として興味深い。あのホテルはどこだろうとか、あのお相撲さんは誰なのかとか、トラクターって、この時代にもうあったのかという発見も。
そして山登りシーンは上記のように、円谷さんの仕事に見入ってしまう。
かつ、冒頭にも記したが、原さんの美しさ。一見の価値あり。
雪州さんにも気分は爆上がり。
ハリウッドで一時代を築いた役者が、ナチス・ドイツが作る映画に出ていて良いのかという疑問はさておき、そんなことを払しょくするくらいに世界的な役者であったのであろう。
ひとり親だからと、光子に寄り添って教育する姿。完璧。弓のシーンなど、雪州さんの堂々とした姿の後ろで、見よう見まねで弓ひく原さん。その姿がまたかわいらしく、微笑ましい。
独特の日本語の言い回し。舞台役者のようだ。父としてという雰囲気と、口説かれているような言い回しの間がなまめかしくも、包容力も感じられ、不思議な魅力に陥る。
輝雄の母の常盤さんは、地方の農作を営む妻のいで立ちでありながらも、どこか品が良く。それでいて、とても自然で。すごい役者だ。もっと見たかった。
輝雄を演じられた小杉さんは、髪の毛を書き上げる姿が、ちょっと鼻につくが、どことなく憎めない。芝居がかった演技と自然な演技とのバランスが絶妙。
と気分がのってくるのだか、ラストは兵隊のアップで終わる。戦争を前提にしたドイツへのメッセージ。
ここでいきなり、この映画の意図に引き戻されて、評価が一気に下がる。
現在の日本人とは違う視点からなので面白い
1.日独合作で撮影したので、地理的におかしいのが面白い
①12分=光子の自宅(富士山の麓)の裏が、広島県の厳島神社
②18分=輝夫とゲルダが夜の東京観光で、阪神電車の駅、他
2.ドイツ人の視点での撮影の為だと思うが、日本の景色・風習・文化の映像が多数
①20分=光子の回想で、体操、料理、水泳、弓道、裁縫、茶道、箏、剣道、
薙刀、華道、ピアノ、等
②42分=大相撲+横綱の土俵入り、芸者、歌舞伎、等
③64分=ゲルダの箸使いが面白い
④101分=棚田での田植え、田んぼの代かき、その他の農作業、等
3.1937年と初期の映画なので、特撮みたいな映像
①80~97分=光子が着物姿で噴煙の岩山を登山 → 無理筋
②同上=輝夫も光子を追いかけて、洋服姿で泳いで池を渡ったり、
靴下姿で、噴煙の岩山を登山 → 無理筋
4.ドイツ人に対する日本の紹介、及び、観光映像の要素が2~3割ある感じ
①地震・火山・海岸・桜・祭り・神社仏閣の説明みたいな映像
②日本の家族制度に対する考え方の紹介、等
③政府広報の民間版みたいな要素
5.映画を観て、これは無理筋だなと思う所が多々あって面白い
①原節子(1920.6.17生)16歳時の撮影 → 若い
②感動等は無いが、1937年頃の映像が沢山観れて良かった
6.数分の短い映像は別として、自分が観た国内映画では1番古い映画でした
なお、外国版を含めると、チャップリン作品集:1914年製が
自分が観た映画では、1番古い映画です
7.この映画は、視点が違うのが面白くて良かったです
イメージの流布について
洋行帰りの日本の若者が、紆余曲折を経て、養家の娘と結婚して満州の農業振興に身を捧げる姿を描く。
その言説は、「せっかく手つかずの広大な土地があるのだから、優秀な日本人がかの地の農業を振興して、人口食糧問題を解決しよう。」というもの。
明るく、前向きな発想として表現されているこのフィルムを、当時の人々がどのように受け止めたのかは、容易に想像することができる。日本のためばかりか、匪賊の襲撃を恐れながら細々と暮らす満蒙の人々のためにもなると、当時の日本人が本気で考えていたとしても不思議ではない。そのようなことを思わせるラストシーンであった。
原節子の日本人離れした美貌は、確かにドイツ人監督の心を掴んだであろう。前年に出演した「河内山宗俊」のフィルムがかろうじて残っているが、保存状態が良くないため彼女の容姿をはっきりと観ることができない。この「新しき土」はBDでの上映だったが、おかげで原の姿をくっきりと確認することができた。
後年の小津安二郎の作品に出ている原節子の姿をして、我々観客は彼女を「日本的美しさ」を体現した女優であるかのように評するきらいがある。
だがしかし、当時の日本人女性としてはグラマラスな体型も含めて、その女性らしさは日本のものとはかけ離れたものである。
当時の観客が、満蒙開拓に平和で健康的な夢を抱いたのと同様、我々もまた、原節子という女優のイメージについて、「日本的」なる称号を勝手に与えているのだ。
ついでに言えば、戦後の小津の作品群に描かれる家族に「日本的」なイメージを付与しているのもまた戦後の観客なのだ。洋服を着て帽子をかぶり、電車に乗って会社に行く人々は昭和30年代でもごく一部の都会のエリート層であり、この時代の人口の大半は地方で農業に従事し、電気やガスのない家屋での生活がまだ一般的であった。
ごく限られた者の持つ特殊な属性が、あたかもある社会の一般的な姿、ある社会に広く認められる特徴であるかのように語られることが、たびたび起きていることなのだということを、この映画によってしっかりと確認することができた。
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