カエル少年失踪殺人事件のレビュー・感想・評価
全4件を表示
神隠しにあった少年5人の話
最初のテロップ通り、実話に元に製作された映画。
1991年、韓国の大邱(テグ)で小学生5人の少年が「カエルを捕りに行く」と言い残したまま、行方不明となった「カエル少年事件」がベースに作られているのですが、警察や軍が動員して、大がかりな捜索が行われたものの、手かがりがつかめず、時効を向かえてしまい、時効後も犯人は不明のままという、本当に気の毒な事件です。
未解決事件の実話をベースというと、どうしてもポン・ジュノ監督『殺人の追憶』が思い出されますが、それと比較されるのは、ちょっと厳しいです。しかし、『殺人の追憶』では、残忍極まる、連続殺人事件の殺人鬼が警察の捜索の中、辺りを闊歩している(というのもヘンですが)というスリリングな状況と隣り合わせだったけれど、このカエル少年事件においては、小学生が失踪し、捜索活動をしたものの、何も手がかりのないまま時効を向かえるという、手の尽くしようもない遺憾さだけが残るという性質があるので、映画にするのは難しかったと想像します。スクープ狙いの高視聴率だけを目指すTVディレクター、心理学一辺倒で進む、思い込みの激しい大学教授など、フィクションとしてドラマ性を盛り込んだ感じがありますが、それも致し方ないと思いました。
実際、序盤は多少、どんな展開になるのか見えず、置いてけぼりになりそうになったけれど、TVディレクターのカン・ジスンと教授ファン・ウヒョクが何の証拠のないまま、被害者遺族宅をガサ入れ捜査をはじめてから話は展開していき、大学教授の思い込み判断に、うっかり騙されそうにもなりました。(汗)
後半、牛解体業の男が犯人であるような展開がありますが、あれはちょっと、浮いた感じが否めませんが。
結果、見てよかったなあと思いました。映画の終盤、これは被害者の遺族のための映画だなと思ったら、やはり、最後、テロップで「本事件の被害者にこの映画を捧げます」とありました。世の中を騒がせた迷宮入り事件もいつかは年月とともに風化してしまいます。いつまでも、韓国の(全世界の)人々の心に事件のことが刻まれるという大きな役目を果たしたのかもしれません。
最後、ウォンギルの母親がウソをついていたことを自白します。「警察に捜索を続けてもらいたかったから、電話の声が息子だったと言った」と。この気持ちはわかります。あの立場だったら、同じようなことを考えると思います。母親役の女優さん、韓ドラにもよく出ておりますが、本当、いい芝居をされます。
余談ですが、実際、少年たちはカエルを捕獲しに行ったのではなく、サンショウウオの卵を捕りに行ったらしいです。誤伝だそうです。
当然ながら重苦しい内容ですが、なかなかいい映画でした。
-------- -------- -------- -------- --------
<備忘録〜韓国3大未解決事件>
1.「華城(ファソン)連続殺人事件」
1986年〜1991年にかけて華城にて10人の女性が殺害される
→映画『殺人の追憶』(2003年)
2.「イ・ヒョンホくん誘拐事件」
1991年、イ・ヒョンホくんが誘拐される。約60回にわたって誘拐犯とのやりとりが続いたのにもかかわらず、ヒョンホくんは遺体となって発見される。
→映画『あいつの声』(2007年)
3.「カエル少年事件」
事件発生から11年が経過した2002年、失踪した小学生5人の白骨死体が見つかる。未解決のまま2007年、時効となる。
→映画『カエル少年失踪殺人事件』(2011年)
.
自宅にて鑑賞。韓国産、原題"아이들...(「子供達...」の意・英題"Children...")"、'91年3月26日統一地方選挙日に大邱近郊の臥竜山付近で発生した事件(オープニングで実話ベースとのテロップ有)に基づく。ホームズ役“ファン・ウヒョク”の(立振る舞いが知人ソックリな)R.スンリョンがミスリードを誘う辺り迄がピークで狂言回しのワトソン役“カン・ジスン”のP.ヨンウが真相に迫り出す中盤頃から急激に失速する。物語的に作り手としての解釈が必要だったのかもしれないが、一気に興醒めした。70/100点。
・凝ったカメラワークや構図、目立った編集処理等が殆ど無いオーソドックスで素っ気ないドキュメンタリーの様な画面。その飾り気の無い映像故、伝わるものもあり、本作ではその効果が遺憾なく発揮されている。
・韓国の地方都市の外れ、彩度を抑えた陰鬱な濁った色調に重厚で暗然たるBGMと出だしはこの上無く佳かった。屠殺場で追い詰められた“キム・ジュファン”のP.ビョンウンが怒り乍らも嗤う表情が素晴らしかったが、このキャラクターが登場してからがそれ迄の展開を打ち消し、全体を台無しにした感がある。この中盤以降も同じトーンで描いていたなら、間違いなく名画の一作になりえたと思われる。
・鍵として、R.スンリョン演じる“ファン・ウヒョク”教授がL.フェスティンガーが提唱した認知的不協和理論を説くシーケンスは、この物語の解釈に役立つ布石の一つである。これを受け、K.ヨジンの“キム・ジョンホの母”が告白する嘘は、いかにも韓流らしいエピソード乍ら、だれがちだった流れに一石を投じ、ピリッと締めた。更に加えて、親子愛の二段構えとして、散々疑惑を掛けられた“キム・ジョンホの父”であるS.ジルが五人の子供達と再開するラストシーンは、ベタではあるものの涙腺を刺激する。
・'86~'91年に華城市近辺の小さな村で発生した犠牲者10名と云われる連続強かん殺人事件“華城連続殺人事件(『殺人の追憶('03)』)”、'91年にソウル特別市江南区で起こった9歳の少年の誘拐事件“イ・ヒョンホ誘拐殺人事件(『あいつの声('07)』、『殺人の疑惑('13)』)”、そして本作の“カエル少年事件”の三件を指して、俗に“韓国三大未解決事件”と称されている。三件とも当時の韓国の法律で、発生から15年となる'06年に時効が成立しており、仮に真犯人が名乗り出ても法的処罰は受けない。
・我国で'12年3月24日に公開された際には、一部の劇場でタイトルにちなみ、蛙のグッズを持参すると千円で鑑賞出来た“カエル割引キャンペーン”が実施された。
・鑑賞日:2017年9月9日(土)
事件は風化してはいけない
韓国三大未解決事件の一つ、“カエル少年事件”の映画化。
年代も作風も傑作「殺人の追憶」を彷彿させるので、「殺人の追憶」が好きな方は必見。
この事件について全く知らなかったので、まず見る前に、事件についてちょっと調べてみた。
1991年、「カエルを取りに行く」と告げて5人の小学生男子が行方不明に。必死の捜索でも見つからず、事件の関心が薄れ始めた2002年、失踪した5人と思われる白骨死体が発見される。検視の結果、他殺の疑いが。しかし、容疑者の特定も出来ぬまま、2006年に時効となった…。
映画もほぼ史実通りに進む。
またこの事件には、失踪した少年の親が容疑者としてあらぬ疑いがかかったり、白骨死体発見時に警察は自然死として報告したりと汚点もついて回り、それらも包み隠さず描かれ、モヤモヤとした気持ちをも感じる。
脚色されているであろう部分もある。事件について調べ始めるTVプロデューサーのカンと大学教授のファンがそれだ。
ファンはガリレオばりの(?)推理で一人の容疑者を浮かび上がらせるのだが、それが失踪した少年の親、即ち冤罪であった。
結局二人共、自分の名声を上げる為にしか事件に向き合っていなかったのだ。
無論、その後の二人の立場は言うまでもないが、心痛察したいのは、疑われた親。あらぬ嫌疑と事件への名残を背負いつつ、急逝してしまうのだから。
白骨死体が発見され、カンは再び事件に関わる事になるが、ファンはまだ性懲りもなく実親犯人説を唱えており、カンもさすがに怒りが爆発する。
今度こそ事件に真っ正面から向かい合った時、一人の容疑者が浮上する。
その容疑者もカンの娘に接近するなど挑発し、そして遂に対峙する…。
実際は有力容疑者も浮上しなかったので、クライマックスの下りは脚色である事は一目瞭然。少々、蛇足には感じた。
未解決事件故、オチは分かり切っているが、ラストは被害者家族の悲しい思いが明かされ、胸に迫るものがある。
何年経っても、どんな些細な事であっても、例えそれが嘘であっても、被害者家族は事件を風化させたくないのだ。
脚色部分を蛇足と見るか、映画的味付けと見るかで評価も分かれ、「殺人の追憶」ほど手放しで絶賛という訳ではないが、見応えは充分。
韓国サスペンスに外れナシ!
全4件を表示