「暑さも喉元を過ぎれば忘れ去るのは人の世の常、しかし当事者には永遠の出来事」希望の国 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
暑さも喉元を過ぎれば忘れ去るのは人の世の常、しかし当事者には永遠の出来事
「ヒミズ」では、園子温監督はDVを親から受け、愛される事を知らずに育つ人生の苦境の中でしか生きる事を知らない主人公の青年が、思い余ってその親の暴力に報復し、殺害するも、最後は罪を償う決心をして、再生する青年の姿を描き、そしてその青年を信じて待つ高校生の純愛を描いていて、素晴らしい作品だと感動したのに!一体今回のこの作品では、何処が、「希望の国」と言うタイトルを付けるに相応しい作品だと言えるのだろうか?彼らの生活の中の何処に、希望が描かれていると言うのだろうか?特にラストは最悪、悪夢そのものである!
子供の出産を控えた息子夫婦には、未来の象徴である子供の命を授かると言う事、それのみが、妊娠したと言う事のみが、希望と言う事なのだろうか?
この若夫婦を愛して止まない初老夫妻は、最後に自分達の愛の殻に入り込む様に共に数十年を暮して来た家の庭で心中するこのラストの何処に希望をみる事が出来ると言うのだろうか?
自分の命より何より息子夫婦の将来とこれから生れて来る孫を愛おしく思う初老の父が認知症を患う妻との愛を貫く為に自死の道を選択する事には大きな矛盾が有り、作者である園子温監督の意図する事が理解出来なくなる作品だ!
被爆恐怖症に陥っても尚懸命に出産を待ちわびる若夫婦には、被爆汚染の心配の少ない、親の住む家から遠く離れて、安全と信じる事が出来る遠くの地域へと移り住む選択を最終的に決意する事は、他に選択する余地すら無い彼らの苦渋の決心だ。その決意を固めた夫婦の親が、故郷で自殺した事を後にこの息子夫妻が知らされたなら、この若夫婦はその後の人生で、被爆以上の重荷を背負わされる事になるのだ。
現実に震災で被災された方々の中には残念だが、自らの命を絶ってしまう方がおられるのも現実だろうし、それもその方の個人的な事情や生れ育った環境や、その人を取り巻く生活に状態に寄り、生きる選択をするか、死の道を選択するか、どちらの未来を選ぶ事をされるかは、その方の個人的な判断によるもので、他人がどうこう言えるものではないし、言う資格も権利も無いのだが、ドキュメンタリー作品では無く、フィクションであるドラマなら、このラストを映画として描く意味があるのだろうか?
私の親戚に広島の原爆で夫である一家の大黒柱を亡くし未亡人となり、乳飲み子を抱え戦後の混乱期を必死で生き延び、立派に亡き夫の子供を育て上げた女性がいる。
時には、人生死んでしまった方が楽な事も現実には有る、しかし、どんなにか辛い事が有っても生き延び無くてはならないと思う。それこそ、自分が生かされた大切な自分の命を守り抜く事こそが、亡くなった人への供養で有り、遺された者は、亡くなった方の人生の分も精一杯幸せに生きる選択をせねばならないのだろう。
日々生き延びていく事は、これ以上懸命には頑張りようの無い艱難辛苦だろう。でも生きていれば何時の日か、希望は巡ってくる事が有るかも知れない。その事を信じて生かされていなくてはならない。必ず死ぬ時は巡って来る。その時まで希望を信じて生かされる道を選ぶのだ!人間の生命も自然の一部である。人間の自由意志だけでは、決して自由には成らないのだからだ!映画ではそれを伝えて欲しかった!誠に残念な作品であった。