「ぜひ3DIMAXで!」ゼロ・グラビティ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
ぜひ3DIMAXで!
3DIMAX試写会という何とも贅沢な試写会に招待いただきながら、レビューが後回しになってしまいました。
まずIMAXの真骨頂発揮で、まるでサンドラ・ブロックと一緒になって宇宙空間を浮遊しているかのような映像体験をすることができました。2Dや3Dで既にご覧になった人もディズニーのアトラクションへ何度も通うような気持ちになって、ぜひIMAX版の鑑賞をお勧めします。音場感と臨場感が凄いのです。
たった一人で宇宙空間に放り出される主人公が地球に戻るまでを描いた本作は、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーのオスカー俳優同士の二人だけが共演するという究極のシンプルさ。台詞も少なめで、一つ一つの場面でキュアロン監督が仕掛けたメタファーとサンドラの演技力だけでドラマを進めていくという、出演者にとってはごまかしの利かない完璧な演技が求められた作品だけに、それを見事にこなしたサンドラに惜しみなく賞賛を浴びせたいと思います。
舞台は、地球の上空60万メートルのスペースシャトルの船外。青く輝く地球を背景に、ベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキーの陽気なサポートを受けながら、ライアン・ストーン博士は通信システムの修復にあたっていました。彼女は、ハッブル望遠鏡の通信システムを修理するため、特別に招かれた技術者でした。そこへ作業中止の緊急連絡がヒューストンから発せられます。それは、地球の反対側で他国が爆破処理した人工衛星の破片(デブリ)が、ほかの人工衛星を連鎖的に破壊し、大群となって向かっているという警告でした。
地球を周回するデブリの速度は秒速8キロ。デブリの大群は瞬く間にライアンたちに襲いかかりシャトルは大破。ライアンは命綱を付けた宇宙空間へアームごと放り出されてしまいます。無重力空間では、一度力が加わると、その物体は永遠に動き続けるため、命綱を断ち切られたら漆黒の闇の中に吸い込まれていく以外なすすべはありません。
、冒頭からここまでの13分間が途切れることない長回しシーン。一気に作品世界に飲み込まれていきました。最初は傍観者だった観客も、遭難時点からライアン目線に切り替わってしまいます。何しろキュアロン監督は、ロングショットとクローズアップを繰り返す変幻自在のカメラワークで、心拍と無音状態を巧みに使い分け、宇宙空間の恐怖を突きつけてくるのです。これには思わずライアンの置かれた状況に感情移入してしまわずにはおれませんでした。
そしてライアンには、ゼロ・グラビティの宇宙空間の厳しさが襲いかかってきます。ヒューストンとの交信が途絶え、コワルスキーともはぐれてて、おまけに酸素は残りわずか……。宇宙での極限状態を描いたキュアロン監督の「アポロ13」を超える絶望的状況。そこには、漆黒の闇に青く輝く地球だけが眩しいくらいに美しく漂うだけでした。
とかく映像面に注目されがちな本作ですが、ライアンに託されたエモーショナルな表現にも注目してほしいと思います。幼い娘を事故で亡くした喪失感。それは地球へ帰還しても生きがいがなく、戻る理由がなのではないかというライアンの絶望に繋がったのでした。なので、中国の宇宙ステーションまでライアンが辿りついたとき、彼女は過酷な現状に打ちのめされて、生還を諦めてしまうのです。それを勇気づけたのがコワルスキーでした。ライアンとはぐれたとき、宇宙遊泳をしてここまで来たというコワルスキーの何ともいえない頼もしさ。ジョージ・クルーニーならではの存在感がたまりません。彼の説得でライアンは決意を新たに地球への生還を目指すのでした。
単なるパニック映画にとどまらないのは、その過程で彼女が生きる意味を見いだしていく姿が、力強く描かれているからでしょう。
それにしても、体の自由が利かない状況で、目と呼吸で恐怖を表現するしかなかったサンドラの渾身の演技が素晴らしかったです。身体が動かせない分、内面や感情をより深く掘り下げる必要がでてきます。全編を通じてライアンの思いはヒシヒシと伝わってきました。撮影では12本のワイヤを「人形師」と呼ばれる専門家が操作し、宙を舞ういう撮影方法だったようです。そして、高さ6メートル、幅3メートルの特殊装置の中に長時間、1人で閉じこめられたというからかなりのストレスを感じたことでしょう。彼女は、そんな撮影で感じた孤独感もライアンの感情演技に活用したのでした。
ところで、ライアンが体を丸める仕草がまるで胎児のように見えました。そして宇宙船内に浮かぶ水滴は、ライアンを潤すばかりでなく、生命の起源を象徴するものとしての「水」なのだろうと思います。
つまり、逆境を通じて生還への可能性を探るライアンはまさに胎児であり、地球は母の象徴として描かれているのでしょう。
だから、本作の本当の主役は地球ではないかと思えました。
実際に宇宙へ行った飛行士の中には、地上で繰り広げられる戦争や紛争といった人々の愚かさを痛感するようになったという声も多く聞かされます。クライマックスでは、生きとし生けるものへのいとおしさがスクリーンから強く感じられました。
魚から両生類やは虫類、さらに4足歩行のほ乳類から2足歩行の人間へといった生命の進化をうかがわせる表現も出てきます。カエルが泳ぎ、蜂が飛ぶ。大人になると、そんなことに関心さえ持たなくなってしまうもの。この作品では、宇宙から見た地球も意思を持った生き物のように描かれます。サンドラの旅を通して、母なる地球のかけがえのなさに気づべき作品なんだろうと思います。そしてライアンが生き延びようとしたように、人類が他の生物と違うのは、生き延びようとする意思を反映させることができるところにあるんだということが、キュアロン監督が本作に託した皆さんへのメッセージではないでしょうか。