シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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キャッチコピーは本当だった。
小さい頃にエヴァシリーズをアニメで見てからコアとまではいきませんが細々と追っていた者です。
タイトル通り本当に"さらばすべてのエヴァンゲリオン"でした。
アニメ、漫画、旧劇と全て見ておいて良かったと思わせてくれるそんな今作。カヲル君の謎やQで散々謎を散らかしていった産物をほぼほぼ回収、良い形に纏め上げたのは本当に大したものです。これ以上何を望めばよいのでしょう。
正直なところ鑑賞前は本当に終わるのだろうか?キャッチコピーでハードル上げ過ぎでは?なんて思っていましたが真実といっていいとそう思いました。
今作鑑賞後は本当に多幸感でいっぱいでエヴァシリーズを追っていて、10年弱待っていて良かったと心の底から感謝感激です。
劇場では泣いたりしませんでしたが帰宅し思い返すと本当に終わったんだという思いから少し泣いてしまい、そのままエヴァシリーズを見返すところまで来ています。
長い年月待ちわびたものが終わってしまうのは悲しいものですね。
今作はエヴァは破までで良い派やアニメ旧劇で止まっている人にも是非新劇シリーズを通して是非見ていただきたい。
そして、まだエヴァシリーズ見たことないけど話題になってるから見たい!という方は是非、いや、個人的には必須なほどアニメ、旧劇、漫画を踏まえてから新劇場版シリーズを見ていただきたいです。
新劇場版のみでも恐らく十分楽しめる代物になっておりますが今作のキャッチコピーの通り"全て"のエヴァンゲリオンを楽しんでから見るとより一層二層etc思い出深い作品になります。
最後に一言。
今作の綾波最高。
世界は二人のために。
もちろん良かったが、旧劇場版も捨てがたい
終劇
コレは25年に渡って描き続かれた、『愛』の物語だ。愛が命を育み、その命が愛を紡いでいく。14歳という一番多感な分岐点。エヴァに乗る事を決意した少年。残酷で理不尽な巨悪と陰謀に立ち向かい、未来のため愛を貫く。無論、私が勝手に解釈した事だ。当事者の彼らにはそんな気は毛頭無いのかもしれない。しかし、私はエヴァンゲリオンという作品で、そしてこの映画で、確かに愛を感じた。父の愛、母の愛、親友、仲間、シンジくん自身の愛を。心が溺れるほど涙した。贈りたい言葉は一つ。「おめでとう」。
……ってかマジでエモいから皆んなに観てほしい。アニメ、漫画、劇場版、全部が全部好きな終わり方だったけど、今回の終わり方が一番……お洒落?じゃない?ぶっちゃけまだイミフなとこあるし、シンジくんの選択が正解なのかなんて分からんけど、超好き。
演出、音楽、そして破れたプラグスーツのスケベさ、ぜーーーーーんぶ好きでした!
あれ?もしかして自分が・・・
熱くなってる!?
初めてのレビューです。
これまで感動大作、衝撃のラストと謳われた作品、いろいろ観てきましたが、
正直、がっかりさせられた作品もあり、
いつからか、その「がっかり」に備えて、
身構えながら映画を観てしまってます。
映画鑑賞中も、少しでも隙があれば冷静バイアスが働き、
作品に感情移入できないまま観終わることが多く、
なぜこんなにも素直に向き合えないのか、
自分自身に嫌気がさすこともあります。
そんなひねくれた僕なので、
「シン・エヴァンゲリオン」に対しても、
ガチガチに身構えたまま鑑賞しました。
異変があったのは、中盤当たりだったと思います。
なんか館内が暑い?・・・いや空調は効いてる。
あれ?もしかして自分が熱くなってる!?
なんだろう、この高揚感・・・
そして、その熱を帯びたままエンドロールを迎えることが出来ました。
なんとも言えぬ感情を吐き出したくなった。
これまでまったく興味のなかったレビューサイトに、
なぜか、今書き込んでます。
初めてのレビューです。
ありがとう。
とてもいい映画でした。
そうか、これを吐き出したかったんだな。
素直な気持ちって、なんだか嬉しい。
いやぁー。良かった。
38歳。テレビシリーズからのドンピシャエヴァ世代です。
正直、見る前は「結局最後はいつもの感じ・・・」的なスタンスで斜に構えていました。
エヴァはずっと「割と好きな作品」の一つでしたが、序破Qも気になりつつも映画館では見てなかったです。
「庵野監督は結局、最後が描ききれない監督なのかな」と心のどこかに少しだけ疑念を持ち続けていたのは嘘ではありません。
Qを見終わったあとも頭の中は「?」だらけでした。
シン・ゴジラも(石原さとみの英語がずっと気になってしまったのはさておき)途中まではそれなりに面白かったのですが、最後に関しては個人的には「もう少し」という感想でした。
でも本作を見終わってみると、そんな疑念を持っていた自分が恥ずかしくなるほどに、ストーリー・映像・音に圧倒され、期待を軽く飛び越えてきました。
序・破・Q・シンできちんと起承転結になっています。
恐らく自分の中でここまで印象に残る映像作品にはなかなか出会えないだろうと思います。
なにせ26年の歳月をかけて私の心の中に印象を刻みつけた作品ですから。
ここまで時間をかけた(かかった?)からこそ、視聴者自身の成長も作品の味の一部に加わっていると感じます。これはいわゆる「思い出補正」とはちょっと違っていて、視聴者自身の成長や視点の変化自体が本作品に取り込まれていると感じます。
その26年を真正面から受け止めて、さらに期待を越える本作品を生み出してくれた庵野監督及び制作陣に深く感謝したいと思える作品でした。
これまでにどこかで少しでもエヴァンゲリオンに触れたことのあるすべての方におすすめできます。
たった2000円と3時間です。映画館の大画面でぜひ。
エヴァ見た後っぽくなし。
ありがとう、さようなら
終劇...
「解呪」とは言いえて妙
「エヴァンゲリオンはやっぱりエヴァンゲリオンだった」の言葉通り、エヴァンゲリオンでした。
映画の内容を一言でも喋ればネタバレなってしまいますねこれは……
シリーズの大締めの展開ばかりで、TV版・劇場版(序・破・Q)の各作品の予習は必須です。
エヴァファンなら単純に見ても楽しめますが、予習していた方が最高でしょう。
それくらいキレイに締めています。
自分はネタバレを見てしまうのが嫌だったので即見ましたが、予習しておけばよかったと若干後悔しています……それでも最高だったんですけど。
とはいえ、ネタバレ無しで敢えて言うならば、「解呪」という言葉を聞き言いえて妙だと思いました。
どこの誰が言い出したのかは知りませんがw
シリーズがようやく締められるという作品ではありますが、単なるアニメコンテンツの消化に留まらず、心の問題に整理をつけ、自分自身が一歩を歩き出す切っ掛けにもなりえる内容になっていると思います。
「糧になる映画」として考えれば、大人向けである分、「鬼滅」より良く感じました。
【始まりの物語】
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、新劇場版の「序」「破」「Q」で生まれた様々な疑問や、テーゼに解が与えられていると思う。
「新劇場版:序」で感じたコントラストは、肯定されているのだ。
不安を助長するような対比ではない。
多様性や調和を内包しようとしているのだ。
狭い水槽のなかでも悠々と泳ぐ海洋生物たち。
実は、人も狭い世界でしか生きられないのだが、多様性を維持しながら争いを避け、生活していくことは可能ではないのか。
碇ゲンドウが、争いを止めるためには、補完された人類だけで構成された世界が必要だと言う。
ゲンドウの考え方は正しいのか。
選ばれた人と、旧約聖書のノアの箱舟の物語のように集められた多様な種の記録。
人は神の所有物ではないはずだ。
そして、
人は神の創造物でもない。
神は特定の人を選別して生かし、他を見捨てるのか。
そんな神は、もはや神ではありえないし、神は人の創り出したフィクションで、人も神になることなどないのだ。
宗教を背景にした世界中の紛争も思い出す。
ロンギヌスの槍は絶望を、カシウスの槍は希望を意味していた。
渚カヲルは、「やり直す」と言った。
しかし、絶望と希望などという二元論的な思想で、世界をリセットすることは出来ないはずだ。
世界は、そんなに簡単なものではない。
それに、人は生きる為に絶望を必要としているのか。
絶望を必要としているのは元来、人を傅かせようとする神の方ではないのか。
ありもしない絶望(例えば、地獄に落ちるとか)を示し、神に付き従うことを強制されることに、どんな意味があるのか。
クローンにも心は宿るが、オリジナルとも異なる。
もともといる綾波レイと、「新劇場版:Q」で登場した綾波レイは、姿かたちはそっくりで、仮に碇シンジに心を寄せるようにプログラムされていても、心の寄せ方は違っていたではないか。
プロセスで人は異なる存在になるのだ。
異なる個性を持つのだ。
カズオイシグロの「わたしを離さないで」でもテーマになった、クローンも感情を持つということを思い出す。
再び立ち上がるシンジと葛城ミサト。
「新劇場版:破」の終盤で葛城ミサトがシンジに向かって叫ぶ
「自分自身の願いのために行きなさい!」は、
実は、
「自分自身の願いのために生きなさい!」だったのではないかと改めて思う。
二人は戦う。
動機付けは最初、反発心などつたないものだったが、今は、愛するものや自分自身の願いのために戦っているのだ。
更に、希望は、あらかじめ与えられた希望(カシウスの槍)ではなく、自分達の希望の槍だ。
希望も自分自身で創り出すもののはずだ。
戦いのその先には、何か調和が待っている気がする。
それは、秩序とか、そんな窮屈なものではないはずだ。
多様で調和した世界があるはずだ。
そこには、絶望や過度な秩序を振りかざす神などいない。
運命を仕組まれた子供などあっていいはずはない。
運命は自分自身で切り開いていくものだ。
テレビシリーズで使われたテーマソング「残酷な天使のテーゼ」で歌われるフレーズ「少年よ、神話になれ」に対して、少年は大人になった。
僕は、そう思うのだ。
そして、音楽のリピート記号:||は、何度も繰り返すという意味ではない。一旦、同じ旋律を繰り返した、その先には。別の旋律が待っているのだ。
人は絶望を繰り返してはならないのだ。
そんな意味もあるのではないかと、僕は思うのだ。
※ この物語がテレビで始まった時は、まだ、東西対立の残り香があり、先進国と後進国と呼んだり、格差を南北問題と呼んだり、二元論的な考え方が支配的だったような気がする。
しかし、その後、僕達の世界の抱える問題は複雑化し、環境問題や、個人の重要性も重要視されるようになってきた。
この新劇場版の物語は、このような過程で、大きく進化したのではないかと思う。
長いヒストリーに感謝だ。
ありがとう、お疲れ様でした。
卒業
心からありがとう
最後までエヴァらしく
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