シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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終劇と救済
エヴァ映画の終劇。長年追って来た作品で待ちに待たされ!HUNTER × HUNTER並にラストは見れないのではなかろうなと、思っていたが無事に終わりを見ることが出来た!アニメ、旧作映画で物議を呼んだのを引っ括めて、綺麗な終わり方をしてまとまっていたけど、説明が相変わらず難しいのと💦ネタバレ出来ないが、それぞれの歩んだ道とたどり着いた場所を記しており、何回か見返さないとまだまだ謎が含んでスルメの様な何回も噛んで味わう映画と作品だったのかと思えた。パンフも買ったし余韻に浸るぞ!
そして、長きにわたりエヴァ作品を作って来た。庵野秀明監督と他スタッフの皆さん本当にお疲れ様でした。
エヴァの呪縛からの解放
25年待ち続けた真の結末。
期待しちゃダメだ!×3と思い続けていたけど、ちゃんと幕引してました。
ちょっと明らかなCGが多すぎかなとは思いましたが、、映像美も含めて庵野さんのアニメ作品としての集大成だと感じました。
途中までは新劇はTVシリーズや旧劇からのループではなく完全に別物なのか?と思いましたが、ちゃんと繋がってました!
伏線が完全回収された訳ではないけれど、Qでの謎やモヤモヤ感はある程度回収され、私的には納得です。
TVシリーズと旧劇がシンジ自身が内面に向き合い自分を解放していく主題だったとしたら、新劇はエヴァや人類補完計画に取りつかれたゲンドウや庵野さん自身、そして我々エヴァヲタを解放するための作品だったのかもしれないなと感じました。
旧劇では挿入された実写シーンしかり、ファンに現実を見ろよ!と突き放し否定する印象でしたが、庵野さんも私も大人になったからか、本作はもう少し柔らかに現実を生きていくための光を示してくれた感じがします。
アスカの扱いとか、思うところがないわけではないけれど、ひとまずは、感無量です。頭を整理して、あと何回か観たいと思いますが、とりあえず、、、
ありがとう、エヴァンゲリオン。
さようなら、エヴァンゲリオン。
社会に属する人たちへの強いメッセージ性を感じた作品だった。それでいて、幸福感があるとともにいろんな伏線を回収していく様は素晴らしかった。
庵野監督らしい
エヴァファンにすら受けないであろうラスト。
旧エヴァしかり、TVエヴァしかりの監督のマスターベーション。
自分は好きなので。
どんな作品にも終わりがあるってのをしみじみ思った。
TV放映、当時田舎の中学2年生が夏の再放送で見て感動して、うん十年。
友達にどのキャラ好きって聞かれて本当はレイなのにカヲル君と答えたのも懐かしい。
今ならまごうことなく、こう答えられる。加持さんが一番だと。演出がw
やっと描き終えたんですね。
決して万人受けしない。寧ろ酷評される作品のはずなのに、社会現象的なもので。
ここから始まるシン庵野の世界観デスね。どの作品も『庵野おじさんの趣味まっしぐら』って感じの作品ですが。
今やっと感想が書けました。
映画って素敵やなー
序盤30分くらいいらなかった。少し退屈。作画、カラーが前作よりもダ...
序盤30分くらいいらなかった。少し退屈。作画、カラーが前作よりもダウンしてしまった感が否めなかった。戦闘シーンも好みではなかった。中、終盤は良かった。
最後は既視感あってデジャヴ感はあったものの想像通りエヴァらしく完結した。人生悔い無し。
テレビ版でも俺の中では完結出来ていたというのはここだけの秘密。
さらば、エヴァンゲリオン!
ついに完結したー!という感覚です。TVシリーズはリアルタイムではないですが、TV放映から割とすぐに観ました。その時、私は大学生でした。時を経て、25年(なんと四半世紀!)の歳月が流れ完結というから驚きです。
そして、今回中学生になる娘と一緒に映画館でエヴァの完結を観るという、自分も歳を取ったと思いつつ、自分が学生の時に見ていたアニメの完結を子供と見るということに、感慨深いものがあります。
映画館では、TVシリーズそして劇場版:序と破までの面白さ、そしてQの意味不明さで止まっていた自分の中のストップウォッチが、動き出すようでした。大人になっても変わらない楽しみな感覚です。
相変わらず、映画の登場人物には感情移入させてもらえました。1人1人個性は強いですが、全員がとても魅力的で素晴らしいのです。エヴァンゲリオンがこんなに長く愛されている理由の大きな一つでしょう。
本作でも、シンジ、アスカ、レイの3人は魅力たっぷりでした。自分の運命に翻弄されながらも、成長していく姿はTVシリーズから観ている自分からすると感動すら覚えます。避難民村「第3村」でのひと時の出来事も心温まり、そして悲しい体験をさせてもらえました。レイが人間の感情に触れていくシーンは、ホント心が温まり、ぽかぽかしました(笑)
本作で一番輝いたのは、今まで謎だらけの少女マリだったのかもしれません!いよいよ存在が分かり一気に存在感が増します。といいますか、シンジを助け出す大役を担い、真のヒロインはマリだったのか!?という驚きでいっぱいでした。レイでもなく、アスカでもなくマリだった!!!
さて、肝心の物語はどうだったでしょう。はい、とーっても面白かったです。がしかし、心から面白かったかと言うとそうでもない自分も居ました。
この25年間で広げ続けてきたものを、155分という時間で収束させるには、さすがに無理もあったかなと言った感覚もうけました。終わらせるための急展開感は否めなかったです。ゲンドウの動機もこんな理由で世界の人々を破滅にいたらしたの!?と言った気持ちでした。
とにもかくにも、観終わった後は、25年間、庵野秀明監督お疲れさまでした。という感情と、もぅエヴァは最後なんだという悲しさにつつまれた複雑さでした。でも、このタイミングで完結は納得ですし、エヴァらしい終わり方だったなとも思いました。
壮大!
未公開アップロードしたままで忘れていたので、変な時にレビュー公開となってしまった。
俺は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観ようと考えた。しかし、俺はエヴァを一つも観ていない。TVシリーズも劇場版も。時はちょうど黄金週間。録りためた中に、たしか「序」「破」「Q」いずれもあったはず。よし、一気に観て、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観る市民権を獲得しよう、・・というのが今回観た背景。
【序】
すごいなこのオープニング。あっというまに引き込まれる戦闘シーン。
登場人物が少ないからわかりやすい。
いわゆるメカ(設備、器具備品の類)のカッコよさが、心をくすぐる。
"使途" の異様な造形は、CG時代をフルに感じさせる。
ネブカドレザルの鍵とか、セカンドインパクトとか、初めて聞く単語のオンパレードなのに、ストーリーを追い続けられるのは、「それが当然」かのように、なんの迷いもなく進める点かな。まあ、アニメから延々と続く歴史があるからこそ、できることなのだろうな。
俺たち(50~60代)に、大友克洋がいるように、彼らには庵野秀明がいるんだなあ、と変な感心の仕方をした。
主人公とそれをとりまく女性たち。手ごろなお色気。
【破】
辛いのは君だけじゃない。
「ヒトマル」という読み方に象徴されている自衛隊(ミリタリー)感覚は受けそう。それも、それを美少女たちが言う。
思わせぶりな音楽。
科学の最先端な世界で、「純粋な精神エネルギーの具象化」という魅力的な現象。
「なぜ若者たちだけがエヴァンゲリオンに乗るのか?」という俺の疑問は解かれるのだろうか。
「シリーズものは、2作めが鍵」と言われる条件を見事に達成した出来のよさ。感心。
【Q】
前作の痛快さを忘れてしまったかのようなオープニング。
謎の少年カオルの登場。カシウスとロンギヌスの2本の槍。異なる槍が必要。第1使徒と第3使徒。アダムスの器。
前作にも勝る、謎のワードのオンパレード。その中で徐々に見えてくる、人類と使徒、それぞれの誕生の歴史。第1使徒であるアダムから生まれた、第3使徒以降の使途。そして第2使徒リリスから生まれた人類(リリン)。両者は、どちらかが生存し続けるために、相争う運命だったことがわかってくる。
ゲシュタルト(統一的全体像)。西洋的な思考は、ひとつひとつ分解してよくしていくことで最高のパフォーマンスを得る、という要素分解的な考え方。
一方、東洋的な思考は、全体をシステムとみてそのバランスを調整することで最高のパフォーマンスを得る、という全体像的な考え方。
自分でも、なにを書いているかよくわからなくなってくるが、「Q」をみて感じた気持ちはこんな感じ。哲学書か。
そして...【シン・エヴァンゲリオン劇場版】
冒頭の「・・・な人のために」の作りがしゃれている。ただ、これまでほんとに観ていない人にはどの程度わかるかな?
冒頭はさらに、パリ市街での戦闘シーンの映像は、「破」「Q」に比べてもまた一段とすごくなったね。
しかしこの戦闘シーンのBGMがなんと「世界はふたりのために」。シュールだね。この後も、音楽はずっとシュールなんだよね。ただ、それが、神話ともいえるこの大作をいっそう雰囲気のある映画にしているようにも感じられた。
さて、なぜ子供ばかりが搭乗員なのか、その理由は今回は判明するのだろうか?
敵(使徒)に対した搭乗員が「自ら群体を構成するとは」「人類の知恵の外にあるものだからね。エヴァ同様に」と語り合う。そうか、エヴァという人造人間は、人間が作ったものにもかかわらず、その技術は謎なのかな。エヴァ初心者にはすべてが新鮮だ、
女性上官が「(時間がないからといって)弱音を吐くな。これだから、若い男は(情けない)」と言うシーン。この言葉は、このシリーズに貫かれている傾向だね。強い女と弱い男。
そして戦闘の間じゅう叫び続けるアスカとマリ。彼女たちの声。オタク全開!って感じ。最後は「カチコミ、完了!」だもんね。
お、作者名等が示されるシーンで描かれた駅は、下北沢駅(渋谷側から見た絵)だろうか?
「序」時代の男友達ふたりが登場!大人になったふたりの方が魅力的、シンジとの関係もいい。
「心配のしすぎはよくない。信じて待とう」(ケンスケ)
庵野監督は、少年と少女や女性、成人男性との交流を描くのは上手だけれど、少年同士の交流はうまくないね。(本シリーズでは、シンジが人を避ける性格だから、ということでつじつまがあっているが)
この作品になって、少し説教臭く、エコロジー臭くなってきたな、という感触は、正直なところ、あった。
そして後半へ。
「ガキに必要なのは、恋人じゃない、母親よ」(アスカ)
女は闘う、ということも一貫しているなあ。
「私があんたを殴ろうとしたわけ、わかった?」(アスカ)
「何も決めなかったから。自分の責任を負いたくなかったから」(シンジ)
「シンジくんは、やすらぎと自分の場所を見つければいい。また会えるよ」(カオル)
「そうだね、カオルくん」(シンジ)
「4thインパクトの不可逆的阻止のために・・」このあたりのいかにも軍隊的な言い回しがウケる理由のひとつかな。
今回のエヴァ、特にアスカとマリのエヴァは、その無双ぶりが際立つね~
「ミサトさんが背負っているものを半分引き受けるよ」「僕は、僕の落とし前をつけたい」(シンジ)
「もういいよ、サクラ。明日生きていくことだけ考えよう」(新人)
「(シンジ、)父親に子供ができることは、肩を叩くことか、殺すことだよ」(ミサト)
希望の槍、カシウスと変わる
零号機と13号機の戦闘(ビル街での巨大な2体の格闘)は、来る「シン・ウルトラマン」を想像させてくれる。
戦闘シーンというか対話のシーンが、教室へ、寝室へ、ピラミッドのある風景へ、田圃へとめまぐるしくかわり、観ている我々が不可思議な感覚に引っ張り込まれる手法は、実相寺監督や、「2001年宇宙の旅」のキューブリック監督を思い出した。
「希望のゼロ、絶望の13。ふたつは対をなしている」(碇)
だめな刑事ドラマは、終盤に主人公がが「調べたらこういうことがわかりました(そこは見せないのかい!?)。これこれこういうわけだったんですね。だからあなたが犯人です」と語って終わる。実は、本作は作りとしてはそれに近いのではないかと感じる。それなのに、これだけ面白く、そして惹きつけられるのはなぜなんだろう? それともそれこそが庵野ワールドなのだろうか。
最後の最後に、"若い男ども" を立てたね~。
(ミサトは)命を捨て人類を生き残らせる。生き残った者に対して責任を負うリツコ。ふたりはいわゆるバディなんだな。そしてこの両方の役割には、男も女もないのだ、ということを伝えてくる人間構成。(みんな、これを観て、「前線で死ぬのは男、後陣を守るのは女」みたいな感覚を払しょくしていこう!)
「嫌われても、悪く言われても、エヴァに乗れればよい。居場所を与えてくれる。私をほめて」
ほんとは頭をなでてほしかっただけ。
カオルとシンジは、「デビルマン」のアキラとアスカリョウを思い出させるね。(映画じゃないよ、原作漫画ね。ここは決して勘違いされぬよう)
「涙で救えるのは自分だけだ。だから僕は、もう泣かない」(シンジ)
「(シンジくんは)相補性のある世界を望むんだね」(カオル)
「父さんは母さんを見送りたかったんだね。それが父さんが願った "神殺し" だったんだね」(シンジ)
「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン」(シンジ)
いやすごい。これだけ観念的なアニメもなかなかないんじゃない。
さらに圧巻のエンドロール。宇多田ヒカルの主題歌2曲、フルコーラス!! この長さのエンドロールもなかなかない。充実感、まさに "最後" にふさわしいじゃん!!!
「なぜ若者たちだけがエヴァンゲリオンに乗るのか?」という俺の疑問は解かれなかった。だけど、それがなんだ、という気持ちで映画館を出た。
見る前はちょっと不安だったけれど、
にわかファンゆえ、解説サイトをいくつか読んでから理解、というか意味...
見終わって、監督のことが知りたくなった
監督が誹謗中傷見て鬱になったのに涙してしまった…
多くの人を巻き込んだ、
シンジにそれはキツいよ…
痛くて苦しくなるアニメだったけど、一人じゃいい作品、いい人生は送れないって思った…
他人と関わったら世界が広がる。
オタクだったら一人の世界に浸らず、外に出たら、また一人の世界が広がるから、外に出てって大事なメッセージが監督が命を削って伝えたのがわかった。
全619件中、341~360件目を表示