シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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リリンの王、庵野秀明
20世紀末から始まり、常にアニメ、エンタメのトップを走り続けてきたエヴァが、ついにその長い物語に幕を引いた。「四半世紀ありがとう」この「シン・」を観てまず抱いた感想がそれだ。大作のラストに相応しい大団円、このとてつもなく巨大な作品のラストを、ここまで出来ればほぼ満点ではなかろうか。
長い間待たされたと感じた新劇も、振り返れば「エヴァが続いていた」と同義であり、私たちは終わらないエヴァと共に25年間、歩んで来れたのだ。
しかしいよいよ私たちは本作をもって、エヴァを捨て、エヴァから脱却しなければならなくなった。これは作中のシンジと同じであり庵野監督の回答である。
賛否両論だったQが、いかに計算され尽くした超大作であったか、本作を観てどれほどの人が気付けたであろうか。時間も金も掛けた序破Qが迷走する訳が無く、新劇版のみならず、TV版、旧劇、コミックス、全てを包括して決着をつけた庵野監督こそ天才であり、彼こそリリンの王であると言える。
自分はQを劇場、円盤合わせて30回以上は観たのだが、このシン・が公開される迄の長い間、Qをスルメイカの様に咀嚼して楽しむ事が出来た。Qはこのシン・に繋げるために必要かつ大変良くできた作品である。
今回のシン・も、同様に掘り下げ甲斐のある濃密な作りである事は、観た方ならご存知の通りである。
いったい何度観たら理解出来るのか?ノーランの大作「TENET」は、理解出来ない部分が脚本や物語の運びであった為、観客はストレスが溜まる一方であった。
一方で、起こった事象が理解できなくても見ていて十分面白いのがエヴァである。観客はシンジの目線で何も分からない所から始まるので、正にシンジとシンクロする。あとは、分れば分かる程面白さが加速する作りなのだ。
序破Q同様、日本の、いや世界のアニメのトップクラス映像と音楽を味わう事が出来るのは、今のところエヴァを置いて他にない。先般公開の某人気アニメ映画も物語として泣けたのは事実だが、そもそも立ち位置が、次元が違う。
線の一本、ドット一粒に至るまで、渾身の迫力が、庵野監督を始めとするスタッフ達の拘りと25年の魂が、宿っている。緻密な計算、妥協を許さないそのスタンスが、この極上アニメーションの完成度に現れている。エヴァが好きかどうかは別にして、時代の立会人として劇場は勿論、是非IMAXで鑑賞したいところ。
具体的な物語の内容は、ここに書いても何ら語れないので割愛するが、この物語の凄いところは、25年という歳月を経て我々の人生にも影響を与えてしまった問題作であるという所だ。既に我々の心の中にエヴァがあり、綾波が居て、我々の一部を形成し、我々の心を鏡写しにしてきた。そんな僕らに庵野監督は言う。「もうエヴァから旅立て」と。
終盤、レイやアスカとの会話によって決着をつけるシンジ。彼らの心の拠り所にエヴァは不要なのだ。エヴァのない世界…我々観客の生きるこの現実世界。
過去とも現在とも判断のつかない実写風景を走る、成人したシンジとマリで物語は終わる。まるで一般人の様にチルドレン達が会話している。このラストは、エヴァの存在しなかった我々の世界かも知れない。
すごくよかった
ずっと見てきてよかった
ネタバレってほどではないかもですが
察しがいい人は気づいてしまうので、、、
東京ラブストーリーを観た後の感じと似てる後味
大人になるお話
私見でしかないですが
一見、複雑な仕掛けや舞台装置、
伏線めいたものや暗喩的表現は
映画やアニメ、特撮が好きな人を喜ばせるものですが
そこに大きな意味はなく(演出的な意味はあるものの)
あくまで娯楽作品であり
ごくごく簡単なことを核に
素晴らしいスタッフが制作した
素敵な作品でした
現実であり、夢
夢であり、現実
ビューティフルドリーマー
マイナス宇宙やゴルゴダオブジェクト云々は
ウルトラマンAでしたね
松任谷由実さんのVoyager、
宮崎駿監督のひこうきぐもと同じように
心に沁みました
さよならジュピターの主題歌だったから使われたのかもですが、実にぴったりな選曲だと思います
ありがとうございました
追記:
新劇を全て見た後、
旧劇を見直すと色々と気付かされます
世界観設定もそうなのですが
メッセージ部分のところで特に
監督が伝えたいことは変わってない
そう思いました
男はガキ、過去に執着、考えが固定的になりがち、理由を求めがちなのかもですね
鑑賞2回目、、カップリングのところ
どうにでも解釈できるし
あの程度で、できてるできてないってのは
すごく幼い解釈で、そう思った自分が恥ずかしい
わからないけどありがとう
エヴァはエヴァなので、原作やアニメの結末を知ってても考察を読んでも考えてもわからないものはわかりません...見る前から多分なにこれわからない...ってなるんだろうなって思ってました...
わからない...ただ...ありがとう...それだけです...
満足!MX4Dを選択肢に!!
神。全てのエヴァにありがとう。さようなら。
庵野秀明の星の王子様
テレビアニメシリーズから26年
エヴァの呪いにかけられた
我々チルドレンたちを現実へと還す作品。
庵野の最後のフィフスインパクトは
劇中劇であることを直接的に暗示する。
順を追ってキャラクターを弔うシンジ
あとは君だけだと告げるカット割は
明らかに我々に向けてのセリフではないか。
Qで観客とシンジを同じ状況に置き
感情移入の対象とさせたことから
今作の導入は非常にスムーズだった。
最初はシンジと同じ目線で感情移入していた我々も
最後は子を持つ親の気持ちでシンジを見ていたのではないだろうか?
自分だけじゃなく、他人の弱さをも受け入れることで
限りなく人を愛するということに気づいたシンジ。
ここで観客の体現としてエヴァの呪いを浄化される役目は
父親のゲンドウにスイッチする。
この辺りのヒッチコックよろしくばりの古典的な
映画手法を使って次第にアニメ的表現を逆手に取った
演出の数々で我々の呪いを浄化していった。
この作品の根底にあるのは庵野秀明自身の成長ではないだろうか
彼自身が心の闇を全て晒したテレビアニメシリーズから
エヴァの呪いを撒き散らし、それに縛られてきた人生の中で
もがき苦しみながらも支えてくれる人々(風立ちぬの宮崎駿や、安モヨコ)の出会いから温かみを知ったように思う。
その温かさを持って自分のケジメ、シンジが言うには落し前をつけたのだろう。
いい意味で今後エヴァが昔よりも語られることは
なくなるのではないだろうか
考察のようなブログも、書籍も時代とともに
なくなっていくだろう
エヴァの呪いの浄化、それが庵野秀明の望みだろう
しかし浄化とともに我々に新たな呪いをかけた
それは「君たちも今を生きよう」と言うこと
いつまでもアニメを見ていないで
現実の世界と言う最も劇的な世界で生きていけと
そして庵野秀明はエヴァから去る
でも大丈夫、これは悲しいことではない
いつまでもエヴァは心の中に残っている
冒頭とエンディングの真っ暗闇の中に光る星星は
星の王子様が最後に旅立つ前に主人公に告げる台詞の
再現ではないだろうか。
長々と書き連ねたが
私が今後エヴァを見返すことは無いだろう
現実をしっかりと生きていかねばならないから
それでも挫けそうな時、きっと日常の中に
シンジとマリの姿を思い浮かべてしまうだろう
それで良いと思っている
そうして時々思い出せるのならそれでいいのだから
サヨナラ、エヴァンゲリオン
自分はこの劇場版が始まった時はリメイクなのかな?っと思っていました、ですが見ていくうちにテレビ版とは細かく違うところがあることに気づき渚カヲルが出てきた棺を見てあ、コレはループしてるんだっと思いました。そしてQに入り話が変わってきた事で思ったのが碇シンジは庵野監督自身なのかな?っと思うようになりました監督自身、作品の終わり方についてはテレビ版、旧劇場版まごころを君にでは散々叩かれていたのを記憶にあったしその後のインタビューやシンゴジラの時にも述べていたので今回の劇場版は庵野監督のリベンジなのでは?と思いました。
昔のシンジは父親からも周りからも逃げていた自分の殻に篭っていてそれによって何度も何度もひどい世界を見て、カヲルが今度こそ君を幸せにっと言うほどそしてあの開け放たれた棺の数ループしていたなか、今まで流されるだけだったシンジが己が罪を認め逃げずに、そして苦手だった父とも向き合う事で過去に無かったエンディングにエヴァンゲリオンの無い世界へと旅立つ事が出来た。
それによりシンジもレイもアスカも、そしてトウジ、ケンスケ、委員長も生存する世界を見つけられたのだと思いました。
まだまだ、分からないところが幾つかあるのでもう一度、見に行こうかなっとおもっています。
見る前にエヴァってググるのも禁止!
よくやり遂げた、庵野監督。お疲れさまでした。 これから見る人へのアドバイスもあるよ!
まず最初にこれから見る人(主にエヴァ初見)へのアドバイス。
エヴァの最新作?途中から見て面白い?って思ってる人は見るのはやめたほうが良いでしょう。
そのような人は新劇の「序」から見て、ナニコレ面白い!続きが気になる!って人だけ「破」「Q」を見ましょう。
戸惑いながらも「Q」まで見れた人は、「シン」を見ても楽しめます!
●では、私の評価。
「新劇」の終わらせ方としては大満足でした。 エヴァファンなんで評価は星5でしょ。
しかし「シン」の映画単体としてはエンタメとして正直厳しい。続き物だからね。わけわからん世界は健在。
野球で例えるなら、今までの評価がひっくり返るような「一発逆転の大ホームラン」ではなかったが、
「スクイズで逆転サヨナラ勝ち」みたいな感じです。渋いですが勝ってます。(肯定の評価が優った)そんな感じ。
作品としては、極上A5肉のステーキに「納豆ペーストといちごジャムのソース」がかかってる感じ。
しかし、わけわからん世界=「納豆といちごジャムのソース」が平気で食べられる人いれば、むしろそれが好きな人もいるかもしれない。
私はちょっと苦手だが、まぁ食べられんこともない。そんな感じ。
●リアルタイムのTV放映1995年から見てきた古参ファンとしての感想。
TVシリーズはA5肉をずーっと食べ続けられた。最後胸焼けして、幸福から一転して胃もたれ腹痛に悩まされることとなる。
旧劇では、なにやら新しいソースが追加されたが、胃もたれは解消されることがなかった。
新劇がはじまり最初からわけわからん「納豆ペーストといちごジャムのソース」がかかってた。が、肉は流石のA5肉。極上。ソースの味には我慢しつつ、A5肉が食える喜びも味わった。
んで、25年四半世紀経って、胃もたれも何もかも忘れて、「納豆ペーストといちごジャムのソース」もありかな?と思ったところで食事は終了。
ごちそうさまでした。
なんかわけわからんこと書いてるのは自分になってしまったが、今の気持ちをネタバレなしで例えるとこんなところかと。どのくらいの人に共感してもらえるかは疑問だけど(笑)
庵野監督の何を知っているわけでもないが、やっぱ庵野監督のアニメーターとしての才能はTV版に有ると思う。だから大ヒットしたし社会現象にまでなった。多くの人を虜にした。
広げた風呂敷をたためなくなってたけど、やっぱりTV版のテンションは凄かった。
これからはエヴァの呪縛から解き放たれて、新しいシリーズ、アニメーターとしての庵野監督の才能を見たい。というか見れるチャンスができて嬉しい!
やっぱね、戦闘シーンのあれこれはズバ抜けて、文句なしに、楽しい!面白い!凄すぎる!!!!
これができるのは庵野監督だけだもんな。
最後に有言実行、終わらせてくれてよかった。ありがとう。
広げた風呂敷の畳み方、難しかった。次はストッパーになる「誰か」を横に置いてたのむぜ!
とりあえずシンウルトラマン、楽しみです。
新世紀碇ゲンドウだった
これ以上あえて書きませんが、そういえばこれはこういう作品だったな、それぞれ、そう思ってたんだね、という事がよく分かる、いい終劇だったと思う。終わりらしい、ヲワリ。
当時は何もかもが斬新で鋭く色んな心情をえぐっていたと感じたけど、時が経ちすぎて観る方も作る方もキャラも歳を取り、なんだか懐かしくも感じた。
きっと沢山の大切なメッセージも散りばめられていたはず。言いたいことが多すぎて、でも時間が足りなくて、それでも納得いく終わりを見せたくて。それぞれのキャラに全ての納得と完全なる終わりを詰め込んだ2時間35分。
もう一度、落ち着いて観に行こう。
涙が救ってくれるのは自分だけ
追記.
一度目は衝撃を全身で受け止め
二度目は見落とした世界を回収
なか卯には三度足を運んだが
今度、
三度目はテロップのリアリティを
しっかりと味わいに行きたいと願う。
そんな、傑作品だと言える。
これこそ、
どっかの同調圧力なしに
素直に心から、終劇時に拍手。
(1回目)ちょっとガッカリ感はある。でも、これで良い。(2回目) 宇部新川に全員集合。ヤンキーでも良い。嬉しい。
宇部新川駅ですって。abホテルで宇部新川と確信ですって。映画帰りには、早速話題になってますもん。さすがローカル、あの画で分かるんかw
ネタバレ回避で、今日のところは詳細割愛。
エヴァの戦闘シーンは、物足りなさあり。壮大な物語りの「落とし前」、と言うか、広げ過ぎた感のある風呂敷の畳み方としてはですね。イヤ、劇場版としての幕の引き方としては、「これで良い」って思いました。「見たかったラストをやっと見れた」、と言っても、これまでのエヴァを全否定する訳じゃないと思いますし。
カラーヘアの2人をホームに残して、宇部新川駅から駆け出した2人。そう来るんかい?いや、年齢はどうなっとりますのん?えぇ?ま。良いかw
解釈大会の幕開け、って事で。
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3/10 2回目IMAX
初回の「物足りなさ」を全く感じる事が無く。満足度は無茶高くて自分でも驚いてるでござるw
初回は通常、2回目はIMAXってのもあるかと思いますが。
思えばですよ。期待、と言うより予測とのGAPに戸惑ってしまったのが初回。1時間ほど続いた「村」と「イジケ」が完全に予測外。ここでダレた、気分的に。テザー動画から、アクションに次ぐアクションや、マリ&アスカのダブルエントリーを予測なんか勝手にしてたもんだから。イメージ世界での親子対決も、ちょっぴり肩透かし感ありましたもん。
それがそれがそれが。
2回目は全くダレない不思議。GAPが埋まった挙句だからでしょうね。村も、イメージ世界での1vs13対決も、巨大過ぎる&うじゃうじゃなアレも気にならない。
いずれにしても。初日から売り切れのパンフ、早く入荷して欲しいよー。
宇部新川駅ホームにアスカも居てくれたのが嬉しかったけど、宇部であの髪型&色じゃ、ただのグレたヤンキーやないですか!
ちょっと、違う登場の仕方にして欲しかったよねw
良かった。とっても。
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3/13 追記
ヘーゲルのトリアーデ(Triade)からの考察で遊んでみたいと思いますw
「テーゼ」→「アンチテーゼ」→「ジンテーゼ」はヘーゲルの弁証法。「テーゼ」はアニメ版の主題歌タイトルにもなっていたんで、こっち方面から考察してみたいと思います。
「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」「肯定・否定・否定の否定」「正・反・合」などなどなど。トリアーデの第三項は、「対立や矛盾を包括しながら、高い段階の状態にとどまること」を指す「Aufheben」と言う言葉で表されたりします。
トリアーデとは、カントによると「対立的なふたつの範疇のつぎに、第三の範疇をあげる」と言う三分法です。概ねは、第三項に、先行の相関的な二範疇の「総合された統一的全体」をおいています。以下、ヘーゲル自身による三分法の「言葉遊び」と、その解釈をシンエヴァに当てはめてみる試みです。
①まずはラストの解釈から。
綾波を送り出す時のシンジと綾波のやり取り
「時間は元に戻さない。エヴァを必要としない世界を作る」
「Neongenesisね」
Neongenesis=Re-Generation=(組織レベルからの)再創成
つまりは、時系列上の不可逆性は維持したまま、世界(人類)を再創成すると言うのがシンジの意図であり、ラストシーンは、それが具現化した世界。
この工程を「有→無→成」を当てはめて解釈。ここで、成のモメントは、有と無からなり、この有と無からその全体としての第三のもの、成へとすすむという事であり、厳密には「直接的成→有と無→媒介された具体的な成」のトリアーデになると解釈されます。
よって。
「有」=「直接的成」とは、ファーストインパクト前の世界と人類
「無」=「有と無」とは、その後、リリン・使徒・エヴァなどが混在する世界
「成」=「媒介された具体的な成」とは、裏世界の神の力とシンジの意図によって再創成されたリリン(何と呼べば良いか不明)が生きる世界。
②シンジ
「肯定→否定→否定の否定」と言うシンプルなトリアーデ。
「肯定」=誰かのためにエヴェに乗る
「否定」=自己喪失・自己疎外・自己外化
「否定の否定」=自己内化・自己帰還。自己否定・自己疎外において、その「他在化」したものの中にや投影された姿に自己そのものを見出して自己に帰る、もしくは自己を獲得する
序破急シンの各作品の中で、シンジはこれを繰り返してる訳ですね。
③ゲンドウ
「直接性→反省と媒介→自己還帰存在」と言うトリアーデ。「抽象的悟性→弁証法的否定的理性→思弁的肯定的理性」とも。
劇場版とアニメ版しか知らないワタクシ的には、ゲンドウの内面変化が、全然わからないんです。なんで、このシンエヴァの終盤のみを取り出してみると、こうなるんだろうね、って事で。
「直接性≒抽象的悟性」=人類補完計画を淡々と実行するプロセスにおける冷徹
「反省と媒介≒弁証法的否定的理性」=シンジとの対話の中における気づきと変化
「自己還帰存在≒思弁的肯定的理性」=1号機の中にユイを見出しユイの選択を受け容れること
④エヴァンゲリオン
「制約→非制約→被制約とそれの制約との合」
「制約」=リリンの乗るエヴァ
「非制約」=使徒になったアスカ等、解放されたパイロットが乗るエヴェ
「被制約とそれの制約との合」=ユイが同化した1号機
取りあえず、今日はここまで。
ありがとうございました
評価は人それぞれだと思いましたが 、エバァを好きになって18年ぐらいたった自分にとっては最高な終かただと思いました。 グロテスクな部分もあって受け入れられない人もいると思いますので、エバァが本当に好きでないと時間がもったいなかったと感じる人がいてもおかしくない作品でした
エヴァンゲリオンの集大成でした!!
さようなら、全てのエヴァンゲリオン
平日の真昼間だというのに映画館には多くの人が集まっていて、しかも年齢層は同年代から中年まで多岐に渡り、改めて同作の歴史を痛感しました。エヴァンゲリオンを初めて観たのは10歳の頃で高々6年しかエヴァに触れてきませんでしたが、そんな自分でさえ上映後は胸にくるもの(?)があったので、25年間同作を追い続けた人々はきっと良い意味でも悪い意味でも文字では表現できないほど多くを感じることができたと思います。
Qでかなり物語を引っ掻き回しての今作だったわけですが、序盤では荒廃した世の中でも強かに生きる人々の暮らしの豊かさを、中盤では個々人の繋がりの中でシンジが見出したものを、成長を描き、終盤では主要な登場人物の物語を、そしてシンジのエヴァとの決別を旧劇のタッチで実にエヴァンゲリオンらしく上手くまとめ上げたなと感じます。それでいて、これまでのエヴァンゲリオンと比べて理解しやすくかなり前向きな作品となっていてシンジがやっと報われたような気がしましたw。また、エンディングには様々な意見があるとは思いますが、シンジとエヴァの決別、ひいては我々エヴァに魅せられた人々とエヴァンゲリオンというアニメ作品の決別であるようにも思います。ですから、最後の駅のシーンは別世界に飛んだとかそういうのではなく、シンジの旅立ちの暗喩ではないでしょうか。
ただ、どの解釈が正解だとか、エヴァンゲリオンはどういう作品であるかだとかは庵野監督から語られない限り結局のところ答えは藪の中ですから、さほど重要ではないでしょう。個人的には本作で25年に及ぶこれまでの物語は伏線も回収して終わったという認識ですが、自分の感想、自分の解釈が有ればそれで良い。視聴者が勝手に考察しまくる作品、それがエヴァンゲリオンだと思います(投げやりですが、、、)。
最後に、長くなりましたが庵野監督に、全てのチルドレンに、ありがとう。そして、さようなら
まあ、"さようなら"はまた会えるおまじないですからもう一度観に行きますがね(^ω^)
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