シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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わからないなりにドキドキしました
新劇場版をテレビで見たくらいしかエヴァは観たことがありませんでしたが、めちゃくちゃ話題になっていたので見に行きました。ハッキリ言って、訳分からない部分がかなりありましたが、雰囲気で押し切れる強さを感じました。用語などは意味不明ですが、キャラクターやキャラクターの行動の動機などはリアル一辺倒で、素晴らしく入り込めました。面白かったです、観てよかった。
納得はできる終わりかたでした
本放送、旧劇場版ともにスッキリしないモヤモヤとした終わり方であったが、新劇場版はひとまずはキチッと幕引きがなされていたと思う。ゲンドウが他者のこと考えず、補完計画を推し進めていた理由と、「天気の子」の主人公が、世界より好きな彼女を選択したワケは同じではあるが、ゲンドウのほうが情けなく見えてしまうのはどうしてなんだろう。
ニワカなりの感想
作品が発表されて 25 年にもなるそうだが、私はテレビシリーズは一つも見ておらず、劇場版も「序・破・Q」をレンタルで1回ずつ見ただけというニワカである。この作品にどっぷりとハマっている娘が、一緒に見に行ってもいいと言ってくれたので最近になって見始めたという有様で、コアなファンが多いこの作品について何か書くというのも気が引けるが、感じたことを少し書く。
これまで、エヴァに接する機会が実は何度かあり、研究室の学生さんに勧められて見始めたりしたのだが、どうにも主人公の碇シンジの幼稚さが鼻持ちならず、作品世界に入り込むことがどうしてもできなかった。いくら主人公の成長が物語の骨格だと言っても、限度があるだろう。「何故」という疑問に一切答えないのがこの作品の作風であるため、「何でこんな幼稚なガキに世界を救って貰わねばならんのか」という疑問が頭から消えることがないまま見続けるのは、苦痛でしかなかった。
世界を救う当事者が、普通に学校に通っているというのも全く解せなかった。彼が闘わなければ世界が滅ぶというのであれば、サッカーやラグビーのワールドカップ全日本代表選手など比較にならないほどの待遇を用意し、いつ使徒が襲って来てもすぐに出動して貰えるように最大限の配慮をすべきではないかと思うのは、きっと私が歳を取りすぎたために違いない。アスカが主人公に対して投げつけるトゲだらけの言葉を聞くたびに、「その通りだ」と溜飲を下げていた。
ところが、コアなファンは、このひ弱な主人公に自分を投影しているらしい。彼らは、いろいろなプレッシャーに責められてオロオロする現実世界の自分とこのシンジがシンクロするらしいのだが、還暦を過ぎて人生の主要部分が終了している私のような人間は、全く同調できなかった。シンジを完全に自分の外部の人間としか見ることができず、その未熟さにひたすら腹が立った。こんな自衛隊員がいたら国が滅ぶだろうとしか思えなかった。劇中の台詞で言えば、「シンクロ率 0.00%」と言った状況である。
原子力空母の建造に1隻数千億円かかるのを考えれば、あのような能力を持つ特殊なモビルスーツの単価は日本の国家予算を超えるはずだが、そんなものが 13 号機まであるとか、ヤシマ作戦で日本中の電力を集めたのであれば、あんな太さの電力ケーブルでは焼き切れてしまうはずだとか、細かなところも気になった。司令や支援スタッフが戦闘中の情報交換を音声で行なっているのも時代遅れで、物理量の計測値などは各自がパネルの表示を見て瞬時に理解しなければ間に合わないほど即時性が求められるはずである。
また、最初の搭乗で、シンジがロクな訓練もしてないのに使徒と対等な闘いをしているのも鼻白んだ。そもそもエヴァの操縦は、オペレーターの指示をエヴァの機械装置に伝えればいいだけであり、コックピットを機外に出して、安全な場所で操縦して信号だけ無線で伝えれば良いのではと思うのだが、それが成立しない設定なのだというのが娘の説明であった。だが、そんな説明シーンも一切なかったはずである。
シンジが暴走したために犠牲になった人々が相当数いるはずだという疑念は、「Q」で周囲の敵意に晒される姿が描かれていたので、いくらか気が済んだが、シンジの決定的にダメなところは一面的な情報を盲信して、裏も取らずに身勝手な思い込みで突っ走ってしまうところである。この思慮の浅さと結果の重大性のアンバランスは、どこかで見た覚えがあると思ったら、地下鉄サリン事件を起こしたオウム狂徒の実行犯と同じように思えて来た。同調などとんでもないキャラである。
おかしいと言えば、父親のゲンドウの行動や態度も極めて異常であった。何らかの理由で息子を操縦者にしなければならない事情があるのであれば、あんな子育ては目的の放棄に他ならない。しっかり我が意を含ませて手懐けることに全力を注ぐのが、作戦執行の責任者の取るべき態度であるはずであり、国家予算級の機械装置を作るより重要であるし、はるかに低コストで行える内容である。全くやる気がないとしか思えない。人生を賭けた「人類補完計画」の成否の鍵を握っているのが、自分の息子であるというのであれば尚更である。
人間個々の自由が失われる代償に死から逃れられるという「人類補完計画」というのは、共産主義のパロディなのだろうが、そんなものに賛成する人間がいるということ自体あり得ないと思う。個が失われたら不死に何の意味があるのか。しかもそれで亡き妻に再会できるというのはどういう話なのか、全く分からない展開であり、ほとんど付いていくのを断念せざるを得ないのではないかと思われた。見終わった現在でもその思いは同じである。
戦闘の最中に何度も繰り返される「やめてよ父さん!」という台詞ほど無意味なものはないと思った。刑事ドラマなどで、逃げる犯人を追いかける時に刑事が言う「待て!」と同じで、その台詞に相手が「そうですね」とか言いながら従ってしまったらドラマがぶち壊しになるだけである。ユダが裏切らなければキリストは救世主になれなかったのである。
シンジが綾波に惹かれる設定というのも、見終わってみればかなり気持ちの悪い話である。アスカまで尋常でない存在だったというのにも脱力感を味わわされたし、月面で宇宙服も着けずにいられるカヲルというのは一体どういう存在なのかと非常に不可解であった。彼の爆発するチョーカーの扱いには、行動原理が全く読めず、非常に解せないものを感じた。チョーカーに対してシンジが見せる態度も無様の一言に尽き、自分だけ悲劇の中にいるかのような態度の一方で、届けて貰った食事を礼も言わずに人がいなくなったところで食べ、挙句にチョーカーに対して生き物らしい反応を示すところなど、本当に腹立たしい思いしか感じられるものはなかった。
このシリーズの音楽の扱いには非常に違和感を感じさせられた。特に酷かったのは「Q」に出て来るベートーヴェンの第9の終楽章と、「シン」の冒頭のバッハの「主よ人の望みの喜びよ」と、各作品に時々出て来る場違いな鼻歌である。音楽はシーンの性格を左右する非常に重要な要素だと思っているのであるが、この監督はどうやら違うようである。雰囲気を損なわれたことが一度や二度では済まない。今作で唯一しっくり来ていたのは、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だけであった。エンディングの宇多田の歌もこのシリーズを終わらせるには力不足であったと思う。
監督の人生の中の 25 年にも大きく影を落としたこの作品において、本作は本当の意味で結末を付けたかったというのがよく分かる演出であったと思う。「鬼滅の刃」がラスボスを倒してしまったら鬼滅隊や数々の特殊技能の存在価値が失われてしまったように、本作において監督はこの作品にケリをつけるつもりだということがよく分かった。エヴァのファンは、これからロスを味わうことになるのだろうが、それはある意味正しいケリの付け方なのだと思う。スター・ウォーズも Ep9 で終わりにすれば良かったと思うのだが、ルーカスから製作権を買い取ったディズニーはやめるつもりなどサラサラないように思える。サザエさんやドラえもんのように終わりがない話というのは実は悲しい姿なのである。
(映像5+脚本4+役者4+音楽4+演出4)×4= 84 点
少年の心の中
エヴァンゲリオンは、今まで全く知らなかった。
映画好きの人たちが、この映画だけは、今、映画館で、できればIMAXで観た方が良いと話していたので、全くゼロ知識でも大丈夫ですか?と尋ねたら、序、破、Qを観てから観に行くように言われ、その通りにした。
まず、序、破、Qを観て、全く意味がわからなくて困惑した。この人気は何なんだろうと。私の理解力の乏しさなのか?と。
そして、こんなにわからないまま、映画を観て、果たして楽しめるのか?しかもIMAXで観る価値があるのか?と思いつつ、映画館へ足を運んだ。
結果、観てよかった。とても楽しかった。
映像の美しさに息を呑む。すごい。IMAXで良かった。IMAXのお陰で、感動も倍増したと思う。
ストーリーは、やはりよくわからなかったけれど、切なさが心に響いた。大好きなユーミンの曲がまさか流れるとは!イントロですぐわかった。なぜか涙が出た。歌詞が素敵。
普段から当たり前に使っている言葉を、綾波が覚えていくシーンが好き。何気なく使っている言葉の大切さ。小さな幸せ。
今まで、時間が経っても、なぜシンジだけは少年のままなんだろう?と思っていた。そして、ラストシーンでは大人のシンジ。私なりの考えにたどり着いた。
この話は、今までずっと、シンジの少年から大人への成長期の頭の中を、ストーリー化したのかな?夢のような…。だから、ずっと少年。親との葛藤、友達との葛藤、社会との葛藤。そして心も成長して、やっと大人のシンジが現れた。これが現実の世界。それだと、意味がわからなかった全てがわかる。少年の心の中の物語。私の中では、そう思うと納得。
ラストの宇多田ヒカルさんの歌も好き。
今の時代に、映画館で、IMAXで観ることができてよかった。
色々すごい
まず、前半から綾波の可愛さ連発で悶えた笑。全体的に時間軸や設定が凝っているのは分かったが、復習が足りなかったせいか、中盤まで映像美がすごいぐらいしか頭に残ってない気がする。後半は、シンジとゲンドウの対話に入り、時間軸も一定になった気がして、話を飲み込みやすかった。特に傷つきたくなくて身動き取れない自分はシンジとよく似ていて、今回のシンジも自分を投影したようだった。あとシンジが父親ゲンドウの欠点を言い当て、ゲンドウ自身も、ただ妻ユイの胸で泣きたかっただけとやっと本音に気づくバカ親?。ただ、この親子構造は私の父親との関係とも似ているなと思った。私の親子関係も世にありうる話として映画が示してくれたことが、考え込みがちな私にとって、すごく嬉しかった。シンジをもっと理解したいと思った。
あと、感じたことと言えば、レイがおばさん達と関わることで、仕事やあいさつの大切さを学ぶ。私は、私も学んだと思った。
20代の私は、働くことの意義や、邪道でも仕事を全うする厳しさ、その意味。トウジから教えてもらった気がする。
責任感は、特にミサトさんに見習う。
駅のホームでのマリと話すシンジの見たことないくらいの垢抜け感、そこが集大成なんだと最後に思わせてくる所だった。
やっと…
テレビ版はかじっただけ、新劇版しかまともに観てない程度のにわかなので一度観ただけでは咀嚼できず。
色んな方の考察や感想を読み、もう一度「破」「Q」を観てようやくすっきり。
と、ともに皆さんの高評価の理由に納得。そしてこうやって観た人に解釈する余地を残すのがエヴァだな、と改めて思った。
シンジくんには序盤からずっとイライラさせられ、アスカが可哀想すぎるよ!と思ったり、マリちゃんってなんだかベタな設定詰め込まれてない?と思って観てたけど(マリちゃんはとても好き)、これは長い年月をかけた庵野監督自身の再生の話なんだと思う。自己満足といえばそうなんだけど、エヴァと同じ時間を過ごしてきた世代としてはちょっと感慨深い。
自分の中の何かもいつか消化される日が来るんじゃないかと思わせてくれるラストだった。
皆が良いと言っていたので見ました。
<前提>
・知り合いで良い感想を言っている人が多かった(見終わって燃え尽き症候群のようになった、綺麗すぎて目を背けたく成った等)ので、エヴァは自分にとって特別な思いれのあるシリーズでは無いのだが見るにいたった。
・私はそもそもTVアニメ版からあまりシンジや周りの登場人物に共感できていなかったのだから、その分今回の映画作品も共感はあまり望めないのは想定できていた。共感できない理由としては、シンジと自分はそんなに変わらない根暗な人間であって、彼の行動が自分の鏡を見ているみたいであまり見れたものでないからかもしれない。
<結論>
・ラストはまあ、そうなるわなという感じ。登場人物への深い共感やラストへの衝撃や視聴後の興奮は無い(私がこれについて対比したくなるのは、まどマギ叛逆の物語を見た時の童話の世界に入ったみたいな遊園地感、登場人物への深い共感、ラストへの衝撃が全てあった)。
・子が親に、親が子にそれぞれ面と向かって相対し、親が子を守り子が親を超克するというテーマは良いものであった。
・メタ的描写を使い視聴者から物語への没入感を剥ぎ取り、最後に視聴者を置き去りにして懸けていくシンジ達を使って視聴者にリアルに帰れと強いメッセージを送っているように感じた。物語に依存せず物語を糧として生きよという思いは至極良いメッセージだとは思うが、そのようなメッセージを送る創作物は私は他に知らない。そこに思うのは取材なしでの妄想ではあるが、監督自身エヴァの呪縛から逃れたいという思いが作品からシンジとしての自分もリアルに帰りたいという思いが表出したのかもしれないというのと、もう一つはメタ的表現はここまでエヴァを作れと自分に強いてきた「ニーズ」を批判しているのかもしれないともおもった。
・自分にとって、今回のこの作品のテーマと回答は、「逃げて」来た問題を直視し、その介錯をし、問題を終わらせ、自分の人生を歩め!という事となった。
<良かった点>
・アスカが13号機の胸に停止信号プラグを突き刺そうとしてできず、自分のリミッターを外すシーン。中二病心と言いたくないのだが、見ててとてもかっこよく爽快で興奮するシーンだった。
・町並みや海の背景描写が美しい。
・ゲンドウが初めて自分の内の問題点を語った所。聞いていると、監督が自分を語っているようで、ここに一番共感を持てた。
・エヴァを完膚なきまでに終わらせた点。25年お疲れ様。
<悪かった点>
・登場人物の発する言葉に「紋切り型の口上」、つまる処「言わされている感」をところどころ感じた点。例としては、「だから若い男は~」という言葉。劇中の最終局面でこの言葉はおそらく同一人物によって「若い男はいいね」的な言葉に変化して若い男への見識が変わったということで悪くないことではある。が、「だから若い男は」で、若い男である視聴者としての私は内心イラッときて、その後見識が変わった後の言葉を聞いて「?」となり、その変化に対して創作の意志を感じることとなった。他にも委員長がレイの疑問に対して定型的に答えた呪文のような言葉を聞いて私は委員長の自由意志を疑問視した。
・ラスト、シンジがマリと一緒に居た理由が不明な点。マリとシンジの心が通っていく描写が無かったのでラストで?となった。
・説明スピードが早すぎて物語の中の計画や設定を深く把握することができなかった点。
<その他>
・エヴァという作品が他の社会現象を起こしたアニメと比較して唯一ではないが固有に持っている特徴として、男性おたく向けを意図された軽い性的描写があることだと今回の作品を見ながら気づいた(タイトで胸やヒップが強調された衣装、そのようなヒップを意識したカメラアングル、アスカの上半身ハダカ+パンツ)。意図した性的描写がありがなら社会現象となったアニメとしてはうる星やつら、涼宮ハルヒぐらいだと思う(知らないだけかもしれない)。今後もそういう伝統を引き継いで社会現象となるアニメが作られることを願う。
戸惑い
リアルタイム視聴世代だけどものすごいファンでもなく。
一応なんとなくみてたシリーズ?だから、この波に乗っておこくらいの気持ちでみました。
エヴァのうり?である小難しい設定や考察は得意じゃないので雑感ですが。
とにかく画がよい。
リアルさだけなら君の名はに軍配あがるが、抽象的、心理描写的、エヴァのATフィールドに代表する精神世界を具現化する手法は真似できません。
たとえ映像技術がもっと発展しようと、Lシステム?(ごめんなさい設定詳しくない)に汚染された赤い世界、裏宇宙?でのシンジの記憶をたどり?ゲンドウと戦うハリボテ世界観、自作へのオマージュもふんだんにペンペンもでてきたり、戦闘後マリに回収される浜辺では絵コンテそのまま載せてたり
こういう遊びは完全無欠ファンタジーのジブリやディズニーにはできないし、初号機VS初号機の美麗さもアクションも、他の国のアニメではたどり着けない領域だと思います。
庵野監督とチーム、ジャパニメーションは世界に誇れます。
個人的には、いや綾波とアスカの扱い!
マリぽっとでで全部もってくやん!
いやアスカわい?
んで、最後の最後、緒方さんじゃないんかーい!涙
緒方さんなら大人なシンジくんも演じれたのでは。。
神木くんじゃなかったら許せませんよ。
かじさんの子供でてきてのはよかった。
ぶっちゃけラス前寝ちゃってミサトさんどうなったかわからん。
ストーリーはさておき、映像技術、効果編集、そしてやっと新劇場版の終劇を迎えられたことに星4つです。
やっぱQが戦犯ですね。
終劇
泣けた
テレビシリーズしか観てない状態でいそいそと行ってきた。
始終訳わかんない展開だったが、作画があまりにも綺麗でさすがアニメ大国ニッポン!と叫びたくなる美しさだった。
キャラクターのセリフ一つ一つを理解しようとすればするほど意味わからん感じになるので途中で諦めた。
親子モノにめっぽう弱い私はミサトさんの特攻シーンに号泣した。
そりゃないぜ。フラグは立ってたけども。テレビシリーズであんなケラケラしてる感じのミサトさんが親としてこれくらいしかできないと言いながら突っ込むなんて…という衝撃と戦争映画で観たカミカゼと被り号泣。
多分庵野の意図は違うと思うけど
最後の方でシンジくんをお母さんが抱きしめるようなシーンでまた号泣
静岡のリアルな風景が遠のいたところで宇多田ヒカル
これはね、スタンディングオベーションしたくなりますよ。
ファンじゃないけど
ファンじゃ無くても感動したもん
日本人だからしなかったけど
外されてしまったアンビリカルケーブルと、断ち切れないアスカへの思い
●映画を観てよかった
リアルタイムでアニメを視聴し、第1話を観た時の「新しい何かすごいのが来た!」という感覚は、今でも忘れられません。そして旧劇を劇場で観て、どえらいインパクトをたたきつけられたのが小学生の5、6年の時でした。そんな自分はエヴァと言えばアニメと旧劇で完結している人間でした。
なので新劇は、細かい設定が変わっているし、新キャラクターもいるしなんだかなと思って今まで避けてきました。しかしこの度、シンエヴァンゲリオンでついに完結するとのことで、「そういえばエヴァ好きだったし、完結は見届けなくちゃ」と思い直し、一連の作品を視聴しついに新たな完結に追いつくことができました。
結論から書くとシンエヴァンゲリオンは、一連のキャラクター達の救済と新たな門出を祝う良い作品だったと思います。そういう意味でも全体的に優しく前向きな印象を受けて観て良かったなと感じます。なによりこうして感想や考察を書きたくなるという点で、エヴァの世界観のすごさを改めて感じさせられます。
●新劇の世界観について
新劇の最高潮は「破」でした。アスカを3号機に乗せたところで、そうくるか~と思い、トウジは悲劇から救われ、アスカは旧劇での悲劇が前倒しにされました。そして最強の使徒はレイを取り込み巨大なレイになり、シンジはレイを救うために初号機を覚醒させる。旧劇のラストが再現されたことにより、旧劇のさらにその先をこの後描いてくれるのかと自分の気持ちは最高に盛り上がりました。
ところが「Q」で14年もの月日が経ち、ヴンダーが飛行しているのを観て、世界観が大きく変わってしまったとわかりショックでした。自分が好きだったリアリティが失われてしまったのです。人知を越えた力を持つエヴァを運用するためには巨大な施設や人員が必要です。なによりアンビリカルケーブルというへその緒、または足かせなしには3分しか動けない。といった弱点や制約がアニメにリアリティを与えるのだと思います。旧劇で2号機がアンビリカルケーブルを切断された後に、量産機と死闘を繰り広げる緊張感は凄まじいものでした。
それがQ以降のエヴァたちは、パイロットがみな使徒化していることもあるからなのか、アンビリカルケーブルなしに自由に動き回ります。それはまさしくアンビリカルケーブルという名の緊張の糸が切れてしまったようにも感じました。エヴァを動力とするヴンダーや、L結界を除去するシステムなどは、日本中の電力を使ったヤシマ作戦のリアリティからはほど遠く、ヴィレのメンバーもどこか別のアニメから連れてきたような人たちで、いわゆるアニメ的になってしまったのが残念な点でした。
サードインパクトが世界規模で起きたなら、旧劇のネルフ本部壊滅以上の悲劇があったと思いますし、第三村でもシンジのことを知っている、あるいは恨んでいる人がいて襲撃にあうぐらいがリアルな展開だと思います。しかし一貫して旧劇のような悲惨なシーンを出さないのは時代に合わせた演出なのかもしれません。むしろ今の年齢になって旧劇のような演出をされたら辛さに耐えられなかったと思います。事実、レイがLCLになるシーンでかなりドキッとした自分がいました。
●アスカについて
そんな自分は特にレイ派、アスカ派、マリ派でもなかったのですが、アスカ派の人が嘆いているのを知って、いやいやそんなことはないよと考察しているうちに、自分はこんなにもアスカ派だったのかと新たな発見があり驚かされました。そもそもシンエヴァンゲリオンはアスカへの思いをより一層強くする映画と言ってよいでしょう。以下はアスカ、シンジ、マリに対する考察です。
映画内でアスカがあたかもケンスケと親密そうに振る舞うのは、全てシンジへのあてつけで、やきもち妬かせたいからです。アスカは14年間も眠っていない。つまり14歳の少女のまま、シンジのことが好きである気持ちをそのまま持ち続けています。ケンスケはアスカが求めた父親の投影で、シンジにはレイ(母)が必要だったのと同じ構造。第三村を去るアスカの姿を撮影するケンスケは、娘をカメラで撮る父、ちびまる子ちゃんでいう、たまちゃんのお父さんそのものです。
マリは冬月先生以外にはアスカやシンジとの絡みばかりで、常に浮いた存在に感じました。それは新劇を終わらせるための進行役で、映画ポスターでマリだけが靴を脱いでいるのは、逸脱したトリックスターである暗示だと思います。同時にマリはシンジとアスカの間に立っているのが意味ありげです。そんなマリが「姫」と呼ぶのはアスカ。アスカは最後の出撃の時、「昔は好きだった、私が先に大人になった」と言います。素直ではないアスカの真意は「今でもかわらず好き」です。不器用ながらも気持ちを伝えたことで、最後の戦で命を賭けることができました。
アスカは思いを伝えますが、バカシンジはそれを言葉通りとって「僕もアスカが好きだった。ケンケンによろしく」といって送りだしてしまいます。その瞬間、マリが「姫、お達者で」と言うのはあきらかに皮肉。素直に気持ちを伝えないからだと言っているわけです。結果、アスカのプラグは第三村に到着しますが、そこには誰の姿も描かれていません。
●ラストシーン
正直自分は見逃していましたが、ホームにはアスカが一人でゲームをしていたといいます。つまり孤独を抱えたアスカのままです。素直じゃない「姫」の気持ちを見透かしているマリは、わざとシンジにくっつき「私がとっちゃうぞ」とアスカにけしかけます。これは最初に書いたシンジにヤキモチを妬かせたかったアスカと同じ行動です。家出したシンジを尾行していたアスカなら、記憶があるかないかは定かではありませんが、衝動的に後を追いかけるのは想像に難くありません。その意味でマリは二人の仲をとりもつ恋のキューピッドあるいは、仲をこじらせる小悪魔なのかもしれません。
旧劇ではあまりに不器用に気持ちを伝えたシンジですが、新劇ではレイのおかげで素直に気持ちを伝えることの大切さを学んだと思います。この先、二人の関係が進展するのか、ずっとお互いヤキモキしていくことが幸せであるのかは、我々にゆだねられたのだと思います。
テレビ版のラストで、エヴァの世界には想像の余地が最大限に提示されました。その意味では新劇も一つの可能性に過ぎないのかもしれません。しかし長年にわたり楽しめるエヴァシリーズの制作に尽力してこられた監督、スタッフ、全ての方々に感謝しかありません。
長文失礼いたしました。
「卒業であり、新たなる門出」
◎我々一人ひとりがエヴァンゲリオン
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。
14歳の少年が放ったその言葉は、どこまでも清々しかった。
TVアニメが始まって25年。
新劇場版が公開されて14年。
そんな長い年月、社会現象を巻き起こしたエヴァンゲリオンというひとつのコンテンツに遂に終止符が打たれた。
このご時世、2度の公開延期を経て公開された今作は、、
そう、言うなれば
「パターン青、傑作です!」
全てのエヴァファン、そして大人になりきれない人達、そして、生命ある生きとし生けるものへの、アンサー映画であり、庵野監督がエヴァの呪縛からようやっと解放される特別な一本。
この映画を観終わって、凄く感じたのは
“我々人間一人ひとりが、エヴァンゲリオンだ”
ということ。
何を訳分からんことを仰って、と思うだろうが
要は、自己理解・自己確立といったところか。
私というエヴァンゲリオンには、私しか乗れない。
私の身体を動かせるのは、他の誰でもない、私だけ。
だからこそ、自分の道は自分で決めるべきだし、そのリスク・責任は当然自分で負うもの。
じゃないと、みんなエヴァでいう所のインフィニティのなり損ないになってしまう。
あなたは、何者でもないあなた。
流されるだけの自我無きモブ人間になってくれるな。
そんなことを言われてる気がした。
◎終焉で解放で。
庵野秀明が生み出したエヴァンゲリオンという作品は、瞬く間に人気を博し、そしてそれはのちに一つのビッグアイコンと化し、庵野秀明と言えば、誰もが口をそろえてエヴァンゲリオンというのが当たり前であり、絶対になっていた。しかしそれは、人気と同時に彼自身を苦しめる”呪縛”という形に変わっていった。
そんな自身の命を削りながら作り上げられた今作は、言うなれば全ての終焉と解放。
シリーズ通して感じるのは、14歳の主人公・碇シンジは庵野監督自身なんだろうということ。大人になり損ねた人庵野秀明と大人になることを拒む碇シンジは、まさにシンクロ率100%
だからこそ、シンジの父親であるゲンドウとも自然とシンクロする。
そんな碇シンジが、今作でようやっとH2Oの思い出がいっぱいのように、大人の階段に足を踏み出す。
彼が色んなことにピリオドを打つ姿は、庵野自身が呪縛という名の絡まった糸を一つ一つほどいていくようにも感じた。
そして鑑賞後には、絡まるものなど一切無く、清々しさまで覚えるほどだった。
どのシーンで止めてもWindowsの壁紙のように絵になるくらい、一瞬一瞬一コマ一コマにまでこだわってるビジュアルもさすがスタジオカラーだし、シンクロ率無限の宇多田ヒカルの主題歌も最高だし、いやーー、庵野監督、本当にお疲れ様でした。そして、また頑張ってください。
キャラクターは期待通りでした
ストーリーを軸としてみるか、キャラクターを描き切る作品としてみるかで見方や評価は分かれる。
視聴後ストーリーが物足りなく感じるのは、少なくとも本作はキャラクターを丁寧になぞった作品だからかな。それだけ見る側もキャラクターの理解が深まっているのだろう。
サードインパクト後の村の世界と、シンジの長い塞ぎ込みは、各キャラクターを描く為の単なる舞台装置に感じてしまった。
綾波が人の生活や人間の暖かさにに触れていくシーンは良かった。何もない部屋で無感情に暮らす綾波も、人の優しさに触れ自然に微笑む綾波も、周りの環境が違うと、きっとこういう子になるだろうと。紛れもなく綾波として受け入れられた。少しの間だけど、人間の暖かさに触れ、心としては報われて良かった。
アスカは、ウンダーに乗ってた時とは打って変わり、正面きっての過激なツンデレぶりが復活。シンジの反応の悪さや、良いところを綾波に持ってかれる報われなさも久しぶりだなぁ。イライラ暴力的だが、やってる事はやさしい。ゆっくりそう言ったシーンが見れて良かった。一歩進んでアスカとシンジの関係性やお互いの気持ちも、すれ違わずにちゃんと話ができた。精神的には少しだけど報われたのかな。(アスカのストーリー上の扱いは酷いけど)
ゲンドウの妻と会うため世界を変えてしまう考えを、前からエヴァを見てる人は知っているし驚きがないのは、ずいぶんエヴァに染まってるなぁって思った。ゲンドウの心情が丁寧になぞられていた。
シンジに対してATフィールドが発動したのにはちょっとドキッとしたかな。自分も父親なので。
唯一最後まで深堀りされないキャラ(名前すら思い出せない)と一緒になるのは、必然性は感じないが、困ったことに全く悪い気がしない。
付き合ってるって言う1つの事実で、シンジが幸せになったという説得力を持たせ、物語を心地よく帰着させている。(この手法は反則かも)
全体として作品に一切の悪意は感じられず、視聴者を縛り付け引っ張り回す意図もなく。気持ち良く解放してくれる作品でした。
良かったです
みごとな完結でした。
評価しないという人もいるが、それは違うと思う。
エヴァの終わらせ方は幾つかパターンがあると思うが、変化球に逃げたりぜずきちんと終わらせている。そうすると展開というか結末は想像の範囲内という事になる。
評価をしない人はこういった点を指摘している事が多いが、この映画はエヴァ全体としての起承転結の結であり、その指摘はズレていると思う。
庵野秀明補完計画
終わった後膨大な数の関わった人たちの名前が流れるエンドロールを目の当たりにし、最後「終劇」の文字が現れたら、しばし茫然としてしまいどんな感想を言っていいか分からなくなった。それほど25年間のエヴァに幕が閉じたことを実感し感慨深い思いだった。
「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」というコピーの通り、すべてにケジメをつけたラスト。
これまでのエヴァンゲリオンシリーズをどういう思いでつくってきたかの総まとめであり集大成。登場人物たちの存在の真実が語られる。まさに完結編。これまでのテレビ版、旧劇場版も回収した内容になっている。
庵野秀明がなにを思いどう苦悩して創り上げてきたかを絞り出し代弁しているようだった。まさに庵野秀明監督の思考や感情や人柄…人生すべてが滲み出ている作品。
一言で言い表すのは難しすぎるが、人間の弱さに手を差し伸べたレクイエムだったように感じる。
前半これまでのエヴァンゲリオンらしからぬのどかな日常が描かれる。コロナ禍でも浮き彫りとなった、生きていくうえで本当に大切なことを伝えてくれている。
「おやすみ」「おはよう」「さようなら」「ありがとう」ってなに?の答えには心掴まれる。
分かりやすくストレートに伝えてくれている部分もあったが、やはり難解なメッセージも多く一度では理解できなかったためまたじっくり観返したい。
それと、タイトルの最後に付けられている楽譜記号が終止線ではなく反復記号なのは、人類補完計画の通り歪になってきてしまっている世の中を再構築して、本当に必要なものを復興させる意味があるのか。(ループ説もあるようだが…)
とにかく、日本のアニメ界どころか、世界の映画界、エンタメ界の伝説に残り続ける作品であることは間違いない。
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