シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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難しい
エヴァシリーズの最後の物語となる映画。
エヴァシリーズは、新しい映画がでしかしっかりと見た事が無く、それでも内容が分かるかなと思ったけど、
やっぱり難しいかなと感じました。
内容としては、今まで登場してきたキャラクターの総決算のような感じで全体として明るいシーンもあったりして良かったです。
綾波の畑で働く所や子どもを抱く所、些細な事に疑問を持つ所、改めて自分も色々と考えさせられました。
孤独が人を苦しめてしまう。
それを変えたくて何か抗おうしてぶつかり、傷つき、傷つけてしまう。
それでも少し良い人でありたいと思う気持ちがあるから何か分からなくても前に進みたいと思える。
普遍的に伝わるものではないような気がした。
それでも、どこか救わられるようなそんなお話だった思いました!
エヴァンゲリオンは良く知りません
稲垣早希ちゃんの『あんたバカぁ~?』でエヴァンゲリオンを知りました。
人間関係もある程度しか分かりません。
今作が公開延期になり、再上映?してた前作のQを劇場で観たのが初めてのエヴァンゲリオン体験でした。
って事で、本作。
キチンと伏線も回収しつつ、ストーリーも終結したのでなるほどと思いました。
基本的にエロい描写が多めだと感じ、これは男子学生はタマらんやろなと思いました。(笑)
父と息子の戦いの場が日本の日常風景の中に織り込まれており、それは普遍的なテーマなのであるとの作者のメッセージを感じました。
ラストシーンの平和な街並みに、本当の幸せとは何気ない日常なのだと強く思いました。
知らんけど(笑)
面白かった、が…
漫画版を子供の頃に見て、三年くらい前に新劇場版を見てハマり、テレビ版、旧劇場版という順番で見てシン・エヴァを鑑賞しに行ったオタク。
率直にいうと面白かったがモヤモヤが残ってしまうという非常に悔しい結果だった。多分僕は庵野秀明が好きだったわけでは無くて、エヴァンゲリオン新劇場版という“新シリーズ”が好きだったんだと思う。だからこそ作品後半の序破急とは一線を画すような彼のエッセイじみた作風を素直に受け入れることができなくて(「まごころを君に」が刺さらなかった自分としては)、心の中では本予告で醸し出されていたシリアスな雰囲気を求めてしまっていたのも大きな要因なのだろう。もちろん本予告のシンジ君のセリフや、“3.0+1.0”というようなナンバリングからシン・エヴァンゲリオンがこれまでのエヴァンゲリオンの集大成とも言える作品となることは想像ができたのだが、それでも自分の理想としていたシン・エヴァと実際に映画館で観たシン・エヴァが乖離してしまっていた事実を、映画を観た当日には受け入れることが出来なかった。結局自分は王道でありながらも心を抉られるようなストーリー展開、複雑な設定、奇抜な世界観を持つエヴァンゲリオンが好きな浅いオタクだったのかもしれない。もちろん、作品自体は十分に楽しむことができた。特に第3村のシークエンスはQの絶望的な状況とは一転して、まるでこれまでのシリーズに出てきた中学生パートのような穏やかな生活を見ることができて救われたし、ヴンダーの本来の運用方法やゲンドウの目指す新劇場版での補完計画の内容(ヘヴンズフィールかな?)が明らかになった所などは本当男の子心をくすぐられた。マリendのラストに関しても個人的には納得がいった。“新”劇場版である以上は、今までのシリーズには登場しなかったヒロインがシンジを救って恋仲になるという展開はありえたとは思うし、とりあえずはシンジ君が誰とも結ばれないエンドにはならなくて良かったんじゃないかな(ヒロインを絞め殺そうとしなくて本当に良かった…)。ただ、やっぱり本予告を見てすごく期待していた初号機と十三号機のバトルが半ばお笑いのような形で進行していたのが個人的には残念だった(まあこれが認められないのは結局は自分のエゴのせいなんだけど)し、登場人物がこれまでの名台詞を次々と言っていくのは正直あざとく感じて苦手だった(ポカ波、「ゲンドウ君の狙いはこれか!」「始めよう冬月」等々)。後は首無しエヴァが綾波の体に変わっていったり、ゲンドウがテレポート遊びをしたりするシーンは本当に笑いを堪える程面白かったけど、僕の求めていたエヴァはこれじゃなかったんだよね…。ラスアス2とかトイストーリー4を批判的に見てる人は物語を多面的に見れてないんじゃないかって思ってた。でも僕もその中の一人だったようだ。「さよならはまた会うためのおまじない」と作中では言ってたけど、多分もう庵野監督の新作エヴァを見るのは難しいだろうから本当に悲しい。そして、制作陣には「これまでエヴァンゲリオンという作品を作ってくれてありがとう。」と感謝の意を伝えたい。自分のエゴのせいで評価を3.5にしてしまったが、「虚構と現実」という全ての作品が必ず有するテーマについてここまで深く取り組んだシン・エヴァンゲリオンは本当にすごい作品だと思うし、二回目も絶対見に行くだろう。ありがとう庵野監督。
後、僕は三人の中では綾波派で、一番好きなのは鈴原サクラです。
さらば、全てのエヴァンゲリオン
「さらば、全てのエヴァンゲリオン」このキャッチコピーがこの作品の全てを表していると思いました。
ここでいうエヴァンゲリオンが、エヴァをこれまで見てきた視聴者を指しているというのは明らかだと思います。つまりこの作品はエヴァと共に成長してきた視聴者(ならびに関係者)に向けられた、庵野監督やカラースタッフが別れを告げるための(そしてまた会いましょうという意味も込められた)作品だなと感じました。
そのためこの作品には現実の視聴者へ向けられたメッセージを多分に含んでおり、メタ的な要素が多いです。
作品への没入感を期待して見ると肩透かしをくらいます。私がそうでした。
まず前半部分で綾波の名言である「ぽかぽかする」がギャグ的に使われるシーンがあります。そんな使い方するのか笑 と思い、このときから制作者側からのメタ的に見てほしいという意図を感じ、少し引いた目線で見てしまうようになりました。
かと言って、つまらなかったわけではないですし、これまでの謎も色々解けたし、作品の集大成として良かったと思うのですが、、、
以下、私が気になった点を紹介します。
前半の田舎街で生活するパートは敵側の重要人物である綾波を放置しておく理由やアスカが滞在し続ける理由が不明で、もやもやしました。(シンジの監視・保護ならエヴァのパイロットという超重要人物のアスカじゃなくても出来る)
専門用語が多く分かりにくかったです。
しかもQのシンジは周りのことをまったく理解していなかったのに、今回はピンチのときに急に出てきて、全て理解してるぜ俺は!みたいな感じの悟りきった顔をしていましたが、いつどうやって状況を理解したのか不明。
あとシンジの人格変わりすぎです。もはや、別人。
綾波も今までは感情の欠落した少女だったのに、今回は何も知らないただの純心無垢な女の子のような性格で、これは綾波じゃない感がありました。これは個体差かもしれないですが。
もうちょっとあった気がするのですが、思い出せない笑
エヴァンゲリオン完結
なるほどなと思ったが自分自身的にはモヤモヤが残った
世紀の駄作凡作?結局、自分で拡げた伏線を回収できないまま・・
表題はこんなだが、庵野監督をはじめとする制作陣の皆さんには、声を大にして『ありがとうございました!』と言いたいスね。
ムンクの『叫び』の原画には『こんな絵を書く奴はきっと頭がおかしいんだろう・・』て落書きが、消されずにそのまま書いてあるそうな。
テレビシリーズも。
劇場版も。
そして?
新劇場版も?
庵野監督自身の頭の中を、まだ具現化出来ていないのだろう?
荒唐無稽の支離滅裂、まさにムンクの叫びで?
こんな映画を作る奴はきっと頭がおかしいんだろうな、とは思うし思ってる。
*特に後半一時間なんか、何かしらの精神汚染?疾患?性を感じる。
でも?
日本の明治大正の文豪も?
世界の絵描きも?
天才て?こんなんでしょう?こんなもんでしょう?
何がしたかったのか?
何を伝えたかったのか?
テレビシリーズでも?
劇詩版でも?
リビルト版でも?
サッパリ分からない。
俺の三時間と、お金を返して欲しい。
ーーーーー
でもね?良いと思うの。。。
精神的に追い詰められながら、何とかゴールまで駆け抜けた、とりあえずの句読点を付けてくれた庵野監督には、ガチ大感謝!
黒澤監督の大ファンで、晩年の何作品かをサッパリ理解出来なかった爆問の太田さんは自分に言い聞かせたそうな?
『あ、俺の映画鑑賞レベルが黒澤監督作品に、まだ追い付いて無いんだな?』と。
そう、だから言いたいの。
俺の何年間かのエヴァレベルが、まだ庵野監督に追いついてないんだな?と。
ーーーーー
スターウォーズ の⑦⑧⑨は大凡作の悪作に思う。
でも?中止せずにちゃんと完走してくれたディズニーには、礼を言いたい。
エヴァQから九年。
良くぞ、この大作を諦めずに完走してくれました。
何がしたかったのか?
何を伝えたかったのか?
人類補完計画とは(具体的に)何だったのか?!
もう一回見たい度】☆0
二時間半は長い度】☆⑤
エンドロール十分以上は長い度】☆⑤
マリの声の坂本真綾さんが好き過ぎる度】☆④
アスカどんだけ脱ぐねん!度】☆④
何度でも言う。
ありがとう!庵野監督にカラー(やガイナックス)。
細野監督や米林監督や新海監督らと共に。
プロダクションIGやUFOテーブルやMAPPAも。
是非に、日本のアニメを引っ張っていかれて下さい!
お金使って応援します(`_´)ゞ
ーーーーー
最後に、庵野監督のリビルド制作時の言葉を借りて一言。。。
『今時?エヴァか?今更?エヴァか?て声も分かりますが?
この何年か?でエヴァを超える作品が無いのも事実です。
・・リビルドをする意義は有る、と思いました!』
わかったようなわからないような…。
アスカは???
うーん
相変わらず一回ではよくわからないなぁ
今回こそはハッピーエンドで終わって欲しかったからそれはいいんですが。
最後のカップルが???
やっぱりシンジとアスカがくっついて欲しかった。
もしくはシンジアスカレイのドタバタ劇もありかと。
願望ですけどね
まぁ「お互いに好きだったよ」と過去形はアリだと思うのですが、、、
最後に「あれ?アスカは???」と思ってしまった。
いや、ケンケンは素晴らしい人格者に成長しましたけどね。
つか無理にカップル作成しなくても良かったと思うのは間違ってるのかなぁ
二回目三回目と見ればまた感想も違ってくるのでしょうがね。
また見に行こう!!
ごめんなさい。
すみません、最初に断っておきますが、僕は最後まで観ていません。観ることができませんでした。
僕はエヴァとは1年程度の付き合いですが、アニメも映画も漫画も全部観ました。シンエヴァも楽しみでした。
僕はエヴァの表面的な部分しか見れていなかったのかもしれません。今回初めてその中身、庵野監督の中身が見えた瞬間、トイレへと駆け込んでいました。トイレの個室の中で、残り50分あると分かったとき、家に帰ることにしました。
これは映画的な分析をしたうえでの評価ではないので、評価が荒れることを防ぐためにこのレビューでは⭐︎3.5をつけさせて頂きましたが、もう一度観たいかというと、しばらくエヴァのことは忘れてゆっくりと休みたいです。
画面に釘付けになっている人たちに畏怖の念を感じながらスクリーンを抜け出したあと、口を手で押さえながらトイレへと向かっている女子高生が目に入り少し安心しました。
普段僕と同じような映画を観ている方には、残念ながらおすすめはできません。それでもどうしても観たいと思っている方は、エチケット袋を持参することを強く勧めます。
3/14 追記
ようやく体調が落ち着いてきました。
僕はなぜ今まであれほどエヴァにハマっていたのかというと、「子供」と「大人」の間で揺れ動く思春期の少年少女たち、特にシンジくんにひどく自分が入り込んでしまっていたからだと思うのです。
僕はこの春一人暮らしを始めて、色々一人でやっていくうえで、おそらく「大人」になった、なってしまった、もしくは「大人」になろうとしているのだと、自己を客観視してそう感じています。なので、いつまでもウジウジしているシンジくん、さらにはシンジくんのお父さん(=庵野秀明監督?)を観て、多分ムカついていたのだと、それで気持ち悪くなってしまったのだと、今振り返ればそう思います。
なので、今「大人」になろうとしている僕は、エヴァを観ることはできないです。あと5年後くらいに、またお目にかかりたいと思っています。
変なレビューで大変失礼致しました。みなさんはぜひ最後のエヴァを楽しんでいてください。
しっかりと「A.(アンサー)」してる大団円
しっかりとアンサー。『Q』ハマらなかった人にもオススメできる、むしろそういう人にこそ見てほしい大団円。最後の最後までエヴァはエヴァでしかなかった。尺はアニメ映画としては長いけど、その価値はある。長い長い旅路の終わりに相応しい。「おめでとう」に対する「ありがとう」、そしてさよなら。
エヴァってなに?そうね、庵野監督の作家性を決定づけたライフワークで日本国民を熱狂させるイベント"おまじない"。そんなの無理だよ、分かりっこないよ!前作同様冒頭からフルスロットルのアクションで見せてくれる。構図や大胆なカメラワーク撮影で、力入りまくり、凝りに凝っている。映像表現がすごい。また一貫した性の描き方、エロさエグさ。ところどころグロかった。結局のところ気持ちの問題か。
朝イチの回だったけど、おじさんを中心に沢山の人々がいた。正直、コロナ自粛期間始まってから初めてエヴァを見た人間として本作が「ありがとう!最高!!」と熱弁できるほどの知識も思い入れもないけど、恐らくではあるが、エヴァ大好きな多くの人々にとって、本作は満足のいく答えを与えてくれるものになっていると思う。
おはよう
こんにちは
ありがとう
さよなら
※以下、人によってはネタバレかもしれません※
『Q』の鬱映画的重苦しさ、その延長線上 = 赤い世界から始まる本作は、「おめでとう!」スピリットに満ちたエヴァ的 = 庵野節としか形容し難い独特な、非常に"らしい"内世界から外向きに開かれた僕たちの世界へのつながる結末フィナーレに帰結していく中で、数多くの再訪を経るエモーショナルさ。どのキャラクターにもしっかりもスポットが当たる瞬間が用意されている。宇多田ヒカルによるエンドロールまで(近くの人がめっちゃノッてた)。
終劇
社会に属する人たちへの強いメッセージ性を感じた作品だった。それでいて、幸福感があるとともにいろんな伏線を回収していく様は素晴らしかった。
庵野監督らしい
エヴァファンにすら受けないであろうラスト。
旧エヴァしかり、TVエヴァしかりの監督のマスターベーション。
自分は好きなので。
どんな作品にも終わりがあるってのをしみじみ思った。
TV放映、当時田舎の中学2年生が夏の再放送で見て感動して、うん十年。
友達にどのキャラ好きって聞かれて本当はレイなのにカヲル君と答えて頼も懐かしい。
今ならまごうことなく、こう答えられる。加持さんが一番だと。出演がw
やっと描き終えたんですね。
決して万人受けしない。寧ろ酷評される作品のはずなのに、社会現象的なもので。
ここから始まるシン庵野の世界観デスね。どの作品も『庵野おじさんの趣味まっしぐら』って感じの作品ですが。
今やっと感想が書けました。
映画って素敵やなー
序盤30分くらいいらなかった。少し退屈。作画、カラーが前作よりもダ...
序盤30分くらいいらなかった。少し退屈。作画、カラーが前作よりもダウンしてしまった感が否めなかった。戦闘シーンも好みではなかった。中、終盤は良かった。
最後は既視感あってデジャヴ感はあったものの想像通りエヴァらしく完結した。人生悔い無し。
テレビ版でも俺の中では完結出来ていたというのはここだけの秘密。
虚構からの卒業と冒険のループ
英雄の物語は、父親の世界を知ったあとに、父殺し、それから帰還という流れになる。本作でもその部分が描かれる。なお、「千の顔を持つ英雄」では英雄の冒険は、円環を描いているとされており、タイトルにつけられた「:||」は、その円環を意味していると思われる。
冒頭、ヴィレとネルフの戦いが描かれる。舞台はパリであり、街全体が赤く染まっている。海の色と同じだ。つまりは死滅していることを示しているのだろう。ただ、後半、ゲンドウの言葉によると、死滅ではなく「浄化」ということになる。
なぜパリなのかはわからない。ネルフの生み出した軍隊は、「シトもどき」と呼ばれる。破壊されると、シトと同じように十字の閃光が走る。Qの冒頭での、ネルフとの戦いでは、十字ではなく、十字が傾いた閃光になっていたので、Qの時にヴィレが戦っていたのはシトもどきではないのではないか。ということは、ネルフは進化してシトを作れるようになったということか。今まではシトが第三新東京市を襲ってきていたのだが、ゼーレが消滅して、シトはやってこない。しかし、〇〇インパクトを起こすためにはシトが必要だ。そのために、シトを作っているのだろうか。
戦闘に参加しているのはマリで、ネルフの軍隊を撃破し、パリがふたたび生気を取り戻す。
場面がかわって、シンジとアスカ、アヤナミが第三村にいきつく。村には外敵から守るための防御柱が設置されている。ヴィレが作ったものだという。アスカは村には入れない。これは後半で明らかになるが、アスカがシトだからだ。
先に書いてしまうと、アスカはシトであって、左目に小型の防御柱のようなものをいれて、その力を抑えている。だから眼帯をしている。つまり、破で、エヴァをシトに乗っ取られたとき、アスカ自身もシトに乗っ取られていたのだ。
そして、彼女がシトであることが、アナザーインパクトのトリガーとなる。フォースインパクトで世界を救いにいったカヲルが、トリガーにされたのと同じパターンだ。しかし、単純な繰り返しではない。それについては後で書く。
村での平穏な生活は、農作業をしたり、壊れた部品を修理するような、平穏なものだった。しかし、エヴァパイロットにとっては、終の棲家になるような場所でない。
シンジはQでの衝撃から立ち直れず、ずっとふさぎ込んでいる。アヤナミは畑仕事を手伝うなどして、農村の人々にかわいがられるが、自分はネルフでしか生きられないことは知っている。
彼を取り巻く状況はあまりにもヘビーだ。
サードインパクトを起こしかけて、世界をめちゃくちゃにした。しかも、助けたはずの綾波はいなくて、結局誰も助けていなかった。さらに、フォースインパクトをも起こしかけてしまった。その際に親友のカヲルを失った。さらに悪いことに、カヲルが死んだのは、シンジがつけていたチョーカーを引き受けていたからだ。要するに、シンジがカヲルを殺したようなものなのだ。なお、カヲルの原型はユイではないかと思っていたが、本作を観ていると、もしかするとゲンドウが原型なのではないかと思わされる節がある。
気になるのは、シンジからチョーカーを引き受けたとき、カヲルは「これはそもそもボクがすべきものだ」と言っていたことだ。シンジがチョーカーをつけられたのは、彼がフォースインパクトを起こしかねないからだ。セカンドインパクトを起こしたカヲルが、フォースインパクトのトリガーになる可能性は非常に高かった。そういう意味ではカヲルがチョーカーをつける必然性はあるだろう。しかし、彼は世界を救うつもりでエヴァに乗った。ゲンドウの策略にはまったことを悟るのはそのあとだ。そうすると、別の可能性を考える必要がある。カヲルがゲンドウのコピーであるならば、人類補完計画を実行するために、フォースインパクトをもくろんでいるわけだから、チョーカーをつける必然性が出てくる。
物語に戻ると、シンジが立ち直る。そして、アヤナミのタイムリミットが訪れ、彼女は死ぬ。
シンジはアスカとともにヴィレに戻る。
ヴィレとネルフの最後の戦いはセカンドインパクトが起こった場所で繰り広げられる。
なお、本作ではカジさんが、サードインパクトを止めるために犠牲になった、という話が語られる。カヲルが槍で初号機を貫いたからサードインパクトが止まったのではなかったのか。カジがどうやってサードインパクトを止めたのかは語られない。
最後の戦いのメインになるは13号機を破壊することだ。シンジは13歳、カヲルは13番目のシト。そして、12使途の次の数が13。この13という数字は、エヴァにおいて、重要な数字のようだ。
戦いの途中でゲンドウがヴィレの戦艦に現れる。彼は銃で撃たれるが、形態が破損するだけで死なない。これは、ゲンドウ自身がすでにクローン化しているということだろうか。
観ていて思い出すのは、埴谷雄高の「死霊」だ。日本初の形而上学小説と呼ばれる傑作長編において、延々と語られていたのは「人間は肉体はいらない、魂だけの存在になるのだ」ということだ。その魂だけの存在を小説内では「虚体」と呼んでいた。延々と続く物語の中で、ただそのことしか語られていなかったのは、見事だった。
エヴァが「死霊」を意識していたとすれば、ゲンドウは虚体になっていたのではないか。
人類補完計画は「虚体」かといえば、魂を固体化して、融合するというプロセスのようだから、虚体ではない。このあたりの事情があるので、小生はエヴァと「死霊」とのつながりをあまり強く主張できない。
まず13号機を破壊しに向かったのはアスカだった。彼女が13号機に槍をつきたてようとすると、ATフィールドが発生する。アスカが搭乗している新2号機が発生させているのだ。そこで、アスカは左目から防御柱を引き抜き、シトの力を発生させる。この発想はデビルマンと同じだ。コックピットにいるアスカに、笑い声が近づいてくる。これは破の時と同じ状況だ。しかし、姿を見せたのはアスカの原型だった。アスカは最初からクローンだったのだろうか。もしくは破で一度死んで、クローンとしてよみがえったのか。父も母も知らないというところを考えると、前者なのかもしれないが、今までそういう情報がなかったので判断できない。
そしてアスカが死ぬ。
次に、シンジが初号機に乗って13号機を破壊しにいく。13号機に乗っていたのはゲンドウだった。
アスカが戦っていたときは、アスカの原型が乗っていたようだが、シンジが乗っていたときはゲンドウが乗っている。これは13号機という存在が、相手によって姿を変える要素があるということだろうか。つまり、おかしな言い方になるが、13号機の実体はなくて、セカンドインパクトの爆心地という異空間によっておこる内なる戦いが、実体化したものなのだろうか。
ゲンドウとシンジは戦うが、攻撃によって勝敗がつかないことを悟る。そして、会話がはじまる。電車の中で。あの電車は、シンジの心象風景なのだろうか。
ふたりが話している間に、ヴィレの戦艦が槍を届ける。それによって、ゲンドウは自らが敗北したことを悟る。
そのあと、マリと冬月が会う。冬月はマリを「イスカリオテのマリア」と呼び、死の直前に「ユイくん、これでよかったかね」という。今までゲンドウの分身だった冬月が、ここではじめて自らの意思を見せる。つまり、ユイやゲンドウと同級生だったマリは、彼らが夢見る人類補完計画を阻止する役割を担うところから、「イスカリオテ」と呼んだのだろう。そして、マリの援助をするということは、冬月もまたゲンドウを裏切ったということになる。彼は自らの命を賭して、人類補完計画を止めようとしたのだ。「ユイくん、これでよかったかね」というセリフは、冬月が考えるユイは、人類補完計画を望まないだろうという思いの表れなのではないか。
登場人物たちが次々と自分の立場を説明しながら退場していく。カヲルとカジさんのやりとりも興味深い。カジさんはカヲルを「渚指令」と呼ぶ。その時のカヲルはゲンドウの席に座っている。つまり、カヲルとゲンドウは同一人物なのだろう。そして、カヲルがゲンドウを「お父さん」と呼んでいたことを考えると、原型がゲンドウで、カヲルはクローンなのだろう。カヲルがシンジに無償の愛を注いだのは、カヲルにとって、シンジは息子のようなものだからだ。
やがて戦いはおわり、マリがシンジを迎えにくる。ふたりは田舎の駅にいる。駅のホームには、カヲルやアスカといった人々の姿がある。ただ、みんな他人で、普通の人間になっている。
マリはシンジの首からチョーカーを外す。簡単に外したのは、世界が違うからだろうか。
ふたりは駅から出る。そこは実写になっていて、人物だけがアニメになっている。カメラが空撮になって町の風景が映し出される。不思議なのは、そこには人物が歩いていないことだ。車は走っているのだが、人間がいない。駅周辺にいた人々はアニメだったが、カメラが回転したあとの世界がどうなっているかはわからない。
この、実写の世界に移行するということは、英雄の、すなわちシンジの人生が円環のあらたなターンに入ったことを示している。
こうして一気に観ていると、いろいろなことがつながっていく。槍の名前については、調べなくてはわからないが、今回は基本的に自分の知識や想像だけでレビューしてみた。
人は他者とのコミュニケーションがあるから人なのであって、ひとりでは生きていかれない。コミュニケーションには苦痛がつきものであるが、それでも生きていかなくてはいけない。というのが、エヴァの中核をなすテーマであったと思う。
今作の最後で実写を入れたというのは(旧作でも実写は入っていたが)、アニメ、つまり虚構の世界から現実への移行を表現しているのだろうか。虚構にとじこもっているのではなく、現実を生きろ、と。そうだとすると、あまりにも正論すぎるかと思う。単なる演出上、実写をいれたのだと思いたい。
なお、エヴァを観ていると、ちょくちょく「シリアルエクスペリエンス・レイン」を思い出した。人間の心の闇を描いた傑作で、あの作品にながれていた虚無感が、エヴァからも感じられた。エヴァは最後に救いを持ってきたが、レインはどうだったかな。
すぐれたイマジネーションに触れると、人生が豊かになった気がする。小生の場合は、圧倒的なオリジナリティに触れたい。そういう意味で、大友克洋の「AKIRA」であるとか、デヴィッド・リンチであるとか、埴谷雄高「死霊」などなどたくさんあるが、そういうものは小生の人生を豊かにしてくれたと感じている。
庵野秀明については「エヴァ」のクリエイティブは素晴らしかった。これで完結したから、また新たなオリジナル作品を生み出してくれることを期待している。
さらば、エヴァンゲリオン!
ついに完結したー!という感覚です。TVシリーズはリアルタイムではないですが、TV放映から割とすぐに観ました。その時、私は大学生でした。時を経て、25年(なんと四半世紀!)の歳月が流れ完結というから驚きです。
そして、今回中学生になる娘と一緒に映画館でエヴァの完結を観るという、自分も歳を取ったと思いつつ、自分が学生の時に見ていたアニメの完結を子供と見るということに、感慨深いものがあります。
映画館では、TVシリーズそして劇場版:序と破までの面白さ、そしてQの意味不明さで止まっていた自分の中のストップウォッチが、動き出すようでした。大人になっても変わらない楽しみな感覚です。
相変わらず、映画の登場人物には感情移入させてもらえました。1人1人個性は強いですが、全員がとても魅力的で素晴らしいのです。エヴァンゲリオンがこんなに長く愛されている理由の大きな一つでしょう。
本作でも、シンジ、アスカ、レイの3人は魅力たっぷりでした。自分の運命に翻弄されながらも、成長していく姿はTVシリーズから観ている自分からすると感動すら覚えます。避難民村「第3村」でのひと時の出来事も心温まり、そして悲しい体験をさせてもらえました。レイが人間の感情に触れていくシーンは、ホント心が温まり、ぽかぽかしました(笑)
本作で一番輝いたのは、今まで謎だらけの少女マリだったのかもしれません!いよいよ存在が分かり一気に存在感が増します。といいますか、シンジを助け出す大役を担い、真のヒロインはマリだったのか!?という驚きでいっぱいでした。レイでもなく、アスカでもなくマリだった!!!
さて、肝心の物語はどうだったでしょう。はい、とーっても面白かったです。がしかし、心から面白かったかと言うとそうでもない自分も居ました。
この25年間で広げ続けてきたものを、155分という時間で収束させるには、さすがに無理もあったかなと言った感覚もうけました。終わらせるための急展開感は否めなかったです。ゲンドウの動機もこんな理由で世界の人々を破滅にいたらしたの!?と言った気持ちでした。
とにもかくにも、観終わった後は、25年間、庵野秀明監督お疲れさまでした。という感情と、もぅエヴァは最後なんだという悲しさにつつまれた複雑さでした。でも、このタイミングで完結は納得ですし、エヴァらしい終わり方だったなとも思いました。
全1017件中、261~280件目を表示