「監督が終わりにしたかっただけの物語」シン・エヴァンゲリオン劇場版 muraさんさんの映画レビュー(感想・評価)
監督が終わりにしたかっただけの物語
全ての点が全くしっくり来ず、納得できず、共感できず、だから理解できない。
モヤモヤ感と気持ち悪さだけ残った映画となった。
モヤついた箇所をいくつか書きます。
○マリ
マリを肯定するか否定するかで、この物語を受け入れられるか否か決まろと思う。
私はダメだ。
最後までミステリアスに描き過ぎだ。
アスカのように背景や内面、シンジとの絆的なものをもっと描くべきではなかったか。(最もアスカにしても、ラストに詰め込み過ぎで見にくい)
マリはミサトより歳上でユイに好意を持つユイの後輩でしょう。
アスカが先に大人になったからとシンジから別れるシーンがあるが、そこで最初から大人なマリが「再見」と言っても説得力がない。
マリもアスカ同様14年シンジとの時間が空いた。なおかつ最初から大人。
シンジを待っていた理由なりを正面切って描いてくれないと理解できない。だから、ラストの違和感はハンパないものになった。
あのラストにいくのなら、アスカを描き過ぎだ。
意外性だけインパクト狙いの演出は嫌いなんだよ。
○トウジやケンスケの登場
Qでは死んでるように描かれていたよなぁ。
確かにこのキャラクターを使えば話は早いが、唐突感と今更感で話に入っていけなかった。もう少しQで、その存在なりを描く事はできなかったのだろうか?
Qが実は未完だったと言われた事がある。
シンを見たら、やっぱりQは未完だと思った。トウシ達の存在や、アスカの苦しみなどQで描いていいと思う。
なんか描き忘れたもの、あのラストにたどり着かせるための後付的描写すべてシンで描こうと無理したように見え、詰め込み感ハンパなく感じ、理解できない一因となった。
○アスカとケンスケの組み合わせ
今更感強すぎ!で入れなかった箇所の一つ。
今更感強すぎて、ケンスケがアスカを受け入れてくれる男と印象づけるカットが二つ程あったが、後付けの言い訳にしか感じなかった。(ケンスケが悪いわけではないのだが)
もっと説得力を持たせる描き方はできなかったのか(過去シーンが足りない。回想ではない直接的な過去シーンとか過去に触れる会話など、もっと欲しかった)
それに最後の最後で、1カットとはいえアスカ一人で登場させるのだから、第3村からアスカは一人で良かったと思う。
今回のエバァでは、この「今更」と言うことが多い。
大胆に変えたのだから、収束させるためとは言え、旧作では途中退場させたキャラクターに今更頼るな、無難過ぎる。
どうせなら、ここで大人シンジを登場させるぐらいのぶっ飛んだ演出が欲しかった。
○アスカ
式波(クローン)にした意味あったのか?
ラストで怒涛のごとくアスカについて描くシーンがあるけど、惣流で語られたこととほぼ同じ。これなら母親から生まれた惣流の方が良かったと思う。
スカイ・クロラのような秀逸なクローン物を見てるから、クローンとして綾波以上にひねりをきかした描き方を期待したが残念だ。
「頭を撫でて欲しかった」という下りも、25年前からの進歩を感じさせない箇所で今更だ。
25年前のエバァは、女性の描き方が斬新だったと思う。そこからの進化は感じない。もっと尖った描き方ができたはずだ。(例えば、マリはしっかりレズビアンとして描けばよかったと思ってる)
別に強い女性として描け、と言ってるわけじゃない。14年の歳月を与えたのだから、もっと別の描き方はできなかったのか?
○終わり方
「この程度の終わり方なら旧劇場版でもTV版でもできたはずだ」と書いた大学教授の論評を読んだ。また「「よくわからないが、何かすごい物を見た感じ」が無い」と書いたライターの記事も読んだ。
この二つがよく表しているかなぁ。
この程度かよと思い、凄いものを見た感じは全くおきない。かと言って、大団円の優しい終わり方でも無い。
劇場版4部作の超大作にして、14年もひっぱって終わりがこれぇぇ!?
悲鳴しか上がらん。
キャラクター達それぞれに安息の居場所を与えて、主人公は成長し、助けてくれたヒロインと未来に歩んでいく(ように見える)ラストカット…「この程度」だよな。これだったら予定通り2013年に終えて欲しかった。もっと言えば4部作ではなく3部作にまとめて2010年くらいに終わって良い。そのぐらいに見たら、多分納得できた。
終わりの気に入らない点を列挙する。
□落とし前
なんか「責任を取ることが大人(になること)」と言いたいのかと思わせる箇所がいくつもあったが、正直ウザいだけ。と言うのも説得力があるように描いて無い。
例えばシンジが、アスカを助ける事も出来なかったことを「責任を取りたくなかっただけ」と発言するが、それ大人の話。責任を取りたく無いから何もしないのは大人で、子どもはそこまで考え回らん。
今回、とにかく大人になることが前面に出て、物語が矮小化したと思う。
多様性への希望とか、もっと神話的な部分とか必要でしょ。
□総員退艦、ミサトの死
ヤマトレベルだよ。
今回のエバァであった「誰かが犠牲に」と言うセリフは、大嫌いな言葉の一つ。
今回のストーリーラインでミサトが死ぬ必然性を感じない。むしろリツコが生き残るのに違和感を感じる。ここは全員で戦いミサトを助け、リツコが死ぬ方が自然だろう。
□ゲンドウ
ただ、ただ気持ち悪い存在になっただけ。
Q以降ゼーレの存在を消し、ゲンドウと冬月だけでネルフを描いたから、リアリティが欠如し、ゲンドウがただの悪役になった。化け物にしたから尚更。見に行った知人女性は、ゲンドウの独白に「ただイラついた」と言っていたが、そう言う人多いと思う。
ゲンドウの行動に説得力を感じ無いので、ラストの父と子の戦いも滑稽な喜劇にしか見えなかった。
Q以降、物語を成立させる最低限のリアリティを無視する箇所が多く、共感できない原因となっている。(例えば冒頭のパリのシーン。白人も黒人も誰一人出てこないのはとてもおかしい。「前任者」と言うセリフだけ。14年も戦争するには、国以上の組織が必要で、ここは海外で戦っている別部隊が登場しないと(そこにアスカのクローンが登場すれば面白かった))
□アスカとの別れ
「捨てた女の扱いに似ている」見た知人の感想。
成る程と思った。
この辺りのシーンを、ちょとした救いに見るレビューもあるけど、全然足んない。
キスシーンの一つぐらいあってもいい。
リツコのところに送りましたで終わり。
大人シンジと大人マリのシーンでは、パーカーかぶって一人でいる。
この対面にアスカ、レイ、カヲルがいるカットについて、いろんな考察ができるけど、ここにケンスケ、トウジ、委員長がいてもおかしく無いと思う。
ポスターでもアスカ一人だけなんだよね。しかも少し不機嫌。
ケンスケという居場所を与えましたよ、と言うのならこの辺も徹底すべきだと思う。
そもそも、適当な男あてがって安息を与えましたよ、と言う描き方は、今の時世的にどうよと思う。アスカというキャラクターを矮小化した感じしか受けない。
言うこと聞かない女を追い出し、好みの女に美味しいとこ与えたように見えた。
エバァに思入れは無いと公言している監督だけのことはある。
□レイとの最後の会話
正直覚えてない。理解できない部分が多かった事もあるが、絵がとにかくみにくい。レイに被せるように今までのタイトルを映すから、レイの表情が全くわからなくなった。だから話にも入っていけなかった。
レイの住んでいた無機質なアパートで、もっと落ち着いた演出の方が良かったのでは。
実写や線画など取り入れたアニメーション表現を讃める人もいる。
予定通りの2013年だったら斬新だったけど、もう他の作品でいろんな表現やっているので、二番煎じのただ見にくいアニメにしか見えなかった。特に終盤。
Q以降、マリを活かすためひたすら影が薄くなった、と言うが薄くさせられた感じしか受けない。三人目の消し方は、何の意味があるのかと理解不能だ。
□大人シンジと大人マリ
これさえ無ければ、評価は3をつけたかも。
このシーンを入れたことで、第3村とケンスケのところに送ったことにしたアスカが吹き飛んだ。いや、第3村は存在して、アスカは無事再生して安息を得ましたよ、と理解すればいいのだが、私は上書きされた感じしか受けない。
このシーンは、今までの物語と繋がりを感じ無い。
シリーズ通して、観客それぞれが意識的にまた無意識に読みとってきたものを、無理やりに一つにしようとしたように見えた。補完計画かよ。
最後のテロップのバックに、第3村と無事再生できたアスカを描いて欲しかった。せめてそのぐらいの描写が有れば、評価は2をつけた。
ラストカットまでマリが行くことにどうにも納得がいかない。マリの立ち位置はユイの代役。アスカが言った「必要なのは母親」がマリにかかっているわけで、マリも役目を終えた的にホームに残るのならまた納得した。
気持ち悪いのは大人シンジの服装。スーツにネクタイが大人の象徴的に描かれているのは、感心しない。(後「胸の大きいいい女」発言も問題だよな)
話の筋からすれば、最後の服装は農作業着じゃないのかな。
声をわざわざ昔の人気子役にしたのも感心しない。
ラストを長い間シンジを演じた緒方さんに飾らせてあげない演出は、作品への思入れのなさしか感じず腹しか立たない。
大人になるのは歳ではなく経験を重ねること。発狂して当然の状況下を経験したシンジは15で十分大人として描いていい。大人シンジを出す必要性が無い。
ここまできたら、むしろ第3村に戻ると言うストレートな演出が良かった。この世界で戻るべき場所は第3村しか無いのだから(監督の故郷なんてどうでもいい)
トウジ達のところに戻って、農作業やるなり、無事再生できたところまでアスカを描いて再会させるなりの演出をしたら評価は4をつけた。
大人シンジと大人マリのシーンは、奥さんにエバァの呪縛から解放された監督にしか見えず、それ以外理解できない、と言うより理解したくない。これがある限り評価は1。
序から14年、その間に300本以上の映画を見た。終わらせ方や物語自体に疑問や不満を持った作品はいくつかあったが、その中で最大級の拒絶感を覚えた作品となった。
これでエバァが終わりだと思うと、悲しいを通り越して腹が立つ。
誰か4年後の30周年企画で、動画配信用にTV版をリメイクしてくれないかなぁ。
14年時を進めるような奇策に頼らず、監督のメンタルや都合に振り回されないしっかりしたプロジェクトで正面から描き直してくれないかなぁ。
庵野の呪縛から解放されたシンジ・アスカ・レイの物語を後一回見たい!
Netflix頑張ってくれないかなぁ…まっ無理か。
言いたいことはまだあるが、疲れたのでこれで終わります。