劇場公開日 2021年3月8日

「心優し科学の子の遺伝子」シン・エヴァンゲリオン劇場版 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5心優し科学の子の遺伝子

2021年3月11日
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作品そのものとは関係のない内容の事を書きますので宜しくお願い致します。
関係がないとは言っても、この作品を観て想起した内容なので、何処かで関連しているのでしょう。
で、今回は書きたいテーマが沢山あり、今パッと頭に思い浮かぶワードだけでも「中二病」「時代性」「創作者にとっての完結とは」「創作者と鑑賞者」などなどが飛び交っていて、取り留めのない話になってしまう予感がします(爆)

まず、「創作者にとっての完結とは」「創作者と鑑賞者」ってことについて
こいう映画を観て訳分からんという感想がよくありますが、そういう類の発言は全く無視して良いと思っています。
それって単なる創作家に対する想像力の欠如であり、そういう類の人は全てに於いて経験不足・勉強不足であるだけで、全く意味のない感想だし、経験も知識もある人なら自分の嗜好は理解していて、恐らく最初から観ないか観ても別の表現になる筈です。

多くの映画・小説・漫画等々(芸術作品も含む)を読んできた人なら、1度や2度考えたことがあると思うのですが「作品に完成(完結)って本当にあるのか?」という事柄です。特にその作家のライフワーク的作品などは、その作家の人生そのものでしょうから、本当はその作家が死ぬまでは完成しないでしょう。
完成とか完結っていう言葉はあくまでも商業的・大人の事情的・技術的・規格的・便宜的な意味に於いてであって、読者・鑑賞者に対しての作り手のギリギリの妥協点であり、作り手にとっての完成・完結では決してないのだろうなという思いが、私には様々な作品体験からあります。
なので、この作品の様な大ヒットしムーブメントにまでなった作品で、何十年も経ちいまだに継続している作品に完結なんてあり得ないし、完結という言葉よりも“ケジメ”という意味で受け止める方が、この作品に対し今まで関心を示して来た受け手側の真っ当な対応だと思います。

それでも、話題作というだけでなぜ観たのか分からない様な一見さんが「1本の作品として世に出し意味不明では欠陥品」などと、勉強不足を棚に上げ偉そうに宣うのが情けないですね。
私の経験しただけでも、完結しなかった作品など数え切れないほどあり(例えば漫画だと『カムイ伝』などは代表例で、小説だと私の贔屓の夢枕獏なども何十年書き続けて未完の作品が多々あり)完結してくれただけでも本当に有難く、個人的にはその完結が望むものと違っていても、これだけ長い作品を完結させる労苦に対して「ご苦労様でした」としか言葉が見つかりません。

そして「中二病」「時代性」について
本作が“中二病”というワードを現した代表的な作品と捉えられている風潮ですが、確かに本作主人公の思春期真っ只中キャラはその後の、多くのアニメに多大な影響を与えていて、ちょっと調べてみると“中二病”という言葉が世間で使われ出したのが1999年で、本作のTVアニメは1995年からでこちらの方が少し早く、当時の社会現象的な風潮に敏感に捉えた作品であり、それらの影響から出来た言葉の様な気がします。
そういう作品群がブームとなる要素が社会自体にあり、個人というよりも社会そのものが“中二病”であったから発生したのかも知れません。だから他者に対して“中二病”と揶揄すること自体が的外れであり、世界全体が中二病化しているとして認識し取り扱うべき言葉なのでしょうね。
その予兆として、その一世代前の1980年代にブームとなった『機動戦士ガンダム』アムロ(ニュータイプ)のキャラは本作の『エヴァ』のシンジに通じ、本作を観ると結局はシンジの父親の碇ゲンドウからの流れが感じられ、『ガンダム』世代から社会が“中二病”になりつつあったのだと分かりましたよ。
で、碇ゲンドウ=シンジは庵野秀明自身の投影であり、だからこそ今まで完結出来なかったのだろうということが本作を観て納得出来ました。
で、庵野秀明(私より5歳下)というのは、我々の時代(科学の子)を生きて来た同胞であり代弁者あるからこそ、ずっと気になってしまう存在であったのでしょう。

シューテツ