「エヴァという名の隙間が埋まって,ここから新しい人生が始まる.」シン・エヴァンゲリオン劇場版 Nicoさんの映画レビュー(感想・評価)
エヴァという名の隙間が埋まって,ここから新しい人生が始まる.
とりあえず,一番感じたのは喪失感.
自身の中にあったエヴァという名の隙間が埋まってしまう喪失感
何を見せられているんだ?という感覚が終始つきまとう.
TV版のようなものを望んでいるわけでも,
旧劇のようなものを望んでいるわけでもないけど,
自分は何を望んでいるのかわからない.
今,見せられているものが,EVAなのか?自分が望んだものなのか?
終劇に向けて進んでいるのか?離れているのか?わからないまま進む.
そう来たか.とか思う気もしない中,20数年前の学生時代がフラッシュバックする.
もしも,学生時代のまま,孤独なオタクのまま,この日を迎えていたら,自分は立ち直れなかったかもしれない.
ゲンドウの独白など聞きたくもないし,それを温かく見守るシンジは全く理解できなかったと思う.そんなクソみたいな理由で世界を巻き込むなと…俺たちを巻き込むなと…
今,一人の父親として,愛する妻がいる夫として,自分が存在しているからこそ,今作ではゲンドウに最も思いを重ねてしまった.強く強くユイを求めるゲンドウが本心を独白することで,これまでやらかしたことが全てしっくりと納得出来てさえしまう.
これまででもゲンドウの行動原理は基本的には追うことができるが,そこから測り知るものと,独白による吐露とは次元が異なる.孤独なオタクが得た一筋の光を修復しようとするのは,あたりまえであり,それが世界の全てだと同じように思える.
昔は,うまく立ち回れない人間性をシンジに投影して,TV版でここにいてもいいんだと納得して,旧劇でそれでも他者との境界を望んで不器用なりに生きていくんだと思った.
シンエヴァの最後では,シンジ君は,すべてのキャラを達観して見送る位置に昇華している.ゲンドウやユイ,カオル君までも,全てを抱擁するまでに達してしまった.アルティメットまどかならぬアルティメットシンジだ.
あの時のように,そのままシンジが自分の投影ではないけれども,すべてを達観してみることができてエヴァの無い世界を再構築する様は,ある意味,成長した自分自身の目線なのかもしれない.
もう世界がどうとか,自分はどう生きるとかではない年頃になった今.エヴァの無い世界でこれから生きていくすべを考える必要がある.
そう考えると,これまでで一番オタクに厳しい終わり方のようにも感じる.
シンエヴァを見て,オタクの世界から振り落とされてしまいそうな感覚が芽生えるかもしれない.おそらく,そこにアイデンティティーを強く持っていると,拒否反応を起こす.オイオイ俺らが知ってる庵野じゃないぞと.小さくまとまってんじゃねーよと.俺たちのエヴァを取り上げないでくれと…
旧劇の時に,シンをやってればよかったのに…という感想もちらほらあるが,そうじゃない.
旧劇を見て,納得して前に進もうと思った心があって,そこから20年の見る側の成長があったからこそ,シンエヴァを受け取ることができたんだと思う.
正直,エヴァは子供に薦められない.ジェネレーションギャップがどうしても付きまとう.受け取り手の費やした人生の有無はとても重い.エンタメとして,一つのアニメとしては十分推薦に値するかもしれないが,自分とは受け取るものは全く異なると思う.
少なくとも,シンエヴァが用意されてしまった今からエヴァに触れる人間と,シンエヴァまでの時間を費やした人間とでは,同じエヴァの文脈を共有できないと思える.
旧劇で納得していた自分は,序を見ていなかったし,新劇場版を見るつもりはなかった.
破に坂本真綾がマリ役で出ることを知って,序を見直して,破を初日に見に行ってここに至る.
まさかマリが,最後まで関わる重要キャラとなるとは思ってもみなかったけど,坂本真綾がいなかったら,ここまでエヴァを追いかけることはなかったかもしれないし,自分の中に,エヴァという名の隙間が存在することを自覚することはなかったかもしれないので,ファンで良かった.
やっぱり坂本真綾は尊いと思える作品に,エヴァがなったことは素直に良かったと思う.
それでもやっぱり伊吹マヤが至高キャラと思えたのは,自分はまだまだ成長していない証なのかもしれない.
エヴァという名の隙間が埋まって,ここから新しい人生が始まる.
さらば、全てのエヴァンゲリオン。