「かなり踏み込んでるな~(^_^;)」おおかみこどもの雨と雪 初台験さんの映画レビュー(感想・評価)
かなり踏み込んでるな~(^_^;)
『時かけ』と『サマーウォーズ』は大好きな映画(^_^)
細田守監督の最新作ということで、今回のこの映画も「変わったタイトルだな~」とは思いつつも、一定水準以上のクオリティはあるという先入観を持って観に行ったけど・・・
まさかここまで踏み込んでるとは∑(゚ω゚ノ)ノ
はっきり言って「性」をここまで前面に出した日本のビッグバジェットムービーでしかも子供向けアニメ映画ってあんまり聞いたことない((;゚д゚))ス、スゲェ
まず主人公の花は狼男と知り合って、徐々に仲良くなって、そこで事に及ぶわけだが、狼の姿で人間の女とっていうシーンをシルエット越しではあるけどはっきりと映す工工工エエェェ(゚Д゚)ェェエエ工工工
これには正直引いたと言うか驚いた(´・∀・`)
そして半ば過ぎたあたりから、娘の雪が同級生の草平から「お前獣の臭いがするな~」と言われるが、それを聞いた雪草平を避けるようになるわけだけど、つまりこれは生理のこと(;・∀・)
ラスト近くで台風が来て校舎に取り残された雪と草平が「俺の母ちゃん結婚して今妊娠してるんだ。そのうち俺は邪魔になる。」とかいう大人の事情を軽く話し出す。
この映画全体に性的な雰囲気が漂ってるという稀有なアニメ映画です(゚∀゚)アヒャ
他のサイトの感想とか見ると、花がまるで菩薩様のように何もかも受け入れて常に笑顔で・・・っていうのが多いけど、俺はそうは思わない(-_-)
映画の大前提に踏み込むようだけど、まず避妊なしに狼男と事に及ぶなんて考えなさ過ぎ(;´Д`)
仮に避妊してたらこの話自体成立しないわけであって、それはまあいいとして・・・
こういう天然と言うか不思議ちゃんと言うか、学生時代の友達が全然出てこないのもこういう性格だからあんまりいなかったのかな?と想像してしまう(゚д゚)
子育ての過程でも新聞が大量に投函されたままになってたり、ずーっと頭を抱えてたりするし、手を上げそうになるシーンもあるし・・・
菩薩様なんかじゃないれっきとした人間ですネッ(oゝД・)b
田舎に越して畑を耕すシーンで韮崎のおじいさんに「畑ってのは広く作らなきゃ駄目だ」と諭されるのも、物々交換をするために多めに作るためという原則をちゃんと踏まえてると感心した(゚д゚)イーヨイイヨー
最初は「どうせすぐ根を上げるだろ~」と周囲の目が冷たいし、畑仕事がいかに大変で手間がかかることかを見せてるのも、田舎は決してユートピアなんかじゃないという現実をしっかり提示してる(゚∀゚)アヒャ
何より秀逸なのが、最初汚かった家を掃除していくうちに徐々にガラスの模様とかタイルの流しがはっきり見えて来て、人間の家らしい生活感が出てくるところ。
車を買って家の中の家具や調度品が増えていくのも、野菜作りが軌道に乗って物々交換で生活も整ってきて、さらに収入もある程度確保できてきたのかなと上手く連想させますね(・∀・)イイ!!
特にあのガラスの模様とかタイルの流し、そして風呂の描写は俺が幼稚園に上がったばっかりの頃を思い出させて懐かしさをそそります(´ー`)
姉の雪は人間として、弟の雨は狼としてそれぞれ生きていくことを決め、雪は小学校を卒業して全寮制の中学に、そして雨は山の主の狐が死んでから後をついで山の主になるためそれぞれ家を出る。
つまり「親離れ」をする。
弟が山に入った時に、心配で後を追って山に入る花は逆にぶっ倒れて雨に助けられる辺りも、子離れできない親の心情、引いては「親の情けなさ」をしっかり映し出してる。
事実親って結構そういうところあるんだよな~と納得させるに足る秀逸なシーンですよ(゚д゚)イーヨイイヨー
ただ気になる点もいくつか。
恐らく人間社会に適合していった雪と違って、雨は狼の血の方が濃いのかすんなりと山の動物とコミュニケーションするようになって山に入るのはいいとしても・・・
人間として生活していたならせめてちゃんと母親を説得するなり事情をちゃんと話すなりしてから行くべきだと言いたい(;´Д`)
「先生、もうすぐ死ぬ。だから僕が・・・」と言っただけじゃ納得するはずもないだろと。
でも「親の心子知らず」と言うように、意外とあんなもんなのかも知れないなとも思うけど(^_^;)
雪が草太の目の前で狼に変身するシーンのカーテンの使い方は実に(・∀・)イイ!!
ただあの変身した狼のルックスがアニメチック過ぎと言うか(;´∀`)
ここまで性描写を映してるなら、そこはもっとリアル描写に振り切っても良かったんじゃないかと。
でも個人的には、誰もいない学校での秘密の共有というジュブナイル感溢れるあのシーンは心底萌えましたワチョ――ヽ(・∀・)ノ――イ♪
なぜか知らないけど、誰もいない学校って恐い反面秘密基地的な躍動感も感じられる部分もあるんだよな~(〃▽〃)
あと納得いかないのは狼男が死んでるシーン。
恐らく鳥か何かを捕獲しようとして本能的に狼の姿になったんだろうけど、その姿のまま街中で死んでるわけだが・・・
街中に狼の死骸があったら大騒ぎにならないか?
死体を清掃車に普通に放り込んでしまうのも情け容赦ない踏み込んだシーンだと思う。
でも今までこの狼男、引越し屋の仕事したりして生活費を稼いでたのに何でわざわざ野生の鳥を捕まえる必要があったのか?
その前にもキジみたいな鳥を持って帰ってくるシーンもあるし。
普通に金があるなら買えるんじゃないか?
あとこの狼男どこに住んでたんだろ?
家の描写が全くないのもどうかな~(゚∀゚ ;)タラー
折角免許まで取ってるなら住所不定なんてことはあり得ないわけだから、狼男のねぐらがどうなってるのかも観たかった。
映画に出てくるたれを瓶に入れて付ける焼き鳥の食べ方は、細田監督の奥さんの田舎で良くやってる方法らしいけど、これ観て焼き鳥食べたくなって映画観た帰りにスーパーに寄って焼き鳥買っちまった(笑)
とにかく子供向けアニメ映画としては「かなり踏み込んだ」映画であることには違いないし、教育上でもかなりいい映画だと思う。
大人の事情を子供にも見せる、そして大人も反省させられるというか目からうろこが落ちること請け合いです(^O^)/
どうもコメントありがとうございます。
まず狼男のねぐらに関しては、個人的に「そういうシーンを見たかった」ということです。
勿論人間として暮らしてたんだからどこかアパートみたいな所に住んでたんでしょう。
狼男が花の家に行ってばかりで、逆に花が狼男の家に行くというシーンがあれば良かったかなと。
あくまでこれは個人的な感想で、これがないから駄目とかいうことではありません。
あと狼男が死んでるシーンでは、勿論本能で鳥を捕まえに行ったんだろうということは容易に想像できます。
ただおっしゃるように「金を払って買えばいいじゃないか」という気持ちはどうしても出てしまいます。
これは感想と言うよりは「そうしてれば死なずに済んだのに」という願望ですかね。
別に説明が足らないから薄っぺらい映画なんて思いません。
ハリウッド映画が邦画に比べて薄っぺらいとも思いません。
ハリウッド映画に毒されて・・・という言い方はどうでしょう?
邦画だろうが洋画だろうが、名作もあれば駄作もあります。
観客に何かを感じて欲しいというのは、細田監督に限らず映画監督誰もが作る映画にこめるものじゃないでしょうか。
監督の意図をしっかり汲み取れてるかどうかは分かりませんが、自分がこの映画を観て感じたのは上の通りです。
好みは人それぞれだし、ハリウッド映画しか観ない人がそうじゃない映画を観ると確かにそう感じるのかも知れないけど、それはそれでその人の見方なんだから仕方ないと思います。
最後にもう一言だけ。初台験さんはだんだんタイルがキレイに浮かび上がってくる生活感などを、わざわざ監督がこだわってくみ取って欲しかった部分を感じておられます。
細田監督のこの作品とハリウッド映画の違いは・・・行間を読ませるように要らない部分は全部そぎ落とした映画と、筋書きや設定を完璧にくみ上げて突っ込みどころがないようにしたところで、『ここで笑え』『ここで泣け』と監督の設計通りに観て、見終わったら何も心に残らないハリウッド映画の違いかなと思います。
何か批判ばかりのように聞こえるのかもしれませんが、映画は観る人によって違います。受け取り方がいろいろあって良いと思うのですが、私の思いこみかもしれませんが、『ココの説明が無くて、何か薄っぺらい映画に感じた。』などと、全部説明されなければいい映画とは言えない、とハリウッド映画に毒されたような人が意外と多いのが気になりまして。初台験さんがそうだとはいいきれませんけども。では。
こんばんは。
初台験さんこそ、かなり踏み込んでのご意見だなと思いました。
でも気になった点が、おおかみおとこのネグラはどうだったのだろうとか、なぜ鳥を捕まえるために死んだのかとか。
ネグラは人として暮らしていたのだから、普通のアパートにでもいたのでしょう。普通に勤めていたのですから。なぜ収入があったのに、わざわざ鳥を捕まえに言って死んだのか。騒がれないのか。これは想像ですが、きっと収入もさほど無く、好きなだけ食べられるほどの余裕がなかったのではないかと思います。でも、鶏肉も変えないほどだったのか?コレも想像ですが、その位は変えたのでしょうが、結局獲りに言ったのはおおかみおとこの本能からです。自分の家族に獲ってきた獲物を食べさせる。
まとめるなら、『本能で獲りに行ったのはわかるけど、死ぬくらいだったらお金はたいて買えばいいジャン。』ってところでしょうか。
私が申したいのは、そこまで説明されてどう感じますか?細田監督は行間を読ませるために、観る人それぞれに何かを感じてもらうために、極力説明的なことは削っていったのだと思います。それを、上のような事まで説明されて、自分なりの想像ってできますか?
細田監督は宮崎あおいさんに頼む際、『母親としてではなく、一人の人間として向き合ってください。』と言ったそうです。宮崎あおいさんは『二人を観ているとどうしても母親になってしまう。そうならないように、まずはそこから始めました。』そうです。
監督が意図したモノ。『いわゆる絵に描いたような優しい母親の物語』だけで終わらせたくなかった、それ以上の行間を読んで欲しくて出した注文だったのではないでしょうか。