「脳内お山だらけ スーハー」おおかみこどもの雨と雪 外昼寝愛好家さんの映画レビュー(感想・評価)
脳内お山だらけ スーハー
初めに言っておきます。
僕は考察力も文章力も知識も無いため下記は小学生並みの感想文となっておりますのでご注意ください。
あまり前情報を得ていなかったので、イメージしていたものは子供たちの成長記録が中心の話だったのですが、母親の成長記録がこれほど描かれているとは驚きでした。
花ちゃん・・・いいですよねぇ。(決して変な意味でなく)
どんなに辛く不安で仕方の無い時でも笑顔を絶やすことはないその姿に具体的な生い立ちを想像せずにはいられなかったですよ。
そして、新生活を送るにあたっての母親力たるや。僕は屋根工事も農作業も経験があるのですが、体力に自信のある若い男子が胸の内で泣きながら仕事していたほど過酷ですのよ。汗だくでただひたすらに作業をするその姿たるやまるで修行僧のごとく。まあ、これはあくまでフィクションですけど実際の母ちゃんたちのパワーもこれに負けず劣らず感心してばかりですよ。
そして、危なっかしくていろいろと手のかかっていた子供たちが、いつのまにか成長し、いつのまにか生き方を決めている。見守るために必死でそれに付いていこうとするも分からないことが増えていく母のもどかしさ。先の方が書かれていましたが、決して狼人間の特殊さという訳じゃないんですね。
印象に残っているのは、雪が告白をする際のカーテンの演出。
三度目のカーテンで人として生きることを決めた雪の心を表現していて上手いなぁと感心してしまいました。ああいった演出は大好きです。
それと、雨の急な変化と本気の姉弟喧嘩。
経験あります。自分では理由なんてわからないけど、周りから突然「変わったよね」と言われる時があるんですよね。男なので女性については分かりませんが、男の子は体の変化と同じくらい急激に心も変化するのを思い出しちゃいましたね。
そして、姉弟喧嘩。これまた経験あります。
丁度これくらいの年のころ、姉と本気で喧嘩をし、暴力で倒してしまいました。それまでは虐められてばかりだったのに。泣き崩れる姉を横目に怒りで興奮した心の中ではどうしようもない後悔と悲しさも内包していたのを覚えています。その気持ちが、雨には人間として生きることはできないという決心を与えたのでしょうね。
他の方のレビューに書かれていたのですが、大沢さんはセリフのない日でもアフレコ現場に来ていて、それはラストの「ずっと見てた」というセリフを言うためだったのでは?というのを見て、どうしてあそこまで花ちゃんを愛おしく思う気持ちが伝わってきたのかが分かった気がします。
しかし、他の方もおっしゃっていましたが、どうしても納得のいかないシーンがあったのも事実です。ランドセルがあったのに教師はなぜ雪たちを探さないのかとか。ゴミ収集車とは何事だ、ましてや日本狼をとか。
学校置き去りはそのあとのシーンを作るための必要展開であるとか、ゴミ収集車は動物と人間との差をより浮きだたせるためのものだとか、そうした理由は分かるけどやっぱりおかしいなと思うところはありましたね。
まあ、見てる最中はそんなこと気にせず「どうなるんだ」とドキドキしながら見ていて、お隣の子連れママと一緒に感極まってましたけど。
雪を迎えに行かなかったやらなんとかは他の方と同じ考えです。
当事者の心情やら現状やら諸々を考えるとまさに望んでいた展開になったと思います。
時かけ、サマウォと見てきましたが、今作が最も心情を視聴者に委ねる部分が多かったと思います。主役の性格や抱えてる事の重さなんかも関係していますが、随所にちりばめられた間や原風景。全てを知っているわけではない雪の語りやラストの余韻なんかも考えさせられる要因だと思いましたね。
僕はそういった足りない部分の妄想、いや想像をするのが大好きなので今作は時かけと並ぶ、いや、それ以上に満足できた作品でした。
最後に、これを見終わって母ちゃんに会いたくなるのは自然ですよね?
また他愛のない話でもしたいなとしみじみとしています。
まあ、僕の母ちゃんは花ちゃん見たく大丈夫と頭を撫でるのではなく
「しゃきっとせえ!」と尻をぶっ叩く愛情表現方法しかしないんですけども。
こんばんはー
いい作品でしたね。泣きました。
min さんとのコメントのやり取り、読ませて頂きました。
minさんすごく怒ってましたよね(笑)
あのレビューへのコメントは100本を超えていますが、僕も先ほどminさんへの想いを投稿してきたところです。
外昼寝愛好家さん、ご返事ありがとうございます。
人それぞれ、見方や感じ方が違うのは承知していますし、他の方がどう感じられたのかも気になるからレビューも観たくなるのですよね。
たまにはキチンと観れていないのに文句ばかり言う方には?と思い指摘することもありますが、基本的には他の方の視点を聞くだけで勉強になると思っています。
細田監督がTVで言われていたのが、『図書会議もやりました。各シーンで出てくる本や、本棚に並んでいる本は会議をやって、その時々のシーンに合わせて描きました。』
横にいた宮崎あおいさんもそれを聞いてビックリしていました。
ご存じの通り細田監督は非常に細かく描きます。しかしそれは全て本題の為の小道具と材料であって、そこばかりを延々と観せると本題が霞んでしまう。と、恐らく思われて、必要の無い部分は描いていないのだと思います。つまり、監督が『そこは一切語るつもりはない。』と思っている、この話しに必要もないシーンを『もっと描くべきだ。』という類のお話はおかしい気がしています。
枝や葉が出てきたら、『このシーンは一体何を意味しているのか、監督が言いたいのだろうか。』ということだけを念頭におき観ております。
同じ話しの繰り返しになってしまったでしょうか。
外昼寝愛好家さんのおっしゃるように、今後も色々なご意見を受け止めて今後の参考にさせていただくつもりです。
heso&momoさん、コメントありがとうございます。
少し前にはこのサイトに入り浸っていたのですが、しばらくは見に来ていませんでした。
僕のレビューは後ろにいったことだし、もう反応をする人もいないだろうと思っていたのですが、見つけられてよかったです。
実はheso&momoさんの他の方へのコメントを読んで、解釈の仕方が非常に自分と似ているなあと思っていました。
特に初台験さんへのコメントにあった
>『いわゆる絵に描いたような優しい母親の物語』だけで終わらせたくなかった
という解釈はとても面白いと思いましたね。
細田監督はそんな注文を出していたのか。そして、それを受け取った宮崎さんの演技がクライマックスにつながるシーンでの不安や戸惑い、焦り、自分の価値観を押し付けそうになる所有欲なんかの生々しい演技に繋がっていたのか。
…と自分の中で新たな納得の形を生み出すことが出来ました。
heso&momoさんの行間への思い入れなんかを読むと、僕と感性が似ているなと思います。
ですが、描かれた部分を細かいところにまで注目して見るというのも決して間違った見方ではないと思います。森というのは木の集合体であり、木がしっかりとしていなくては森も映えません。明確な説明はなくとも、そう解釈できる1カットやさりげない演出が入るだけでも確かな整合性が生まれ、より深い理解に繋がるとも考えられます。
実はこのような考え方は、このサイト内でのある方との議論から見つけられたものです。
『フィクション映画とは映画内にしか存在しないものであるから、空白部分を簡単に観る側の補完に委ねずに、最大限作品内で伝えることが重要だ。たった一本の木ですら熟考し、決して蔑にしないことが制作側に必要なことだ』という考えをその方から受け取りました。
それもまた、新鮮でとても納得のいく考えでした。
ですので僕には、どちらの見方が良いなどという考えはありません。
感性に従い補完して見ることも、描かれた部分から流れに合った解釈をしていくことも、どちらも面白いです。
heso&momoさんも片方の見方に執着せずに様々な見方を試してみてはいかがでしょう?
新たな発見ができるかもしれませんので。
外昼寝愛好家さんの文に共感するところが多いです。
行間を読ませるように、観る人によっても感じ入る部分や深さが違う映画だと思いました。
でも時々、『あそこのつじつまが合わない』という話が出ます。まるでそこが合わないと映画の評価が下がるかのような。関係ないですよ。そんな細かい部分は。
私は全部良い方に解釈して、ただただ、監督の意図をくみ取ることに専念しています。
細かいことは気にしないんです。本題がわからなくなっちゃいますから。
森を見て欲しいのに、『あの木の、あそこの枝がおかしい。』って、そこにこだわられてもなぁって、細田監督も思っているのではないかと思います。
ユメオイビトさん、情報ありがとうございます。
ユメオイビトさんのコメントにあまり映画と変わらないとあったので読む気は無かったのですか、少しでも補足があるのなら読んでみたいと思います。
そのあともう1度映画を見に行って、新たな発見がないか探してみたいと思います。
自分も細かい部分の描写に物足りなさを感じて、原作本を翌日買って読んでみました。
雪と草平を置き去りにした”先生”のシーンに関しては原作本に”理由”が描かれていましたよ(^^)
もし興味があったら読んでみて下さい・・・