おとなのけんかのレビュー・感想・評価
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こどものなかなおり。
あ~なんてバカバカしいんだろう^^;って笑えるわ~これ。
私自身こういった経験はないけど(惜しい^^;)一触即発の
親同士なんていうのは、子供の学校にゴロゴロいました。
ま~ホントに^^;子供の失態にかこつけてぶっ殺してやる!
まがいの論争を繰り広げますからねぇ~今の親御さんは。
いわゆるモンスターペアレンツっていうのも、コレですか?
(私の時代にはそんな怪物枠はなかったぞ~)
なんだろうかな、自分の意見は絶対に正しい!と思う方に
多く見られる傾向ですかね~。それでこういう親御さんの
お子さんに限って(爆)とーってもおとなしかったりする^^;
こどものけんか。なんていうのはワリと単純で、
ケガをさせた方もさせられた方も(仲良しのケンカであれば)
すぐにケロッと仲直りしたりするもんですが(それ万国共通?)
オトナはそうはいきません!絶対的に痕をひいて長引きます。
まぁ確かに、子供同士は仲良しでも、大人同士は関係ないです
からね~。相性が良ければ付き合いも続くでしょうが、正直
子供絡みのお付き合いというのは、もうそのあたりで終わります。
お世話になっている者同士、当たり障りなく挨拶を交わし、
あ~そうですよねぇvホントににねぇ~vって合わせておいて。
ま、子供が卒業しちゃえば、ハイそれまで~よ。かな。
親というのは当然自分の子供の味方になりたがるもので(普通)
そりゃ相手のお子さんに悪いとは思いながらも(怪我させといて)
穏便に解決を図って、普通ならサッサとお暇するもんです。
間違っても、上がり込んで、コブラーなんて食べちゃいけません!
しかしその…食べ物、ゼンゼン知らなくて調べてしまった。
アップルコブラーとか、主流なんですかね。面白い焼き菓子。
それがまた、相当マズいとは!(爆)あの吐き方、異常だったし…
結局二組とも、相手にまだ言ってやりたい!っていうのがあって
(本来どんな理由があれ、怪我させた方が下手に出るのが普通)
闘う相手が悪かった、ってやつでしょうか。もう泥沼の展開に…
元が舞台劇とあって、登場人物も部屋の設定も変わらないので
長々と言い争いを聞いているうちに、かなり飽きてはきますね。
バカか、お前らは!と思うほど深みにハマっていくご両家の、
あんなに素敵だったお父様とお母様の大失態に拍手を贈りたい。
こどものほうが、けんかは100倍うまいね♪
ラスト…いいですねぇv
いちばん好きな場面でした。ものすごい説得力。
私はふと、あの部屋に「怒り新党」で使われているポスターの、
「子供のケンカに親が出る」を、貼ってやりたいと思いました。
(だけどいい大人が言いたい放題できるけんかも、チト羨ましい^^;)
蒸し返してはヒートアップ!!
事の発端となる川辺の公園がオープニングとエンディングのクレジットバックに使われるが、本篇の舞台となるのは被害者(殴られた少年)側であるロングストリート家の住まいだけだ。いわゆる一杯飾りと言われる舞台劇といっしょだ。 この限られた空間を狭苦しく感じさせないのは、横長のスコープで撮影されたスクリーンサイズのおかげ。窓や鏡を利用して奥行きも出している。話のサイズに合わせてビスタで撮っていたら、ホントにこぢんまりとした作品になってしまっていたことだろう。 この住居に訪ねてきた加害者の少年の両親・カウワン夫妻を混じえた4人だけの会話によって話が進んでいく。 しょせんは子供のケンカという建て前で穏やかな話し合いのはずなのだが、事のしだいをタイプするロングストリート夫人が、のっけから『相手の子供が木の棒で武装して』とやらかす。 お互いのちょっとした言葉尻にピリピリしながらも、懸命の作り笑いで取り繕う二組の夫婦が可笑しい。 やがて考え方の相違が、普段の生活の問題にまで飛び火して、男同士でまとまってみたり、夫と妻の罵り合いにまで発展してしまう。これほど、傍で見ていて楽しいことはない。なにせ、人ごと、対岸の火事なのだ。 こうして、なんということのない話が二転三転するのは、ある小道具のせいで、コレの使い方が実に上手い。その小道具とは、Mr.カウワンが手放せないアレだ。 帰り支度をしてエレベーターホールまで行きながら、また蒸し返しては部屋に戻る舞台的な可笑しさと、とことんヒートアップする「おとなのけんか」の大人げなさに大笑い。こっちも笑って見てられるうちが華なのだが・・・。 この映画を見て思い出したことがある。むかし、子供のころ、父親に言われた言葉だ。 「さっき喧嘩していたと思ったら、もう仲良くなってやがる」
ポランスキー風のヒッチコック密室劇
庶民的だがインテリぶりが鼻に付く夫婦(ジョディ・フォスター、ジョン・C・ライリー)と、スノッブで子育て家庭より仕事という夫婦(ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ワルツ)。最初は、お互いの子供の喧嘩の始末を平和的に決着させようとしていたのだが、次第に夫婦同士のみならず、一人一人の考え方にズレが生じ、しまいにはその仕草にさえも苛立ちを覚え、四人が四様に不満を爆発させる。 「こどものけんかにおとなが何とか」という話が、いつの間にやら本人たちの本音と建前を逆転させ、剥き出ししていく。その過程が面白い。それこそ言葉尻にさえ、キリキリっと神経質になっていく、フォスターとウィンスレットのセリフバトルは、見もの。当然ながら「女優」としての美しさより、次第に怒りで目がつり上がっていくフォスターと、泥酔して夫の不運を心の底から笑い転げるウィンスレットの変貌ぶりには、コメディエンヌとしての二人の意外な一面を見たような気がする。一方で男優陣の役割は、女優陣には引けは取るものの、物語上のスパイス、隠し味になっている。特に終盤、女房たちを尻目に奇妙な連帯感を共有するところなど、男性としてはある種の共感、シンパシーを感じることもできる。 元々が舞台劇(ヤスミナ・レザ作、邦題「大人はかく戦えり」)なので、伏線というか設定やセリフに、如何にもそれらしい「フック」があって、舞台版よりも短い上映時間(79分)にも関わらず物語、会話の密度は濃く、あっさり感は全くない。その上で、リアルタイムで進む物語を、ポランスキーの演出は、ここの登場人物を一人一人のショットを、どちらかというと短く切り貼りする編集(編集はエルベ・ド・ルーズ)でサスペンスを生み出している。善悪ではヒッチコックばりのサスペンスを披露したポランスキーだが、今作では「救命艇」「ロープ」「裏窓」といったヒッチコックの密室劇をお手本に、自身なりの回答を示したといっても可笑しくはないように思う。 特にこの作品で唯一室外へキャメラが移るファーストシーンとラストシーンの長廻しは、もちろん「おとなのけんか」に対する皮肉であると同時に、ヒッチコック的ユーモアのポランスキー的解釈とおもった。
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