「だいじょうぶだよ、人生は。」だいじょうぶ3組 ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
だいじょうぶだよ、人生は。
予告を見て何度も思ったのが、乙武さんに
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」なんて言われたら、
この世に大丈夫じゃないことなんて何もないだろうって。
どうやら今の小学生たちには、
だいじょうぶ、じゃないことが多いみたいなんだけど。
自分を肯定する前向きな生き方が何よりも素晴らしい。
ひとえに彼を育てたご両親や、学校の先生(語られるけど)
周囲の温かい愛情があってこその人格形成だと思われる。
確かに手足はないものの、彼にとってはそれを上回る
多彩な挑戦が満ち溢れており、それを楽しむ余裕がある。
手足に問題なく動き回れる私達の方が、
よっぽど彼より行動に至っていないのが情けなくなる。
が、今作のテーマはそこを比べることではないようだ(ホッ)
原作は読んでいないが、実際に自ら3年間の教師体験を
小説にしており、俳優を使わずに自分自身で演じている。
監督のたっての希望だったので、快く引き受けたそうだ。
あくまで主人公は原作とは違い、補助教員の白石(国分)に
なっているが、どうしても彼を見守る立場の白石が脇役に
映ってしまうため(演技も控えめ)、何かと違和感が残る。
なぜ赤尾先生が主役で、だいじょうぶじゃないのだろう?
あまりだいじょうぶじゃない構成の方が心配になってくる。
…大きなお世話でしたか。
子供たちが初めて赤尾先生に出逢い、興味津々で彼に
近づいてマネをしてみたり、質問攻めにするあたりなどは
とても面白い。素直に興味を示す子供たちに悪意は存在せず
その辺り穿った観方をする大人たちの方が悪意に満ちている。
珍しい物体(変な言い方でゴメンなさいね)を前にしたら、誰でも
近づいて触れてみたくなるものだし、彼もそれを楽しんでいる。
赤尾先生に気負いはなく、むしろ当たり前のことを言っているに
過ぎないのだが、今の学校ではそういう当たり前のことを
言ったりやったりしたなら、ああやっていちいち職員室で
やり込められてしまうのか…^^;なんと可哀想な熱血教師たち。
私が子供の頃もあんな風に、
うちのクラスだけドッジボール大会、お楽しみ会、なんていう
試みをよく先生が行っていたのだが、あれもあのあと職員室で
恐怖!先生つるしあげの儀式!が行われていたんだろうか…。
あぁバカバカしい。だったら全校一丸でお花見しろってんだよ。
姉がダウン症のため、そのことで精神不安定になった生徒が
自宅で姉の焼いたクッキーを「一番美味しい」と食べるシーン。
実際にダウン症の姉役の女の子に「お姉ちゃんのせい?」という
台詞を言わせていた。生徒と一緒に私にも涙が溢れてしまった。
なんて妹想いの優しいお姉さんなんだろう、と嬉しくなった。
応えるように妹である生徒も、クラスの皆に胸内を晒し謝る。
実は私の周囲にも、障害を持ったお子さんがいるのだけれど、
彼らを見守る家族はみんなで協力し合っており仲が良い。
障害を持つ兄弟姉妹がいる子供たちは、ちょうど思春期の頃、
親に反発したり引きこもったりする子もいたけど、ある程度
時間が経つと、また元の優しい子に戻っていた。父母の愛情が
手のかかる兄弟姉妹に向けられてしまうことへの反発だったり、
そこは普通の子供たちが抱える問題とさして変わらなかった。
赤尾先生が訴えたかったのは、そういうことじゃないだろうか。
自分を肯定的に受け容れることで、人生は楽しいものになる。
みんなそれぞれ違っていいのだし、出来ることも出来ないことも
あるところが人間、協力し合って乗り越えていけばいい。
決して一人で悩んで自分を追い込まないように、辛いことには
応援することしかできなくても、それを見守っている人がいる。
大切に誰かを想う気持ちは、自分を大切にすることにも繋がる。
赤尾先生が生徒に受け容れられたのは、臆することなく
彼らの中に自分を放り込んだことで、彼らの真意に近づけた上、
問題点は自分たちで考えるという自主性を育てることができた。
是非を促す前に、先生は子供たちを見守ってあげてほしいよね。
ちゃんと成長していけるから、だいじょうぶ。だいじょうぶ。
(落語家にもなりたいんだって。スゴイ夢持ってわね、乙武さんて)