「「壁」からの連想に「花」と答える人。」危険なメソッド Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
「壁」からの連想に「花」と答える人。
現代心理学の祖、フロイトとユングの友情と決別を1人の女性を核として描く、実話に基づいた人間ドラマ。暴力とエロスを前面に押し出すことなく(それらは深層心理の中にある)、上品な会話劇として仕上げたクローネンバーグ監督の新境地。
本作の主な登場人物はフロイトとユング、そしてユングの元に患者としてやってきて、後に愛人となる、女性心理学者の先駆者であるザビーナ。この奇妙な三角関係(肉体ではなく精神面での)が物語の主軸だが、私は敢えて脇役であるユング夫人エンマにスポットを当てたい。冒頭に登場する彼女は、滑らかなシルクのマタニティ・ドレス姿だ。ベッドでまどろむ姿は、愛する人の子供を宿した幸福感に包まれている。しかし次に、「自由連想」という夫の実験での被験者として登場する彼女は、心の奥底に不安を抱えていることが判ってくる。男であるユングには解らなかったが、「妊娠したため夫を失うことを恐れている」と、同性であるザビーナは見抜く。産まれた子供が女の子であったために夫に「男の子を産んであげられなくてごめんなさい。」と謝る彼女の心のしこりが、何とも切ない。
ザビーナとエンマは全く対照的だ。幼い頃父から受けた折檻によって、ぶたれることに快感を覚えてしまったザビーナは、ユングによる「対話療法」によって、自分の性癖を暴露することで、彼に心を開いていく。女性が性について口にすることなど考えられなかった時代、彼女は持ち前の知性と行動力により、新しい女性像を築いていく。それに比べエンマは控えめで保守的だ。夫に愛人がいようと黙って耐える(それでも匿名の手紙を出して夫と愛人の仲を裂こうとする策士な部分もある)。裕福な彼女は、夫の欲しがっていた赤い帆のヨットをプレゼントして気をひこうとする。しかしそのヨットで夫は愛人と逢瀬を重ねる。余談だが、フロイトとユングの不協和音の1つに、エンマが裕福だということがあると思う。子沢山のフロイトが、家計に苦労しているのを察せず、ユングは悪びれることもなく「妻が裕福なので」と口走る。その瞬間フロイトにわずかな妬みが生まれたのは間違いあるまい。
ザビーナもおよそ裕福とは言えない暮らし向きだ。エンマは高級なレースのドレスを身にまとって登場するが、ザビーナは何年も同じバッグや帽子を使っている。それでもザビーナはフロイトのように自分の貧しさを卑しく思わない。そんなザビーナの不屈のパワーに、ユングは惹かれたに違いないのだけれど・・・。ザビーナと交わすライトSMチックなセックスも含めてユングにとって彼女は刺激的な存在だ。だがその刺激はとうてい長く接していられない。フロイトと決別するとほぼ同時にザビーナとも別れたユングは、半分魂の抜けたような状態に陥る。エンマはそんな夫のために、誰あろうザビーナに夫の力になってくれるように頼むのである。フロイトを失うのと、ザビーナを失うのと、エンマを失うのと、ユングにとっていったいどれが一番の痛手だろう?エンマがユングを支え続け、この後彼がフロイトを凌ぐ心理学者として成長したことを思うと、おのずと答えは1つだろう。
妻と元愛人の対峙シーンが印象的だ。高価なボーンチャイナの茶器でお茶を淹れるエンマ。受けるザビーナはロシア人医師と結婚しており妊娠中だ。精神病患者として登場したザビーナは、今や児童心理学者として自立しており、さらに妊娠によって穏やかで満ち足りているようだ。エンマの妊娠から始まって、ザビーナの妊娠で終わるこの物語は、ユングとフロイトという偉大な心理学者の出会いと別れを描きつつ、エンマとザビーナという正反対の女性の、それぞれの“自立”(アプローチは違うけれど)を描いた物語でもある。
情熱的なザビーナは魅力的だが、「自由連想」で「壁」という言葉に対して「花」と返したエンマの細やかな優しさを、私は女性として尊敬する。