「重いテーマを、ひときわドラマ性の強い、見応えある映画になったと思います。」終の信託 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
重いテーマを、ひときわドラマ性の強い、見応えある映画になったと思います。
周防監督の性格が伺える超生真面目な作品です。笑いをとる場面が一つも無く、重病のぜんそく患者の病状経過と死亡時の尊厳死にの是非について愚直に追求していきます。作品のテーマは、終末医療と司法のかかわり、安楽死などを中心に据え、死について観客に問いかけてきます。ただ、そこは周防監督。重く硬質なテーマを大上段から振りかざすことはしません。毎作品ごと特殊な舞台に見いだし、優れた娯楽作に仕上げてきた周防監督作品。今回は、ひときわドラマ性の強い、見応えある映画になったと思います。
息が詰まるような2時間24分の長尺でしたが、細かいカット割りと、時間軸が巧みに前後していくシークエンスの組み立て方で、全編最後まで画面に釘付けとなって見終えることができました。
見どころは、息詰まる医師と検事の対決。方や法律の番人として杓子定規に主人公の医師折井を殺人者に仕立て上げようとし、検事のあまりの決めつけ方に反発した折井が、それでもあなたは人間なのかと言わんばかりに、物言えぬ患者の苦痛を代弁して、殺人ではなく人道的な処置であったと反論します。
このラストに行き着くまでの、重症のぜんそく患者江木と担当医の折井との交情の過程はいささか冗長過ぎるきらいもあります。けれども、折井がなぜ尊厳死を選択肢か、その決断に至るまでの心理を観客に伝えるためには、周到な伏線が必要だったのかもしれません。
本作を着想したきっかけは、前作の痴漢裁判を題材にした『それでもボクはやってない』のシナリオ執筆のための取材中に本作の原案となる公判と遭遇したところから。
二つの作品共に、密室での取り調べがいかに危険か。結論ありきで自白を強要する捜査手法を批判的に描かれている点で共通しています。しかし塚原検事の捜査手法のそれは、尋問対象の折井に対して冷徹で尊大。観客の反感を一手に行き受けてしまうような悪の権化として描かれながらも、論理はしっかりと構築されており、その完膚なき論理性と理詰めで白か黒か選択させる、一切の情状の説明を拒絶したディベートのシャープさに、折井に感情移入している小地蔵のこころもは何度も、揺すぶられてしまいました。
優れた映画というのは、主人公に敵対する人物が強烈な説得力を持っているものです。それゆえ、観客は感情ではなく理性で判断させることで、作り手の主張をこころに刻むようになれるのです。もちろん、狡猾な尋問テクニックを屈指する塚原検事の捜査手法には、問題が多いとは思います。けれども冷徹な塚原の論理が、折井の行動の是非を観客に投げかける周防監督の観点は、見事なまでに公平であるといえるでしょう。
毎回、新たな題材にアプローチするときの周防監督のこだわりは、凄まじさを感じます。医療のプロでなくても、治療の現場は、所作といい、専門用語の使いこなしといい、まるで研修医の教材となる臨床ビデオ見ているくらいの精巧さで、情報量の多さが目立ちました。また検事の取り調べシーンも、かなりの取材を重ねて、実際の取り調べてとほぼ同じ捜査手法や逮捕・起訴に向けた手続きを再現しているものと思われます。
さて。物語は折井に検察から呼び出し状が送られて、塚原検事に面会にくるところから描かれます。しかし約束の時間よりも40分も早く到着したことから、そのまま待たせっぱなしにするでした。これも塚原検事のテクニックのひとつ。なんと約束の時間を超えて、2時間も待たせて、やっと面談に及びます。
待ち続ける折井は自然と、身の上に起こった出来事に思い馳せるのでした。以前折井は、呼吸器内科の医師で、重度のぜんそくを患う江木を担当していました。病院の中では、同僚の医師・高井と長く不倫関係にありました。ここで問題のベッドシーンが挿入されます。長年バレーで鍛えられた肢体を、草刈民代は惜しげ無く披露し、乳房を浅野忠信にもまれるのです。その肉体美は凄いのですが、だからといって、自分の愛妻の絡みをファインダー越しに、冷静に演出していく周防監督の神経がどうなっているのか、理解しがたいです。
不倫関係というのは、いつか報いがあるもの。高井が若い女性と旅立ったこと知った折井は、失意のあまり睡眠薬による自殺未遂騒動を引き起こしてしまいます。蘇生処置として、鼻に管を通して水を流し込む胃洗浄のきついこと。わが身にも経験があるだけに、折井の辛さがよく伝わってきました。このとき味わった、治療に対する苦しみが伝えられないもどかしさが、やがて逆の立場に立たされたときの、尊厳死の決断に繋がっていきます。
江木の病状は進行し、入退院を繰り返します。織り込まれる自動車交通の多さや、工場地帯の映像が、さりげなく印象的。江木に転地療養を勧めるものの、あくまで折井の治療が受けられることを望みます。
やがてふたりは、医者と患者の立場を超え、2人は人間として向き合うようになっていくのでした。
とうとう江木に死期が迫ってきます。かつて死を自覚した折井には、ほっとけない連帯感が芽生えてきます。それは恋愛感情というより、生死を分かつ同志としての信頼感のようなものだったのでしょうか。
江木は綾乃に、終戦直後、満州で妹を亡くした悲痛な体験を語り、延命措置について、彼女に判断を託します。終の信託を受けることになったのは家族でなく、折井というところがポイント。家族には、無用な負担をかけさせたくないという江木の優しさが、後日塚原検事に追及する論拠を与えてしまうことになるとは、夢にも思わなかったでしょう。
それと、江木が語る「臨死のときも最後まで残るのが聴覚」という言葉が、印象に残りました。自分の母親の最後の時も、ずっと話しかけたことを思い出しました。だから、江木は妹に子守歌を聴かせ、その子守歌を終の信託として自分にも歌って欲しいと折井に託すのです。子守歌の切ない響きが心に残りました。
余談ですが、臓器移植の時も、脳死だけではまだ神経感覚は残っているという臨床結果が明らかにされています。生きたまま麻酔もかけずに内臓をえぐられるのは相当な恐怖を感じるのでしょうね。
本作は、最後に下した折井の判断の是非を問うているのではありません。やはり尊厳死へ至る、折井と江木のエモーショナルな推移を描くことがメインであったと感じます。それとラストの45分にわたる、塚原検事と折井の激しい応酬の末に下される、法の判断の是非。周防監督は法の正義か、人間性の重視か、その違いを簡潔に映像としてみせるばかりで、主張はしようとしません。しかし、ただ1点、発行された逮捕状を書記官が折井に渡すとき、一瞬罪悪感を浮かべる書記官の表情にこの長い物語の結論が描かれているような気がしました。
演技面では、役所のぜんそくシーンは見ている方が息苦しくなるほどリアルだし、臨終シーンののたうち回るところは、鳥肌が立つ思いの凄さでした。草刈は、バレリーナから転身した頃と比べて、女優として進化をとげ、演技力に磨きがかかっていると思えました。何といってもヒロインを容赦なく追い込む、大沢が素晴らしいと思います。この役で芸幅が拡がったことでしょう。そんな実力を引き出したのも、周防監督の力なんだろうと思います。