劇場公開日 2011年12月23日

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「最後に奇跡に対して疑問符がつく終わり方が印象的でした。」ルルドの泉で 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5最後に奇跡に対して疑問符がつく終わり方が印象的でした。

2012年1月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 フランスとスペインの国境の町ルルドは、聖母マリアが現れたと伝えられる地。病に苦しむ人々は奇跡の治癒を求め、巡礼者として方々からここに集う。その人々がこの映画の主役です。巡礼者に起こる治癒の体験を客観的な視点で描きつつも、それが果たして奇跡といえるものかどうか、最後に疑問符がつく終わり方が印象的でした。

 これは奇跡そのものを否定しているのでなく、あくまで内在する叡知が発揮され、自然治癒力が向上した結果、自らが自らを治したのだという観点なのですね。
 いま仏教的な価値感が、西洋にも浸透しつつあります。監督はきっとどこかで仏教に触れられて、内在する仏性の力に気がつかれたのではないかと思われます。

 圧倒的な他力の働きで奇跡が起こる様を求めて、本作を見に来た人には、きっと肩すかしを食らうでしょう。

 ただ私は、奇跡が起こる条件に、他力の力も否定していません。

 禅の言葉に「啐啄同時」というのがあります。卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「啐」といい、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」といいます。雛鳥が内側からつつく「啐」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって殻が破れて中から雛鳥が出てくるのです。

 両方が一致して雛が生まれる「機を得て両者相応じる得難い好機」のことを「啐啄同時」というのです。親鳥の啄が一瞬でもあやまると、中のヒナ鳥の命があぶない、早くてもいけない、遅くてもいけない、まことに大事なそれだけに危険な一瞬であり啐啄は同時でなくてはなりません。

 奇跡が起こる要件として、自らが強く信じる気持ちがあって、祈りと感謝のあるところに、他力の応援があるものでしょう。
 だから泉の水を浴びただけで病が治ったという短絡的な発想にはチト疑問が残ります。

流山の小地蔵