J・エドガーのレビュー・感想・評価
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霞のかなたに彼らは去っていった
霞のかなたに、彼らは去っていきました。答えは示されないまま、影だけが長く留まり漂うようでした。
不穏な伝説にいろどられた J・エドガー・フーバーですが、話は彼の内面が中心で、政治家は時代を象徴する人物として描かれる程度です。
科学捜査黎明期の様子はとても興味深かったです。時代のはるか先を行き、絶大な影響力をふるったエドガーですが、晩年には彼の手法は古び、焦燥感に心乱す姿は憐れです。
複雑であろう心模様が解説されることもなく淡々と描かれ、数少ない感情の発露に揺さぶられます。
彼をエドガーと呼ぶことを許された三人は、彼以上に謎めいて惹きつけられました。ジュディ・デンチ演じるエドガーの母、特に印象的でした。才能と危うさを内在する息子への思いは支配欲だけではなかったはずです。
時に熱演に過ぎるレオ様なので、老けメイクで抑えめになった表現は悪くないと思いました。アーミー・ハマー、本物の御曹子なんですってね、青年期の美しさは申し分なしでした。
ディカプリオである必要はあったのか…
いまいち何を描きたかったのかが見えてこないまま終わった気がしました…
んー、たぶんエドガー・フーバーという1人の男についてだと思うんですが、どうも消化不良というか、それだけ複雑で描くのが難しい人物だったということか。
同性愛もマザコンも、そうなんだ…とは思うけれど、やはりそれが仕事面にどういう影響を及ぼしたのかということをもう少し描いてくれればなあ…と思った。
あくまでフーバー個人の内面に徹したのかもしれませんが、やはりFBIの創設者という人物である以上、政治や組織内でのあり方においても、なんらかの影響はあったのではないかと思うのですが。
あとはやっぱり老けメイクがやりすぎですね。
個人的に老けメイクというのは、限定的に使うものだと思うので、あそこまでほとんど老けメイクなら、年齢相応の俳優でやればよかったと思います。
メイクはよくできてるけど声まではごまかせないし、なんか最後まで違和感。そのせいで入り込めないというのもありました。
アーミー・ハマーのほうも、いかにも「老人を演じている演技」をしてるという感がぬぐえず…
まあ、皆さんがんばっていたのはわかりますけど…。
美術や衣装や照明ほか、画面作りはいつものイーストウッドクオリティで、もはや疑いない一級品ですが、そういうわけで今回はちょいと消化不良に終わりました…。
シュレされてよかった…
野心家の独裁者はヒジョ〜に真面目で努力家、従順で不器用な人だったんだ…驚き。
生涯の相棒の愛はとても純粋なんだ…悲哀。
そして秘書の女性の生き方はなんて芯が通っててカッコイイんだー!!感嘆!!!!
美しく聡明で忠誠心に溢れ、こんな信頼出来る人が身近にいるって…長官は案外幸せじゃないの。気付かなかったのかな?欲張りなのかな?
近代アメリカ史も勉強になりました。
レオ様の熱演も素晴らしかったです。
なりきってました。
イーストウッド監督、又ひとつ新しい世界を見せてくれて、ありがとうございます。
人間の葛藤を描かせればイーストウッドの右に出る者は無い!エドガーの心の明暗を軸に繰り広げられる人間模様が素晴らしい!
アメリカ近代史に於いて、J・エドガーの存在は不動の者として歴史にその名を残している。そんな彼の一生を描いたのが本作だが、この作品でイーストウッドは政治とアメリカ社会で万人の安全に最も影響を与えたその人、エドガーを一人の只の悩み多き、生身の人間として描き、万人が皆そうであるように、エドガー自身もあらゆる矛盾の中でもがき、さまよい、悩み苦しみ、その生涯を生きた人間として描ききった。
現在も現役で、80代を生きるイーストウッド、彼でしか描ききる事が出来得なかった、人間が生きることに対する変わらぬ、愛の眼差しが深く、優しさに溢れた秀作であった。
そして60年もの長きに及ぶ一人の生涯の姿をダブルキャスト無しで、一人で演じる事に挑戦した、俳優レオ様の勇気に脱帽した。そればかりか、国家の安全保障を握るFBI長官職に半世紀も居座り続けた怪物的権力者としての強者の公の顔、男として仕事の世界で、最高位に登りつめ成功を収めるその一方で、ゲイである事をひた隠しに生きる、恐怖に怯える孤独な淋しいプライベイトの顔を持つ弱気な男の顔。これ程気持ちの揺れ幅の大きい人間も珍しいと思うが、その内面の心の葛藤を表現する事に挑んでいる俳優レオ様の役者魂に引き込まれ、最後までアッと言う間にすぎてしまう2時間だった。
そしてエドガーの個人秘書を演じるナオミ・ワッツ、エドガーの右腕として副長官を務め公私共に生涯のパートナーであったトルソンを演じたアーミー・ハマーもレオ様と共に素晴らしい演技を披露してくれた。
そしてこの映画のもう一つの見どころは、日本で言えば大正中期から昭和40年代後半までのその時代時代の移り変わりを再現した街並みやオフィースのセットと共に、ファッションも見事だ!
私はファッションには疎いので、細かい分析が出来ないが、ファッションに関心がある人にとってこれは、近代の服飾史の良きテキストであるので、その変化を垣間見るチャンスとしても楽しい映画だと思うのだ。
仕事に生きるキャリアウーマンの走りであるヘレンの女性としての孤独、最愛の家族にも友人にも決してその胸の内を打ち明ける事が出来なかったエドガーの孤独、一生を愛するパートナーの際に居ながらその愛を分かち合う事を許されずに生きたトルソンの孤独、愛する息子を時代的社会背景の影響と、エドガーの公の立場を想いやっていた母の真実の愛故か、それとも、かたくなな道徳心故か、優しく我が子を胸の内に抱き愛する事が出来ずに口やかましい母親として存在し続けた母の孤独。
エドガーは心に決して理解される事が無いと言う、強烈な孤独の悩みを深く抱えて生きる人間故に、個人の権利の尊重より、より多くの万人の為に、国家の安全保障と言う理想に向かってひた走る事が出来た人なのかもしれない。
ヘレンがエドガーの死後残される極秘ファイルの処理を、彼の最後の願いとして受け止めて、訃報を受けた直後に、その極秘文書の総てをシュレットしてゆくヘレンの姿は、只、一途にその生涯を、ひたむきに仕事をする事を通してエドガーへの愛を貫いた女性の姿として、私の心に深く刻み込まれた。
ひとりぼっちの戦争
観る側にある程度の知識を要求する映画だと思う。
いつもは映画を観てからパンフレットを買うようにしている自分だが、
今回は「予備知識が無いとキビしいんじゃ……」と心配になり、
事前にパンフを買ってネタバレのなさそうな所だけ読んでいた。
……案の定、読んでないとオイテケボリを喰らう所だった。危ない危ない。
イーストウッド監督って、
いつもまるで呼吸するかのように自然なリズムで物語を語るので好きだが、
今回は展開がややせわしなく感じられた。
時間軸が激しく入れ替わる構成に加え、
アメリカ近代史の事件がぽんぽんと登場するので、
話に付いていくのが少し大変……。
(頭悪いだけと言われればそれまでですがねッ)
世界屈指の捜査機関・FBIを発足させ、その長官の座に48年間も君臨し続けた男、
エドガー・フーヴァーの半生を描いた本作。
一般的なフーヴァー長官のイメージは、
FBIの情報収集能力を利用して政府要人の弱味を握り、
政治の影で暗躍し続けた強権者、ある種の怪物だろう。
だが本作の彼は——
思っていたよりもっとずっと小さくて、弱い。
権力者に対して人が抱くだろう恐怖や嫌悪より先に、憐れみを感じてしまう。
昨年公開の『ソーシャルネットワーク』の主人公と似通ったものを感じた。
誰も信用しない。誰の言葉も聴かない。自分の価値観が全て。
賞賛され、尊敬されたい。相手より優位に立ちたい。
どうしてそんなに力を欲したのか?
何をそんなに怯えていたのか?
結局、彼は一体何と戦っていたのか?
共産主義者? ギャング?
危機管理の何たるかも知らない政治家?
……母親の期待?
母親は息子の性癖に気付いていたのだろう。
だが彼女はそれを肯定するような人間ではなかったし、
(「女々しい息子など死んだ方がマシ」)
ましてやそれを許容してくれる世間でも無かったろう。
彼にとって最大の敵は……
『誰も自分の存在を認めてくれないのでは』という恐怖だったのかも知れない。
蔑まれる事を恐れて虚栄を張る内に、誰からも見向きをされなくなった男。
そんな風に僕には思えた。
唯一エドガーの裏側を理解し、彼がほんの僅かだが自分自身でいる事を許した男・トルソン。
同情の篭った眼差しと共に彼に付き添い続けた秘書・ガンディ。
彼らが居てくれた事がせめてもの救いに思える。
そうでなければ、彼は本当にひとりぼっちだったはずだから。
<2012/1/29鑑賞>
フーバーの苦悩
FBI本部の代名詞、フーバービル。
初代長官にして48年も長官であり続けた彼にちなんで
そう呼ばれているそうですね。
公開前から、とても興味を持った映画でした。
全体的に地味な映画ですが、それでも、つまらなくはなかったです。
イーストウッド監督、ディカプリオや、ほかの俳優さんたちの
力でしょう。
欲を言えば、あと10分くらい長くてもいいから、
もう1つくらいフーバーの苦悩を描いたエピソードがあっても
よかったかなあと思いました。
寝てしまった
48年間もFBI長官を務めていたことに驚いた。若手の時代が第1次世界大戦でその後アルカポネといったギャングと戦い、科学捜査を取り入れたなどとても勉強になった。また、同性愛や気の小ささなどかなり踏み込んだ人物描写にも驚いた。日本ではなかなか真似できないであろう、そんなアメリカ映画の懐の大きさは素晴らしい。
しかし上映時間が長く、終盤のモノローグの場面で寝てしまった。けっこう面白かったような気がするけど、寝てしまったからと言ってわざわざ見返すほどの気力がわかない程度の面白さと興味ぶりの映画だった。
FBIの裏というより、ある孤独な男の物語。
もっとFBI内部のあれやこれやが見れるのかと思っていましたが、もっとフーバー本人の人生にフォーカスした作品でした。
有名な “Trust No One”というフレーズがありますが、彼は本当に誰も信じなかったんだなぁ。。と。本当に孤独な独裁者だった感じです。
ある意味仕事に全情熱を傾けたといえなくもないですが、すごいなぁ。。。彼のことを独裁的という人もいますが、あそこまでビューローのために全てをつぎ込めるってすごいと思います。
母親の影響力はすごくて、それが彼の人格を形成している様子だとか、あとは彼の数々の秘密など、アメリカの秘密ではなく、フーバー自身の個人的な秘密が暴かれている感じです。また、彼はビューローを育てあげるのと同時に、彼自身の抱える困難にも闘ってたという。また、その戦いが非常に孤独で、でもあえて人を寄せ付けない感じが、痛いですね。
ある意味かなり深いですが、登場人物は少なく、地味な映画です。だけど、退屈ではなかった。面白かったです。
レオはオスカー欲しくてなんかもう取り付かれちゃってるんだろうなぁ。クリントと組んでみたんだけど、どうもあってないような気がするなぁ。。。
今回日本の興収はあまりよくないみたいですよね。。。
まず日本だとフーバーの知名度がないからかなぁ。。。クリントとレオなので、もっと客が入ってもよかったのに。邦画が大きいのがあるから、残念な感じになってますね。
冷徹な鎧。
今回のイーストウッド卿は、かなり冷徹に描いている。
ディカプリオの熱演(老けメイクね^^;)をよそに、どこか
遠くから眺めているような冷徹さに満ちている気がした。
そもそもが、エドガー(フーバー長官の方が耳慣れている)
擁護の内容にはなっていないし、とはいえ、
彼の人となりは十二分に感じ取れる作品になっている。
ただ、いつもの卿の映画ではないような、そんな感じだ。
「ヒアアフター」が、その後の震災で上映されなくなった時、
こんなにいい作品なのに勿体ない…と思った。
確かに大津波による恐怖は描かれていたが、その後の人生、
その足取りをしっかりと描いた作品であった。
私的にこのエドガーよりは、ドラマ性もあって良かったなぁ。
確かに彼の人生を知るうえではリアルで興味深い。けど、
どんな人間にもあるのであろう弱味や過信による虚癖を、
彼がどんな場面で行使していたかを、いつもの押しの強さで
ディカプリオは熱演しているが、その独壇場ともいえる彼の
弁舌が冴えわたるほど周囲は冷めていく…といったような、
つまり本人がどういう立場に見られていたかを観客で再現
させようという意図のもとで作っているかのような、冷徹で
突き放したような感が私にはあって、何か入り込めなかった。
どんな悪党にも、大バカ野郎にも、クソジジイにも(爆)、
大いに寄り添い(まぁ遠目になんだけど)見守る目線がどうも
今回の作品にはまったく感じられなかった。どうしてだろう。
聞くところによると、今回の卿は企画持ち込みの雇われ監督?
のような立場だったようで…あまり乗り気じゃなかったのか^^;
スコセッシと組めばとことん黒くなれたディカプリオなのにね。
まぁ相性の話をしてもしかたないのですが^^;
とにかくこのエドガー(やっぱりフーバー長官にしようっと!)の、
個人的な欠陥に深く深く入り込み、大偉を成し遂げた権力者で
あると同時に、いかにエゴが強くて他人に批判的であったかを
これでもかと掘り下げてくれる問題作。彼ほどでないにしても、
こういった鎧を纏わないと何も出来ない愚か者は多い気がする。
さりとて人間は(特に男性は?)、自分をより大きく見せることに
御執心になる生き物だから、その均等技を伝授してくれる側近
(彼らありきですね^^;)の存在は計り知れないほど大きい。
フーバー長官成功の源は、彼に就いてくれた二人にあると思う。
しかし…またゲイ絡みだったのねぇ^^;
必ずや一番!意地でもトップ!めざせ首位!…みたいに、
大きな期待をかければかけるほど、小さい頃から頑張るでしょう。
だけど一番大切なのは、一番をとった「あとの生き方」。
そこをきちんと教えないのは、親の欺瞞なんでしょうかね。
そう考えると、非常に勉強になる映画ではありました…(汗)
(だけど味方を得られたのだから、魅力あったのよね?きっと^^;)
J.エドガー
デカプリオの演技とイーストウッドの監督は凄い。
我々日本人にとっては縁の薄いFBI初代長官である、J.エドガー.フーバーが、こんな人間だったに違いないとイーストウッドは描いている。もちろん多くの事象は事実に基づいて描かれているが、なぞの多い人物だったフーバーを、独自の解釈で正面から取り上げたのだろう。若いときにFBIを一から立ち上げた大胆な行動力、現在のFBIの州をまたぐという性格の成り立ち、そしてそれぞれのアメリカ現代史に出てくる事件との関連を、それぞれの年代のフーバーと伝記口述記述をする晩年とを行き来しながら見せている。イーストウッドの切り口はそれにとどまらず、なぜこのような性格の人物が出来上がったのかも、ここは彼なりの解釈もあるのだろうが、ヒントを与えている。24歳から晩年までフーバーを演じているデカプリオも素晴らしい。「アビエータ」のときも良かったが、素材としては「J.エドガー」のフーバーのほうが深みがあり、演じ甲斐があっただろう。秘書役のナオミワッツ、副長官のアーミーハマーもいい演技をしている。
ただし、娯楽作品を期待する人には薦めない。現代アメリカ史を少しでも知っているほうが、この映画を楽しめると思う。
怪物の機微を描いた作品
結構淡々とすすんでいくので、ある程度の前提知識がないと、あまり入り込めないかも?と思いました。
私は楽しめました。
豪腕だったエドガーの悲哀を丁寧に描いています。
やり方の如何はあれど、アメリカのことを考えていたのは確かなのかな。
こういう人が歴史を動かすのかもしれませんね。
彼とその周りの人物との関わりにとても考えさせられました。
彼とトルソン、彼と母親、彼と秘書のガンディ。
そこらへんを注目して観ると、また違った作品に思えてきます。
ちなみに、一緒に観に行った友達は寝ていました・・・。
人を選ぶ映画かもしれません。
自らの正義のみに生きた男・・・
レオががんばっていた。青年から老年までほぼ出ずっぱり。がんばりは認めるが、何となく演技が一本調子。多々言われているが、老年期の声の工夫が足りなかったのでは??? もう少ししわがれ声にするとかしてほしかった。アメリカで長い間死ぬまでFBIの長官を務めた男をいろんな面から描いていた。共感が得られるような人間ではなく、言ってみれば怪物のような男だからしかたないのかもしれないが、この人物をどう評価していいかわからなかった。指紋とかDNAなど近代的な捜査を始めたとか、国会で予算をたくさんとるために、PRもうまかったとか功罪の功の部分もあるのに、イーストウッドは罪の方に力を入れて描いているような気がした。でもこんな人がいたらやだな。自分中心で世界が回っている感じで、かなり偏見に満ちてる人だったと思う。そのくせ、自分は普通とは違っていた・・・ その複雑な感じはよく描けていたと思う。
やはりイーストウッドは天才
クリント イーストウッドが82歳で完成させた、新作映画「J エドガー」を観た。
48年間 アメリカ連邦捜査局局長を務めたジョン エドガー フーバーのバイオグラフィー。彼は、カルビン クーリッジからリチャード ニクソンまで8代の大統領のもとで、連邦捜査局長を務めたが、77歳で現職で死ぬまで、大統領よりも巨大な権力を維持した。「フーバーファイル」と名付けられた、政治家や実業家の個人秘密情報を持ち、いつ何時大統領の座を揺るがすこともできた。人種差別主義者で共和党最右派の立場から共産主義、社会主義、人種差別撤廃運動家、リベラリストなど、すべての活動家や政治家をアメリカ国家の敵をみなして弾圧した。
ストーリーは
1919年、24歳の若きジョン エドガー フーバーは、自分の上司である最高司法長官の自宅が、共産主義者によって爆破されるのを、目の当たりに目撃する。時に、ソビエト連邦国家建国の影響で、アメリカ社会もアナキスト、共産主義者による暴動が多発し、社会運動が活発化していた。弱体化した警察を横目に、エドガーはアメリカ政府を安全に導く為に 赤狩りを率先して行う。1日に4000人の共産主義者を検挙、活動家達を拘束するためには、非合法も手段も選ばず、殺人も厭わず、また理由をつけては国外追放し、徹底的に弾圧した。
その腕を買われて、彼は司法捜査局の責任者に、のし上がって行く。折りしも1932年に起ったリンドバーグ家の長男誘拐殺人事件がおき、州境を越えて、各州の警察権力を上回るパワーをもった連邦政府捜査局(FBI)の必要性を人々に認識させると 自分が局長の座に収まった。科学捜査の必要性を訴え何百人もの局員を配下に収めて事件解決のために指揮をとった。
1930年代、俳優ジェームス ギャグニーが エドガーをモデルにしたFBIとギャングの抗争を映画でヒットさせると、コミックでも盛んにFBIが登場し活躍するようになった。エドガーは服装にこだわり、部下たちにも上等な服や帽子を被ることを要求し、自分の心酔者だけを部下として大事にした。
私生活ではエドガーは自分のことを溺愛する母親に、頭が上がらない。母は女性に興味を持てないエドガーに、ことあるごとにホモセクシュアルが、いかに世間の物笑いになる滑稽で罪な存在であるかを言い聞かせた。そのため、エドガーは母親の期待に応えることだけが自分の生きがいとなり、自分の個人的な嗜好には目をつぶり 欲望を押しつぶして生きることになる。
出会ったその日に利発で美しいヘレン ガンデイーに心を寄せ、求愛するが その時に結婚よりも仕事を持ちたがった彼女を、生涯の個人秘書に抜擢する。そして、その後2度と彼女と結婚について話題にすることはなかった。
またエドガーは、長身、ハンサムな青年クライド トールソンが学生の頃から注目していて、半ば強引に自分の秘書官にする。やがて、FBI副長官に就任させ彼の右腕として、生涯の伴侶とする。二人は愛し尊敬し合うが、エドガーはクラウドの望みに応えることなく 生涯プラトニックな愛情を貫く。
FBI局長として絶大なパワーを持ち続け、エレノア ルーズベルトのレズビアン関係、ジョン、ロバート ケネデイ兄弟の女癖の悪い醜態やマフィアとの癒着、マーチン ルーサー キングの不倫、リチャード ニクソンの不倫など、スキャンダルな証拠をファイルに持っていて、関係者を震え上がらせていた。自分のバイオグラフイを口述していて、自伝を出版する気でいる。一向に引退する気はない。FBI副局長のクラウドが心臓発作で倒れるが、クラウドとの特別な関係は変わることなく生涯続く。
そんなお話。
印象深いシーンがふたつ。
一つは、初めて出会ったヘレン ガンデイーを夕食に誘い、その場でエドガーが、ひざまずいて求婚する、24歳の若さがはちきれんばかりのレオナルド デ カプリオの好青年ぶり。その場で求婚を断り、仕事をしたいと言ったヘレンが、10年後、20年後に忠実なエドガーの 個人秘書として仕事を一手にまかされてやっているが、ふと年をとっていく自分を省みて 2度と求婚しないエドガーの背に向かって深いため息をつくシーン。エドガーも年をとるが、ヘレンも白髪だ。そんなナオミ ワッツが エドガーの死を知らされるとすぐに、エドガー所有の個人ファイルを次から次へとシュレッダーにかける その背をまっすぐに伸ばした、毅然とした姿に心打たれる。
もう一つの印象深いシーンは、クライド トールソンの求愛のシーン。直裁で真摯な愛の求めに応じることが出来ないエドガー、、、それほどに強い母親によって「教育」され「抑圧」されてきたために、自分の心を解き放つことができないエドガーの痛々しい姿だ。自分の小児病的な「いびつ」さに 自から気が付かずに生きて死んでいく、そんなエドガーを心から慕い、愛してきたクライド ト-ルソンの これまた「いびつ」な愛の形、年をとり、もう働くことができなくなったクライドの額に 万感の思いをこめてエドガーがキスする。このシーンが とても泣ける。
エドガーがクライドに自分の右腕になってくれと頼むと、クライドは目を輝かせ、勿論ですと言い、条件がある、と言う。それは 良い日も悪い日も 二人の考えが合意できる日も出来ない日も、好きなときも好きでないときも、一緒にお昼御飯を食べるということだった。エドガーはこれに同意して、死ぬまでほとんど毎日、律儀にクライドとの約束を守って、クライドが倒れ、仕事ができなくなっても二人は一緒に昼食を取る。二人の関係は死ぬまで変わる事がない。
クライド役を演じたアーミー ハマーはとても良い。「ソーシャルネットワーク フェイスブック」で、ハーバード大学の エリート 双子のウィンクルボス兄弟を演じた役者だ。背が高く、美形。目が澄んでいて希望に燃える青年役にぴったり。彼の老い方も秀逸。足元がおぼつかなくなってエドガーよりも先に年寄りになってしまった姿も哀しくて、素晴らしい。
人間が描かれている。
8人の大統領に恐れられ 48年間休むことなく情報を手に入れアメリカの治安を思い通りに懐柔した怪物が 生身の人間として描かれている。結婚せず家庭を持たず、一生を仕事に捧げ、自分の信念を曲げようとしなかった。強いアメリカの中で、一番強い男エドガー。忠実な秘書と立派な右腕に支えられ生涯信念に生きた。そんな男が何と「もろくて壊れた心」を持っていたことか。 その姿が、ただただ 哀しい。
クリントイーストウッドの映画。タイトルを「フーバー」にせず、エドガーにしたセンスといい、このような怪物を映像化して、みごとに一人の人間を描き出した力量といい、やはり、イーストウッドは天才ではないだろうか。
いつもイーストウッドの映画を観ると、観た後で、ワンシーン ワンシーンが思い出されて、感動が深まっていく。いくつもの美しいシーンがよみ返ってきて、忘れられない。人間の喜怒哀楽をこれほど上手に映像で切り取って見せてくれる人は、他にはいない。
良い映画だ。
観てみる価値はある。
イーストウッドの映画で一番つまらなかった
イーストウッドの映画を好きになり、今まで数作見てきましたが、今回が一番面白くありません。
なんだろう?この面白く無さは・・・。
今までイーストウッドの映画を見終えた時に、受けたものが今回は何も感じない。
ミスティックリバーの言葉に表すことの難しい衝撃や、ミリオンダラー・ベイビーの見た後に胃袋に鉄の塊を落とされたような感覚も、グラン・トリノ
を見終えた時の苦笑いと止められなかった涙。
そのどれでもが無い、衝撃も受けない。
つまらなくても、睡魔に負けそうになっても、きっと最後迄見た時に
何かが私の胸に飛び込んで来る、そう思って観ていましたが、何も起きなかった。
逆にそれが衝撃か?(笑)
物語の中で、何かを見落としたのだろうか。
それとも、何回か見るうちに、何かが気持ちに訴えてくるのだろうか?
悔しいので、DVDが出たら何度も観てやりたい!
でも今の観た正直な評価は★★。
こんな感じですねぇ。
家族を持たず情報だけに頼る姿は、現代社会の構図に似ている
エドガーという人物は、若い時から情報を系列立てたり、事象を科学的に分析する才能に長けていたようだ。感や腕力に頼らず効率的に犯人を追い詰めていく近代捜査開拓の祖だ。
だが、学歴と身なりなど知性にこだわり、人種差別的な言動が多々ある。結果的に人を見る目が狭まり、人選の能力に欠けたと言えよう。
権力への執着心が強く、地位を脅かす者への警戒心から誰も信じられない哀れさは加齢とともに増していく。
権力に執着し、その地位を脅かす者への警戒心が、法を破ってでもありとあらゆる情報を収集しなければ気がすまない悪循環を生む。
信じられる者は少なく、結局、何十年もの間、側に置いたのは秘書のギャンディと副長官に任じたトルソンだけだ。
孤独なエドガーにとって情報は信じられる最後の砦だ。
そして絶対的な心の拠りどころは母・アンナだった。
家族を持たず情報だけに頼る姿は、現代社会の構図に通じたところがある。
絶対的な権力で国を牛耳りながら、ある種の性癖を持つプライバシーは生涯独身で、エドガー自身の情報は少なく謎が多いというのも皮肉だ。
今作は、自身の伝記を部下のスミス捜査官に書かせ、過去を振り返りつつエドガーの壮年と晩年を描いていく。過去と現在を行き来しながら、人物や真実をあぶり出していく手法だ。
たしかにこの方法だと、ひとつひとつの事象にどのような意味があったのか知ることができる。資料に執着すればするほどに、情報に溺れれば溺れるほど孤立していくエドガーの姿が浮き彫りになる。
ただ、過去との行き来が頻繁で、1932年のリンドバーグ愛児誘拐事件については話の流れにブレーキが掛かったきらいがある。
それでも独特の緩急によって淡々とした内容を飽きさせずに見せる、イーストウッド監督の技は相変わらず健在だ。
ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、アーミー・ハマーの老若演じ分けも見ものだ。
エドガーがギャンディを久々にファーストネームで呼んだとき、ヘレンはエドガーに違うものを期待していたのではないか? 落胆の様子が痛々しい。
詳細は描かれていないが、伝記をタイプする担当官が途中で代わってしまう件にも注目。
愛のかたち
同性愛は肉体関係があると生々しいが、肉体関係がなければ精神性が際立ち異性愛より崇高か。親が子に対する愛は見返りを求めない無償の愛か。親が自分の期待を子どもに押し付ける愛。人生の幸福よりも仕事にすべてを捧げる仕事愛。ペットに対する愛は自分が癒されたいという我儘な愛か。生物学的性別と性の自己意識の不一致で悩む性同一性障害。異性を愛せない者。同性しか愛せない者。SEXしか頭にない者。SEXを嫌悪する者。人間とはまったくもって面倒な生き物だ。
すごい人生だ
フーバーが情報管理システムを確立し、指紋認証システムをつくり、権力者の極秘ファイルを作成し裏の顔を調べ、五十年間にわたり長官でありつづけ、映画やラジオなどのマスコミを利用して、今のFBI映画のかっこいいイメージをつくるなど、アメリカにこんな人がいたんだと驚いた。それにものすごいマザコンで女装へきもあり、生涯にわたりトルソン副長官と心を重ね、最後にはトルソンの隣のお墓に入るなど、本当にすごい人だ。
その男,葛藤につき。
過去と現在を交互に織り交ぜた構成で,
他人の秘密を握る事こそが正義だとする男の内面,葛藤を,
スキャンダラスな派手さを排して,
静謐な品格でもって活写した人間ドラマが奥深い。
アメリカ史も絡めて見応えたっぷり。
ディカプリオの童顔を活かした
表に出さない内面の苦悩表現が素晴らしい。
老けメイクが江守徹さん似。w
「嘘かホントか、信じるのはあなた次第」
虚実に包まれた謎の人物である、FBI初代長官ジョン・エドガー・フーバーの半生を描いた映画。一応、歴史的事実を元に描かれていますが、フーバーを巡る物語自体は、創作という形になっています。1972年のフーバーが回顧録を口述していると言う設定で物語は進み、時に応じてその物語の時代を描くという形態で描かれています。
フーバーをディカプリオが演じているということが注目。若いころのフーバーは良いですが、当然老けメイクを施しているわけですが、晩年のフーバーはちょっと若すぎるように感じました。まだ37歳だもんね、ディカプリオは。
一応、実際の歴史を元にしているので、ロバート・ケネディやニクソンも画面に登場します。どちらも十分すぎるほど有名な人物ですが、メイクの効果もあるのでしょうけど、中々似ている人物が演じていました。世の中、似ている人っているんですね。
フーバーは、ホモであったとか言い伝えられていますが、実際のところはどうだか解明されていません。ですが、トルソンとの40年以上にも渡る愛憎の物語が描かれています。アメリカは一般にはフェア・公正な国と思われているわけですが、これを見るかぎりは、権力を持つものは、必ずしもそうではないなぁと思わざるを得ませんね。
フーバーの人格形成に非常に大きな影響を与えたと言われている母親も描かれています。息子に大きな期待をかける母親というありがちな姿で描かれており、ああ言う期待は得てしてプレッシャーにも成り得る訳で、フーバーの性癖・人格に納得感を与えています。
不思議なのは、フーバーの秘書ヘレン・ギャンディ。フーバーからの求婚を拒絶している訳ですが、それはそれとして秘書として40年以上にも渡り仕えると言うのは、どういうことなんでしょうね? また、この映画上では、フーバーの秘密ファイルの管理係もしており、単なる秘書以上の存在として描かれています。トルソンといいギャンディと言い、フーバーの周りには不思議な人達がいますね。
嘘かホントかわかりませんが、非常に興味深い映画です。
微妙・・・
正直がっかりな映画でした。
話題性を作るためにディカプリオに爺さん役、ホモ役、マザコン役をやらせている様に感じました。
FBIの創設までの経緯やその後の運営の描き方についても、稚拙な描き方(というよりほぼ皆無…)に見えました。
ヒットするとしたら、主演と監督のネームによるものなんだろうなと…
映画館でわざわざ見るほどの作品とは感じませんでした。
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