幕末太陽傳のレビュー・感想・評価
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デジタル修復によって映画に再び命の火が灯った。
日本映画史に燦然と輝く傑作であり、伝説の監督・川島雄三の代表作。映画に興味が湧くと、すぐにそういう情報は飛び込んでくる。しかし、観てみようにも以前は名画座でかかる傷だらけのフィルムか、映像も音声も不明瞭なVHSテープしかなかった。もちろん映画自体は面白いのだが、脳内補正をフル活用して、これは傑作なのだと断片を拾い集めるような作業でもあった。
しかし、日活さんありがとう、よくぞここまでキレイに修復してくれました! セリフがハッキリ聞こえる、役者の表情がよくわかる、など、本来なら当たり前のはずの状態になったことで、この映画が持つ滑稽味がよりハッキリと伝わるようになった。そして驚いたのは、セットの豪華さ。今の日本の感覚なら完全に大作映画の規模であり、小気味いい落語噺がベースなのに、こんなに豊かで奥行きのある映像だったとは。
ようやく映画史上の大傑作がわれわれのところまで降りてきてくれた。そんな感覚が味わえる、デジタル修復の鑑のような復活劇である。
急ぐな騒ぐな天下の事はしばし美人の膝枕で・・・‼️
遊郭で一文無しにも関わらず豪遊し、そのまま宿に居残ることになった佐平次は、様々な人々の悩みや揉め事を解決し人気者となり、ついには攘夷派の志士達とも堂々渡り合う・・・。フランキー堺扮する佐平次のバイタリティーを落語などのネタを絡め、ハリウッド映画のようなテンポで魅せ、ニコニコゲラゲラ楽しませてくれます‼️当時人気絶頂だった石原裕次郎や二谷英明さんら太陽族のメンバーを幕末の志士にダブらせたり、女郎たちには当時の日活ご自慢のスター女優がずらり‼️脇に至るまでも名優の方々が勢ぞろいでホント贅沢な映画だと思います‼️したたかでパワフルな佐平次も、時折咳き込んだりして実は肺病持ちと、一抹の寂しさ哀しさが漂うあたりも大好きな要因ですね‼️
面白い
古い映画はよくわからなくて苦手だけど、
面白かった。
登場人物が皆活き活きとしている。
遊郭の女性達も逞しい。
小股の切れ上がったいい女ってこういう事なんだろうな。
けんかシーンで帯グルグル。ただのつかみ合いじゃない。滑稽で面白い。
色々な思惑、思想、武士、商人、その中をスイスイと泳ぐフランキー堺。
ちらっと見せる暗い表情。
本当にうまい。
話もテンポが良く進む。
これで終わり、、と思ったら、、何度もお墓で引き留められそうになる。
落語好きな人は倍楽しめるけど、
品川心中あたりは唐突で、元ネタ知らないとなんで?ってなると思う。。
かぁっこ良い…
大人の映画って、こういうのを言うんでしょうね。とにかくカッコイイ。すばらしく魅力的。面白かったです。
大好きな作品になりましたが、作品をレビューするのに自分が全然追い付かない感覚がハンパ無いです。(もういい歳のオバサンだけど。年齢というより人間が追い付かないって言うのかな)
またこれから何度も見たいです。
落語も、最近聞いてないのでまた久しぶりに聞きたくなりました。
1人1人の力強さに(笑)。生き抜く強さが響き渡る
口八丁で切り抜ける。なのに、人気者。
結構、ひどいこともやっている。地獄の沙汰も金次第とばかりに、居残りして袖の下を貰って稼ぎまくる。
こんな男、近くにいたら鼻つまみ者、誰からも見向きもされない守銭奴なんだけど…気が付けば、居残りの余計者から、皆に頼りにされる人気者になっている。そして観ている私も虜になっている。
適当者でいながら、どこか肝が据わっている、芯が通っている人物として演じられているからだろう。
そのまんま、キャバレーとかに舞台を移しても多分通用するだろう。
とにかく、どの登場人物も活き活きしている。
勤労の志士達が大根役者なのも、庶民の生活見ずに、自分達の理念で動き回っていたKY感を出したくてわざと起用?と思いたくなるほど、不思議な世界感が出来上がっている。
死の影はチラつくが、生へのバイタリティに溢れている映画。
イノさんは、死病に侵されている設定ながら、医師の言いつけを頑なに守り、たぶん、その医者にまた治療してもらうために、長崎までの旅費と治療費を必死に稼いでいるのだろう。
「首が飛んでも動いて見せまさぁ」
「俺はまだまだ生きるんでぇ!!!」
死の影にあらがう、生き延びるんだという、その心意気。
舞台は幕末。
ペリー来航に始まる、時代の変革期。「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった4はいで夜も眠れず」という狂歌が流行ったように、アメリカ・ヨーロッパによってどう変化させられるのかと、不安が押し寄せていた時代。映画に登場する勤王派も、物騒なテロを計画している。
だが、庶民は、その日をしのぐために、生きていた時代。
遊女として、手練手管を駆使して稼ぐ女たち。彼女たちが遊女となった理由は映画では語られないが、口減らし等のために売られてきた少女たちが多いと聞く。様々な理由で借金のために遊女にされそうになる娘も出てくる。
今なら悲劇の物語になりそうだ。この時代でも遊女にならぬように知恵を巡らしている。
映画が作られた時代。
GHQ主導で売春禁止法が施行される前夜と聞く。
戦争によって、稼ぎ頭を失い、稼ぐ手段を失くし、娼婦となって日々の暮らしを支えていた女性たち。
GHQの主導で、様々な変化を余儀なくされていた時代。
どちらも、時代の変化によって、自分たちの生活基盤の先が読めぬ時代。
それでも、人は今日生きるために必死に知恵を絞る。
それでも、人は自分の欲を叶えようとする。
そんな人々のしたたかさ。だまし合い。そのパワー。
映画は、監督の人生・死生観をトレースしているとか、
当時の監督と映画会社との関係を示唆しているとか
いろいろ言われている。
そんな、いろいろな人にいろいろな思念を抱かせる映画だが、ちっとも固くない。
こんな風にジャズのセッション観ているみたいなそれぞれの芸達者の掛け合いで場が高まっていく。
かと思うとシビアな生活の場が描かれるという、緩急の気持ちの良い映画、そうそうない。
自由に
私が鑑賞したことある邦画では、一番古い作品。落語も全く知識無しです。作品がとても軽快で自由ですね。江戸が自由だったのか、作品を撮影した50年代が自由だったのか、今が不自由なのか。
佐平次からは寅さんと同じ匂いがしました。庶民が楽しく生きるという哲学も、何処となくフェリーニと似てますね。数々の天才達の結論は、『生きろ』ってことなんだと思います。
スクリーンで鑑賞できて幸運でした
ほぼ予備知識なし、でも見とかないといけないやつだと思って、正月元旦から目黒シネマでやってるし、コロナのおかげで正月なんだか暇だし、スクリーンで修復版を見ることができたのはなんという幸運だろう。
今住んでるところめちゃくちゃ地元の話で、そういう土地柄だったのか、お台場の史跡もそういうものか、と勉強、そして、めちゃくちゃホンモノの、爆発する系の、ホンモノ芸術であった。もったいぶり一切なし、豪勢なセット(?)、豪華な役者たち、ほんとに生きてる生き延びてる人らがいて、そうしたい気持ちが爆発していて、日本の映画?日本の映画??日本の人の話てずっと思い興奮しながらみた。
生きてる生きてくことが困難な時代の自分達、を想像力創造力応用力で思い描き、希望を持つこと。
川島旦那はさよならだけが人生だと言い残してどこに行ってしまったんだろう。
居残り佐平次の生き方と言うより在り方が好きだ。
開き直りと言うより覚悟の仕方が、とてもじゃないが真似できぬ。
志ん朝の「居残り・・・」を聴いても、この映画を観ても何度もそう思う。
そして、監督、川島雄三の姿を重ね合わせてしまう。
姿かたちにカッコよさなど皆無だか、立ち居振る舞いにかっこいい!と叫んでしまう。
冒頭シーンと結末シーンをクロスされていれば日本映画の最高峰だったろう。黒澤明など足元にも及ぶまい。フランキー堺も後悔していたそうだ。
もう一回、観ようかな・・・この映画を。
痛快の後ろに死の匂い
うーん、いいですねー。
女郎宿のひとつ屋根の下で別々に動く運命をアップビートに描いていくのが痛快。
落語の噺と幕末のワンシーンを繋いでみせて、死の匂いまで閉じ込めてみせるのは凄いなぁ。
女郎の二人が可愛く寝ている姿、裕次郎の生命感溢れる笑顔、死から全力で逃げるフランキー堺の走る姿。
いやぁ良かった。
デコっパチで超人な佐平次
57年川島雄三監督。
人を喰ったようなOPから川島節。品川宿という限定された舞台。語り口にリズムがあり見ているだけで心地よい。自分は落語には明るくないが、監督は相当好きだったのかな。
フランキー堺が絶好調。まさに水を得た魚。段々とスーパーで謎男化していく様が痛快!
終盤まで怒涛の展開だが、ラスト前のギア入れ替えが見事。
佐平次の持つ粋と軽さと病んだ体、というと監督そのものではないかと思い当たりましたな。
軽妙な喜劇の裏には別のシリアスな製作意図があったのだ
題名の幕末は時代設定
太陽は太陽族からきたもの
つまり幕末の太陽族物語
太陽族とは本作製作の前年にベストセラーになった小説太陽の季節に由来するもの
それに登場する戦後米国風の風俗に染まり享楽に溺れる若者達を太陽族と呼んだもの
著者は後年都知事にもなった石原慎太郎で本作の高杉晋作役の石原裕次郎の兄
太陽の季節自体も同じ日活で映画化されている
出演者も石原裕次郎、南田洋子、岡田眞澄が本作にスライドしてきている
太陽の季節は当時としては過激な性描写や享楽的な風俗が問題となり社会問題化し映倫が作られる原因となった
本作の冒頭で製作当時の現代の品川を見せ、幕末と現代とは地続きであると提示するのは、つまり現代の太陽族なる風俗は幕末と何も変わりはしないという本作の主題であり、監督の主張であるのだ
懐中時計がモチーフとなり、登場人物が盛んに今何時だと見て、本当に合っているのか?と時計の音を耳に当てて聞くのもその演出の一環だ
当時の品川宿の有り様を豪華なセットで再現して見せているのも、現代も幕末も人間の本質、下世話で赤裸々な性への欲求は何も変わりはしないのだということを画面の説得力で見せる為の仕掛けだ
そこに展開されるお話は猥雑で下世話でありさえすればそれでいいのだ
だから当時の一番の喜劇役者のフランキー堺が主役に抜擢されおちゃらけてみせるのだ
彼が演じる主人公佐平次は結核を患っている
もちろん結核で若死にする高杉晋作を投影させてある
高杉晋作の死は本作で描かれる英国公使館焼き討ち事件の5年後のことだ
なぜ佐平次は結核を患っている設定なのか
なぜ「首が飛んでも動いてみせまさぁ」という台詞があるのか
過労による死は昔は結核であって
現代では結核にはならず過労死となる
おそらく監督と映画会社との軋轢を揶揄するものであろう
そして「首が飛んでも動いてみせまさぁ」の台詞は、それへの反発と映倫設立への反抗の台詞なのだろう
川島雄三監督は日本で最初のキスシーンを世間の反発を怖れず敢然と撮って見せた人なのだ
「俺はまだまだ生きるんでぇ!」の最後の台詞も、実は監督の心の叫びだ
結核の様に映画製作の情熱を日活との軋轢で蝕まれても生き残って、映倫に上映を止められようとも納得のいく映画を作ってみせるとの決意宣言なのだ
そしてラストシーンは墓場からすたこら街道に逃げ出していくシーンだ
こんな映画会社はもう十分、逃げ出してやるんだとの宣言にも見えるのだ
軽妙な喜劇の裏には別のシリアスな製作意図があったのだ
冒頭の昭和32年当時のさがみホテルに米兵とパンパンが連れだって二組入るシーンに土蔵相模の遺跡との小さい看板が写り、本編に登場する相模屋は実在のものであると説明している
土蔵とは土蔵のような海鼠壁を施した立派な建物という意味合い
21世紀の今もその痕跡は残っている
場所は京急北品川駅の南側踏切を渡り、旧東海道筋の商店街に突き当たると、そこにあるコンビニの右脇に土蔵相模の遺跡である事を示す、映画で写ったものとは違う、見落としそうなほど小さな木の高札が立っている
もちろん今ではただの商店街で、赤線だったカフェー街のなごりもなく、さがみホテルはおろか周囲にラブホテルの一軒すら見当たりません
その踏切
実はシンゴジラで全員避難したはずの地域に人が残っていると分かり自衛隊の攻撃が中止になるその踏切です
なぜその踏切だったのかの意味がわかりました
庵野監督は本作のファンだそうです
ニヤニヤ
古典落語がベースということで、落語好きとして色々楽しめる部分が多く面白かったです!
特に大好きな『三枚起請』の一節が聞けたのは非常にニヤニヤポイントでした!!
改めて、フランキー堺っていい役者だなぁと思いました。
これの関西版リメイクを見てみたい!!
フランキー堺の粋過ぎる演技が最高!
日活製作再開三周年記念作品。
KBS京都「新春シアタースペシャル」で鑑賞。
ストーリーに盛り込まれているという落語の演目についての知識は全く無かったですが、思いっ切り楽しめました。セリフのひとつひとつがセンスに溢れていて、真似したくなる言葉のオンパレードだなぁ、と感じました。
主人公・居残り佐平次を演じるフランキー堺の軽妙洒脱な演技と、彼を取り巻くその他の登場人物たちの個性が際立っていて、それを余すところ無く収める場面構成も巧みでした。無条件に世界観に引き込まれていきました。
石原裕次郎、小林旭、南田洋子、左幸子という日活が誇るスター俳優たちを差し置いて、主演に抜擢されたフランキー堺。彼らに引けを取らない粋過ぎる好演で、物語を牽引しているのがすごいなと思いました。これぞ本物の喜劇役者!
公開当時の世相として、売春防止法が制定され、昔ながらの赤線地帯が次々に姿を消していく中、“古き良き時代”へのノスタルジーが籠められているように思いました。
現代の映像から始まるが時代劇。日本コメディの傑作らしい、評価も実に...
現代の映像から始まるが時代劇。日本コメディの傑作らしい、評価も実に高い。
どうやら私は時代の壁を越えられなかったようだ。全然面白く思えず。どうやらグランドホテル形式ってやつも合わないようだ。
フランキー堺の軽妙世渡り術を楽しむことができず、裕次郎の出演もなんだかむなしく思えてしまった。デジタル修復版を鑑賞。
江戸古典風の粋で滑稽な娯楽
総合:75点 ( ストーリー:70点|キャスト:75点|演出:75点|ビジュアル:65点|音楽:65点 )
無茶苦茶なことをする男が、その高い能力を使って飄々と危機と問題を解決していく。歴史を揺るがす出来事も、よくある小さな人々の揉め事もまとめてこの男が受け流す。恐らく死を悟っているそんな主人公の生き様が心地よい。粋な男と滑稽な展開が飽きずに観られた。
何回見てもいい!
8年前(2011年)に初めて見た時は、楽しかった!で済んでた。そして再度(2019年11/5)。フランキー堺のぞっとするほどの陰惨な絶望的な表情、の一方で、身体能力の素晴らしさに、そして二人の花魁の若々しい喧嘩場面に胸がしめつけられた。
居残りと品川心中以外にも色んな落語が入っていることにも改めて気づいた。(「いだてん」にも沢山落語が入ってる!)
まだ俺は生きるんだい!と、心の中で私は自分にも言ってみた。川島監督、素敵な映画をありがとうございます。
落語の世界を借りた川島監督の死生観
川島雄三監督の最高傑作。全編を通して落語の噺がちりばめられており、それが実に巧妙に作品を転がしているだけに、落語好きには溜まらない。
といっても、落語噺をよく知らなくても十分に楽しめる。遊郭に「居残り」をしながら、遊郭の若衆どころか男芸者顔負けに振る舞い小遣い稼ぎをする主人公の活動を中心に、日活「太陽族」を維新の志士としてうまく絡め、その上で監督の死生観までをも盛り込んで成立させている。主人公がラストシーンで言う「地獄も極楽もあるもんか。俺はまだまだ生きるんだ」という台詞は、物語の進行と同時に進んでいると思わせる主人公の病状の深刻さに抗うように、しかしながらどこか楽観しているような心情を現す。そして最後に主人公は、品川の海沿いの道を走り、どこかに逃避していく。
50年を経って、なお十分に見応えのある作品だ。また、デジタル修正版は初見だったが、非常に見やすくなっている。
なお、作中に使われる落語は「居残り佐平次」をベースに、「品川心中」「三枚起請」「お見立て」などのエピソードがちりばめられ、「文七元結」「付き馬」「お初徳兵衛」「夢金」などの設定や一場面も活用されている。
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