「アウトサイダーから見た社会の縮図」幕末太陽傳 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
アウトサイダーから見た社会の縮図
冒頭、現代(撮影当時)の品川の街が紹介される。八ツ山の陸橋や、旧品川宿の商店街。今の職場のすぐ近くなので、とても興味深く見ていたが、あっという間に幕末、文久年間の品川宿に観客はタイムスリップしてしまった。
女郎宿の代金を踏み倒して、そこへ居残って働くことになった居残り佐平治。ケチで金に細かい彼は、当初周囲からは警戒されたり、馬鹿にされたりする。しかし、持ち前の度胸と、機転の速さで、いろいろな問題を解決していき、女郎宿の人々からは慕われ、頼りにされることになる。フランキー堺が演じている佐平治の、その軽かやでエネルギッシュな動きは、カメラワークによっても表現されている。宿の1階廊下から階段を抜け、2階の廊下へと駆け上がるノーカットのシーンは、カメラが吹き抜けを上昇して、その後なおも2階の廊下を水平に移動するという複雑な動きをしていることを示している。
佐平治はアウトサイダーである。共同体の外部からやって来て、共同体に波乱を起こし、自らその終息を図る。このような性格の登場人物と物語の構造は、他の川島作品にも見られる。「とんかつ大将」の主人公も、金持ちの実家を出てきた医者で、下町の人々に慕われ、問題を起こし、彼らに自分たちの内部を見つめなおす契機を残して、去っていく。また、「東京マダムと大阪夫人」に出てくる、大阪夫人の弟八郎も、大阪からふらりとやって来て、社宅の奥様方の間に波紋を起こし、その自己顕示欲の強さに気付かせる。そして、最後にはアメリカへと去っていくのだ。この佐平治も、女郎宿の一人息子と、女郎に売られた大工の娘の駆け落ちを手伝うことになり、これが潮時と、品川宿を去っていく。人は、狭い共同体の中で、つまらない自己顕示欲や、目先の利益に振り回される。アウトサイダーの目を借りなければ、そのことに気付くことができる者は少ないことをこの映画は訴えかけている。
これらのキャラクターに共通の資質は、他にも、弱い者やまっすぐな人間には優しくて親切だということである。佐平治は、女郎に売り飛ばされた大工の娘と当てのない礼金の約束を交わすだけで、駆け落ちの手助けをする。また、女郎が居留守を使って会わなかった客に、女郎が死んだと方便を使い、そのあげく嘘の墓場まで案内するのである。駆け落ちの手伝いを潮に、女郎宿を去ることを決めた佐平治は、わざわざ墓場までその客に同行せず、逃げることができたはずである。しかし、女郎の死を本心で悲しんでいるその客を、放っておくことが出来ないのだ。
ラスト、佐平治は、町外れの墓地に空いた壁の穴から逃げていく。墓地に置き去りにされる客からは肺病の心配をされるが、まだまだ生きていくんだという強い言葉を放ちながら、品川の宿場町を去っていく。
石原裕次郎、二谷英明が若い。女郎役の南田洋子の美しさ、左幸子の逞しさが印象的。