「物語の裏側」灼熱の魂 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
物語の裏側
母親の突然の死。
母の遺言により、残された子は、未だ見ぬ兄と父を探す旅に出る。
(兄と父を見つけ出すまでは、自分の埋葬はしてならぬと、母親は謎の遺言を残していた…。)
兄と父を見つけようと僅かな手がかりで中東の村々を巡る。少しずつ明かされていく母親の過去。それは中東の内戦と深く暗くリンクしたものだった…。
静かに張りつめた映像は、まるでドキュメンタリーを観ているかのようだった。
「近現代の中東問題を織り込んだ骨太なサスペンス」として、非常に興味深い映画だと思った。
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だが、結末で、自分が勘違いしていた事に気付かされる。
この映画は「近現代の中東問題」だけではない。
違う次元の物語をも同時に描いていた。
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結末で提示されたもの…父・兄の秘密は、『オイディプス王』の如しであった。
そして、この映画は、ソポクレスによるギリシア悲劇『アンティゴネ』(オイディプスの娘の物語)の翻案なのだと思う。
『アンティゴネ』は「埋葬」がテーマの物語だ。
そして本作『灼熱の魂』も「埋葬」が話の端緒であった。
アンティゴネが家族を埋葬するために命を賭したように、この映画の中の娘も母親を埋葬するために奔走し血の涙を流す。
勘の良い人なら、映画の途中で、これはソポクレスから引用した物語だと気付くのかもしれない。「踵」の入墨、母親の呼名「歌うたい」など、至る所にギリシア悲劇のキーは散りばめられていたのだから。(『アンティゴネ』のセリフを引用している箇所もあったと思う。)
私自身は映画終盤まで中東レバノン内戦の話だと勝手に思っていた訳だが、『灼熱の魂』の中で、実は国は特定されていない。国を特定せず、「物語の普遍性」を保った映画だったのだと思う。
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2500年前、ソポクレスは、どんな思いを込めて、『アンティゴネ』を綴ったのであろうか。
『アンティゴネ』における「埋葬」の意とは何だったのか。
許されざる者の埋葬…それは「許しの証」であり、憎悪に慈愛が勝った証しとなる。
相手を「許す」ことによって、己の穢れた運命も初めて「許される」。
過去を許すことが唯一の希望となる…そんな悲痛な思いが込められたものではなかったか。
『灼熱の魂』の戯曲は、レバノン出身のワジディ・ムアワッドが手がけた。彼もまた、「許し」が、苛烈な中東の歴史を乗り越える希望であって欲しいという願いを、本作に込めたのであろうか。
2500年前の物語と近現代が交錯した、凄味のある映画だったと思う。