「「自転車」が暗示する夫婦の行き着く先は……」夢売るふたり CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
「自転車」が暗示する夫婦の行き着く先は……
阿部サダヲ演じる夫・貫也が、松たか子演じる妻・里子と共謀して、女性を騙して金を奪って資金を貯め、火事で失った店の再建を目指して行く。そうして繰り返し詐欺をしていく中で、すれ違う夫婦の関係を描いている。
本作は、度々登場する「自転車のシーン」で夫婦の関係を暗示しながらストーリーが展開する。
映画の冒頭、小さな居酒屋を営んでいる夫婦は、市場で買い物をし、2人それぞれの自転車を仲良く揃って漕いでいく。夫婦の関係が、共に歩んでいる姿を描いている。
さらに続くシーンで、「この夫婦は、夫が妻のいう通りに行動していれば上手くいく」という事が台詞とともに、映像でも示される。一方で夫は「言うことを聞いているフリをしてるからこそ上手くいってる」と反論する。2人のバランスが上手く行っていた時期だ。
この夫婦の歯車が狂い始めたのは、夫婦の居酒屋が火事を出した時からだ。
店を焼失して失意する夫が自暴自棄になっているところに、妻が自転車で迎えに行く。その後、夫が坂道を一所懸命に漕ぐ自転車の後ろに妻が座り、夫にしがみつく。夫を後ろから支える妻の姿、必死に、そして幸せに生きようとする夫婦の姿だ。
この直後、失意からやる気をなくしていた夫の浮気をキッカケに、妻は詐欺を思いつく。夫が女性を騙して金を巻き上げ、それで貯めた金で、2人の店を再建させる計画である。
詐欺が成功し始める頃になると、女から騙しとった金をズボンの後ろポケットに無造作に入れている夫の自転車の後ろに、妻はガッツリとまたがる。この時はもう、夫にしがみつくことはない。しかも、この時の夫は、妻のパート仕事が終わったのを迎えに来ている。妻が夫をコントロールしている描写。
ところが、始めは妻が詐欺の計画を立て(監視もしている)、夫が実行犯だったのに、妻も実行犯として動き始める頃になると、少しずつ夫婦の関係に変化が生じる。
妻が一人で自転車に乗って捜し出したウエイトリフティング選手のひとみ(江原由夏)、夫が偶然に知り合って自転車の後ろに乗せた風俗壌・紀代、この2人の登場で、夫婦の詐欺による店再建計画が、少しずつ破綻に向っていく。
夫・貫也は、ひとみが「普通の感覚」である事に癒しを感じ、紀代が「地に足をつけて生きている」ことに共感する。一方、妻・里子は、夫が自分の元に帰らず女のところで過ごす夜、欲求不満を解消するため自慰にふける。2人は、もはや同じ自転車に乗る姿は描かれない。
しかし、この頃はまだ2人は愛を感じ合っている。夫が朝方帰ってくると、妻は一緒にベッドに行き抱き合って寝る。再建する店の開店準備も進み始めた。そして、貫也も里子も、子供が欲しいと願っている。
ひとみと紀代から金を巻き上げる日、夫は2人の家を行き来する際、真っ暗な道を孤独に自転車を走らせる。かつては、2人で上り坂を登っていた自転車は、今は夫一人が乗り、坂道を下って行く。夫婦の行く末に明るい未来は感じられない。
夫が、次に自転車の後ろに乗せた人物は、シングルマザー・滝子の一人息子だ。この頃になると、夫婦の気持ちは完全にすれ違っている。
夫が、滝子の家族達と鍋を囲んで団欒している時、妻は生理を迎えて(未だに子供が出来ない事を示唆)一人寂しく夜を過ごす。
結局、夫婦の店再建計画は、完全に破綻する。
夫は、妻の元から一人で自転車に乗って滝子の元へ向うが、どこか後ろめたさを感じ、一瞬だけ振り返る。しかし妻の姿はない。そんな夫の気持ちを察した妻は、夫を見送ろうと後を負うが、すでに夫は自転車で走り去った後。このシーンの後、ストーリーはクライマックスに向けてテンポが加速する。
騙された女性達の中で唯一、執念深く夫婦を探しだした咲月(田中麗奈)の追及をキッカケに、滝子にのめり込んだ夫と、そんな夫の気持ちを察した妻、それぞれの行動が仇となり、夫が逮捕されて夫婦の計画は終焉する。
ちなみに自転車は、ここでも登場する。夫が滝子の家から帰って来ない事で、夫の心変わりを心配した妻が、滝子の家に足を運ぶが、自転車は滝子の家の前に停められている。妻は、夫の心変わりを確信する。
さて、逮捕されて服役することになった夫や、騙された被害女性達、そして魚市場で働く妻、そんな登場人物達の「事件後」を描いて映画は終了する。
この際、自転車に乗っているのは、滝子と一人息子だ。この自転車の描写は、一体何を表しているのだろうか……。
木村多江が演じる滝子が親子で自転車に乗る姿は、どう考えても、それまでに登場して来た自転車と同じように、何かを暗示しているはずだ。この点をインタビュー記事で引くと、木村多江は、自転車に乗れないにも関わらず、2人乗りの練習をしている。もし自転車に意味がないなら、役者が自転車に乗れないと言えば、無理せず、手を取り合って親子で歩くシーンでも十分だった。つまり「自転車の後ろに息子を乗せている滝子」は、監督に撮って必要なシーンだったのだ。
最初は、「自転車に乗っている親子の元に、出所後の貫也は行くのではないか?」と解釈した。
しかし、このラストシーンで、一番最初に詐欺計画のキッカケを作った浮気相手・玲子(鈴木砂羽)の元に、(たぶん妻から)多額の現金が送られてくる。これは、妻が一人ひとりの被害者に金を返済しながら、夫の帰りを待っていると受け取れる。
さらに、ラストシーンに登場する2羽のカモメ(英語でカモメを表す「seagull」は、「sea gull」=海の盗人でもある)。このカモメを、夫婦は、それぞれ別の場所からではあるが、一緒に見上げているかのように描かれて、映画は終了する。これも、確実に何かを象徴しているはずだ。
そうすると、夫婦の象徴だった自転車に、滝子親子が乗っている事で、今後、夫婦の間に子供が出来ることを暗示しているのだろうか……。しかし、それはかなり無理のある描写の気がする。
監督の別のインタビュー記事を読むと、もともとは、夫婦が2人で死んでしまうラストシーンを構想し、実際にそのラストシーンでシナリオを書いていたが、もう少し救いある展開と考えてラストシーンを変えたとも言っている。
はたして、この夫婦は、いずれ再び一緒に人生を歩んでいく(子供も授かる)のだろうか……。あるいは、夫婦が死ぬというラストシーンは変更したが、やはり2人は二度と結ばれないという暗示なのか……。
という事で、結局、このラストシーンの解釈が、いまいちスンナリと解釈できずに、未だにもやもやし続けている。
せっかく有効に自転車を使って来たのに、最後の自転車の暗示が、もう1つよくわからない。もっとも、それが監督の狙いかもしれない。
この点について、もうちょっとスッキリ出来て、かつ共感できれば、作品の評価を考え直したい。
モヤモヤはするが、観ておいて損はない作品。
松たか子の演技はもちろん、安藤玉恵や鈴木砂羽など、女優陣の熱演も一見の価値アリ。また、冒頭で、阿部サダヲ演じる夫が、客の女性への距離感が何の気なしに近く、普通の顔ながら女性にモテる男である事も示唆している。こういう演出の妙味も、西川監督らしいと感じる。
なかなかの良作。