「古典を劇場で観る喜び」エイリアン nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
古典を劇場で観る喜び
1979年公開だから46年前の映画である。もっと最近の映画だと思っていた。
これまで何度がビデオで観たことがあるはずだけれど、劇場でみるとまるで初見のようだった。自宅のパソコンで見たときは、感覚的には20〜30%くらいしか見ていなかった感じ。あらすじを読んで見た気になっているのと変わりないのではないか…そう思うくらい新鮮な鑑賞体験だった。
公開当時、映画雑誌だけは読んでいても映画館には行かない(行けない)地方在住の少年だった僕は、観ていないし、その後上京してからも観には行かなかった。あまりにも怖い映画という印象だったからだ。「面白い!」と評判になった「エイリアン2」(1986)を勧められてリプリー(シガニー・ウィーバー)のかっこよさにスカッとして、遡って本作をビデオで観た記憶がある。
この映画のダン・オバノンの脚本はスターウォーズ(1977年)前から存在していた。スターウォーズの爆発的ヒットで「SFは金になる」となってようやく24世紀フォックスの資金(スターウォーズマネーだ)で映画になったのだそうだ。
スターウォーズが世界の明るい面、未来の希望を描くハッピーで気分のあがる映画だったのに比して、本作は同じSFで、世界のダークサイドを描いてSFホラーの原型となった。
宇宙船のノストロモ号は工場みたいで全然かっこよくない(一周回ってかっこいいけれど)。登場人物たちは、大企業によって辺境の地に送られた肉体労働者たちで、マザーというコンピューターが全ての指示を出している。使い捨ての労働者で、会社側の指示も命令でしかなく納得させる対話など一切ない。「嫌なら給料払わないから」というだけで、資本の横暴に支配された無力な労働者たちである。
そして、宇宙も未知なるフロンティアというよりも、鉱物資源を採石する場であり、治安維持システムが働かない辺境の未開の地でしかない。
そこでの労働者たちも、安全管理のためのルールを簡単に破り、また危機にあたっても、想定外の事態にオロオロしたり、怒りを爆発させたりと、人間的な弱さと不十分な思考力での対応しかできない。それにイライラしつつ、ドキドキしながら、一人ずつエイリアンにやられていくのを眺めていくことになる。
人間のダークサイドのリアリティを物語に織り込んだ神話だと思う。その後の現在までに続くシリーズ展開を考えると、本作はエイリアン誕生秘話的な小さな物語にも感じられてしまうけれど、それは既知の視点で見直すからで、初見時にこの映画を見ていたらどうだっただろう。
岡田斗司夫さんのyoutube解説では、当時岡田さんはSFオタク仲間と観に行って(ガンダムをテレビで見てから!)、あまりの恐怖に友人(その後のガイナックス社長)が心臓が苦しくなって救急車で運ばれてしまったそうだ。一緒に病院に行って、もう一度映画館に戻って見直したけれど、「生涯最高の映画体験」だと感じた先ほどの感覚は戻らなかったとか。
この映画の立ち上げ時に、ダン・オバノンが「魂の戦士たち」を集め、売れるか売れないかとか関係なく、この映画に向かっていった話を岡田さんは聞かせてくれたけれど、その制作秘話もこの映画と同様に、過去の熱い時代の神話のようだった。
映画はまず新作で劇場で観て、その時代の空気とともに、未知の出会いに震えながら観るのが最高の体験だ。それと同時に、当時見ることができなかった、古い名作もできる限り劇場で見直していくことで、ドキドキは減るかもしれないけれど、逆にその後の歴史を踏まえて味わう楽しみができるということも感じた鑑賞体験だった。