「婦人会と書いて女子会と読む。」ガール ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
婦人会と書いて女子会と読む。
ガールというタイトルなのに、ガールの出てこない作品^^;
アラサー女性達の悲喜こもごもを描いたこの群像劇には、
けっこうリアルな台詞や日常が細かく描かれている。
面白いと感じるか、イタいと感じるかは、自分の価値観と
対話しながら観ることになるのだが、個人的には最近の
「女子会」ブームの女子という言い方にはハテ?と思う方
…なので、歳甲斐もなく若いファッションに身を包む由紀子
に周囲が苦笑いしたくなる気持ちも分かる。が、
彼女の行動は自分の「好き」から発生しているだけであって、
周囲に迷惑をかけているワケではないし、どちらかというと
それができない嫉妬心が女にそれを言わせている感がある。
50になろうが60になろうが、ミニを穿いている人はいるのだ。
そのお手本と言うべきが、光山というハッチャケた先輩だが、
このオバサン(いいぞ、壇れい)の特攻姿勢が実に気持ちいい。
誰に何を言われようが仕事が出来りゃ~恐れるモノなどない。
そこに自分の目的を見出している彼女の姿勢は、周囲の目
に浮き沈みすることなく、輝かしい功績に向け邁進している。
だから女としての価値なんて…本当に人それぞれなのだ。
原作は知らない。
それは男性、脚本は女性、ということで中途半端な価値観が
見え隠れしている。
描かれる「ガール」達は総じて「イタイ」を売りにしているような
ステレオタイプで、そこに絡む男達は「どうしたの?」という位
皆優しく大人しい男ばかり(爆)
こんな現実、あるワケないっしょ~^^;
男側から見た「こんな女」と、女側から見た「癒し男」が同居して
いるシチュエーションばかりで、ちょっと笑ってしまった。
例えば聖子の夫、博樹はとてもいい夫だが、言い換えれば
あんなモノ分かりの良い夫は存在しない。妻に癒されるどころか
聞かされるのは愚痴ばかり、これでよそに女を作らない保証が
あると言えるだろうか。聖子がそれを認めているなら別だけど。
容子が密かに好きになる皆のアイドル和田(爆)も、あの顔で、
あの性格で、彼女がいないなんてまずおかしい。よほどの性格
破綻者か、或いはお局食いの世渡り上手くんか。待ち伏せして
食事に誘うあのシチュエーションは、とても面白い場面だったが、
和田が賢い部下ならば、出世のために上司を利用したに過ぎず。
由紀子の彼氏は女心に疎いタイプ、孝子はなぜ離婚したのか謎、
今井のような男はもっと高年者に多く、あれで改心はしないはず。
私ですら思った。こんな男達が彼氏なり夫なりで、いつも自分の
不満を受けとめてくれ、更に誠実で浮気すらしない男だったら…
いね~よ、そんな男。
そこで光山のような中和剤がドカーンと出てくるわけだv
幾つになっても女性は女性でありたいもの。
夢を見ることも、生き甲斐を見出すことも大切なことだと思う。
自分の個性に自信がない(他人からどう見られるかが気になる)
人は、一度突き抜けてみるといいのかもしれない…ホントに。
とある本で読んだ一節。
「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は個性と見なされる」
他人に迷惑をかける行為でないのならば、堂々としているべきだ。
先に「女子会」という言葉を挙げてみたが、
自分が女子だと名乗りたいのなら、堂々と言えばいいと思う。
エー?と言われても、イタイと思われても、エヘヘっ♪と返せる
余裕こそが、その人を素敵に見せるのだから。
(頑張り過ぎは疲労の素。笑顔の女性は誰からも好かれるものよ)