グラン・ブルー 完全版のレビュー・感想・評価
全66件中、1~20件目を表示
改めて観ると強く感じる夢と現実の乖離
監督のリュック・ベッソンが最初に完成させた上映時間168分にも及ぶ『グラン・ブルー グレート・ブルー完全版』(このタイトルで1992年に日本公開)の『完全版4K』。1988年の初公開以来、これほど様々なバージョンが様々なフォーマットで繰り返し再上映される映画は珍しい。それだけ、カルト的な人気があるということか。
かく言う私も、これを私的カルトと呼んで憚らない"グラン・ブルー・ジェネラシオン"の1人だ。かつて、そのヒリヒリするような映像美と深海への夢に魅せられ、それを盛んにアウトプットしたものだが、再公開にあたり、改めて観てみると、陸よりも海の方が心地いいジャックの手に負えなさが、ジョアンナの絶望的な愛の裏返しになっているところに強く反応してしまった。やはりベッソンは夢と現実の決定的な乖離をフリーダイバーとその恋人を介して描きたかったのだ。ジャックとの語らいではそれまでフランス語だったジョアンナが吐く最後の決め台詞(めちゃめちゃかっこいい)が英語のままで本当に良かった。映画のテーマにも繋がる大事な台詞だし、最初に観た時の印象を壊して欲しくなかったから。
観終わると、エンゾ役のジャン・レノが素敵過ぎて目頭が熱くなった。少々荒っぽい物語が、レノの魅力で全部腑に落ちるからだ。ああ、あんな時代が懐かしいとつくづく思う。
深淵の蒼、紺碧の海、偉大なる青
完全版4K上映にて。
『グレート・ブルー』の邦題で封切られた当時に観て、めちゃくちゃ面白かった印象がある。まだ20代で感性も尖がっていた頃だ。
後で知ったことだが、短く編集してフランスで初公開された版から、この日本公開版はさらに削った短縮版だった。
封切りでは然程ヒットはしなかったものの、ビデオソフト化された頃からか、徐々に評価と話題が高まっていったと記憶する。当時のソフト化は公開から1年以上後だったと思う。
『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』としてリバイバル公開されたのは初公開から数年後で、それが完全版の尺だった(…はず)。このときは行列ができるほど盛況で、残念ながら私は観に行けなかった。
それから随分して(10年以上後か)、WOWOWで放送された『グラン・ブルー』を観たが、それが完全版だったかどうか分からない。いずれにしても、完全版の劇場での鑑賞は今回が初めてだった。
率直な感想は………長い💦
40年近く前に観た2時間程度の短縮版はとてつもなく面白かった(という印象だけが残っている)のだが、2時間半を優に超える長尺版はあの時の印象を凌駕するまでではなかった。
それは自分の感性が老化してしまっているからに他ならない。
透きとおるほど澄んだエーゲ海に飛び込んだ少年が、素潜りでウツボに餌をやる。素手だ。これはどうやって撮影したのか。ウツボに噛みつかれたら大怪我をするのではないか。
映画の冒頭に置かれている、フランス人のジャック・マイヨールとイタリア人のエンゾ・モリナーリが少年期を過ごすギリシャ編は、モノクロ画面に石灰質の白い岩肌がより純白に映え、底が透けるて見える海面は薄墨を流したかのようで美しい。
海中に沈んでいるコインを誰が素潜りで拾えるか。ジャック少年には自信があったが、年長のエンゾに譲る。その様子を見ていた老神父の優しさが沁みる。
大人になってからの、ライバルでありながら、兄弟のようでも親友のようでもあるジャックとエンゾの関係性が面白い。
エンゾの母親は自分の手づくりではないスパゲッティを食べることを禁じている。母に隠れてホテルのテラスでスパゲッティを食べるのだが、これが不味そうなのが笑える。
ジャック役のジャン=マルク・バールと、エンゾ役のジャン・レノは、かなりの場面で本当に潜水している。
鮮烈な映像美に加えて、このパフォーマンスも当時の若者が熱狂した要因だったと思う。
プールの底に二人で座って水中でシャンパンを酌み交わす場面は出色だ。
ジョアンナ(ロザンナ・アークエット)がジャックと出会うペルーの雪凍る高地で、ジャックが氷の下に潜水する場面が特に幻想的だ。氷の下には閉じ込められた空気がアメーバのように彷徨っている。
そして、ロザンナ・アークエットがたまらなくキュートなのだ!
何度か夜の海が描かれている。
穏やかに波立つ海面が月明かりに照らされて絵画的に美しく、そこにイルカが共演すると躍動感が加わって幸福感さえ与えてくれる。
彼らが競い合うフリーダイビングは、フィンあり、フィンなし、ロープを手繰る、などいくつかの種目があるが、いずれも潜っている(息を止めている)時間ではなく自力でどこまで潜れるかという深さを競うもの。
潜れば潜るほど水圧が肉体を襲ってくるという生命のせめぎ合いであり、ジャックとエンゾは人間が耐えうる限界点に到達していた。つまり、記録更新を狙うことは死を意味している。
それでも記録に挑まずにいられない天才フリーダイバーたち。そこには麻薬中毒にも似た恍惚感のようなものがあったのか…。
最も話題の的だったジャックが見る夢のシーンは、『トレインスポッティング』の中毒患者が見る幻と双璧をなすセンスだと言えるだろう。
ジョアンナを置いて、ジャックはその恍惚の世界へと旅立っていく。
それは誰にも想像すらできない別世界なのだ。
ラッセンが好きー!!
夢中になって観てしまう映画。
昔、何度か観た映画ですが
その昔、好きで何度か映画館で観た(オリジナルバージョンも長いバージョンも)映画です。今回4Kリマスター版が上映されると聞いて観に行ってきました。
まず映像については4Kで確かに良くなっているのでしょうが、それでも今の映像技術と比べるとそこまででもないかな、と感じました。今の映像技術は本当に昔と比べて進歩したので、鮮明さ、迫力等が違うのは仕方ないかなと思います。
この映画が大ヒットとなった当時、映画の主人公としてその名前も作品中でそのまま使われている潜水士ジャックマイヨールさんの本「イルカと海に帰る日」を買って読んだりしていました。ジャックマイヨールさんが、映画での潜水士(自分)の描かれ方に反対をされていた雑誌記事(女性ファッション誌の中の記事ですが)も当時切り抜いていて、昨年家の大掃除をした際に発見して読み返しました(今思えば、読み返したのが縁で今回の映画鑑賞に繋がったのかも)。その記事は読んだ後処分してしまったので正確ではありませんが、自分の海との向き合い方は映画の中で描かれているようなものとは違うし、あのような海との向き合い方をロマンチックに描くのは違う、というような意見だったと記憶しています。
マイヨールさんの唱えた反対についてはそれ以上分かりませんが、映画の最後、深い海の世界に惹かれるまま、ジャックが恋人のジョアンナを置いて海に消えていってしまうのは何度見ても悲しいですね。昔見た時もそこは残念に感じたところでしたが、今回もその点は変わらずでした。磁石が引き合うように運命の相手とめぐり逢った二人なら、二人一緒だからこその人生を送ってほしかった、、、こういう運命の出会いだったら、自分がもしジョアンナなら、悲し過ぎてその後どうやって生きていけば良いか分からなくなると思います。
この映画の後ずいぶん経って、実在のマイヨールさんが鬱病等が原因で自らの命を絶たれたのにはとてもショックを受けました。マイヨールさんが海に潜り始めたのは日本の佐賀県で、潜水に禅の修行を取り入れるなど、日本にも縁の深い方でしたし、とても残念で、映画のエンディングに対するすこし残念な気持ちと、マイヨールさんが無くなったことへのなぜ?というモヤモヤした気持ちが絡まり合って、この映画の記憶と共に封じ込めらた状態で、今回の鑑賞に至りました。今なら、もしかしたら長い期間潜水を続けるとそれが脳に影響を与えて鬱病の原因になるということもあるのかも、、とも思えますが(アメフトの選手に脳疾患が多いように)、当時は「なぜあんなに精神の安らかさを大切にしていた方が自らの命を絶ってしまったのだろう」と納得できない気持ちがありました。
そんな封じ込めたモヤモヤも影響したからか、長い時を経て改めて観たこの作品は、俳優さんたちの素晴らしさ、ジャックとエンゾの子役さんたちの素晴らしさは全然色あせていませんでしたが、映像から来る素晴らしい青のイメージが薄らいだのに合わせて、作品に対する自分の気持ちも少々薄れた感じがしました。我ながらちょっと寂しく感じましたが、映画作品から映像のすばらしさを差し引いた時に残るものが何なのかによって、その作品の良さが影響されるのかも、、、という気がしました。映画で描かれた人の心とか、そういうものは、時代を経ても色褪せずに見る人の心に響いてゆくのかもしれません。あとは、自分が実際に人生を生きてきて、あのエンディングに対する気持ちが変化したということなのかな…若い時は人生は未知にあふれていて、ジャックとジョアンナのような出会いと別れもあるのかもしれないとボンヤリ思っていたのが、「人生は作り出してゆくものだから、もし二人が運命の相手同士ならば、共に生きてこそ」と願う気持ちが強くなったのかもしれません。
また、作品の印象が薄らいだことで逆に気づいたのは、どれだけ時間が経っても“良い”とか ”好き”、と思える出会いというのはすごいことなんだな、ということでもありました。そういう出会いは人でもモノ(映画作品等もふくめて)でも、奇跡的だと感じました。
さらに話は全然変わりますが….この映画を見てかつての印象が薄れてちょっと寂しい気持ちになっていた時にたまたま、家で宇治の平等院にある「雲中供養菩薩(国宝)」の写真集を見つけて見たのですが、おそらく昔の人が感じたのと同じように、今の自分が見ても、圧倒されるほど完璧な美しさ!たなびく雲の上に色々な楽器を奏でる菩薩像が乗っているのですが、なぜ千年近く昔の造形物がため息が出るほど美しいと感じるのか‥‥。奇跡的だなあ…と感じました。あ〜、こういう国宝を色々とめぐる旅とかしてみたいかも!ちゃんと下調べもしておいて、リュックを背負って、国宝をめぐる!…青い海の映画を見て、なぜか秋旅をしたい気分になりました。芸術の秋です!笑
ハッピーエンドorバッドエンド
「私の愛を見てきて」と彼女は言った
私は、オリジナル版の方が好みでした。。
オリジナル版は、学生の頃にTSUTAYAでDVDを借りて見たのを記憶していた。
映画の記憶は、主人公の神秘的な印象と深い海の中から戻りたく無いという感覚に怖さを感じた。
主人公を演じた役者さんの不思議な感じが良かったですよね。
あとはジャン・レノ演じる友達のエンゾが凄い良い感じだった。
あの深い海のシーンを映画館の大きなスクリーンで見たいと思って行ってみました。
とにかく、海がキレイだった記憶が強く残ってたんですよね。
今回見た印象は、改めて編集って重要なんだなと思った。
雑味が増えたというか印象が変わったかな。
海の深い青さの印象は、昔の記憶が美化されていたのか、今回はあまり感じなかった。。
4Kって言っても元のデータが古ければ、基本変わらないんでしょうね。
ただ、舞台となっている地中海はキレイだった。
街並みも日本とはまったく違う異世界感が良かった。
映像は30年以上前の映画と考えると頑張ってはいるんだろうけどね。
今はドローンもあるし、CGも凄いし。。
映像美だけで考えると最近の映画の方が間違いなく凄くなっていると思う。
今回の完全版では、主人公の彼女のジョアンヌが大きく描かれていましたね。
全体的にコメディチックな要素が強くなった気がした。
調べてみると、オリジナル版が132分で完全版は168分。
36分も長くなってるんだから追加の話も増えて印象は変わりますよね。
完全版って考えてみるといろいろある。
すぐに思いだすのは、ニューシネマパラダイス、レオンあたり。。
良く思える時もあれば、今回みたいに感じる場合もある。。
今回は、オリジナル版の方が好みだったという事になりました。。
海に恋焦がれた人
ジャックの心情に分からない部分が少なくなかった
海やイルカの映像は素晴らしいです。エンゾとジャックの友情の描かれ方も良かったです。さすが名作と呼ばれる作品だと思いました。
ただ、ストーリーの結末が自分にはもうひとつに感じました。結局ジャックはジョアンナよりも、イルカというか海の方を選択した、ということなのですかね。ジョアンナが最後、相当覚悟して、ジャックのダイビングに潜る紐を引いているので、生還はしなかった可能性が高いですが、潜水病のただならぬ症状まで出しながら、最後あれだけイルカと戯れられるシーンがあると、幸運にも戻れたのかなと期待してしまいます。そうだとしても、心を入れ替えてジョアンナのことを大切にしてくれそうにもなく、作品の余韻を高めたというよりは、どっちつかずの要素が強まって残念に思いました。
そのあたり描かれず分からずじまいになるのであれば、この上映時間は長過ぎると感じました。日本人ダイバーのシーンなどは、作品に良さを与えた感じはあまりしなく、完全に蛇足と思いました。
むしろ、エンゾの最後のダイビングで、なぜ弟さんが来れなかったのかについてのストーリーを描く方に時間を使ってもらった方がさらに良かったのではと感じます。
やはり名作。機会があればぜひ!
4Kリマスター版を鑑賞
前回観たのはレンタルビデオ版でまだ90年代だったと思うが、どのシーンもしっかりと覚えていた。
リュックベッソンの特徴的でコミカルな演出が散りばめられているも、後半は恋人との関係と海へ溶け込んでいきたい自らの意志の狭間で揺れる主人公、翻弄される恋人の姿を描く。
映像は美しく、シーン構成もカット割も印象的。さらに当時はまだCGは無かったと思われるがとても工夫して撮影されていると感じた。
このような技術に依存しすぎず、またヒットしたネタを使い回すでもないオリジナルの良作を、手軽な値段で大きなスクリーンで楽しめるようになることが新しいファン層や次の創作者を育てていくことになると考える。
ボランティアではないので一定の儲けは必要ではあるが、上記のようなプライスレスの価値、人材を生み出すべく映画の制作や配給、公開の関係者にはご尽力いただきたい。
結局女が育てるのよ
1週間限定で上映されるとあって、会社を早退して観劇
グレートブルーの時から何度も観た作品
追加されたシーンが多くあったこと、さらに歳を取って見直したことで、この映画の違う面が観れた。
カットされて当然と思うような意味のないシーンもあるが、全体としてはさらに深く理解出来たような気がする。
何かに取り憑かれた男と、それを愛する女の、どうしたって結ばれない悲劇
ベッソン自身がそんな男なんだなろうな
一番印象的に残っているのは、レビューのタイトルで、エンゾの彼女がジョアンナに合うセリフ、元からあったのかもしれないが、気に留めていなかったのかも知れない。
ジョアンナは全てを覚悟して紐を引いたんだなと思うと
残酷です。
でもこんな男って結局モテるんだろうな〜😂(※監督も含む)
昔大好きだった映画
数十年前に何回か見ましたが、ラストシーンの何で?というモヤモヤは感じませんでした。
それは歳を重ねる中で、海の中でイルカと自由に生きたい、現実を直視したくないジャックの気持ちが理解出来るようになったんだと思います。
水中の映像や夜の海でジャックがイルカと泳ぐシーンはとても美しく、映画館で観られて感動しました。
が、フランス語吹き替えを日本語字幕で観る不自然さが拭えませんでした。
『改めて観る』というのが多い映画
昔の事なので、どれが最初かわからなかったけど、
改めて観ると初めて観るシーンがこんなにあったのか…と思いました。つまり完全版初めてだったのか?と思う。主役がロザンナアークエットだった事も今回知った。陸そして街のシーンがこんなにあったとは、昔観た時の印象が変わったけど、コレはコレでいいけど
完全版だとR15指定になるのも面白い。グレートブルーやオリジナルバージョンと数十分尺が違うのですが、完全版だとロザンナが主役という気がしてくる
いづれも、冒頭のそこそこ長いモノクロシーンが好きですね
海の深い青さを感じる映画
冒頭はジャックとエンゾの子供時代をモノクロで映した映像から始まる。
太陽が波面に反射して、白と黒がハッキリした画面に北斎ブルーのような透明感のある青色で中央からLe Grand Bleuとタイトルが出てくる。
次に、岩場から潜水道具を取り出すジャックを見て、もう既にその世界観に惹かれている。モノクロの海中は、波の間を差し込んでくる太陽が白い線を揺らめかせている。
冒頭のシーンは数ある映画の中でも惚れ惚れする美しさを持っていると思う。海の美しさと子供の頃を思わせるようなノスタルジックで自由を感じるようなそんな場面である。
ジャックとエンゾはガキ大将と何故かガキ大将だけには気に入られてる子供みたいな関係。
ストーリーは海やイルカに魅了されたジャックと、一方で競技として名誉や負けず嫌いのために潜水をしてきたが、最後の最後ジャックの記録を塗り替えようとして潜る内に海に魅了されさよならしたエンゾの友情物語として見れる。もう一点はジャックとジョハンナの恋物語である。
リュック・ベッソンによる環境型スポーツへの警告
あまり指摘する人はいないがリュック・ベッソンは政治的な色彩を強く帯びた映画製作者である。活躍は1980年代に入ってからで、ヌーヴェル・ヴァーグからは相当に時代を経ているが政治的資質という点では疑いもなくゴダールやトリュフォーの流れを汲んでいる。オリジナル版は1988年の作品で同時代が舞台(1988年というクレジットが出る)。フランスはミッテランの社会党政権の時代だった。
さてミッテランの政治的ヴィジョンは凡そ3つに整理できる。
①汎ヨーロッパ主義。EUをベースとしてヨーロッパをボーダーレスに政治的、経済的に統合しアメリカへの対抗極とすること。
②中央集権の解体。フランス伝統の警察国家的構造を再構築し、地方と民間に権限を移譲する。
③環境破壊を食い止め地球環境と人間の共生を進める。
リュック・ベッソンはおそらくはミッテラン主義者であり彼の作品はいずれもミッテランイズムの文脈で説明できる。
この作品はフランスでの公開時点では、特にパリの若者たちに支持され、映画館に入場のための列ができたそうである。それはひとえに青い海の価値を見出すという環境問題意識からの評価であったに違いない。
モデルとなったジャック・マイヨールはフリーのダイバーでありもちろん素潜りの記録は色々持っているものの、どちらかというと競技者というよりもレポーターや作家であったと言えるかもしれない。この作品では記録をめぐってジャックへの激しい対抗意識を抱いたエンツォが悲劇的な最期を迎える。これは本来、自然との対話である素潜りの世界に人間的尺度に基づく数字を持ち込みスポーツ化することを批判しているようにもみえる。
だから映画の最後で、夜の海に潜ったジャックが、まぼろしのイルカと触れ合うところ、ここは環境をねじ伏せる、環境を整備する、のではなく環境と協調する人間のあるべき姿を示しているようで、ああ、ここが監督の言いたかったことなんだなと感じた。
あと一つ、男2人と女1人の海洋ものというところ、これもロベール・エンリコの「冒険者たち」のオマージュなんでしょうね。
海とイルカとロザンナ・アークエット
イルカにのった青年
私がリュック・ベッソンのファンになったのは、スタイリッシュなアクション映画としての魅力だったので、かつてこの映画を鑑賞した際にもあまりぴんと来なかった。そもそもどれだけ深く潜るかという競技は、絵的に地味だ。イルカと戯れたりするシーンは美しいが、ドラマ部分が弱い。
ベッソンのプロフィールを読むと、もともとダイビングのキャリアの方が先行していて、事故で断念してから映画へ進んだらしいから、この世界への思い入れはひとかたならぬものがあったのだろう。同系統の作品で言えば、海洋ドキュメンタリーの「アトランティス」の方が不純物がないだけ良作と思う。
音楽のエリック・セラとは一作目から(例外はあるが)近作の「ドッグマン」までずっとタッグを組んでいて、強固な絆があるんだなあと感心する。
全66件中、1~20件目を表示













