明日の記憶のレビュー・感想・評価
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ボケるのは怖い。 「死」の次に人類が恐れるのが「認知症」ですから。
ボケるのは怖い。
「死」の次に人類が恐れるのが「認知症」ですから。
高齢化社会です。
映画の世界も洋邦問わずに、このジャンルでの製作と封切りはずいぶんと増えました。
ご両親さまのこと、そしていずれは自分自身のこととして、スクリーンを観ながら、さまざまな想いが胸中に巡るのは当然です。
吾輩、
遺伝子解析のシステム会社に登録をしてあります。
「唾液」を郵送して、さまざま、微に入り細に入り、結果が判明するごとに解析データや論文の出典が、メールで逐次送られてくる あれです。
体格の特徴や毛髪のハゲ具合(笑)他、
花粉症の強弱の傾向や、老眼の進行などは興味津々の診断なのだが、
今後、体内の臓器に起こるであろう重大な疾病についても、発病の予想値が送られてくる。
(ゆえに「申し込みフォーム」には自身の最期について知りたくない人間は申し込みをしてはならない旨、警告がある)。
先日はついに
「あなたは○歳まで生きる可能性が高い○○のグループに属します」との診断とグラフが届いた。
うーむ。そうかー。
点点点・・である。
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まさかここまで我々の平均寿命が延びるとは、予想できなかったことだ。
前回の東京五輪時 → 67歳
前回の大阪万博時 → 68歳
「死にたくない」との願いは、藁をも掴む思い。
長寿や医療の発達で相当に叶ったこの願望だけれど、そこにはちゃんと“オマケ”が付いてきた。
そしてその“オマケ”は、前もって僕たちにプレゼントされる場合もあるのだ。
この映画「明日の記憶」はそこをドラマにしたものだ。
カミングアウトする患者さんも増えてきて、社会的にも知られるようになってきたこの「若年性認知症」。
自身患者でありながら講演活動や家族へのサポート団体を立ち上げている方もいる。
本作品は、たくさんの取材を経て、ここまでのリアルなストーリーになったのだと思う。
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《悪あがき対策》のいろいろ。
医薬品とか、サプリメントとか。
◆【レカネバブ】
あれを
“健康補助食品サプリメント”として売り出せばどうなのでしょう?
国から保険診療が認可されたばかりのアルツハイマー型認知症の進行抑制治療薬「レカネバブ」。
脳内に蓄積したアミロイドβを除去してくれます。
これは人類が待ちに待った夢のおクスリではあるのですが
しかし「認知症が始まったことを医者が認めて」「診断書を書かなければ」処方箋は出ない。保険も効かない。
つまり、“一旦は患者にならなければ投薬が受けられない”のです。
なぜ?なんか変な感じがする。ちょっと割り切れませんよね。
実費で年間300万円かかるらしいが、患者さんには健保と高額医療費免除がある。患者とその家族の経済的負担は軽い。
そして単純な私きりんとしては、この夢の新薬「レカネバブ」が、
徐々に溜まっていくアミロイドβの蓄積を阻害し、排出し、その結果、アルツハイマーを“事前に治療”出来るのであれば、《予め》、《予兆が出る前から》、《予防のために》、《早めにスタートして》摂取し始めておいても良いように感じるのだが・・
これは素人考えなのだろうか?
300万ならば、これに飛び付いて自腹で購入する人はいくらでもいるはずなのだ。
こういう①病院の処方と、②個人の自由診療。この二本立てでの販売方法は、新薬の開発費の回収のためにも良策と思えるのだが
どうなのだろう?
実際今のところは「静脈注射の点滴製剤」であるがゆえ、個人販売は難しいのだろうか?
◆【中鎖脂肪酸 MCT特化の食用油】
これ、我が両親のために使っています。
老人ホームでの実験⇒「認知症のお年寄りに摂取してもらって、その前後で記憶力テストに差異が出るかどうかの実験」をNHKで視聴したからです。
番組の中では、ご家族が仰天して笑ってしまうほどの好転が見られたお年寄りもおられました。
中鎖脂肪酸は、元々脳に存在する必須脂肪酸。それが枯渇すると脳が飢餓状態になるのだとドクター。
3時間しか効果が認められないことから毎日3食、日常的に使用する料理油をこれに切り替えるのが良いかと。
スーパーの棚には必ず置いてあります。僕も使っています。
動物たちは経験上でしょうね、それを知っていて、霊長類のチンパンジーは共喰いをする時には相手の脳を食します。
◆「ヤマブシタケ」のサプリメント
我が長野県はキノコ産業の一大産地。
β-グルカンの効用とともに、加齢で損なわれる脳のシナプスへの保全の効果が有るのだと。
ずっと飲んでますが、
この「サプリメント」や「油」の不安は
・効いているのかどうかが分からない事と、
・始めたら最後、これを止めたらどうなるのヨ!って怖気づく事です(笑)
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犬やネコは、実にじょうずに年を取っていく。
泣いたり騒いだりしないで、自分の老いや死をあんなにも静かに受け入れている。
羨望だ。
渡辺謙と、樋口可南子の、切切たる夫婦の演技。
人の顔は覚えていてもだんだんと名前が出ない。
忘れ物がないかを自分で意識して確かめるようになった。
この身に覚えのある悔しさと恐怖に太刀打ちが出来るか・・。
ラストの あのやり取りと、妻の眼差しに、こちらも言葉を一瞬失ってから、
ゆっくりと、再び歩き始める夫妻の後ろ姿を見送ります。
「若年性認知症」の存在を、ひと事ではなく自分事として知るきっかけの、
大切な映画であったと思います。
・・
・・
特別養護老人ホームの介護職員であった僕からすれば、
かつては喋ったり、 覚えたり、 歩いたりも出来ずに、 トイレにも行けなかった赤ん坊に対して
ただただ、柔らかい笑顔と、穏やかな語りかけと、抱っこと、褒めに褒めちぎったオムツ交換の時の、頰ずりしながらの楽しい話しかけ・・
ああやって僕たちは赤ちゃんに接していた、
あのころに戻れば良いのだと知っているのは幸せなことです。
父は失禁と暴力が始まりました。
一緒にゆっくり歩くこと。
手をつなぎ、抱っこすること。頰ずりすること。
「それが僕たちには出来るよ」
「愛しているよ」と、お互い知っていて、感じるって事って、
幸せなことです。
弱っているときこそ周囲からの見られ方が分かる
冒頭、アルツハイマー病が進行した佐伯と、その妻の枝実子が、美しい夕焼けの中で思い出の写真を眺めるシーンから、既に名作の雰囲気が漂っていた。辛いだけではない、温かく切ない話なのが、このワンシーンから予見させる。そして期待通り、最後まで惹きつける展開が続く。
まだ働き盛りで、しかも大プロジェクトのリーダーを務める人間が、自分がアルツハイマーと分かったときの衝撃は想像を絶するものだっただろう。アルツハイマーが進行していく恐怖、そしてそれを決して認めなくない気持ち、患者の尊厳などを、佐伯の視点から描けていたのが秀逸だった。
佐伯本人が周囲から愛されている人間だということも、今作が魅力的な理由の一つだろう。結婚式の祝辞を任されたり、退職時に部下から花束と自分達の写真(名前入りなのが良い)を渡されたり、妻が献身的にサポートしてくれたりするのは、全て彼が周囲から愛されているがゆえの出来事だ。周囲の思いやりが泣けるシーンだった。弱っているときや権力を持っていないときにこそ、周囲がその人を本当はどう見ているかが分かるのだ。
今作はキャストも豪華なのが見どころだ。渡辺謙とその妻役の樋口可南子はもちろんのこと、要所要所で香川照之や遠藤憲一などがその存在感を放っていた。
メッセージに嘘がない作品
2006年
当時社会問題となったアルツハイマー病を題材としている作品。
この誰にでも起きる可能性のある病気は、病気を知った自分自身の苦悩よりも当人の家族に大きな影響を与える。
当人にとって知らないということは「無」なので何も感じることはないが、あるはずの記憶が失われてゆくのを実感するのは家族で、その家族の苦悩は耐え難いものと思われる。
このような病気を題材にした作品は非常にたくさん送り出された。
この病気と様々なケースを掛け合わせることが様々な作品ができることが理由だ。
治療できないのでハッピーエンドにはなりにくく、病気をオチにすればミステリーにも成り得るし、若いカップルに仕掛ければ恋愛の最大の敵を作ることができるし、最近では殺し屋に仕掛ける作品まで登場した。
さて、
この作品はそのなかでもオーソドックスの部類 仕事と家族と娘の結婚 幸せの絶頂期の中で主人公に起きた病気
これだけを基本形にすることでこの病気が周囲に与える影響を人々に知って欲しいという思いが見られる。
タイトル「明日の記憶」とは、明日になれば今日の記憶は残っていないかもしれないという意味があるように思われる。
主人公に最初起きた人の名前や映画の名前が思い出せないという誰にでもよくあることに、この病気の恐ろしさと共感と「検査に行こう」という気持ちを誘因させている。おそらくこれが最大のメッセージだろう。実際にこの病気になった家族は、このような先品は見ないと思うからだ。
若年性であれば進行が速いというのを主人公の仕事上の些細なミスによって表現している。
この作品には余計な伏線を極力少なくして、病気になったこととその家族の献身、そして必ず起きる葛藤と感情の爆発を入れながら、家族の選択肢を示している。
冒頭のシーン 斜陽 西日 主人公の最後の記憶を暗示しているようだ。
孫の誕生と成長をコルクボードに張り付ける妻。すでに妻さえわからない主人公 その場所は妻が友人からもらったパンフレットの中の「ホーム」だ。
家族は、当人が何をどこまで覚えているのかを注視しながら探ることが日課になるのだろう。成長した孫娘の写真や娘の結婚式、そして家族写真などとコルクボードを買ってきた妻。日常生活は介護士たちに任せるしかなくなっている。
コルクボードを見ても反応を示さない主人公。そして「えみこ」と彫られたカップにも、もう関心を示すことがなくなっている。
作品の最後に、勝手に外に出掛けて幻想の先生と一緒に焼いたカップ。そのために出掛けたのに、帰り道で妻に合うが、それが誰だかわからない。ただ「想い出のカップ」だけを握りしめていた。そのカップさえも記憶から削除されてしまう悲しさ。
妻は気丈にも夫と一緒に西日を見続けている。できることはもうないようだ。ただ静かに夫と一緒にいることだけだ。
多くの家族がこのようなことになる。それを知った上で検査に行ってくださいと言うのがこの作品のメッセージだと思った。
社会問題化しているこの病気を現実の視点でまっすぐに描いた作品。
作中主人公が部下に対して熱く語っていることこそ、この作品を世の中の人に知って欲しいという思いだと思った。
泣きたくなる気持ち
若年性アルツハイマー
主人公(渡辺謙)はもうじき50歳、広告代理店の部長でやり手だ。
調子が悪いので病院に行くが、若年性アルツハイマーと診断される。
妻(樋口可南子)に励まされながら生活を続けるが、娘の結婚を機に退職し、闘病生活に入る。
アルツハイマーとがん、祈るしかないかも。
【”こんな俺でごめんな・・”49歳にして若年性アルツハイマーに罹患したバリバリの営業部長の苦悩と、彼を懸命に支える同僚や、献身的な妻の姿に涙溢れる作品である。】
■平凡だが幸せな暮らしを送っていたバリバリの営業部長のサラリーマン・佐伯雅行(渡辺謙)。
ある日突然、彼は物忘れが酷くなり、若年性アルツハイマー病にと診断される。
こぼれ落ちる記憶をつなぎ止めようと苦慮し、病と戦い始める雅行。
妻・枝実子(樋口可南子)は、夫と共に病と戦い、最後まで側に居続けようと心に決める。
◆感想
・バリバリの営業部長のサラリーマン・佐伯雅行の境遇が自分に似ていて、驚いた。
ー 勿論、私は若年性アルツハイマー型認知症でないが、聡明なる妻からは私の書斎の扉に大きな文字で【出掛ける時は、エアコンを切る事!】と張られている。
最近、家を出る際に”鍵を掛けたか??”と思い、もう一度自宅に戻り確認するオイラ、大丈夫か・・。-
■今作では、バリバリの営業部長のサラリーマン・佐伯雅行を演じる渡辺謙が、自身の記憶が無くなって行く過程が観ていて辛い。
そして、彼は暇所に異動し、同期と思われる役員と思われる男(遠藤憲一)に辞表を出し、それまでの営業部の仲間達の励ましを受けつつ僅か50歳で、会社を去るのである。
部下だった人達から送られるその人の名が大きく記された色紙の数々。
・娘(吹石一恵)の結婚式で草稿を忘れつつ、妻に助け得られ、立派な挨拶をするシーンは沁みる。
・だが、その後、彼はやることが無く、聡明な妻は夫の病状を察し、働きに出て家計を支える姿。俯きながら、遣る瀬無い想いを抱える佐伯雅行の背中から漂う寂しさと無念の思い。
<近年、アルツハイマー型認知症をテーマにした映画が多数公開されている。
高齢化が進む世界の状況を反映したためであろう。
今作は、その流れを一早く察し、映画化した作品である。
渡辺謙と樋口加奈子の演技は素晴らしく、涙した作品である。
部長まで昇格し、これから・・、と思っていた佐伯の無念と、彼を支える且つての仲間と妻の姿が沁みる作品である。>
■私は、無宗教であるが、もし神様がいるならば、あらゆる癌と、アルツハイマー型認知症に効く薬を頑張って開発してくれて居る方々に、力を注いでくれないだろうか、と思うのである。
受け入れ難い事実と自然にやってくる現象!!
前半は圧倒的迫力。
記憶。昨日までの自分と今日の自分と、これから未来へ続く自分をつなぐもの。自分が自分である証。それが壊れていく…。
余命宣告をされて最後まで死の恐怖と闘うのと、記憶や時間間隔があいまいになって死んでいくのと、どちらが怖いのだろうかと考えたことがある。
けれど、この映画を観て、昨日まで当たり前だった風景や様々なものが、突然異次元に変わってしまう、なんて怖いのだろうと思った。
そんな疑似体験をさせられる前半はものすごい迫力で映画に惹きつけられた。
でも、後半。両俳優の素晴らしい演技。
でも、実際に認知症を抱えた方の様子を見聞きすると、ちょっと綺麗にまとまってしまったかなとも思う。
妻の名前を覚えていても、目の前の実物の妻が妻であることがわからないという過程を経る方もいらっしゃるし…。
認知症と言っても、アルツハイマー以外にもいろいろな病があり、年齢によっても、その方の個性によっても症状の出方は変わるのだろうから、
僅かな知識・経験でこの映画を否定することは相応しくないのだろうけど。
でも、作為的なところがちょっと鼻についてしまった。
「明日の自分」 私の中ではこの題名に変わっていた。母はこの病気で逝...
リアル
10年ぶりに
若年性アルツハイマーをテーマにしてるんだけど、希望を持たせる方向で...
働き盛りの中高年に突如襲いかかる若年性アルツハイマー病。治すこと...
働き盛りの中高年に突如襲いかかる若年性アルツハイマー病。治すことも進行を止めることもできないやっかいな病気だ。主人公佐伯雅行は部下に慕われる部長で大得意先のギガフォースの宣伝課長河村からも信頼されている。一人娘も“できちゃった婚”ではあるが、結婚式を控え、幸せの絶頂期にあるかと思われた矢先の病気発覚であった。
ストーリー的には妙な小細工をしない直球勝負の闘病記といったところでしょうか、佐伯夫妻の葛藤と愛を中心とした物語。リアルな演技と絶妙な心理劇。堤監督としてはおとなしいのかもしれませんが、ポイントを押さえた特殊効果によって、佐伯の記憶が失われていく過程や被害妄想になったかのような演出が患者の気持ちを同時体験できるようなシーンが良かったです。特に、妻の若い頃の姿を追いかけるシーンでは、その後新しい記憶を失っていくことを予感させてくれました。
夫婦愛以外でも、生きていればそれでいいというメッセージや、人の優しさ、思いやりに心打たれます。アルツハイマー患者だって、名前は忘れることもあるけど、その人が優しいとか怒りっぽい人だとか、感情に訴える性格だけは心に残るもの。観終わると、自分が暖かく優しい人間になっているかもしれません。
予告編にも登場していましたけど、退職の日に名前を書いた写真をもらうシーンでは確実に泣けます・・・
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