「革命という名の痛々しさは中国そのものである」1911 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
革命という名の痛々しさは中国そのものである
枯れてもなお闘志を捨てないジャッキーの男の美学が『ベストキッド』以上に銀幕を駆け巡り、同じ故郷を持つ者達が殺し合いをしなければならない戦争の愚かさを痛感、胸の奥が熱くなった。
革命に命を捧げた兵士達の魂は誰が供養し、代弁してくれるのか?を絶えず問い、葛藤する一方で、諦めず闘い続けなければならないのが、指揮官の哀しき運命。
アクションを抑え、静かに戦火へ飛び込み、無惨に散る若者へ追悼するジャッキーの闘将は哀愁感が増し、真骨頂とも云える大作に仕上がっている。
しかし、悲しいかな…我は日本人である。
中国史に疎いため、分裂した中国で威嚇し続ける両軍の思惑や利権を狙う他国の牽制etc.駆け引きを把握したくても、膨大な情報量の流れが速すぎて、把握しづらい。
特に新政府発足を巡る孫文と朝廷との水面下での一進一退は複雑化が加速。
日本軍が絡む『ラストエンペラー』が理解の限度だった私には、苦痛を極めた。
しかも、政治面での覇権争いは孫文中心でマッチメイクを仕掛けているため、実戦重視のジャッキーはメインイベントから離れ、リングから次第に遠ざかっていく。
あれだけ貫禄に満ち溢れた存在感がどんどん薄くなってしまったのは率直に寂しい。
孫文を狙う暗殺団を往年の見事なカンフーアクションで一網打尽にする場面は、ジャッキーらしさが唯一光っていて嬉しかったけど、早い段階で肉弾戦から頭脳戦へのスライドするのでファン心理は戸惑いが濃いであろう。
かつて独裁者・猪木に刃向かい革命をもたらした20数年後、満を持してブツかった小川直也との試合は《世紀の大凡戦》と叩かれまくった時の戦士・長州力のファイトを何故か思い出してしまった。
やがて袂を分かつ孫文は差し詰め、ドラゴン・藤波辰彌と云うべきか。
彼も新日本プロレスの社長の座に就くも、すぐに政権は崩壊。
新日本プロレスから去っていった。
ほな、皇太后は猪木元夫人の倍賞美津子で、両軍間で暗躍する袁世凱は新間寿で…
…その辺にしとこう
やっぱり長州はカムバックするべきではなかったと思う。
そんなプロレスの変動を他国の人々に力説したところで、何のこっちゃっ?っと首を傾げるばかりに違いない。
とどのつまり、そういう映画なのである。
では、最後に短歌を一首
『裂けた舵 契り(千切り)の指で 断つ(起つ)鎖 嵐になびく 革命の旗』
by全竜