「サーフィンのダイナミックな映像を楽しみながら、ハンディに負けない人間の勇気に感動できる作品として特選します。」ソウル・サーファー 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
サーフィンのダイナミックな映像を楽しみながら、ハンディに負けない人間の勇気に感動できる作品として特選します。
圧倒的な映像美と実在のプロサーファーのベサニー・ハミルトンのどんな困難にも不屈に乗り越えていった実話を元にしたヒューマンストーリーで、劇中何度となく感動した作品となりました。
不屈の精神とはよく使われる言葉。でもこの映画のモデルになったハワイ出身の世界的著名なプロサーフアーであるベサニー・ハミルトンにとって、それは余りに過酷な現実だったのです。なぜなら僅か13歳にしてサメに襲われて片腕を失っていたからでした。
ベサニーは両親に海から産まれてきたと言わしめるほど、幼女時代からサーファーを初め、天性の才能を発揮します。本作の前半は、ベサニーにとってサーフィンがどれほど人生に欠かせないものか、徹底的に描き込み、地区のサーフィン大会で優勝するところを描いて、彼女のプロサーファーとしての未来に限りない希望と光りを描きだします。
そんな希望に満ちたベサニーのサーフィンシーンをカメラは、ハワイの抜けるように透き通ったブルーを基調に、空と海と大地から俯角したワイドな視点から、スリリングに
切り取っていきます。波の下を潜り抜けるローリングスルーでは、青い波の外苑を、白いストライプが抜け出ていくような疾走感を感じさせます。
ちなみに試写を見たベサニー本人は、一部のサーフィンのシーンを納得できない箇所があったようなのです。もっといいサーフィンができるのに!と主張して、なんと映画が完成した後に、撮影隊とベサニーがタヒチに行って、本人ががスタントをやってシーンを撮り直して、ベストなサーフィンシーンを再現したそうなのです。
競技のサーフィンを知らない一般の人が見ても、「どうやって撮っているんだろう!?」と感動してしまう見事な映像でした。
また、事故を乗り越えて再び大好きなことに挑戦するストーリーは、とかく感動作に仕上げようとして情緒過多になることが多いものです。しかし本作は、ベサニーが立ち直るポイントを後半のラスト近くに置いて、抑制を利かせて淡々と描きます。前半はむしろ前途洋々の希望に満ちた事故前の描写が殆どでした。そして事故後は、ベサニーが片腕を失った日常を細かく描いて行きます。たとえ左腕一本でも服を着るのも、料理するのも、今まで当然に出来たことが出来なくなる、そんな辛さをめざとくマクナマラ監督は捉えていくのです。でもその視点は、どこまでも温かいものでした。なぜならそんな絶望感も、試練もやがて来るベサニーの歓喜のお膳立てとして、敢えて加えたものに過ぎなかったからです。
辛いのは、腕を失っただけではありませんでした。外にはいつでもマスコミが勝手に押しかけて取材しようとします。街の人からは好奇の目で見られます。何もかもが、事故の前の普通の暮らしからガラリと変わってしまいました。たから、ベサニーの投げ出したくなる気持ちはよくわかります。それでも、監督はたたみ掛けるように、ハワイ大会での惨敗ぶりを、これでもかと描き続けるのです。
それでも悲劇に負けず、夢を追いかけるベサニーのファイトはどこからわいてくるのでしょうか。
やはり大きいのは、家族の愛ですね。両親はそんな彼女をありのままに受け入れ、愛情深く包み込むのです。父親の支えは、大きかったと思います。また見知らぬ人たちからのたくさんの手紙が、ベサニーを勇気づけます。彼女は、自分がサーフィンで頑張れば、いろんな人たちに元気を与えられることに気づいていくのでした。
そして何よりもベサニーを支えたのが信仰でした。ハワイ大会で惨敗し、プロになる夢も絶たれたかと思い込み、落ち込んだベサニーは父親とのやりとりで、「なぜ神は私にこんな試練を与えるのか」と嘆きます。父親からの励ましに、どんなに展望が見えてこなくても神を信じ、神に全託し、「静かに神の声に耳を傾けてみることにしたわ」という台詞は、きっと無神論の方でもそうかもしれないと心を動かされることでしょう。
べサニーには相談相手として、教会の活動リーダーであるサラがいました。彼女の前でべサニーはサラにも、これが神の与えた試練なの?と涙を流して苦しむをぶつけます。けれども、その後の経験を通して、サラが言う「物の見方(perspective)を変える」ことを学んでいくのです。「映画の中で、もし腕を失う前に戻れるとしたら? という記者からの質問を受けるんですけど、ベサニーは『過去は変えられないけれど周りのサポートや愛を抱えきれないほどもらっている』と答えているんですね。そんなベサニーの不屈の信仰の言葉には、個人が逆境から悟った心境が素直に語られるから感動してしまうのです。
ベサニーに決定的な立ち直りの変化を与えることになったのが、04年12月のスマトラ沖地震による津波の被害を受けたタイのプーケット島にサラと共にボランティアに出かけたことです。
教会の海外支援活動中に、独りの孤児にべサニーは出会います。その子供が、家族全員を失ったと嗚咽しながら涙を流すとき、ハッとなったべサニーは初めて、不幸に囚われていた自分の心境の間違いに気がつくのでした。孤児の涙に、呆然と立ち尽くし、涙を流すすだけの演技です。でも、その中にべサニーが立ち直るために必要な気づきや自分の運命に対する見方を変えるのに必要な全てを織り込んでしまったマクナマラ監督の演出が秀逸です。
そしてこの島で、べサニーは子供たちにサーフィンを教える喜びを見いだすのでした。
特訓を積んで迎えた全国大会の日、ベサニーはライバルと接戦を演じ、残り少ない制限時間の中で心を静かに集中させ、巨大な波をとらえるサーフィンシーンは、まさにストーリー的にも映像的にも神かがり的。見ているだけで目頭が熱くなりました。信じ抜くことで起こせる奇跡ってあるものだなと感じた次第です。
エンディングでは今もプロサーファーとして活躍するベサニー本人が、「信仰があれば、どんなことも乗り越えられる」と語りかけてきて、スクリーンに映し出されるベサニーに嘘偽りがないを、ベサニー本人の輝きが証明してくれました。
演技面では、ベサニー役のアナソフィア・ロブがひときわ輝いていました。天真爛漫で涙ひとつ見せずに試練と向き合う明るく強いヒロインを作り上げていて、好印象です。事故当時のベサニーよりは年長に見えますが、サーフィンに熱中して笑顔がはじけると、見ている方まで勇気がわいてきました。
片腕の「クロマキー合成」は素晴らしく、女優がホントに片腕ではないかと思ってしまう程に、最近の合成技術は素晴らしいと思う。
サーフィンのダイナミックな映像を楽しみながら、ハンディに負けない人間の勇気に感動できる作品として特選します。ちょっと萎えていた気持ちも、頑張ろうと肯定的な気分に変わることでしょう。
最後に、神を信じることの素晴らしさを大上段に構える作品もありますが、それより本作のような、静かに神の声に耳を傾けることをさりげなく気付かせ、予定調和にせず、感動が静かに盛り上げてくれる展開のほうが、より多くの悩める人の心を掴みやすいものだと感じました。