エッセンシャル・キリングのレビュー・感想・評価
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生存本能、ただ生き抜くために
極寒の地でのサバイバルものといえば、ディカプリオの「レヴェナント」、ミケルセンの「残された者」、リーアム・ニーソンの「ザ・グレイ」などいまやこの手の作品はスターの登竜門となっている(?)。
ディカプリオはそれで念願のアカデミー賞獲得したし、主人公が生死をさまよい壮絶な苦労の末に最後には生還するという物語が好んで作られるのはわかる気がする。
スターは出演してないが「ザ・ハント」という軽薄な邦題がつけられたその作品は他の作品とは一線を画する内容でナチスものということもあるせいか、あの作品での主人公の追い詰められようは個人的には一番見ていてつらかった。あの凍傷にかかった足の指を○○するシーンは二度と見たくない。
ナチスによる非情な追跡からの逃走という面では本作にも通ずるものがある。アメリカは9.11以降愛国者法により拷問などの人権侵害を繰り返してきた。このアフガニスタンやイラクへの侵略戦争もテロとの戦いの名の下にすべてが正当化され、捕虜やテロリストの疑いをかけられた人々に対して悪名高きグアンタナモやアブグレイブにおいて条約違反の拷問が繰り返されてきた。本作の主人公にしてみればアメリカはナチスと変わらないだろう。
彼は戦時下で米兵を三人殺害し、これは戦時下であるから戦闘行為だが、その後逃亡においても何人も一般人を含めて殺害してゆく。それは異国の地で彼が生き延びるためのやむを得ないことであった。
まさにここに原題の意味が込められている。動物と同じくその生存本能のままに他者を殺してでも生き延びようとする人間の姿が描かれる。
劇中彼を助ける三人の女性。木の実を食べる彼の前に現れた幻の女性。彼に○○を与えた女性。そして彼の傷を治療してくれた女性。これら三人の女性が彼の命を救うのは何かを暗示してるようにも見えた。
さすがに追手側のアメリカ兵は間抜けすぎる気がしないでもないけど多少のご都合主義もしょうがないか。
作品ラスト、彼が乗っていた馬だけがいて彼の姿はどこにもない。彼は力尽きて死んでしまったのか、あるいは故郷に帰れたのか。観客の創造に任せるこのラストは余韻を残すものでとても良かった。監督の別の作品「EO」のラストとはまた違った意味に受け取れた。
本作も前述の他の作品に負けず劣らずの極寒サバイバル作品として工夫がなされていて他の作品との差別化がなされていた。
それぞれの作品で主人公たちは生き延びるためにありとあらゆるサバイバル術を見せて食糧確保に努力するけど本作の主人公は何と驚きの方法で栄養満点のドリンクを手に入れる。それはまさに生まれ変わったように精力がつく飲み物。今まで多くのサバイバル物を見てきたけどこれには驚かされた。
飢えをしのぐためにまさかアレにしゃぶりつくとはなかなか斬新だ。食欲だけでなく他の欲も満たすことができて一石二鳥なのではないかな。でもドリンク与えた方はトラウマになっただろうね。
しゃぶりつく食欲こそ“生きる”証し
かの名作『バッファロー66』では、ワイルドな男臭さがギラギラと光り格好良かったヴィンセント・ギャロが一転、米軍にボコボコに虐げられた末に極寒の地をガタガタ震えながらヨボヨボとさ迷う姿は往年の格好良さは微塵も無く、オマケに台詞もゼロやからただただ驚く。
時の流れの残酷さをつくづく痛感した。
頼れる味方は誰もおらず、周囲は敵だらけの地獄をたった独りで闘い抜こうとする極限状態は『ランボー』に通ずる世界観だが、大きな違いは善と悪どころかメッセージ性も政治色も存在しない無の恐怖が広がる点であろう。
延々と逃げるのみの血に塗れた惨劇の共通点は、戦争の狂気が招いた迷走である事ぐらいだから、如何に救いの無い一本なのかが伺える。
逃走中、空腹感に耐えられず、蟻や樹の皮を必死にむさぼる喰いっぷりに圧倒された。
行き場の無い悪夢に追い込まれると人間は食べる事のみが唯一の忘却方法なのだと見せつけられる。
特に、我が子に授乳中の女性を襲い、片方の乳房に食らいつき、一心不乱に母乳を啜る場面は、逃避行の極地の味覚を象徴しており、言葉を暫し窮してしまう。
故に、今作は一概にオススメできない。
しかし、観終えると、後味の悪さに反し、不思議と腹が減る。
それは、今の日本が平和だからこそ得られる空腹感なのかもしれない。
夕食は何にしようか悩みながら最後に短歌を一首
『砂嵐 倒れて汝 雪の檻 迷ひむさぼり 狂(今日)の逃げ道』
by全竜
この男にとって「必要な殺し」とは?
あのスコリモフスキがヴィンセント・ギャロ主演のアクションを撮った?こんな前評判に、私の頭は完全に「??」マークでいっぱいになった。スコリモフスキのアクション
なんて観たくない・・・と思っていたのに、拒絶反応より好奇心が勝り、それでも半ばいぶかりながら劇場に足を運んだ。申し訳ない、完全に私の負けです、これはまさしくスコリモフスキの世界観。本作の主人公はいっさいセリフを喋らない。アメリカ軍に追われるイスラム兵(それでさえ、確信は持てない)ということ以外の情報は全く与えれ等ない。この男の孤独な逃亡をカメラはただひたすら追うだけだ。聞こえるのは男の息づかい以外は、動物の鳴き声などの自然の音だけ。雪深い東欧の林野(美しくも厳しい大自然)を、この男はいったい何のために逃げ回るのか?時折インサートされるイスラム音楽と、ブルカ姿の女性の映像。音が観る幻影こそ、この男が信じる風景なのだろう?傷つき血を流しながら、木の皮や蟻(貴重な蛋白源)を喰い、出くわした赤ん坊連れの女性の母乳(!)を吸って生き延びる男は、いったいどんな人生を送ってきたのか?そんな強烈なキャラクターをギャロがギラギラ光る眼差しで渾身の演技を見せる。たった1人、男を家に入れ開放する聾唖の女を演じたセニエ(ロマン・ポランスキー夫人、凛とした美しさ)の押さえた演技と好対象をなす。翌朝黙って男を送り出す女、この2人の間に恋愛感情を与えるような通俗なストーリーにしないのがスコリモフスキだ。白い馬の背を、吐いた血で染めながらも、男は前を見つめる。男にとってエッセンシャル・キリング(絶対的に必要な殺し)を証明するのは「生き延びる」こと。主人を亡くした赤い背の馬が、彼の逃亡の終結を表しているようで、胸が痛んだ・・・。
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