エッセンシャル・キリングのレビュー・感想・評価
全2件を表示
しゃぶりつく食欲こそ“生きる”証し
かの名作『バッファロー66』では、ワイルドな男臭さがギラギラと光り格好良かったヴィンセント・ギャロが一転、米軍にボコボコに虐げられた末に極寒の地をガタガタ震えながらヨボヨボとさ迷う姿は往年の格好良さは微塵も無く、オマケに台詞もゼロやからただただ驚く。
時の流れの残酷さをつくづく痛感した。
頼れる味方は誰もおらず、周囲は敵だらけの地獄をたった独りで闘い抜こうとする極限状態は『ランボー』に通ずる世界観だが、大きな違いは善と悪どころかメッセージ性も政治色も存在しない無の恐怖が広がる点であろう。
延々と逃げるのみの血に塗れた惨劇の共通点は、戦争の狂気が招いた迷走である事ぐらいだから、如何に救いの無い一本なのかが伺える。
逃走中、空腹感に耐えられず、蟻や樹の皮を必死にむさぼる喰いっぷりに圧倒された。
行き場の無い悪夢に追い込まれると人間は食べる事のみが唯一の忘却方法なのだと見せつけられる。
特に、我が子に授乳中の女性を襲い、片方の乳房に食らいつき、一心不乱に母乳を啜る場面は、逃避行の極地の味覚を象徴しており、言葉を暫し窮してしまう。
故に、今作は一概にオススメできない。
しかし、観終えると、後味の悪さに反し、不思議と腹が減る。
それは、今の日本が平和だからこそ得られる空腹感なのかもしれない。
夕食は何にしようか悩みながら最後に短歌を一首
『砂嵐 倒れて汝 雪の檻 迷ひむさぼり 狂(今日)の逃げ道』
by全竜
この男にとって「必要な殺し」とは?
あのスコリモフスキがヴィンセント・ギャロ主演のアクションを撮った?こんな前評判に、私の頭は完全に「??」マークでいっぱいになった。スコリモフスキのアクション
なんて観たくない・・・と思っていたのに、拒絶反応より好奇心が勝り、それでも半ばいぶかりながら劇場に足を運んだ。申し訳ない、完全に私の負けです、これはまさしくスコリモフスキの世界観。本作の主人公はいっさいセリフを喋らない。アメリカ軍に追われるイスラム兵(それでさえ、確信は持てない)ということ以外の情報は全く与えれ等ない。この男の孤独な逃亡をカメラはただひたすら追うだけだ。聞こえるのは男の息づかい以外は、動物の鳴き声などの自然の音だけ。雪深い東欧の林野(美しくも厳しい大自然)を、この男はいったい何のために逃げ回るのか?時折インサートされるイスラム音楽と、ブルカ姿の女性の映像。音が観る幻影こそ、この男が信じる風景なのだろう?傷つき血を流しながら、木の皮や蟻(貴重な蛋白源)を喰い、出くわした赤ん坊連れの女性の母乳(!)を吸って生き延びる男は、いったいどんな人生を送ってきたのか?そんな強烈なキャラクターをギャロがギラギラ光る眼差しで渾身の演技を見せる。たった1人、男を家に入れ開放する聾唖の女を演じたセニエ(ロマン・ポランスキー夫人、凛とした美しさ)の押さえた演技と好対象をなす。翌朝黙って男を送り出す女、この2人の間に恋愛感情を与えるような通俗なストーリーにしないのがスコリモフスキだ。白い馬の背を、吐いた血で染めながらも、男は前を見つめる。男にとってエッセンシャル・キリング(絶対的に必要な殺し)を証明するのは「生き延びる」こと。主人を亡くした赤い背の馬が、彼の逃亡の終結を表しているようで、胸が痛んだ・・・。
全2件を表示