「人とのかかわり方が生む感情の変化を、研ぎ澄ました感覚で豊かに表現」エッセンシャル・キリング cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
人とのかかわり方が生む感情の変化を、研ぎ澄ました感覚で豊かに表現
これまで「ギャロ様」として数々の作品で暴れまわってきたヴィンセント・ギャロ。本作では、「本当にあのギャロか?」と目を疑うほどに、名もなく素性もわからない「誰でもない男」として、全編ひたすら逃げ、凍てついた雪原をさ迷う。
彼の必死の逃避行は、部外者にとってはただただ不可解で、滑稽にさえ映る。アリを食べ、木の皮を食べる。釣り人から魚を奪って生のままむさぼり、乳飲み子を抱いた女の乳房に食らいつく。そんな彼に遭遇する人々もまた、どこか間が抜けて見える。茶化すように軽口を叩いたり、ヒステリックに脅えたり。双方はまったくかみ合わず、すれ違うだけだ。
そんな彼に、手をさしのべる女性が現れる。彼女は耳が聴こえず、男同様に言葉を持たない。彼女は冷えきった男をストーブの側へ引き寄せ、血を拭おうとする。彼女の手で、傷付いた男の血まみれの肌が少しずつ露わになり、鮮血が白い布を染めたとき、彼が「痛み」を持つ生身の人間であると気付かされ、はっとした。翌朝、白馬に乗せられた彼は、安らかな終着点へと向かう。そのとき初めて、雪原は光輝く美しい自然として、スクリーンを満たした。
遭遇し通過するだけのかかわりから、引き寄せるかかわりに転じることで生まれる感情の変化。そしてそれは、当事者同士だけでなく、周囲にも変化をもたらし、視界を広げ得る。寡作の巨匠イエジー・スコリモフスキ監督は、人とのかかわりのダイナミズムを、言葉を排し、色彩を極限まで削ぎ落としながらも、感覚豊かに表現している。
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