エッセンシャル・キリングのレビュー・感想・評価
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人とのかかわり方が生む感情の変化を、研ぎ澄ました感覚で豊かに表現
これまで「ギャロ様」として数々の作品で暴れまわってきたヴィンセント・ギャロ。本作では、「本当にあのギャロか?」と目を疑うほどに、名もなく素性もわからない「誰でもない男」として、全編ひたすら逃げ、凍てついた雪原をさ迷う。
彼の必死の逃避行は、部外者にとってはただただ不可解で、滑稽にさえ映る。アリを食べ、木の皮を食べる。釣り人から魚を奪って生のままむさぼり、乳飲み子を抱いた女の乳房に食らいつく。そんな彼に遭遇する人々もまた、どこか間が抜けて見える。茶化すように軽口を叩いたり、ヒステリックに脅えたり。双方はまったくかみ合わず、すれ違うだけだ。
そんな彼に、手をさしのべる女性が現れる。彼女は耳が聴こえず、男同様に言葉を持たない。彼女は冷えきった男をストーブの側へ引き寄せ、血を拭おうとする。彼女の手で、傷付いた男の血まみれの肌が少しずつ露わになり、鮮血が白い布を染めたとき、彼が「痛み」を持つ生身の人間であると気付かされ、はっとした。翌朝、白馬に乗せられた彼は、安らかな終着点へと向かう。そのとき初めて、雪原は光輝く美しい自然として、スクリーンを満たした。
遭遇し通過するだけのかかわりから、引き寄せるかかわりに転じることで生まれる感情の変化。そしてそれは、当事者同士だけでなく、周囲にも変化をもたらし、視界を広げ得る。寡作の巨匠イエジー・スコリモフスキ監督は、人とのかかわりのダイナミズムを、言葉を排し、色彩を極限まで削ぎ落としながらも、感覚豊かに表現している。
逃げまくる男
ある男が逃げて逃げて逃げまくる物語。
とにかく「自分が生き延びること」しか考えていない男は、ヘリコプターや兵士や犬の群れに追われても逃げる。他人を殺しても逃げていく……。
イエジー・スコリモフスキ監督作品。
映画では詳細な説明を排除して、主演のヴィンセント・ギャロには一言も喋らせず、共演のエマニュエル・セニエ(ロマン・ポランスキーの妻で女優)もセリフ無し。
どこか中東のような砂漠地帯が空撮で映り、一人の男が追跡されている。男は地上で追ってきた男達をバズーカ砲で爆死させるが、捕らえられる。軍の基地で痛い目に遭わされ、車でどこかに搬送される途中で車が崖から落下。男は事故のどさくさで逃げ始める。しかし、兵士たちと犬の群れに追われ、雪の中・激寒の中を逃げまくる。そして……という流れに終始するが、アチコチで男の周囲での出来事を描いており、単調にならない演出の上手さ。
今回観たDVD(紀伊国屋書店)の特典映像で、スコリモフスキ監督が本作キャンペーンのために来日した姿が映されていて、学生たちの前でのトークショー/京都の寺を次から次へと巡る姿/インタビューなどを見た。
日本には、(当時の時点で)数回目の来日だそうだが、スコリモフスキ監督がこんなに親日派だとは思わなかった。
スコリモフスキ監督が好きな監督は「3人いる」とのこと。
真っ先に挙げたのは「黒澤明」。その他2人は「オーソン・ウェルズ」と「フェデリコ・フェリーニ」とのこと。
特典映像では、都内の「黒澤」という店?で「黒澤明の描いたイラスト」を見るスコリモフスキ監督の姿。……イラストは『まぁだだよ』などが映っていた。
「逃げるためには、自分本位が最優先とする」あたりは、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』に似ている。
スコリモフスキと妻(エヴァ)は共同脚本・共同製作で映画を作っており、ポランスキー夫妻(妻は本作出演)と家族ぐるみの付き合いらしいので、通じるものがあるのか…。
(余談:社会人になってから、拙筆の映画評がキネマ旬報に初掲載されたのが『戦場のピアニスト』であった。)
スコリモフスキ監督の本作は、時々、ハッとするような美しい場面も見られる良質の映画だった。
アラブなギャロ
自身の監督作品「ブラウン・バニー」から音沙汰がなかったヴィンセント・ギャロの主演作、しかも劇場公開でイエジー・スコリモフスキ監督でありヴェネツィアで賞も獲り、ギャロの俳優人生でここまで評価されたのは記憶にない、しかも一切喋らずなセリフ無しで。
雪が積もる真冬の中、様々なトラブルも何気に回避しながら待ち受ける過酷な状況、一番心配になる素足での逃走も気が付けばブーツを拝借し、兵士含めて七人は殺している残酷さ!?
母乳は大人でも十分な栄養源になるのか、ギャロらしい演技を見せ付けられた。
初公開時、フォーラム仙台にて初鑑賞。
何もしゃべらないムハンマド。言葉の違いによって喋れないのか、さっ...
何もしゃべらないムハンマド。言葉の違いによって喋れないのか、さっぱりわからない。しかし、それが効果的で、純粋にアラーの神を信じていることだけわかる。生き残るためには他人を犠牲にしてもかまわないといったところが共感できず。撃たれたのなら、もう休んでいてくれと願いたくもなる・・・
シンプル。
ストーリーはただ逃げまくるだけだがずっとラストまで熱中して観れました。きっとただ逃げるって事の集中力っていうか極寒の中でも生きるっていう生命力っていうか平和ボケしてる日本人にはとうていそこまでの生命力が無いだろうなと比較しながら観れました。
ひたすら生き抜く本能
主人公はアラブ人兵士ムハマンド。そもそも、なぜ荒涼とした大地を逃げることになったのか、まったく説明がない。男はとにかく逃げていたのだ。
追手の偵察隊を排除するが、すぐヘリからの攻撃を受け捕まってしまう。
男が逃げ惑う俯瞰した映像は何も物語らない。とにかく男は捕まってしまった。
いっさいものを言わない男、ムハマンド。拷問の挙げ句、軍用機でどこか知らないところへ移送される。その後、軍用車で搬送されるところを思わぬアクシデントがあり、その機に乗じて脱走する。
再び地を這う逃走が始まる。俯瞰した映像は、砂漠から真っ白く雪に覆われた森に変わっている。
男の青白い顔が雪のなかを必死に移動する。男はとにかく逃げる。
まったく台詞のない男の逃走劇。80分近くをただ逃げるだけ。本能的に生きようとする男の、動物的な行動がとつとつと描かれる。とにかく、ただそれだけ。
男はどこに向かおうとしているのか。何もない。追われるから逃げる、それだけだ。
透き通った朝焼けの雪原。馬が一頭いるだけの雪原。馬の背に男の姿はない。男は見ず知らずの土地でやすらぎを迎えることができたのだろうか。
p.s. 【印象】を〈単純〉にチェックを入れたが、これは仕方なくだ。ほかに該当するものがなかった。強いて言えば〈淡々とした〉印象だ。
ギャロの逃走劇場
鑑賞後にふぅ、と一息。
いやあ。なんとも、単純明快なのに、こう、メッセージ性を滲ませてる様な、そうでもない様な、カメラの見つめる視点、眼差し、フォーカスされた対象物(景色やら草木やら)に意味を孕んでる様な、ただの思わせ振りの様な…まー、不思議な映画でした。
単色、白基調の雪景色の中、その白に塗れてヴィンセント・ギャロがひたすら逃走するだけの内容であるのは間違いないんですけど。
まプロットが逃げるだけ、なんで。
要するに『ヴィンセント・ギャロ劇場』なんですよね。
逃げたいし、生きたいし、助かりたいし、でも絶望のさ中だし。
腹減ったから口に入れられるモノは何でも口に入れるし。
泣くし、殺しまくるし、母乳吸うしw
それら全部が、彼にとっては真剣なのに、やがて滑稽に思えてきて、やっぱ不思議な映画というべきか、中盤辺りから若干コントの様相も呈してくるんですよ。だから、何か思わず笑いそうになる。あ、笑ってないですけどね。
つまりはこの映画、一面銀世界がギャロの独壇場。
一切セリフなし。物言わぬ代わりの饒舌な所作の数々。
ナイスなリアクション。
芳醇な83分間。
とりあえず、映画館帰りに、今日は飯をお腹一杯食べようと思いました。
しゃぶりつく食欲こそ“生きる”証し
かの名作『バッファロー66』では、ワイルドな男臭さがギラギラと光り格好良かったヴィンセント・ギャロが一転、米軍にボコボコに虐げられた末に極寒の地をガタガタ震えながらヨボヨボとさ迷う姿は往年の格好良さは微塵も無く、オマケに台詞もゼロやからただただ驚く。
時の流れの残酷さをつくづく痛感した。
頼れる味方は誰もおらず、周囲は敵だらけの地獄をたった独りで闘い抜こうとする極限状態は『ランボー』に通ずる世界観だが、大きな違いは善と悪どころかメッセージ性も政治色も存在しない無の恐怖が広がる点であろう。
延々と逃げるのみの血に塗れた惨劇の共通点は、戦争の狂気が招いた迷走である事ぐらいだから、如何に救いの無い一本なのかが伺える。
逃走中、空腹感に耐えられず、蟻や樹の皮を必死にむさぼる喰いっぷりに圧倒された。
行き場の無い悪夢に追い込まれると人間は食べる事のみが唯一の忘却方法なのだと見せつけられる。
特に、我が子に授乳中の女性を襲い、片方の乳房に食らいつき、一心不乱に母乳を啜る場面は、逃避行の極地の味覚を象徴しており、言葉を暫し窮してしまう。
故に、今作は一概にオススメできない。
しかし、観終えると、後味の悪さに反し、不思議と腹が減る。
それは、今の日本が平和だからこそ得られる空腹感なのかもしれない。
夕食は何にしようか悩みながら最後に短歌を一首
『砂嵐 倒れて汝 雪の檻 迷ひむさぼり 狂(今日)の逃げ道』
by全竜
この男にとって「必要な殺し」とは?
あのスコリモフスキがヴィンセント・ギャロ主演のアクションを撮った?こんな前評判に、私の頭は完全に「??」マークでいっぱいになった。スコリモフスキのアクション
なんて観たくない・・・と思っていたのに、拒絶反応より好奇心が勝り、それでも半ばいぶかりながら劇場に足を運んだ。申し訳ない、完全に私の負けです、これはまさしくスコリモフスキの世界観。本作の主人公はいっさいセリフを喋らない。アメリカ軍に追われるイスラム兵(それでさえ、確信は持てない)ということ以外の情報は全く与えれ等ない。この男の孤独な逃亡をカメラはただひたすら追うだけだ。聞こえるのは男の息づかい以外は、動物の鳴き声などの自然の音だけ。雪深い東欧の林野(美しくも厳しい大自然)を、この男はいったい何のために逃げ回るのか?時折インサートされるイスラム音楽と、ブルカ姿の女性の映像。音が観る幻影こそ、この男が信じる風景なのだろう?傷つき血を流しながら、木の皮や蟻(貴重な蛋白源)を喰い、出くわした赤ん坊連れの女性の母乳(!)を吸って生き延びる男は、いったいどんな人生を送ってきたのか?そんな強烈なキャラクターをギャロがギラギラ光る眼差しで渾身の演技を見せる。たった1人、男を家に入れ開放する聾唖の女を演じたセニエ(ロマン・ポランスキー夫人、凛とした美しさ)の押さえた演技と好対象をなす。翌朝黙って男を送り出す女、この2人の間に恋愛感情を与えるような通俗なストーリーにしないのがスコリモフスキだ。白い馬の背を、吐いた血で染めながらも、男は前を見つめる。男にとってエッセンシャル・キリング(絶対的に必要な殺し)を証明するのは「生き延びる」こと。主人を亡くした赤い背の馬が、彼の逃亡の終結を表しているようで、胸が痛んだ・・・。
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