ハウスメイド : 映画評論・批評
2011年8月16日更新
2011年8月27日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
整形若奥様VS土俗顔家政婦の新旧コリアン妊婦対決
整形モダニズム顔(ソウ)VS従来型土俗顔(チョン・ドヨン)の新旧コリアン顔が妊娠対決、その結果は? と簡略化しうる女性ノワール惨劇篇だ。人形のような整形モダニズム奥様はマティスの画集をひもとき、ボーボワールの「第二の性」を臨月間近のぷっくらしたお腹を抱えながら読んでいる。その体で夫に夜の奉仕をするが、これが台詞とともにいやらしい。
老ハウスメイド(男として見たくもないものをすべて見せてくれる。透けブラ、入浴、壮絶舌磨き!)にスカウトされ豪邸住み込みとなった土俗顔は娘の世話に努め、彼女の信頼を得る。家の主人のたしなみはピアノとワイン、こうしたアジアン新興金満階級の通俗が楽しい。しかも性欲満々の美体型、欲しいものは金で手に入れる。彼が従来型ドヨンを性の対象として認識したのは、帰宅し、高級ワインをたしなみながら、広大なバスルームをあけたとき、ちょうど掃除中のドヨンのむきだしの太腿がまさに自分を誘っているとみなしたからである。バスルームが右手、妻が鏡に向かっている化粧部屋が左手、中央に男を配した構図がその後の展開を図解するのだ。
ドヨンの下着が今の女子中学生でも身につけない戦前型の白く厚い下着というあたりが、いかにも従来型肉体にふさわしい。ブラに手を入れ、下腹部に向かう男の指技、さすがにポイントをはずし、じらす。「家政婦は見た!」ではなく「家政婦は犯された!」。セックスにわずかの愛を求めたい土俗顔は朝、口紅を塗り、主人のところへ行くが、突き出されたのは小切手。娼婦扱いなのだ。この場面がきいている。モダニズム妻の母=大奥様が最高のビッチ!
(滝本誠)